表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十一章 鬼子母神の涙
65/205

第二話

 次の朝、海華の背中にはあの赤ん坊、竹一が背負われていた。

女が姿を消した後、朱王はすぐに『むじな長屋』へ飛んで行き、他の住人にお紺と名乗った女の事を聞いて廻った所、確かにお紺は長屋の住人だという。

しかし、最近姿を見ていないと言われ、彼女の部屋へ向かったが、部屋はもぬけの殻だった。


 一応番屋へも届け、お紺の人相や風体、怪我の事を伝えて捜してくれるようだが、赤ん坊はそっちで面倒を見てくれと言われてしまい、二人は竹一を連れてそのまま部屋へ帰るしかなかった


 「兄様、先に食べててね」


 翌日、朝飯の支度をした海華は赤ん坊を連れて水を汲みに部屋を出ていく。

事情を知らない長屋の者が早速海華の周りに集まり、なんやかんやと喋る声が戸口越しに朱王の耳へ届いた。


 質問攻めに遭い、辟易しながらも水を汲み上げた海華に、二人の女達が駆け寄ってくる。


 「ちょっと海華ちゃん! その子、まさか海華ちゃんが産んだわけじゃないだろ?」


最初に口を開いた大工の女房が、カサついて粉が吹いた手で竹一の頭を撫でた。

それが心地良いのか、竹一はフニャリと笑う。

反対に、海華は渋い面持を作った。


 「当たり前ですよ、あたしの子供じゃありません」


 「まさか、朱王さんの? どこの女に産ませたのさ!?」


 もう一人の女が目を見開く。


 「違いますって! ウチにこの子置いたまま、母親が居なくなったんですよ」


 「へぇ、ひどい親もいるもんだねぇ。だけど、アンタも子供の一人や二人いてもおかしく無い歳だからさ。別に不自然には見えないやね」


 大工の女房はケラケラと笑った。


 「そうですけどね、子供ってそんな簡単に出来るモンなんですか?」


 パチパチ目を瞬かせる海華の問いに、二人は大笑い。

次の瞬間、部屋の中でため息をつきながら味噌汁を啜る朱王の耳に、とんでもない台詞が飛び込んできた。


 「海華ちゃん、好いた男の前で裸になって足広げてごらんよ、子供なんざ、いくらでも出来るから」


 それを聞いてしまった朱王は、味噌汁を吹き出し、盛大にむせ込んだ。

朝っぱらからする話しでは無い。

当の海華は、呆気に取られた様子で、ポカンと口を開けたまま喋り散らす女達を眺めていた。

二人は涙を拭いながらゲラゲラと笑い転げる。


 「海華ちゃんには無理さ、なにしろ後ろには鬼みたいな御面相ごめんそうした兄さんがついてるんだから。悪い虫どころか良い虫もつきゃしないよ」


 「なぁに、子供なんて作ったモン勝ちさ」


 聞くに堪えない会話に朱王は弾かれるように立ち上がり引き戸を跳ね開けた。


 「おかしな事を教えないで下さいっ! そいつはすぐ真に受けるんだ!」


 「ほら、来たよ」


 「あぁ、怖い怖い」


 キャッキャと笑いながら女達は帰ってしまう。

ぽつりと取り残された海華は、顔を紅潮させ肩で息をつく兄を呆れた眼差しで凝視する。

背中では、竹一が笑みを見せながら海華の髪を引っ張っていた。





 二人の生活は竹一中心に廻っていた。

昼に腹が減ったと泣き出せば、海華がお多喜の元へ走り、おしめを変え、沐浴もさせた。

夜中に泣けば二人のうちどちらかが起き、重湯を含ませる。


 普段は海華が背負っているが、仕事の時などはそうも行かない。

必然的に朱王が面倒を見る事になるのだが、大の男が赤ん坊を背負い、外であやしている姿は何とも滑稽であり、長屋の者達はまるで女房に逃げられた男寡おとこやもめだとおもしろおかしく噂し合った。

