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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第九章 埋もれた記憶
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第三話 

「――こっちに来るか?」


 掛け布団を頭から被り、体を丸める海華に朱王が声を掛けた。


「いいわ。傷、痛むでしょう?」


 隣からくぐもった返事が聞こえる。


「痛むのは頭だ。それ以外はたいしたことない。やせ我慢をしてると、また風邪をひくぞ」


 そんな彼の言葉を受けて、海華はゴソゴソと起き上がり、いつものように布団を寄せて朱王の横に滑り込む。普段なら背中を向けてしまう朱王だが、今日は向かい合ったまま腕を伸ばして胸に海華を抱き込んだ。


「やけに優しいじゃない?」


 広い胸に顔を埋める海華が悪戯っぽく囁く。


「俺はいつでも優しいぞ」


 そう嘯く朱王に海華は顔を伏せたままクスクス笑う。くっついた温かい胸から伝わる力強い鼓動に、朱王がちゃんと生きているのだと改めて実感させられたようだ。


「お前、俺に付き添いながら大泣きしたんだって? おさきさんから聞いたよ」


 何があったのかを聞くのもためらうほどに、泣いて泣いて仕方が無かったと、おさきが話してくれたのだ。


「そりゃあね。小石川に飛んでったら、お医者は青い顔してバタバタしてるし、先生は奥に行ったきりだし、やっと会えた兄様は蝋燭みたいに真っ白だったし。……生きててくれて良かったわ」


 そう呟き、海華は上へ体をずらすと、兄の首辺りに顔を押し付けた。


「心配かけて、悪かった」


 今一度強く抱き寄せ、彼女の柔らかい髪に顔を埋める。抱きしめた背中はやけに薄く感じた。

きっと痩せたのだろう。


「傷が治って仕事が片付いたら、気晴らしにどこか行こう。行きたい所を考えておくといい」


 うん、と答えた海華が小さくしゃくり上げる。背中をゆっくり撫で続けると、すぐに体の力が抜けていき、静かな寝息が首筋に掛かった。彼女の顔にかかる髪を取り除く朱王の頭には、忠五郎の言葉が繰り返し浮かぶ。


 ――三人の侍。――


 幾度も考えを巡らすが、頭の中にもやが掛かったような感覚だ。釈然としない気持ちのまま、いつしか朱王も眠りに支配されていった。






 次の朝、朱王が目を覚ますと隣ではまだ海華が眠りこけていた。起こさないよう、そっと布団から這い出し火鉢にくべる炭の用意にかかる。朝方の空気はピンと張り詰め、今まで暖まっていた体に、鳥肌が一気に立った。


 しかし、何故か顔の左側だけは焼けるように熱い。手で触って確認するが、特に異常は感じない。首を傾げながら、朱王はいつも海華が使っている鏡台を覗き込んだ。


「うわっ……!」


 己の顔を確かめた瞬間、思わず後ろへ跳び退った。鏡の中には顔の左半分に、べったりと紫色の痣を張り付けた自分が映っていたのだ。


挿絵(By みてみん)



