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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十五章 双頭の蛇
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第一話

 蒸し暑さが続いた残暑もやっと過ぎ、江戸は初 秋を迎えていた。

空気はサラリと乾き、外を長く歩いても汗で不快になる事は無い。

野原では、すすきが綿のような穂を出し始めている。 

すっきりと秋晴れの午後、朱王と海華は街中の茶屋で一息ついていた。

本来なら海華は辻に立っていてもおかしくない時間だが、今日は朱王に頼まれて錦屋で人形の 衣装に使う反物を選びに出ていたのだ。


 反物選びに迷った時、朱王は必ずと言っていいほど海華に助言を頼む。

女物選びは、やはり同じ女の方がどんな色柄や生地が流行っているのかをよく知っている。

悩む時間を最小限にできるのだ。


 「お前がいると助かるよ。俺は流行り物はよくわからないからな」


 無事に事が済み、ほっとした様子で茶を啜る朱王。

茶菓の饅頭を一口かじり、海華は含み笑いを漏らした。


 「兄様は流行りに疎すぎるのよ。自分の着る物だって、あたしが見て無きゃ同じようなのばっかり選ぶんだから」


 「殆ど部屋から出ないんだ。何着たって一緒だろ?」


 「外に行く時くらい、洒落た物着ていけばいいのよ。あたしが見立ててあげるからさ」


 自分の真向かいでニヤニヤと笑みを見せる妹へ、フンと鼻を鳴らしながら朱王は通りへ顔を背けてしまう。

大勢の人や荷車でごった返す大通り、足早に通り過ぎる人々に何気なく目を向けていた朱王だったが。突然、その切れ長の瞳が大きく見開かれた、

まるで幽霊でも見たかのような顔だ。

朱王が唖然としながら見詰めているもの、それは道の向こうから整然と列を成して向かってくる、白装束の集団だった。


 上から下まで修行中の僧侶のように全てが白。

先頭を歩くスラリと背の高い細身の者は、手にした鐘を仕切りに振っている。

日の光を反射し眩しいばかりの白装束、頭には深く笠を被り、顔を伏せて歩いているため男か女かもわからない。

無造作に背中へ流された束ね髪だけが異常に黒く映った。


 リン、リン、リン……と響く鐘の音に合わせて後ろの集団が念仏のような物を低く唱えている。

先頭にいる男と同じく全てが白装束を纏っているが、その装束は泥や埃で薄汚く煤け、あちこち破れてい る酷く粗末な物だった。


 ガリガリに痩せた骸骨のような老人。


 顔を隠すように、手拭いをすっぽり被った男。


 泣き声一つ上げず、ざんばら髪の女に抱かれてぐったりと眠る赤子。


 死んだ魚の目をした女に手を引かれる垢まみれの少年は、足を引き摺りながらひょこひょこと歩く。


 そんな異様な風体の者ら、十四、五人程が、口の中でブツブツと何かを呟きながら朱王の眼前を死霊の如くに通りすぎて行くのだ。

彼らが唱える念仏は低い唸りの波となって空気を震わす。

通りを行く人々は皆、奇異や恐れが入り交じった眼差しを一斉に白装束の集団に向けていた。

しかし、突き刺さるような視線を気にする素振りも見せず、鐘の音を響かせながら集団は足早に過ぎ去って行った。


 「ああ、今の貴蛇教の人達ね」


 饅頭の欠片を口に放り込み、海華が言った。

朱王は、集団に向けていた顔を正面に戻し、飯台に肘を付く。


 「きじゃきょう? なんだそれは?」


 「この頃、流行はやり始めた宗教よ。白蛇が御神体なんだってさ。気味悪い物拝みたがるわよねぇ」


 そう言い捨て、彼女は茶を一口含む。


 「教祖様は女だって、信者になると病気が治ったり商売が上手く行ったりするんだってよ。貧乏人からはお布施も取らないし、タダで祈祷もしてくれるらしいわ」


 「健康から商売運まで面倒見てくれるのか? 随分と面倒見のいい神さんだな」


 いかにも胡散臭いといったように朱王は目を細める。

宗教だの神様のご利益だの、そんな物は、ハナっから信じていないのだ。

海華もニヤリと唇をつり上げる。


 「そりゃ、何でもお願い叶えてあげなきゃ流行らないわよ。どうせインチキに決まってるけど。でも、ただで病気や怪我治してくれるってんだから、お金の無い人らが入信するのよ。さっきの見たでしょ? 鐘振ってたのが教祖様、後ろを歩いてたのが信者よ」


 そう言って彼女は集団の消えた方向を顎で差した。


 「お前もよく知ってるもんだ。どこで聞き込んできたんだ?」


 些か呆れた表情の朱王は、バサリと髪を掻き上げる。


 「聞き込むも何も、辻に立ってりゃ嫌でも耳に入るわ。あの信者の人達も、よく物乞いしに街へ来てるから」


 「物乞い?」


 朱王が不思議そうに小首を傾げた。

海華はこくこく頷く。


 「そうよ。自分の口は自分で養えって事。 まぁ、見た通りの風体だから、頼まれた家も気味悪るがって、少しばかり恵んでさっさと追い返すのよ。下手に断って呪いでもかけられちゃ、たまんないでしょ?」