今も、仕事に没頭する朱王の背中で、竹一がグスグスぐずり出す。


 「どうした? 乳ならさっき飲んだだろう?」


 一度降ろし、おしめを確認するが濡れてはいない。

指をしゃぶりながら、フギャフギャと泣く竹一を胸に抱き、朱王は部屋を出る。

柔らかい背中を摩りながらしばし歩けば、すぐに大人しくなり、紅葉の手で朱王の長い髪を握って口へ運ぼうとした。


 「こら、汚いぞ。それは食い物じゃないんだ」


 苦笑いして髪を取り、バサリと後ろへ流す。

つぶらな瞳に真っ直ぐに見詰められ、朱王は小さく笑った。

最初は厄介な物を押し付けられたと思っていたが、寝食共にすると次第に可愛くなるものだ。

だが、いつまでもこのままでいられる訳は無い。


 「竹坊、おっ母さんはどこに行ったんだろうな?」


 その問い掛けに、竹一はただニコニコと笑い、頬を撫でた朱王の指を力一杯握り締めるだけ。

その時、カタカタと小気味よい下駄の音と共に、傾きかけた長屋門から茜の着物がチラと見えた。


 「兄様ただいまー! 竹坊、良い子にしてた?」


 いつもの木箱を背負った海華が跳ねるように駆けてくる。

手には、小さなでんでん太鼓が握られていた。


 「はい、お土産よ」


 小さなそれを目の前で振って見せると、竹一は途端に目を輝かせ、両腕を一杯に伸ばして太鼓を掴もうとする。

太鼓を渡せば、振り回したりかじり付いたり、夢中になって遊び始めた。


 「アンタ達何だか夫婦みたいじゃないか」


 長屋の奥からおどけたような台詞が飛んだ。

ふと顔を上げると、ニヤニヤ顔のお時と、こちらも赤ん坊を抱いたお多喜が立っている。


 「妙な事を言わないで下さいよ」


 照れ臭そうに朱王は鼻先を掻く。

海華も困ったように微笑んだ。


 「ごめんごめん。でも二人共、だいぶ子育てが板に着いたねぇ」


 お多喜は竹一を抱く朱王を見遣った。


 「そうでも無いですよ、夜中に泣かれりゃ腹も立ちますし。本当、てんてこ舞いだわ」


 「たかが赤ん坊一人で何言ってんのさ海華ちゃん。お多喜さんなんて、この子で五人目だよ?」


 胸に抱かれて眠る赤ん坊を指し、お時が言った。

ケラケラと笑いながら、お多喜は首を振る。


 「違うよ、六人目さね」


 朱王と海華が唖然として顔を見合わせる。

自分達は、竹一一人で精一杯だ。

それにしても このお多喜、普段から亭主の稼ぎが少ないだの何だのと文句を言いながら、よくこんなに作ったものだ。

そう、海華は心中ひそかに思ってしまった。


 「そう言やぁ、竹坊の母親はまだ見つかんないのかい?」


 お時が心配そうに尋ね、朱王は小さく頷いた。

あれから幾度か長屋と番屋にも行ったてみたが、相変わらずお紺は不在であり番屋でも手掛かりは皆無らしい。


 「あたしねぇ、ちょいと良くない話しを聞いたんだ」


 お時は急に声を潜め、語り始めた。


 「あたしの妹夫婦があの長屋にいてさ。この間会った時、気になって聞いてみたんだよ。そしたらね、あのお紺とか言う子の部屋の前に、破落戸ごろつきみたいな男らがうろついてたんだって」


