第四話
「実の子でもない娘を、主人は本当に可愛いがってくれました。でも、娘が成長するにつれて、主人の様子が変わっていったのです」
側にある石に腰掛けた女将が、ぽつりぽつりと話し出す。雪は深々と降り積もり、三人を白く染めていった。
「子供を見る目から、女を見る目に変わっていきました。娘と主人は……、私が知らぬ間に情を通じていたのです」
女将の口からこぼれた台詞、それを聞いた朱王の眉間に皺が寄り、海華はガリガリと頭を掻く。目の下にくっきりと隅を浮かばせ、無表情の女将は誰もいない空間に向かって更に唇を動かした。
「その事実を知った私は娘を殴り付け、罵倒して……。娘は泣きじゃくりながら、主人に無理矢理手籠めにされたと言いました。でも、私は信じなかった。いいえ、信じたくなかったんです」
女将の目尻から、ぽろりと涙が零れる。
「主人がそんな事をする人だとは、思いたくなかった。その次の日、娘は死にました。主人は、娘の亡骸から髪と指を切り取って……。貴方様に人形を造らせたのです。私の気持ちも考えずに、毎夜毎夜の人形遊び」
『堪えられませんでした』
そう絞り出すように言って、女将は両手で顔を覆う。朱王は、視線を地に落としたままだ。
「意を決して、私は主人に詰め寄りました。主人は、あの人は、認めたんです。娘との関係を。許せなかった。嘘でも、違うと言い通して欲しかったのに」
あの日、女将はわざと主人に大量の酒を飲ませて泥酔させ、池に突き落としたのだ。
「酷い母親だとお思いでしょう? でも、私は主人を娘と同じくらい愛しておりました。あの人の妻 は、私だけなのだと。だから、余計に許す事が出来なかったのです」
寒さに凍える白い頬を、涙が玉となって次々に滑り落ちる。海華は天を仰ぎ、もはや返す言葉も出なかった。すると、今まで無言だった朱王の口から、白い息と共に一つの問いが零れ出たのだ。
「それならば、何故死のうとなさるのです?」
肩に積もった雪を払いのけ、朱王は女将を見おろし腕を組んだ。
「全てが嫌になりました。娘にも申し訳無くて……。あの子の元へ参ります」
尻窄みになる台詞。ふう、と朱王の口からため息が出る。
「貴方が死ねば、お嬢さんと旦那様の墓前は誰が弔うのです? 旦那様は、まだ四十九日も済んでいない。この上女将の貴方が死ねば、店の者がいい迷惑だ」
「兄様!」
言い過ぎだ、とでも言うように海華が睨み付けてくる。しかし、朱王は止まらない。
「小浜屋の女将は貴方しかいない。旦那様の妻もだ。死んで全てから逃げ出そうとするのは、余りにも無責任ではありませんか?」
彼の言葉にビクリと女将の体が震え、ゆっくりと朱王を仰ぎ見た。
「首を括るなら今でなくてもいいでしょう。身の振り方は、やるべき事をやってから考えも遅くはない」
踵を返し、朱王はその場を去ろうとする。と、彼の足がピタリと止まった。
「私達は、幽霊人形の経緯を知りたかっただけです。お嬢さんの件も、旦那様が何故亡く なったのかも、知りません。強請たかりなんざ、趣味ではないので」
娘も旦那も事故死だった、殺したの自害など、そんな話は聞いていない。暗にそう言っているのだろう朱王の台詞に同調するように、海華もコクコク頷く。
「それから、お嬢さんも女将さんが死ぬのを望んではいないと思いますよ。母親が不幸になるのを望む子供など、いるわけがない。 ――海華、女将さんを送って差し上げろ。雪も酷くなってきたからな」
そう言い残し、朱王は一人雑木林を出て行ってしまう。残された海華が女将の肩にそっと手を置いた、その途端、女将は地面に崩れ落ち、雪を握り締めながら号泣し始めたのだ……。
「少し言い過ぎたかな?」
小浜屋からの帰り道、朱王が頬を掻きながら呟いた。
「大丈夫よ。ありがとうございましたって、兄様に伝えてくれって、女将さんが言ってたわ」
女将を屋敷まで送った後、兄に追い付いた海華が答える。そうか、と返す朱王も、僅かに頬を緩ませた。
「ああでも言わないと、また死のうとすると思ってな」
「そうね。アレ聞いた時は、あたしもドキッとしたけど。――でも、評判のいい旦那さんが、あんな事してたなんてね」
「人なんて誰でも裏があるもんだ」
ザクリ、と雪が踏み締められた。
「今夜は積もるぞ。早く帰ろう」
「うん」
音も無く降り続く雪の中を、二人は寄り添うように家路を急いだ……。
「兄様!ご飯っ!」
「そんな暇があるかっ! 後にしろ!」
「後って、何回抜かす気なのよ!?」
あの夜からひと月後、閑古鳥が大合唱してた状況が夢だったように、二人は仕事に忙殺されていた。
原因は、またも噂だった。あの屋敷から帰った次の日、一件の注目が入り朱王は人形を納めた。
すると何の偶然か、そこの家に住む十年来子宝に恵まれなかった夫婦に、子供が出来たそうだ。呪いも裏を返せば祝いに繋がる、と言う事になり、あちこちから仕事が舞い込んだのだ。
やはり朱王の人形には神が宿る、と噂が噂を呼び、病気が治ったの嫁に行けたのと、大騒ぎ。朱王も、汚名返上とばかりに出来るだけの依頼を引き受けた。お陰で食べる物には困らないが、食べている暇が無い。二人共寝る間を惜しんで働いていた。
「ねぇ、兄様の人形置いたら病気が良くなったって、あの話、本当かしら?」
人形の頭に色付けをしながら、海華が首を傾げる。
「バカ、人形置いて病が治るんなら医者なんかいらん!」
朱王は、必死に彫刻刀を奮い、海華の問い掛けには、けんもほろろだ。コンコン、と今日何度目か、戸口を叩く音がする。
「「はい! どうぞ!」」
二人の返上が重なる。ゆっくり食事が出来る日は、まだまだ先のようだった。
小浜屋の女将は、旦那亡き後、店を立派に切り盛りした。しかし、主人の四十九日が終わってすぐ、店を主人の弟夫婦に譲り姿を消したのだ。
持ち出された物は、娘の位牌と例の小箱。そして僅かばかりの身の回りの品だけ。その後、彼女の行方は、ようとして知れない……。
終




