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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十五章 双頭の蛇
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第二話

 「そうですか、ならば仕方ありません。時間が掛かっても結構です。その代わり、代金は二十両です。それで良ければ、今、ここで写生を」


 「……承知致しました」


 朱王が軽く一礼する。

横に控えた海華は風呂敷包みをほどき、写生道具を兄の前へと広げた。

と、女の手が顔を覆っている頭巾に掛かる。 シャッ……と衣擦れの音を立て、頭巾が勢い良く外された。


 バサリと音を立て、長い黒髪が舞う。


「うわぁ……」


 女の素顔を目の当たりにした海華は、思わず感嘆のため息をついた。


 血管が浮かび上がるかと思う程、透き通るように白い肌。

くっきりと二重が刻まれた大きな瞳に、艶やかな黒髪に囲まれた小さな顔には、黒子やシミ一つ無い。

牡丹のように赤く、ふっくらした唇には小さな笑みが浮かんでいた。

目を見張るような美人だ。


 勿論、鱗などは生えていない。

きっと舌も自分らと何ら変わりは無いだろう。

頭巾を取れば美人、という噂は本当だった、と、海華は心中思っていた。


 チラと隣の兄に目を遣れば、特に表情を変えず、筆を片手に半紙を床へと広げている。

だが、次に女が取った行動に、さすがの朱王も目を見開いた。


 突然、女が帯をほどき始めたのだ。

スルスルと滑るように帯が外れ、床に渦を巻く。

次の瞬間、女は着物を完全に脱ぎ捨てた。

薄暗い部屋に、白く輝く裸体が浮かぶ。


 女の顔に釘付けになっていた海華は、今度は、その裸体に目を奪われていた。

顔と同じく、白さの目立つ傷一つ無い玉の肌。

そこには、一匹の大蛇が絡み付いていたのだ。


 正確に言えば、それは白蛇の刺青だ。

たっぷりと脂の乗った太股に尻尾、括れた腰を巻きながら背中を通り、ふくよかな乳房の真ん中に赤い舌を伸ばした頭がある。

薄闇でもはっきりわかるそれは、銀で刺したかのように美しく煌めいていた。


 「貴女あなた……私をからかっているのです か……?」


 静かに、しかし確実に怒りを圧し殺した声色で朱王が呟いた。

女は艶かしく足を崩し、小さく首を傾げる。


 「からかうとは? 私は生き人形を頼んだので す。寸分違わず、私そっくりに作ってくれと。この刺青も、全て含めて」


 「ふざけるなっ!」


 眦を吊り上げた朱王が一喝し、ダン! と半紙に筆を叩き付ける。

含ませていた墨が飛び散り、半紙を汚した。


 「私に、裸の人形を作れと? 冗談じゃない! そ んな酔狂な物、真っ平ごめんだ! この依頼はお断ります。どうぞ他の人形師にでも頼んで下さい!」


 がしゃっ! と乱暴に道具を箱に投げ入れた朱王は、さっさとその場から腰を上げて形ばかりの会釈をする。


 「これで失礼します。海華、……海華ッ!」


 呆然と女に見魅る妹の肩を乱暴に叩くと、ビキッ! と電流が走ったように、海華の背中が真っ直ぐに伸びた。


 「はいっ!?」


 「何をボサッとしてる! 帰るぞっ!」


 鬼の形相をした朱王は、ドカドカと足音も荒く部屋を出て行く。

弾かれたように立ち上がった海華、その瞬間、女と視線がぶつかった。

大きな瞳を細め、唇を吊り上げながら、女は妖艶な笑みを送る。

海華は慌てて女に背を向け、よろめきながらも兄の後を追った。


 「何を考えているんだ、あの女はッッ!」


 外へ出ても怒りの納まらない朱王は、肩をいからせ、生い茂るススキを踏みつけながら歩く。

その後ろをヒョコヒョコと海華が続いた。


 「裸になられた時には驚いたけど、怖いくらいに綺麗な人だったわねぇ」


 感心するように海華が呟く。

街中でも遊廓でも、あの位器量の良い女はなかなかお目に掛かれない。

しかし、朱王はそれほど興味は無さそうだ。


 「綺麗!? そうだったか?」


 今だに眉を吊り上げたままの朱王。