 「呪い? 下らない……」


 神仏の類いも信じない朱王は、普段から呪いだ妖怪も鼻で笑うのだ。


 「そう思ってる人も多いのよ。ああ、もう一つ、これも噂なんだけどね」


 と、ここまで言った海華は頬杖をつき、上目遣いに兄を見上げた。


 「さっき教祖様は女って言ったでしょ? その人、いつもは頭巾被って顔は見せないらしいんだけど、本当はすっごい美人なんだって」


 彼女の台詞に朱王は 『そうか』と大して興味無さそうな返事を返す。

期待していた反応が得られなかったのだろう海華は、僅かに頬を膨らませた。


 「何よ、つまんない返事ねぇ。あ、それからね、その教祖様、舌先が二つに分かれてるとか、身体に鱗が生えてるって言う人もいるのよ?」


 「馬鹿馬鹿しい! それじゃ、御神体が蛇なんじゃなくて教祖が蛇なんだろうが。大体、そんな人間がいるか!」


 朱王はそう吐き捨て、再び通りを向いてしまう。


 「まぁね。でもさぁ……」


 『ちょっとだけ見てみたいわ』 最後の言葉は兄に聞こえないよう小さく呟き、海華は残りの茶を飲み干した。






 朱王が貴蛇教の存在を知ってから七日程がたった。

大口の仕事が無事終わり、やれやれと思っていたのだが、休む暇も無く次々と新たな依頼が舞い込んでくる。

人形の制作が二件、かしらの修理が二件と、立て続けだった。

朱王にとっては嬉しい悲鳴なのだが、修理の方が思ったより手間取り、納期ギリギリになってしまったのだ。

他の依頼もあるため、彼はこの二日はほぼ徹夜で作業机に向かっている。


 「それじゃ兄様、あたし行くわね。ご飯は置いていくから、ちゃんと食べてよ?」


 慌ただしく支度をした海華は、土間から兄へ声を掛ける。


 「ああ、わかってる。……気を付けてな」


 こちらには目もくれず、一心に小刀を振るう兄を見て海華は僅かに眉を寄せた。


 「本当にわかってる? この頃ろくに寝てないし、ご飯も食べてないじゃない。人形修理して自分が身体壊してちゃ、笑うに笑えないわよ」


 「だから、わかってる。これが済んだら飯は食うし、少し寝るよ。いいから早く行け」


 相変わらず顔は人形に向けられたまま、朱王はうるさそうに返した。


 「全く……! 昼には一回戻ってきますからね! じゃ、行ってきます!」


 ガラリと戸を開け、外へ一歩踏み出した海華、しかしその足は踏み出されること無くその場にピタリと止まった。

部屋の前に、一人の男が立っていたのだ。

裾の破れた埃まみれの白装束を纏い、頭には薄汚れた白い手拭いを巻いている、真っ黒に日焼けした中年の男は、海華の姿を見るなり右足を引き摺りながら近寄って来た。


 「人形師の、朱王様はご在宅でしょうか……?」


 僅かに俯いた顔から、がらがら声が響く。

藪にらみの瞳が、海華を捉えた。


 「は、はい。おりますが……。どのような御用でしょう、か……?」


 小さく息を飲み、おずおずと海華が答える。


 「教祖様が、……貴蛇教教祖、白麗はくれい様が、人形をお願いしたいと申しております……」


 乾いた唇が言葉を紡いだ途端、サッと一陣の風が吹き抜ける。

男からは、強い汗と土の匂いが漂った。

お待ち下さい! と一言叫び、海華は部屋に飛び込む。

ピシャッ! と些か強めの音を立てて戸を閉め切ると、怪訝そうな顔をした朱王がこちらを見ていた。


 「どうした? 青い顔して」


 「兄様……! 貴蛇教の教祖様が、兄様に、人形頼みたいって……!」


 「何? 俺に?」


 早朝から座りっぱなしの朱王が腰を上げる。

オロオロ顔の海華が、兄へと駆け寄った。

 

