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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十五章 双頭の蛇
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第三話

 「おかしな事が続くわね」


 夕食の後片付けをしながら海華が呟く。

むったりとした表情で彫刻道具の手入れをする朱王は、うん、と小さく返事をした。


 「それもこれも、白装束の奴らに会ってから だ。忌々しいったらありゃしない」


 低く吐き捨てると、朱王はバン! と手入れ用の布を乱暴に作業台へと叩き付け、不機嫌そうに畳へと視線を落とす。

そこには、小刀によってできた刺し跡が二ヶ所、周りには黒く変色した蛇の血が、今だポツポツとこびりついている。


 「これ以上何も起こらなきゃいいけど……」


 前掛けで濡れた手を拭いながら海華は畳へ上がり、鏡台の前へと腰を下ろした。


 「お前、仕事に行くのか?」


 「うん、そうよ」


 兄の問い掛けに、彼女は着物の襟を直しながら頷く。


 「今日は止めておいた方がいいぞ」


 「何でよ? あたしだったら大丈夫だから」


 苦笑いを交え、海華が振り替える。

しかし、朱王は違うと頭を振った。


 「もしかすると修一郎様が見えられるかもしれない。今日の事、桐野様から聞いているはずだ」


 「ああ、そういう事。そうね、桐野様なら絶対修一郎様に話してるわね」


 どうやら海華も納得したようだ。

ひょいと立ち上がり、早速茶を出す準備をし始める。

朱王の予感は見事的中し、それから幾ばくもしないうちに、修一郎は長屋を訪れたのだ。


 「桐野から聞いたぞ、蛇が投げ込まれたんだってな?」


 ドカリと胡座をかいて座った修一郎は、『お、これか』と言いながら、畳に散った血の跡を指でなぞった。

海華は困ったように眉を寄せ、用意していた茶を出す。


 「もう心臓が止まるかと思いました」


 「酷い悪戯をする輩もいるな。ところで朱王、お前、貴蛇教とやらの教祖から来た仕事を断ったらしいな。都筑から聞いたが、目の前で裸になられたんだって?」


 ニヤリと笑みを見せた修一郎から、朱王は気まずい様子で視線を反らせる。

そんな二人を見て、海華はプイッと横を向いてしまった。


 「私にはとても……あのような仕事は受けられませんので」


 「お前ならそう申すと思った。俺も以前から、あの宗教の話しは耳にしていたからな。どうも淫祠邪教の臭いがする。今日の殺しも、お前達への悪戯も、奴らが絡んでいるような気がするのだ」


 そう言いながら茶を啜る修一郎。

朱王と海華は顔を見合わせた。


 「今日の殺しも? あの連中の仕業だとなぜ……?」


 不思議そうな面持ちの二人に、修一郎はチラと目配せした。


 「実はな、今日死骸で見つかったのは、日本橋にある酒屋の息子だ。店の者らの話しによると、つい二日程前、貴蛇教の信者が喜捨を…… まぁ、物乞いだな。店に来たらしいのだ」


