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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第九章 埋もれた記憶
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第四話 

 男が動いた。高橋が長屋へ駆け込んで来たのは、四日後の戌の刻だった。朱王と海華は取る物も取りあえず、高橋と共に走る。男の家では、既に桐野配下の同心達と親分が息を殺して潜んでいた。


「遅くなりました」


 その場に駆け付けた朱王と海華が桐野の横へ控えた。桐野は無言で頷き、家に向かって指を指す。二人がその方向へ目をやると、ぽつりと明かりが灯った粗末な門があり、その奥から何やら男二人が怒鳴り合う罵声が微かに聞こえてきた。


「父親と息子だろう。近所に聞いたら、いつもあんな感じらしいぜ」


 いつの間にか後ろへ来ていた親分が囁いた。そこで海華はふと気付く。


「留吉さんはいないんですか?」


「留か?ありゃあ囮だ」


 そう言って、親分は意味深な笑みを見せる。


「あっ! 来ました!」


 高橋の口から囁くような叫びが飛びだす。皆の目が一成に同じ方向へ向けられた。肩をいからせながら、門から黒い影が姿を現す。


「暗いな」


 朱王が苦々しく呟く。

生憎月は出ておらず、他に光源も無いため影としか認識出来ない。腰の脇に下がる太刀らしき物がある事から、かろうじて男だとわかるのみ。部下達をその場に待機させ、桐野と都筑、高橋、朱王が静かに後を付けて行く。海華は親分と残ることとなった。


「兄様、大丈夫かしら? 」


 ハラハラしながら兄の後ろ姿を見詰める海華。


「桐野様達がついてるんだ、大ェ丈夫だよ」


 そう言って、親分は乾いた唇をペロリと舐める。

羽織りを寒風にはためかせ、大股で歩いていた男の足がピタリと止まる。後ろをつけていた者達は、慌てて物陰に身を潜めた。男は立ち止まったまま、顔は真っ直ぐに前へ向けられている。


 その視線の先には、大きな荷物を背負い、よたよたと覚束ない足取りで歩く小柄な人影があった。それを認めた瞬間、朱王の胸に嫌な予感が走り、それは見事に的中した。朱王達の目の前で、立ち尽くした男の手が腰に下げている物にゆっくりと掛けられた。


「止まれッッ! 奉行所の者だッッ!」


 影が刀を抜いたと同時に、桐野の怒声が冷えた空気を雷の如くに震わせた。影は刀を握ったまま、バッと振り向く。その背後では、ヒェェッと間の抜けた悲鳴を上げた影が派手に尻餅を着いていた。


「そこで何をしておるかっ!」


 鬼のような顔をした桐野がジリジリと間を詰め、都筑と高橋は男の退路を塞いだ。


「うわ、うわあああぁぁーっ!!」


 悲鳴のような叫びを上げ、影は半狂乱になりながら、めちゃくちゃに抜き身を振り回し、三人に斬り掛かった。土煙りを巻き上げ、暗い夜道に四人の影が舞う。刀がぶつかり合う甲高い響き、男達の叫びと怒号、それを目の当たりにしながらも、桐野との約束のために朱王は手出し出来ないまま、傍観するしかなかった。


 ヒュウッと空気を切り裂いた刀の切っ先が、高橋の鼻先を掠めた。それを紙一重で避けた高橋だが、体制を崩し、声も出せないままで地面へと転ぶ。


「高橋っ!」


 切羽詰まった声で桐野が叫んだ。男は、何事かを喚き散らしながら高橋の頭上へ高々と白刃を掲げる。刀が振り下ろされようとした刹那、


 「うおおおおっ!!」


 横から猛牛の如くに突進する影、固く握り締められた岩の如き拳が、ドカリと肉を打つ重い響きを立て る。男の体は鞠のように吹っ飛び、顔から地面へと激突し、高々と宙を舞った刀は、高橋の近くへガチャリと落ちた。


 「無事か!?」


 血相を変え荒い息を吐く都筑が、へたり込んだ高橋に手を差し出す。彼の右手は赤く色が変わっていた。


「すまん、助かった……」


 都築の手を借り、高橋はヨロヨロと起き上がる。

桐野と朱王は、もはや動かない男へと駆け寄った。


「都筑! 忠五郎達を呼べ!」

  

 そんな桐野の一言に、はい! と一言返し、都築は元来た道を走り戻っていった。








 余計な事を言いやがって! この死に損ないがっ!桐野に頬を張られ、目を醒ました男は朱王を見た途端そう食ってかかった。親分が持つ提灯に照らされた顔には、左側に大きな痣、右側には都筑に殴り飛ばされた証拠が青黒く浮かぶ。


 朱王に殴り掛かろうとする男を、高橋や他の同心達が必死に押さえ込み口汚く罵る男を半ば引きずるように引っ立てて行った。それを冷めた眼差しで見遣りながら、桐野に目を向ける。


「今更聞くまでも無いが。朱王、あ奴で間違いは無いな?」


「はい、間違いありません」


 朱王の口から、ふぅ、と白い息が漏れた。最近はずっと臥せっていたため、僅かな距離を走ったり歩くだけでも全身が重怠く、疲れが出るのだ。


「おい留ッ! 何時までへたれてやがるンだっ!?」


 二人の後ろから親分のがなり声、振り返ると親分と海華が尻餅をついたままでいた、あの小柄な男を覗き込んでいる。


「腰っ! 腰が抜けちまって……」


「留吉さんが囮って、こういう事だったのね」


 海華は笑いながら留吉の手を引いた。赤の他人を巻き込む事は出来ないため、留吉に無理矢理商人の格好をさせて道を歩けと命じたのは外ならぬ親分だ。


 やいのやいのと言い合いする親分と留吉を面白そうに眺める海華を、朱王が呼ぶ。


「海華!」


 はいはい、と、跳びはねなが海華がこちらに駆け寄ってくる。


「二人共御苦労だった。調べはこちらに任せろ。もう帰ってよいぞ」


「ありがとうございました。では……」


 礼を述べた二人は、現場を後にする。今夜は何にも怯える事無く、ゆっくりと眠れそうだ、そう朱王は心の中で呟いていた。








「取り巻きの者達も、お縄になったらしいな」


 捕物から数日後、風呂の帰り道で朱王が口を開く。


「うん、最初は知らぬ存ぜぬで通してたらしいけど、桐野様の睨みが効いたらしいわよ。噂の根源もあいつらだったってさ」


 そう答えながら濡れた髪を弄り回す海華。それは今日の仕事帰り、番屋に寄って親分から仕入れた情報だった。


「怪我はするわ仕事は延びるわ、大変な目にあったわね」


「ああ、明日はお詫び行脚だな」


 朱王はそう言って苦笑する。傷もかなり癒えたため、明日から仕事を再開する事にしたのだ。


「また暫くは忙しくなる。頼んだぞ?」


「百も承知よ。その代わり、桜が咲いたらお花見にでも連れて行ってね?」


 出無精の朱王と花見になど出掛けた記憶は殆ど無かっただろう彼女のお願いに、ヒクリと口元を歪めた朱王だったが、本当に小さく『わかった』と返事をしてぎこちなく頷いた。


 クスクスと笑う海華の頬を、風が撫でていく。

江戸はもうすぐ、梅の便りが聞こえる時期だった。






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