朱王にとっては、美人も醜女も関係無い。

ただの『顔』でしかないのだ。

小さく苦笑した海華は、ふとある事に気付く。


 顔の下は、全裸だったはずだ。


 みるみるうちに彼女の顔が怒りに歪み、座った眼差しで兄を睨み付ける。


 「兄様、顔見て無いの? なら、どこを見てたの よっ!?」


 「どこ?……いや、別に裸は、……そんなにしっかり見てはいないぞ!」


 妹の言いたい事にやっと気付いた朱王は、今までの怒りは何処へやら、急に慌てた表情に変わる。

反対に海華は不機嫌そうに眉を潜める。

バン! と朱王の背中に鉄拳が炸裂した。


 「なにさ、嫌らしい! 最低よっ!」


 そう叫ぶと兄の体を押し退け、芒の野原を駆けて行く。

誤解だ! 見てない! と、言い訳を繰り返し、朱 王は慌ててその後を追って走り出した。








 「あの女教祖、朱王さんに人形頼んだのかい?」


 茶を運んできた留吉は目を丸くし、意外そうな顔をした。


 「そうなんですよ。人から金集めて、とんでもない道楽ですよね」


 そう溢した海華は、いただきます、と出された茶を一口啜った。

よく晴れた秋の昼下がり、朱王に使いを頼まれた彼女は、帰り道で高橋とバッタリ会い、一緒に番屋に赴いて世間話に花を咲かせている。

ちょうど番屋にはいつもの顔ぶれ、親分に留吉、都築が揃っていた。


 「俺ぁハナっからまじないモンは信じねぇタチなんだがよ、あの宗教は随分流行ってるみてぇじゃねぇか?」


 忠五郎親分が腕組みしながら言う。

「 はい、住んでる所はあばら屋なんです。でも、信者の数は多いみたいですね」


 「あの女教祖の作る薬だかが目当てで人が集まると聞いたな。何でも、皮膚病には、てきめんに効くらしい」


 顎の下を擦りながら高橋が口を開く。

それなら知ってまさぁ、と留吉がグイと顔を出した。


 「白蛇様の祝詞のりととか言うのを唱えながら、鍋で薬草を煮て作るらしいですぜ。材料が何かは、 女教祖しか知らないんですとさ」


 怪しいな、と都築が疑わしげに眉間へ皺を寄せた。 海華も、同感だ。


 「医者でもないのに、大体その祝詞とやらが怪しいぞ。……それよりも、俺は別の噂が気になるんだが……」


 違う噂? と高橋が首を傾げた。

都築は意味ありげに、ニヤリと笑う。


 「あの教祖、いつも顔を隠しているが、実際はこの世の者とは思えないほどの美人らしい。鱗があるの舌が分かれているのと言う奴もおるが、 ……どうなのだろうな?」


 「あぁ確かに美人でしたね」


 しみじみとした口調で海華が呟く。

全員の目が、海華へと向けられた。


 「海華、お前顔を見たのか!?」


 些か興奮気味に都築が尋ねてくる。

湯飲みを口に当てたまま、彼女はコクリと頷いた。


 「見ました。写生してくれって言われたんで す。色は白いは、目鼻立ちは整ってるわ。そこらの遊女の倍は綺麗で。……でも、人前でいきなり裸になられてもねぇ……」


 「なにぃ!? 裸ッッ!?」


 鼻息も荒く、都築が身を乗り出す。

他の者達も、目をギラつかせて食い入るように海華を見ていた。


 「は、い。生き人形を頼んだから、体の方も生き写しで作れって。鱗こそ無かったですけどね、気味悪い蛇の刺青があって。兄様もびっくりしてましたよ」


 「はぁ~、いいねぇ……朱王さんは」


 羨ましそうに留吉がため息をついた。

親分も都築も、高橋までもが同調するように大きく頷く。

反対に、海華は柳眉を逆立てた。


 「羨ましいって……どういう意味です?」


 「だってよ、タダで女の裸拝めるなんざ、そう無ぇぜ。ましてや向こうから脱いでくれるなんてなぁ……」


 そうだそうだ、と留吉に向かって都築が笑った。


 「俺達が拝めるのは、岡場所か女郎屋だけだ。しかも大枚はたいてな」


 そんな金は無いしな、と高橋は頬杖をつきながらぼやく。


 「高橋様まで! 奥方様がおられるじゃありませ んか! ねぇ、親分さん?」


 同意を求めるように忠五郎の方を振り向く。

しかし、遠い目をした彼は、呆けたように言い放った。