 ふう、と一度息をつき、修一郎は残りの茶を飲み干す。

すぐに海華が新しい茶を注いだ。


 「その時に、殺された息子が何もやらずに叩き出したらしい。うろつかれると迷惑だ、と言ってな」


 「じゃあ、それを恨んで殺したって事ですか?」


 信じられない、とでも言うように、海華がポカンと口を開ける。


 「ただの恨みにしては殺し方が酷いのだ。 ……海華よ、女の前で余り申したくはないが、腹が切り裂かれて、肝と心の臓が抜かれていた。常人が出来る殺しかたではないのだ」


 修一郎の言葉に、さすがの朱王も表情をひきつらせた。


 「肝と心臓が……? それで、抜かれた臓物は見つかったのですか?」


 朱王の問いに、修一郎は深々とため息をつきながら頭を振った。


 「いや、どうやら持ち去られたようだ。お前達の件も含めて調べるよう、桐野達には頼んでいる。万が一、奴らから接触があれば必ず報せろ。いいな?」


 はい、と返事をする海華。

その顔は、障子紙のように白く、すっかり血の気が引いていた。








 さて、翌日、朝一番で海華は仕事に出掛け、朱王も頭 の修理の山場に入っていた。


 一人黙々と彫刻刀を振るい始めてどの位の時間がたっただろう。

トントン……、と戸口の叩かれる音に、朱王は顔を上げる。


 どうぞ、と返すが、一向に人が入ってくる気配は無い。

不思議に思いながらも彼は腰を上げ、戸口をガラリと開けた。

そこに立っていたのは、いつぞやの薄汚れた白装束だ。


 「先日は、失礼致しました……」


 白い手拭いを巻いた頭がノロノロと下げられる。 朱王はあからさまに不機嫌な表情を見せた。


 「どのような御用件です? 仕事はお断りしたは ずだ。勿論、二度と受けるつもりもありません」


 「今日伺ったのは、人形の件ではありません。 白麗様が……先日は大変な無礼をしてしまった、ぜひ一度お会いしてお詫びを申したいと。これから一緒に来て頂けますか?」


 「詫び? そんなもの結構です。また会う気などありません」


 ガシリと腕組みをした朱王は即刻断りを入れる。 その途端、藪にらみの眼差しが朱王を捉えた。


 「朱王様に来て頂けない時は、妹様を連れて来るよう申し付けられておりますが……」


 「何、だと……!?」


 ギリギリと朱王のまなじりがつり上がる。 お前が来なければ、妹をさらう。

立派な脅しだった。

射殺すように睨み付けられても、男は表情一つ変えない。


 「来て、頂けますね?」


 低めの声が耳に届く。

朱王は舌打ちし、拳を握り締めた。


 「……わかった、行こう」


 ありがとうございます。 そう男は再びノロノロと頭を下げた。

さて、その頃海華は、急ぎ足で長屋に戻る途中だった。

仕事を切り上げた訳では無い。

貴蛇教について、気になる話を耳にしたのだ。


 いつもの辻で一仕事終え、海華が次の場所へ移るべく片付けをしていると、馴染みの酒屋の女将とばったり会った。

何気ない世間話に花を咲かせていると、ちょうど貴蛇教が話題に上がったのだ。


 女将の店にも貴蛇教の信者が物乞いに来たのだという。

二人組だったらしいが、そのうちの一人は、頭から顔を覆うように白い頭巾を被っていたのだそうだ。

それを聞いた海華は不自然さを感じた。

貴蛇教の中で頭巾を被っているのは、あの女教祖しかいない。

だが、教祖は物乞いになど出ないはずだ。

首を傾げている海華を尻目に、女将は話しを続けた。


 「それでね、頭巾と白装束の襟元からチラッと肌が見えたのよ。私鳥肌が立っちゃった」


 左頬から身体に掛けて、灰色の鱗が生えていた。 女は真面目な顔でそう言ったのだ。

海華はますますおかしいと思った。

自分は裸を見ている。

教祖の体には刺青こそあれ、鱗などはどこにも無かった。


 「それって、刺青じゃありませんでした?」


 その問い掛けに、女将はブルブルと頭を振る。


 「刺青じゃなかった。ぼこぼこと盛り上がってたからね。顔の下は鱗が生えてるって噂、本当だったのよ」


 気味悪いわね。そう言い残し、女将は去って行く。 海華は手早く片付けを行い、すぐに長屋へと走ったのだ。

番屋や修一郎に報せる前に、兄に報せようと思い、急ぎ長屋へ戻ってきた。


 長屋へ入る角を曲がろうとした海華。

しかし、その足が急に止まった。

長屋の門から足を引き摺った白装束の男がフラフラと出て来る。

その後ろには、兄がいた。


 男は気付いていない様子だが、朱王は海華の姿を確かめていた。

思わず駆け寄ろうとする海華に向かい、小さく頭を横に振る。

どこか睨むような目付きの兄に、海華は声も出す事が出来なかった。

きっと、来るなと言いたいのだ。


 オロオロ顔で見詰める海華に、朱王は男に気付かれぬよう、身体の陰に隠した手で何度か道の向こうを指差す。

その方向には、番屋があった。


