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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十三章 狂人(くるいと)達の宴
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第四話

都築の言葉通り、高橋は配下の侍達を引き連 れ、すぐに店へ乗り込んで来た。

逃亡を謀った又兵衛と手下の男達は、高橋と共に駆け付けた忠五郎や留吉の手によって捕らえられ、番屋へと引き立てられて行ったのだ。

勿論、地下で扉に押し潰されている十吾も一緒である。


 高橋によってようやく縄から解放された朱王は脱兎の如く海華の元へと駆け寄った。

床には剥ぎ取られた海華の着物や腰巻きが散乱し、冷たい寝台の上には裸体を都築の羽織りで包まれた海華が横たわっていた。

首にはべったりと紫色に指の跡が貼り付き、顔色は紙のように白い。

身動き一つせず、ただ死んだように横たわる妹の名を何度も何度も叫び、朱王は狂ったように血塗れの両手でその体にすがり付いた。

都築と高橋はそんな彼を半ば強引に二人を引き離すと、高橋は海華を背負い、都築は朱王を引き摺るよう にして医者の元へ走ったのだった。





 「どうですか? 少しは落ち着きましたか?」


 湯気の立つ湯飲みを差し出しながら伽南が尋ねる。

はい、と小さな声で答えた朱王だが、視線は布団へと落とされたままだ。

怪我を負った二人が担ぎ込まれたのは小石川の療養所。

番屋に戻った忠五郎から知らせを受けた伽南が駆け付けて来てくれたのだ。


 幸いな事に、朱王の傷は首と手首のすり傷だけで済んだ。

手首は無茶苦茶に暴れた事により、やや深い傷らしいが命に別状は無く、今は綺麗に手当てが施されている。

海華は別室で治療中、高橋と都築は二人をここまで運んだ後、すぐにあの現場へととんぼ返りして行った。


 「私はもう大丈夫です。それより先生、海華は……?」


 朱王はゆらりと顔を上げ、どこか怯えた眼差しを向ける。

すると伽南は、安心させるかのように微笑んだ。


 「心配いりませんよ。清蘭先生……ここのお医者様ですが、今診て下さっています。とても腕の良い方ですからね」


 「そう、ですか。ありがとうございます。先生にまでご迷惑をお掛けして……」


 申し訳なさそうに朱王が目を伏せた。


 「迷惑だなんて思う訳無いじゃありませんか。 私は医者ではありませんし、包帯巻くくらいしか出来ません。――でも、裸の海華が運ばれた時は、さすがに冷や汗が出ましたよ。変な事をされてなければ良いのですが……」


 伽南の表情が僅かに曇る。

朱王も、それが一番気掛かりだった。

しかし本人に直接聞くなど到底出来そうもないし、海華とて話したくはないだろう。

二人の口から大きなため息が漏れた、その時。


 「失礼しますよ」


 柔らかな声と共に、右横の障子がスルスルと開かれる。

そこにいたのは、年の頃五十半ばの小柄な男だった。

簡素な鼠色の着物を身に纏い、白い物が混じった髪を後ろでひっつめている。


 「清蘭先生。お疲れ様です」


 伽南が振り向き様に、にっこりと笑って頭を下げ、朱王もそれに倣う。


 「伽南さんこそ、お疲れ様です。あの子、たった今目を覚ましましたよ。えぇと……、そちらがご家族の方ですか?」


 「はい、兄です。兄妹共々お世話になりました」


 布団に正座し、朱王は深々と一礼した。

いやいや、と軽く首を振り清蘭は目尻に皺を寄せる。


 「これが私の務めですから。怪我の方ですが、あちこちに打撲や擦り傷がありました。酷く暴れたんでしょう。足の内側に少しばかり切られた傷がありましたが、大したことはありません」