 「海華ちゃんよぉ、女房なんてな、三十年も連れ添ってみろ、今さら裸になられたって、どうこうしようなんて気にゃあならねぇよ。……朱王さんの役得だよなぁ……」


 一瞬ポカンと口を開けた海華。

しかし、すぐに眉間に深い皺を寄せ、空になった湯飲みを、ドン! と畳へ置いた。


 「女なんてね、オカメでもスベタでも首から下は同じモンが付いてるんですよっ! あたし失礼しますっ!」


 足音荒くと土間へ走り降り、海華は下駄を突っ掛け た。

その間も男達は、頭を寄せ集めていいな、羨ましい等と、のたまっている。

ピシャッ! と戸口を叩き付け、海華は肩をいからせながら番屋を後にする。


 その後ろ姿を、近くの大木から二人の人影が盗み見ていたのに、海華は全く気付いていなかった……。






 「今帰りました! 遅くなってごめんなさいね」


 海華がガラリと戸を開けると、作業机に向かっていた朱王が目線だけを動かし、こちらを見た。


 「おかえり。どこかに寄ってたのか?」


 「うん、ちょっと番屋にね……」


 そこまで口に出し、海華は再び顔をしかめて小さくため息をつく。


 「……都築様は別にして、高橋様までねぇ、全く男ってのは……」


 「何をブツブツ言ってる? 都築様が、どうかし たのか?」


 怪訝そうな表情で朱王が振り向いた。

しかし海華は取り繕うような笑顔を見せ、慌てて頭 を振ったのだ。


 「ううん、別に。そうだ、お駒さんがね、あの仕事引き受けてくれるって。後で反物持って来て欲しいって言ってたわ」


 「そうか、良かった。急だったから大丈夫かと心配していたんだ。海華、悪いがこれから反物を持って行ってくれないか?」


 そう言うと、彼は作業机の横にある風呂敷包みを差 し出す。

それを受け取り、海華が踵を返した、その瞬間だった。

ダンッ! と叩き付けるように戸口が開き、バサリと乾いた音を立てて何かが部屋に飛び込んできたのだ。


 あまりに不意の出来事に、二人が戸口へ顔を跳ね上げた時には、既に表に人の気配は無かった。


 「な……!? キャーッ!」


 突如、海華の絶叫が上がり、風呂敷包みが宙に飛ぶ。

固まったまま、一歩も動けない海華、その時、彼女の足元に視線を走らせた朱王の見たもの、それは赤ん坊の腕ほどの太さがある褐色の大蛇だった。


 ザラザラと鱗と畳が擦れ、蛇はヌラリと長い身体を蠢かす。

口からは、シューシューと威嚇の声を吐き出し、赤い舌がチロチロ覗いていた。

蛇は、ゆっくりと海華に向かい鎌首をもたげる。


 「危ないっ! 動くなッ!」


 咄嗟に叫んだ朱王は、手にしていた小刀を振り上げて蛇に飛び掛かり、胴体に思い切り刃を突き立てる。

ガァァッ! と裂けんばかりに口を開き、蛇は朱王に襲い掛かった。

間一髪その攻撃を避け、とどめとばかりに楕円形の頭へ胴体から引き抜いた小刀を力いっぱい突き刺す。 頭を貫通した小刀は、そのまま畳を刺し貫いた。


 頭を縫い留められた蛇は、朱王の腕にグルグルと巻き付き、どす黒い血の飛沫を飛び散らす。

やがて小刻みに痙攣し、グタリと動かなくなった。


 蛇の尻尾が力なく畳へ落ちたと同時、ドタン! と畳を震わせ、海華が尻餅をつく。

どうやら腰が抜けたらしい。


 「大丈夫か!? 噛まれてないな?」


 巻き付いたままの蛇を腕から外し、朱王は彼女の肩を揺さぶる。

海華は真っ青な顔色をして、海華はガクガクと頷いた。


 「大……丈夫。でも、何で蛇なんか……!?」


 「わからん。だが……考えられるのは、あの女の嫌がらせだ」


 ギリッ! と歯を食い縛る朱王。

表では、海華の悲鳴を聞き付けた長屋の住人達が、続々と集まりだした。


 「兄様……。どうするの?」


 兄の袖口を強く握り、海華はゴクリと生唾を飲 む。

おもむろに朱王は立ち上がった。


 「あいつらがやったとの証拠は無い。……取り敢えず、親分達には知らせておこう」


 「そう……ね。あ、待って! あたしも行く わ!」


 さっさと土間へ降りる兄に向かって一声叫び、バタバタと海華が追い縋る。

二人は部屋の前に興味津々の眼差しをして集まる野次馬達に、なんでもないと繰り返し、人の壁を押し避けながら番屋へと走る。