 仕草の意味がわかった海華は、ガクガクと頷き、何度か兄の方を振り返りながらも、番屋を目指して全力で走って行った……。






 「親分さーんっっ!」


 ドカン!と戸口を吹き飛ばさんばかりの勢い で、海華が番屋に飛び込んで来る。 中にいた親分と桐野、都築、高橋、その全員の目が点になった。


 「海華殿? そんなに慌ててどうした?」


 ゲホゲホと咳き込み、今にも倒れそうな様子の海華を、高橋が肩を支えるように番屋の奥へと連れて来る。


 「にぃ……様が! 兄様がっ!」


 息も絶え絶えに海華が声を上げる。

長屋からここまで、走りに走って来たのだ。

親分が水を入れた茶碗を差し出す。

渇ききった喉を水が潤していった。


 「海華、朱王がどうかしたのか? おい、しっか りせい!」


 桐野に両肩を掴んで前後に揺さぶられ、顔を上げた海華は今にも泣き出しそうだ。


 「兄様が、貴蛇教の信者に連れて行かれまし たぁっ!」


 そう叫ぶと、ガクンと土間へ座り込んでしまう。 背中の木箱の中で、人形が跳ね上がった。

桐野は海華を助け起こし、上がり框へ座らせる。

皆の顔色が一瞬で変わった。


 「いつだ? いつ連れて行かれた?」


 「今、ついさっきです。番屋に知らせろって、身振りで……」


 唇を戦慄かせながら海華は桐野を見詰める。

先日の殺しを調べていた桐野達、どうもあの宗教が関わっていると確信したばかりだった。

そいつらに朱王が連れて行かれたのだ。


 マズイ事になった、と都築が呟いた、その時。

ガラリと戸口が開け放たれ、汗まみれの留吉が駆け込んで来る。


 「戻りやした! あれ、海華ちゃん来てたのか い?」


 「朱王さんが貴蛇教の奴らに連れて行かれたん だ。留、何か奴らの情報はあったか?」


 苦虫を噛み潰した表情で忠五郎が口を開く。

留吉はひどく驚いた様子で目を瞬かせたが、すぐに困ったような面持ちで眉根を寄せてしまった。


 「朱王さんが!? いや……情報っても、教祖が 二人いるって事位しか……」


留吉の口からそんな台詞が飛んだ途端、詳しく話せっ! と親分の怒号が飛ぶ。

留吉は、思わず首を竦めていた。


 「いや、あの貴蛇教とか言う宗教、元は上方から下って来たらしいんです。で、江戸に来た当初は白い頭巾被ってた奴が二人いたんですとさ。それがいつの間にか一人、今の教祖だけになったらしいですぜ」


 海華の頭に、酒屋の女将が言っていた話しが浮かんだ。

女将が見たのは、その消えたもう一人だったのだ。


 「ああ、それから、奴らのねぐらは横田橋渡って暫く行った廃寺なんですけど、たまにそこか ら肉を燃やすような、煮るような……とにかく、酷く臭せぇ匂いがするって話が……」


 留吉の話しが終わらないうちに、ダンッ! と音を響かせて桐野が立ち上がった。


 「横田橋を行った先の廃寺だな!? これから向 かうぞ! 高橋、お前は皆を呼んで後からまいれ、都築と忠五郎は、儂と一緒にこいっ!」


 言うが早いか、桐野は番屋を飛び出す。

慌てて後を追う者達の中に、木箱を番屋に置いたまま、必死に走る海華の姿があった。





 その頃朱王は、あの廃寺にいた。

男に案内されたのは、この間通された奥にある板張りの部屋。

男が障子を開くと、あの蛇を描いた掛軸が目に入る。

古びた祭壇の両端には蝋燭が灯され、描かれた蛇をボンヤリと浮かび上がらせていた。

中へ通されると、嗅ぎ慣れない匂いが鼻をついた。 枯れ草か香木を燃やすような、鼻腔を微かに刺激する匂いが室内に充満している。


 「白麗様は只今まいります」


 こちらでお待ち下さい。と言い残し、男は障子をピタリと閉めて出て行った。

部屋を満たす奇妙な匂いに朱王は眉を潜めながら香りの元を探し、部屋をぐるりと眺める。


 すると、祭壇の下に煙をたなびかせている香炉がある事に気が付いた。

前には、こんな物は無かったはずだが……。

首を傾げながらも、朱王は教祖が来るのを待った。


 しかし、教祖は一向に姿を見せず、変わりに朱王を襲ったのは、身体の異変だった。

最初に指先がピリピリと痺れ、座っているのも辛い程、心持ち呼吸も苦しく、身体中がダルい。


 「な、んだ、これ……は。――まさ か……っ!」


 この香のせいだ。

そう思った時には既に遅く、逃げ出そうと腰を上げるが、力が入らず、受け身をとる暇もなくその場へ派手に転んでしまう。


 這い出そうと無様に弱々しくもがいているとス ッ、と障子が開き、光りの線が射し込んだ。


 酷く重たい頭を何とか上げた朱王。

小さく開かれた障子から姿を見せたのは、同じ白い頭巾を被り、白い着物を身に付けた、寸分違わぬ格好をした二人の人間だった。

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