 一度言葉を切り、清蘭は軽い咳払いをした。


 「まぁ、おかしな真似もされていないようです」


 それを聞いた瞬間、朱王が安堵の表情を浮かべる。

それは伽南も同じだった。

しかし清蘭は突然、深刻そうに眉根を寄せる。


 「一つ伺いたいのですが、あの子は元々口が利けないといった事はありませんか?」


 突拍子も無い問いかけに、朱王と伽南は呆気に取られたようにお互いの顔を見合わせた。


 「海華は、ちゃんと口は利けますが?」


 伽南の答えに清蘭はますます表情を歪め、考え込むように腕組みをした。

それを目の当たりにした朱王は、言い知れぬ不安に襲われる。

思わず握り締めた布団からは、微かに薬の匂いがした。


 「海華に、妹には、まだ会わせて頂けませんか?」


 恐る恐る朱王が尋ねた。

うむ、と一言唸った清蘭。


 「そうですね、……一度会われてみますか? ただ、余り興奮させないようにお願いします。先ほど薬を飲ませたばかりなので」


 わかりました。と、朱王が頷いたのを確認し、清蘭は立ち上がる。

つられるように二人も腰を上げたが、畳に付いた朱王の足元は僅かにふらついた。

横から伽南に支えられ、覚束ない足取りで、二人は清蘭の背中を追い部屋を後にしたのだった。


 海華のいる部屋は療養所の一番奥、中庭に面する所にあった。

清蘭が静かに障子を開け、朱王と伽南に入るよう促す。

六畳程の部屋、その真ん中辺りへ敷かれた布団に海華は寝かされていた。

人の気配に気付いたのか、今だ蒼白な顔がゆっくりとこちらを向き、兄の存在を確かめた瞳が一杯に見開かれた。


 「海華、!」


 悲鳴じみた声を上げ、朱王は転がるように妹の横へと駆け寄り力無くへたり込む。

海華の両目には、みるみるうちに涙が浮かんだ。

彼女はふらふらと起き上がると、無言のまま兄の胸にしがみつく。

パラパラと零れた涙が、朱王の着物に染みを作り出した。


 「ごめんな、助けてやれなかった……。怪我までさせて……すまなかった、海華」


 力一杯妹を抱き締め、すまない、と謝罪を繰り返す朱王も涙声だ。

海華は涙を流しながらも、小さく首を振った。

伽南はそんな二人の姿を見守りながらも、海華の様子に違和感を覚えていた。

いつもなら大声で泣きじゃくりながら、兄の事を呼ぶはずだ、しかし今の彼女は一度も言葉を発しない。 ただ震えながら涙にくれ、兄に強くしがみついているだけだった。


 「海華、どこか痛い所は無いのか? 足は大丈夫か?」


 頬に流れる涙を拭ってやりながら、朱王は海華の顔を覗き込む。

泣き腫らした目で兄を見上げ、海華はコクリと頷いた。

が、真新しい包帯の巻かれた細首に手を当てると、酷く悲痛そうに顔を歪めて何か言いたそうに口をパクつかせる。


 どうしたのかと首を傾げる朱王の背後から、伽南が顔を覗かせた。


 「海華、まさか……声が出ないのですか?」


 朱王の問いかけに海華は激しく首を縦に振る。

涙の玉が辺りに飛び散った。


 「声が、出ない……!? 嘘だろ? お前……口開けてみろ! 本当に、本当に喋れないのか!?」


 酷く取り乱した様子の朱王は、半ば無理矢理海華の口を開けさせる。

もしや舌を切られたのではと思ったのだが、舌は勿論、口の中にも特に異常は見当たらなかった。


 「口も、喉にも大きな怪我はありませんでした」


 朱王の心中を察したのか、清蘭が口を開いた。


 「ただ声だけが出ないらしいのですよ。首を絞められたからか、それとも他の原因があるのか……私達にも、わかりません」


 「わからないって――、いつ頃治るのですか!? 薬は!?」


 海華から身を離した朱王は必死の形相で清蘭に詰め寄る。

しかし、清蘭は苦い表情のまま、静かに首を振ったのだ。


 「申し訳無いが、声が出るようになるかは、わかりません。薬も無いのです」


 それを聞いた途端、朱王の体から一気に力が抜け、畳へと崩れる。

海華も布団に倒れ付し、大きく身体を震わせて涙にくれ、海華も身体を震わせ号泣するが、その喉からはシューシューと空気が抜けるような音が虚しく漏れるばかり。


 「先生、どうにかならないのですか?」


 見るに耐えない二人の有り様を前にし、伽南も思わず清蘭に泣き付く。

だが、清蘭は眉間の皺を益々深くするばかり。


 「どうにかしたいのは、私も同じです。ですが、原因がわからん以上、このまま様子を見る他無いのですよ」


 膝に添えられた伽南の手が、ギュッと握り締められる。

下を向いたままの朱王、その鼻先からボタボタと涙が滴り落ち、畳へと染み込まれていく。

やがて、部屋の中には空気を震わすような朱王の慟哭が響き渡った。





 海華は三日程で療養所を出る事ができた。

相変わらず声は戻らないままだったが、引き続き清蘭が経過を診てくれると言う。

だが、一言も喋れなくなった海華からは、すっかり笑顔が消えてしまった。