すると、なんと間の良いことか、道の向こうから親分と都築が土煙を巻き上げながら疾走してきたのだ。


 「あっ、都築様! 親分さん!」


 海華が大声で二人を呼び止める。

しかし、二人の足は止まらない。


 「悪りぃな海華ちゃん急いでんだ!」


 「すまんな! 後にしてくれ!」


 そう叫びながら、二人は兄妹の横を全速力で駆け抜けて行く。

往来を行く人々は、何事があったのかと首を傾げている。

それは兄妹も同じだった。


 「どうしたんだ? あんなに血相を変えて……」


 「さぁねぇ? あ、高橋様も来たわよ!」


 海華が声を上げ、つられて朱王も道の向こうへ目を遣ると、海華の言った通り高橋と留吉が慌てた様子で 駆けてくる。

だが、こちらの二人は既にゼィゼィと荒い息をつき、留吉に至っては茹で蛸のように顔を紅潮させ、息も絶え絶えの有り様だ。


 「高橋様ー! 留吉さーんっ!」


 「みっ、海華殿……! 朱王殿も……!」


 ヨロヨロと走り寄ってきた高橋は、兄妹の前で身体を屈めて息を整え、留吉は激しく咳き込みながら、その場にへたり込んでしまった。


 「高橋様、大丈夫ですか? 何か事件でも?」


 身体全体を上下させ、息をつく高橋へ朱王が遠慮がちに声を掛けた。


 「しっ、死体が……出たのだ。そこの、川から……」


 「えっ? 死体?」


 すっとんきょうな声を出し、海華が目を丸くす る。


 「何でも、若い男だとか……ああ、すまないも う、行かなくては……留吉! 行くぞ!」


 足元も覚束ない高橋が、フラフラと歩み出す。

へい、と弱々しい返事をした留吉も、今にも倒れそうだった。


 「そこの川って、うちの近くの川か?」


 よたつきながら去り行く二人の背中を眺めなが ら、朱王が腕組みをする。

海華は小さく頷いた。


 「多分そうよ。……なんだか気になるわね。行ってみない?」


 「ああ、……そうするか」


 どうせ番屋で待っていても、当分皆は戻ってない。 二人は今来た道を逆戻り、高橋達の後を追って川の方向へと向かった。


 長屋から少し離れた所を流れる橋も無い小さな川。 そこには、既に人だかりが出来ていた。

何とか人の隙間をすり抜け、二人は川が見える場所へと立つ。

芦が生い茂る岸に、無造作にむしろを掛けられた物が転がっていた。


 周りの芦には真っ赤な血が広がり、流れ出たそれは川へと流れ、赤い水がサラサラと流れていく。

どうやら殺されて間もないようだった。


 莚の周りを慌ただしく動く町方の中に、よく見知った顔がある。


 「桐野様!」


 人混みの中から海華が叫んだ。

浅黒く日焼けした細面の顔が振り向く。


 「おお、海華! 朱王も、来ていたのか?」


 少しばかり驚いた様子で、桐野が二人に歩み寄る。


 「そうか、お主らの長屋はこの近くだったな」


 「はい、実はちょっとした騒ぎがありまして……。番屋へ伺おうとした途中でした。まさ か、こんな近くで人殺しがあったとは……」


 眉間に皺を寄せ、朱王が言った。


 「なに、騒 ぎ? 何があったのだ?」


 顎の下を擦りながら桐野が尋ねてくる。

朱王は事の次第を全て話した。

それを聞き終わった桐野の目が大きく見開かれる。


 「蛇を投げ込まれたか。悪戯にしては酷いな。その、貴蛇教とか言う宗教の仕業だと?」


 「あたしは絶対そう思います!」


 海華はきっぱり断言する。

朱王も十中八九そうだと思うのだ、しかし……


 「投げ込んだ人間の顔は見ておりません。何よ り、証拠が無いのです」


 ううむ、と桐野が唸る。

確たる証拠が無ければ、町方とて貴蛇教へ踏み込む事など出来ない。


 「桐野様!」


 突然、川の方から忠五郎の叫びが上がる。

桐野は振り返り、朱王と海華の視線も、そちらへと向けられた。忠五郎は芦を踏み分け、何かを手に走ってくる。


 「死骸ほとけが握っていやした。何の切れ端ですかね?」


 そう言いながら彼が差し出したもの、それは、半分程どす黒い血に染まった、大人の手のひら位ある白い布だった。

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