「ん……兄様?」


 彼の叫びに気付いたのか、寝ぼけ眼を擦りながら海華が起き上がった。


「あら、やっぱり痣広がっちゃったわねぇ」


「痣……?」


「そうよ。多分広がるだろうって先生には言われたけど。どうしたの?」


 ―― 痣 ――


 その言葉を聞いた途端、頭の傷が熱く疼いた。ズキンズキンと脈打つ痛みの奥から、まるで深い深い水の奥底から浮かび上がるように、急激にあの日の光景が朱王に襲い掛かる。


 確かに自分はあの場所におり、殺しを見た。そう、海華の軟膏を伽南の所に取りに行った、その帰り道だった、近道としてあの寺の境内を通ったのだ。

そこで遭遇した三人の侍、そのうち一人は今の自分と同様、顔に大きな痣のある男だった。


 視界が急に暗くなり、心臓が早鐘を打つ。冷や汗を流しながら、朱王は鏡台の前で頭を抱えてうずくまった。仰天した海華がすぐに駆け寄り、顔を覗き込む。


「痛いの!? 大丈夫っ!?」


「海華……。親分を、忠五郎親分を呼んでこい。思い出した、みんな思い出した……!」


 ゆっくりと血の気の失せた顔を上げ、朱王が呻く。


 「わかった、すぐ、すぐ呼んでくるっ!!」


 泣き出しそうに唇を歪めた海華だったが、次の瞬間には寝巻姿のまま表へと飛び出していく。一人残された朱王は、遠ざかる海華の足音を聞きながら荒い息をついていた。






「痣のある侍か」


 親分が僅かに髭が伸びた顎を摩った。朝一番で呼び出され、身支度もままならなかったのだ。火鉢に焼べられた炭がパチパチと爆ぜる。部屋の中はまだ寒さが消えていない。


「顔形までは、はっきりと覚えていないのですが、痣があったのは確かです」


 朱王は己の膝頭を見詰めて呟いた。海華は二人の話しに耳をそばだてながら、寝巻のままで茶の支度をしている。


「そこまで思い出せれば充分だ。顔に痣張り付かせてる侍は、そう多くねぇからな。手掛かりもすぐ集まるだろうぜ」


 火鉢にかざした手を擦り合わせ、親分は言った。

横から海華が湯気の立つ湯飲みを彼へと出す。それに一口、口を付け、忠五郎はチラリと朱王を見遣った。


「なぁ朱王さん、瓦版を使ってみようと思うんだ」


「瓦版を?」


 朱王より先に海華が首を傾げた。


「そうだ。お前ェさん方の時と同じだよ。噂を流すんだ。今度はこっちが噂の出所になってやるんだよ」


「上手くいけば下手人が動き出すかもしれない、と?」


 親分が首を縦に振る。勿論、朱王の口を封じるために動くという事も充分考えられるのだが。


「お前ェさん方の護衛は今まで通りだ。都築様や高橋様達もあちこち駆けずり回っておられるからな」


 まぁ、心配するな。そう言って立ち上がる親分を、 海華が外まで見送りに出て行った。朱王は、また煙草盆を引き寄せて葉を詰めて火鉢にかざす。 苦い煙を胸一杯に吸い込むと、傷の痛みが幾分和らぐ気がした。


「ああ寒い! 兄様、頭の痛みどうなの?」

 

 白い息を引き連れて、海華が戻る。


「うん。……なぁ海華、お前暫くおさきさんの所に置いてもらえ。話しは俺がしてやるから」


 紫煙を吐き出しながら言った朱王、揺蕩うその煙ごしに眉を潜めた海華が見える。万が一、ここに踏み込まれれば自分だけではなく、海華も危ない。


 怪我人放って、あたしだけ逃げろって?はい、わかりましたとでも言うと思ってんの?」


 兄が何を言いたいのかは、すぐにわかる。煙管をくわえたまま、朱王は背中を丸めた。


「親分も言ってたでしょ? 心配するなってさ。 例え押し込まれたって、二人居れば何とかなるわよ」


 破顔した海華は畳に駆け上がり、赤い指先を火鉢にかざした。







 さて、忠五郎が提案した瓦版の効果はてきめんだった。 三廻りが街中駆け回って聞き出したよりも遥かに多くの情報や噂が集まったのだ。その一つ一つを確かめるため、番屋の者達は寒空の下を走った。いつ襲われるかとピリピリしていた兄妹だったが、幸いな事に大きな事件はないまま日々が過ぎて行く。


 今日は昼から伽南が傷の具合を診る為に長屋を訪れ、それに同伴するように惣太郎とお仙兄妹が見舞いに訪れていた。


「その顔どうしたんだ?」


 惣太郎の顔を見た朱王と海華が目を丸くする。右目の下には赤黒い痣、唇の端も切れている。傷を指摘され、惣太郎は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「兄さんったら、無茶をして」


 困り果てたように言ったお仙が訳を語り始める。

一昨日の事、店が終わった惣太郎は珍しく飲みに繰り出した。そこで酔っ払いと殴り合いの大喧嘩をやらかしたのだ。


「殴り合いって、本当なの?」


 目の前に座る物腰柔らかなこの男がそんな騒ぎを起こすなど、朱王にも海華にも考えられなかった。


「だってなぁ、あいつら朱王さんの事を通り魔だの金目当ての人殺しだの、散々吐かしてたんだ。……許せなくてよ」


 カクリと頭を垂れる惣太郎に、朱王は苦笑した。


「陰口叩かれるのなんざ、慣れっこだよ。でも、ありがとうな」


「朱王さんには兄妹揃って世話になってばかりだからさ。まぁ、仲良く酷い面になっちまった」


「貴方も朱王も、そのうち綺麗に治りますよ」


 二人の間で伽南が笑った。それにつられて、皆からも笑みが零れ落ちる。


「それより、惣太郎さんも夜は気をつけてね。 集金帰りの商売人ばかり狙われてるから」


「そうなんだよ。今は明るいうちに集金廻ってるんだ。旦那様達もピリピリしててな」


 惣太郎の言葉を聞いて、お仙がどこか心配そうな面持ちで兄を見る。と、表から、バタバタと複数の人間が走る足音が響いた。


「邪魔をするぞ!」


 外から飛び込んで来たのは桐野と都筑、それに高橋だった。突然乱入した侍達に、惣太郎とお仙が一瞬たじろぐ。


 「おお、伽南殿。往診か?」


「はい、見舞いがてらに。傷は大分良くなりました」


 上がり口に腰を下ろした桐野へ、ニコニコと伽南が答える。その隙に、海華が三人の正体を惣太郎達に耳打ちした。全員が座れるほど部屋は広くなく、都筑と高橋は土間に立ち尽くしたまま、それを見て惣太郎兄妹が朱王に声を掛けた。