外にも出たがらず、一日中部屋に引きこもっている。


 この日の夜、朱王はそんな海華をなだめすかして、半ば引き摺るようにして修一郎の邸宅を訪れていた。

あの事件の事で話があるらしいのだ。

 海華が声を失ったと言う話しは、修一郎の耳に既に入っていた。

始めは半信半疑の修一郎 だったが、全く表情の無い黙りこくったままの海華と、同じく顔を曇らせて元気の無い朱王の姿を見るなり、やっと事の重大さに気付いたようだ。


 この場には桐野も呼ばれていたのだが、こちらも慰めの言葉一つ見つからないらしく、眉を潜めたままだった。


 「こんな時に呼びつけて悪かったな。あの件なんだが……。海華、聞きたくなければ無理にとは言わん。何なら雪乃をここへ呼ぶが……」


 気遣うような修一郎の声色に、僅かだが海華の瞳が揺れ、チラリと朱王へ視線を移す。

大丈夫か? と兄に問い掛けられ、彼女はコクリと頷いた。


 「大丈夫だそうです。どうぞお続け下さい」


 朱王は真っ直ぐに修一郎を見据えた。


 「そうか、わかった。桐野、頼むぞ」


 うむ、と短い返事をした後、桐野は低い声で真相を語り始める。

又兵衛にとって十吾は、格好の後ろ立てだった。

廻船問屋の十吾は諸国を船で廻り、土地土地の珍品、木乃伊みいらやら奇形者の死骸を集めるのを趣味としていた。


 そこへ、見せ物小屋を営む又兵衛が目を付けた。

木乃伊みいらや死骸等では無く、生きた化物を造ろうと彼に持ち掛けたのだ。

既に死骸では満足出来なくなっていた十吾は、 すぐにその話しに乗ったのだ。


 十吾は街や出先の地方で人を拐い、又兵衛はあの地下室で人から化物へと造り変えて見世物小屋に出す。儲けた金は二人で折半し、時にはその手の好事家へ売り飛ばして稼いでいたそうだ。


 「海華殿を襲ったのも、十吾の手先だった。海華殿をエサにして朱王を誘き出す算段だったようだが、失敗した。だから二人を店へと呼び出したようだ」


 お主らが見世物小屋へ来た時から、又兵衛は目を付けていたそうだ。

桐野の言葉に、海華は小さく身震いした。


 「それからな、海華殿が探していた夜鷹、確か小春だったな。裏の蔵から出てきた。……切り刻まれて、塩漬けにされてな。しかも、胴体だけ。首はまだ見つかっておらぬ」


 ボロリ、と大粒の涙が海華の目から転がり落ちる。

顔色は真っ青、既に歯の根は合わず、おこりにかかったように身体の震えは大きくなっていた。

もう限界だ。

小さな背中を擦る朱王がそう思った時、修一郎が奥に向かって声を張り上げる。


 「雪乃! 雪乃はいるか!?」


 直ぐにパタパタと小走り気味な足音がし、不安そうな表情の雪乃が襖を開けた。


 「海華を、奥で休ませてくれ」


 重苦しい沈んだ空気が漂う。

雪乃は、はい、と小さく答え、足元も覚束ない海華を支えるように立たせる。

震える指先が、ギュッと朱王の肩口を掴んだ。


 「後から行くよ。大丈夫だからな」


 そう言いながらポンポンとその手を叩くと、ゆっくりと指先が離れていった。

朱王は、お願いしますと雪乃へ頭を下げる。

どこか哀しげに微笑んだ雪乃は、海華と共に奥へと消えた。


 「さすがに刺激が強すぎたか……」


 大きなため息をつきながら、修一郎は俯く。


 「無理も無い。あんな目に遇ったばかりなのだ。話すのが早すぎたか――?」


 桐野も難しい顔をして腕組みをした。

朱王は静かに唇を開く。


 「いえ、話して頂いてよかったと思っています。海華も、あの夜鷹を随分案じておりましたので……。あの桐野様、一つ宜しいでしょうか?」


 「おお、なんだ?」


 自分の右横へ座する桐野へ顔を向けた朱王。


 「なぜ、都築様があの場におられたのでしょう?なぜ、私達があの店にいると?」


 「ああ、その事か。あの店へ向かう海華殿と会ったそうだ。その時に、同行していた男の様子がおかしいと感じたらしくてな、後をつけたと。それで、店へ入ったまま二人共出て来ない。おかしいと思って……」


 勝手口から忍び込んだ。

すると、母屋の裏に海華の人形と木箱が打ち捨てられているのを発見したのだ。


 「だから店へ乗り込んだと。それから、捕らえた男達の中に海華を襲った首に黒子のある奴もいたそうだ」


 一気に喋り終えた桐野は、出された茶を一口啜る。

これでやっと納得出来たと朱王が頷く。

もし都築の気転が無ければ、今頃自分も海華も ここにはいなかっただろう。


 「一先ず命は助かった。それが一番良かったのだ」


 呻くように修一郎が呟いた。

だが、その顔は曇ったまま。

次にその口から出た言葉に、三人は大いに頭を痛める事となるのだ。


 漆黒に塗り潰された外から、虫の音を引き連れた生温い風が吹き抜け、朱王の髪を乱していった。






次話に続く。

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