 「男が?」


 怪訝そうな顔で朱王が尋ねる。

今まで何度も足を運んでいるが、そんな者達に遭遇した事は無い。

お多喜も赤ん坊をあやしながら眉を潜めた。


 「その子、何か厄介事に巻き込まれてるんじゃないかい? アンタ達も、気をつけなよ?」


 そう言いながら、お多喜は踵を返して部屋へと帰って行く。


 「見ず知らずのアンタ達に子供預けたんだ。よっぽど訳有りだったんだろうさ。早く出てくりゃいいけどねぇ」


 そう言い残し、お時も部屋へと戻ってしまう。


 「兄様、少し調べてみた方がいいんじゃない?」


 腕組みしながら、海華がボソリとこぼした。

浮かない表情の二人をよそに、竹一は今だ太鼓にじゃれついている。


 「あたし、これから長屋へ行って来る」


 「一人で平気か? その破落戸ごろつきとやらが待ち伏せしているかも知れないぞ」


 「大丈夫よ。まだ明るいし、皆の目がある中でかするなんて思えないわ。竹坊の事、頼むわね」


 言うが早いか、海華は地を蹴って走り去る。

その後ろ姿を追うように竹一は手を伸ばすが、海華の姿が見えなくなると持っていたでんでん太鼓をポンと放り出しワンワン泣きじゃくり始め、慌てて朱王は宥めすかして泣き止ませようと躍起やっきになる。

結局、この日海華が再び竹一を抱き上げたのは、すでに日が傾きかけた頃になってからだった。





 「あぁ、苦しい」


 竹一を胸に抱き、壁に凭れた海華は腹を摩りながら呻く。


 「団子三皿も食えば苦しいはずだ」


 その様を呆れ果てたように横目で見遣った朱王は、夕食にと海華が買い求めた巻き寿司を一口齧る。

むじな長屋へ調べに走った海華は、近所の者達からお紺の情報を聞き集めた。

そこで勤め先がわかったのは、彼女は以前、川向こうの茶屋で働いていた、との事だった。


 彼女は早速そこへ走り、店の女将にお紺の事を尋ねたのだが、あからさまに嫌な顔をされ口を濁すのだ。

しかし、海華が素直に引き下がる訳は無い。

粘りに粘って、団子を三皿も注文し、店に居座った。

なかなか帰ろうとしない海華に根負けした女将は渋々ながらもお紺について話し出したのだ。


 それによると、お紺は既に店を辞めているようだ。

その理由は……。


 「店のお客とデキちゃったんだって。女将さんも体裁が悪いから、要するに辞めさせたのよ」


 そう言いつつ竹一の口から垂れる涎を手で拭うと、ニコニコと笑いながら竹一は海華の胸にふ くらとした頬を擦り付けた。


 「なら、話しは早いぞ。その客ってのが竹坊の父親だって事だ」


 最後の寿司を口へ放り込み、何度か咀嚼し酒で流す朱王の台詞に、それがね、と言いながら海華は兄ににじり寄った。


 「簡単に治まる話しじゃないのよ。そのお客、誰だと思う?」


 「さあ? 誰なんだ?」


 「大黒屋の旦那だってさ。兄様も知ってるでしょ?」


 「あの……年寄り鼠に毛が生えたような男だろ? でも、あの旦那は四十過ぎてるはずだ。お紺はどう見ても十七、八。若い娘に好かれる男とも思わないが……」


 「たで食う虫も好き好きよ。そんな事より、あの旦那、入り婿だから女将さんに頭上がらないんだってさ。そんな所に竹坊連れて行ける? 旦那の子供ですよ、って。とんでもない騒ぎになるわ」


 「……修羅場は確実だろうな」


 茶碗に新しく酒を注ぎ、朱王が嘆息する。

例え竹一を連れて行っても、お紺もこんな子供も知らない、と言われてしまえばおしまいなのだ。


 「お紺さんが出てきてくれるのが一番なんだけどねぇ」


 「迎えに来ると書いてあるんだ。捨てた訳ではないんだろう。――おい。竹坊、寝てるぞ」


 朱王の言葉に海華は胸元を覗き込む。

既に竹一は小さな指をしゃぶりながらクゥクゥと静かに寝息を立てていた。

起こさぬようにそっと自分の布団に寝かしつけ、 海華は大きい伸びをする。


 「お紺さんの行きそうな所、当たってみるしかないわね」


声を押えて呟きつつ、彼女は兄の横へペタリと座り込む。


 「ああ、俺は長屋の方を見張るか。あの破落戸ごろつきとやらも気に掛かるしな」


 酒を含み、朱王が言った。


 しかし、二人の思いを嘲笑うかのように、悪い報せは日の出と共に舞い込む事となったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