「俺達はこれで失礼するよ。朱王さん、お大事にな」


「ああ、お前も。わざわざ済まなかったね。お仙さんも、ありがとう」


 侍達に小さく会釈をし、二人は部屋を後にした。海華は、立ったままの都筑達を招き入れ、火鉢に新しい炭を焼べる。


「来客中に済まなかったが、朱王、下手人らしい奴がわかったぞ」


 朱王と海華が顔を見合わせ、伽南は安心したように頷く。桐野はチラリと都築見遣り、先を続けるよう促した。


「証拠が無いので断言は出来ぬが、朱王の話しによると佐藤という馬廻り役の息子が怪しい、生れつき、顔の左側に大きな痣のある男だ」


 高橋が続ける。


「素行の悪さは筋金入りで、親から金を巻き上げては女遊びに博打三昧。揚げ句の果ては街中で乱闘騒ぎ。まぁ、ろくな人間では無いですね」


「でも、お城の馬廻り役ならお金に困る事なんて……」


 怪訝そうな表情で、火箸を手に取る海華。それを聞いて桐野が小さく笑った。


「海華殿、いくら城勤めでも色々あるのだ。 たかが三十俵二人扶持の薄給で、女だ博打だと手を出せる訳が無かろう。女房が内職をして、やっと食いつないでいるらしいからな」


「遊ぶ金欲しさでやったと」


「儂らは、そう見ておる」


「ただ、尻尾を掴ませぬのだ!」


 悔しそうに都築が吐き捨てた。瓦版が出回ってから、家から一本も出ないらしい。警戒しているのだろう。 長期戦、という言葉が朱王の頭に浮かんだ。


 桐野様」


 今まで無言だった伽南が口を開く。全員の目が、そちらに向けられた。


「人を殺めてまで遊び歩いていた者が、長々と家に閉じこもってはいられません。必ず近いうちに動くでしょう。仲間の二人も同じです」


「儂もそう思うのだ。親から金が出ないとなれば、また同じ事件を起こすだろう。今は家の周りに人を付けておる」


 いつでも動ける状態なのだ。 朱王は、膝の上で両手を握り桐野に向かった。


「桐野様、一つお願いがございます」


「ん? 何だ?」


「その男が動いた時は、私にも報せて頂きたいのです」


 その途端、海華の目が大きく見開かれた。


「もう一度だけ、顔を確かめたいのです。もし別人だったら、間違えましたでは済まされません」


 海華の視線を痛い程感じながら、朱王は言い切った。


「それはそうだが、お主その怪我で大丈夫なのか?」


 額に巻かれた包帯を見遣り、桐野は眉を潜める。


「捕物は皆様方にお任せします。私は一切手を出しません。」


「それなら……、桐野様」


 都筑は桐野の様子を伺う。しばし難しい表情を浮かべていた桐野、彼は不意に海華へと目を向けた。


 「それで良いか、海華殿?」


 突然問われ、驚いたように顔を上げた海華だが、またすぐに畳へと視線を落とす。


「駄目だと言っても、止める人ではありません」


 小さくため息をつきながら海華が呟いた。がっくりと落ちたその肩を伽南が静かに叩く。 結局、男が動いたら速やかに報せるという事に決まり、侍三人と伽南は長屋を出て行った。


「自分から虎の穴に飛び込むことはないんじゃない?」


 皆が帰った後、怒りを含ませながら海華は呻いた。


「だから、人違いだったら大変な事になると言っただろう。桐野様や都築様達も、タダでは済まないぞ?」


 畳へゴロリと仰向けになり、朱王はボンヤリと天井を見上げた。


「もう四人も殺されている。――俺が、もっと早く思い出していれば、最後の一人は死なずにすんだかもしれない」


 朱王なりに責任を感じていたのだ。怒りを貼付けていた海華の顔が、悲しそうに歪む。


「兄様のせいじゃないわよ。思い出せただけでも上等だわ。……事が動いたら、あたしも一緒に行きますからね」


「一緒に!? なにを言ってるんだ、危ないぞ?」


 ガバリと朱王が跳ね起きる。が、傷が痛んだのか、顔をしかめて包帯に手を当てその場に固まってしまった。それを見て、海華はクスリと笑う。


「前も言ったでしょ? 怪我人一人で放っちゃおけないって」


 ふて腐れた表情で胡座をかく兄を横目に、海華は着替えの用意をし始めた。

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