 「外に信者の人が来てるのよ、どうする?」


 「どうするって、これ以上引き受けられるか。俺の身が持たん。断ってくるから、お前はここにいろ」


 土間で木屑を払い落とし、朱王は表へと出て行った。

戸口越しから何やら話しをする声が微かに聞こえる。

やがて、すっかり困りきった表情の朱王が戻ってきた。


 「まいったよ。引き受けてもらうまで帰って来るなと言われたらしい。まだ外にいるんだ」


 「嫌だわ。あんな気味の悪い人、ずっと部屋の前にいられちゃ周りにも迷惑よ。……ねぇ、どうするの?」


 不安気に自らの肩を抱いた海華を前に、ふぅっ、と朱王の口からため息が漏れる。


 「仕方無い、直接教祖とやらに会って断ろう」


 「行くの? なら、あたしもついて行くわ」


 木箱を背中から下ろし、おもむろにその中をまさぐる。

取り出したのは、紅の組紐だった。


 「お前がついて来てどうするんだ?」


 「何かあったら困るでしょ? 兄様、刀ぶら下げては行けないんだから。あたしのコレは気付かれないわよ?」


 そう言いつつ海華はクルクルと紐を纏めて袂へ放り込む。

駄目だと言っても最後はついて来る。朱王にはわかり切った事だった。


 「わかった、その代わりお前は荷物持ちだ。い か、余計な事は言うなよ?」


 そう念を押した朱王は海華に向かって、風呂敷に包んだ写生道具を差し出す。

別に仕事を受けるつもりはないが、何か持たせておけば『荷物持ち』としての格好はつくだろう。

海華は、うん、と頷き、それを小脇に抱えて兄と共に部屋を後にしたのだ。





 足を引き摺りながら、黒く煤けた白装束がのろのろと進む。

その後ろには、藍色の羽織を纏った朱王と、袂に組紐、手に写生道具を携えた海華が続いた。

朝早いためか空気は僅かに冷たく、空は高く澄みきっている。

白装束の男は街中を通り抜け、郊外へと歩みを進めた。


 辺りはだんだんと人気が少なくなり、やがて秋草が生い茂る侘しい野原へと変わっていく。

まさに蛇の一匹や二匹這い出してきてもおかしくない場所だった。


 「こちらでございます」


 そう呟き、男が足を止めたのは一軒の廃寺だ。

打ち捨てられて長いのか本堂は雑草に埋め尽くされ、屋根瓦はあちこち落ちて穴が見えている。

土壁もひび割れ、所々崩れ落ちていた。

こんな所に人が住めるのかと顔を見合せている二人に、男はチラと視線を投げる。


 「奥へどうぞ。教祖様がお待ちです」


 朽ちかけた門を通り抜け、雑草と石ころだらけの荒れ地を更に進み、二人は母家らしき建物へと案内された。


 「白麗様、朱王様をお連れ致しました」


 男が些か緊張した様子で障子越しに声を上げる。


 「ご苦労だった。中へお通ししろ」


 凛とした冷たい女の声が返り、男は静かに障子を開けて深々と一礼した後、その場を離れて行った。


 「早くにお呼び立てして申し訳ありません。どうぞ中へ」


 日の光りも射し込まない薄暗い部屋から、女の声が二人を招いた。

警戒の色を滲ませ、二人は部屋へ足を踏み入れる。

最初に飛び込んで来たのは真っ正面に掲げられた掛軸だ。

白蛇がとぐろを巻いている周りに、ごちゃごちゃと難しい漢字の書かれた極彩色掛け軸に二人の目は釘付けとなる。


 その前には古びた木製の大きな祭壇、そして両側には、二本の燭台が据え置かれている。

祭壇の前に、白い着物を着た女が鎮座していた。

頭から顔をすっぽり覆う、これまた白い頭巾から怪しく光る二つの目が兄妹を見据えている。

白粉を塗ったように白い手が、すっと二人の前にある継ぎはぎだらけの座布団を差した。

座れ、と言う事だろう。

だが、座布団は一つしかない。

海華は仕方無く固い板の床へと正座した。


 「お越し頂いてありがとうございました。私、白麗と申します」


 頭巾の口元が僅かに動く。


 「人形師の朱王と申します。これは、妹です」


 「海華と申します」


 ペコリと頭を下げる海華をチラリと見た女は不意に着物の袂をまさぐり、白い包みを取り出した。


 「お呼びしたのは他でもありません。私の生き人形を作って頂きたいのです」


 ハラリ……と包みが開かれる。

金属音を立て、こぼれ出たのは眩いばかりの小判だった。


 「二十両ございます。これで引き受けては頂けませんか?」


 薄闇でもはっきりわかる山吹色に、海華の目は釘付けだ。

しかし、朱王は金に目もくれていない。


 「御依頼頂けるのは、大変有り難く思います。 しかし、今は他の方からの依頼が数件ありますので、これからすぐと言う訳にはまいりません」


 朱王の言葉が終わるか終わらないかのうち、女の手が再度袂に差し入れられる。

ガシャッ! と甲高い響きを立て、二十両の上に新たな小判がバラ蒔かれた。


 「もう十両追加します。これで私の依頼を優先して……」


 「お断りします」


 表情一つ変えず、朱王が言い放つ。

海華はただぽかんと口を開け、散らばった金を眺めていた。


 「いくら金を積まれても、こちらの依頼を優先させる訳にはまいりません。他の方も、大切なお客様ですので。――もし、時間が掛かっても良いとおっしゃるなら、お受け致します。……写生でしたら、今すぐに出来ますが」


 嫌なら、断る。 そう含みを持たせた朱王の声が、部屋に流れる。

この状況で写生を受けただけでも珍しい、そんな事を想う海華の前で、頭巾から覗く女の瞳がスッと細められた。

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