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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第八章 からくり呪怨
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第三話

「とんでもない事になっちゃったじゃないの」


 小浜屋から帰るなり、疲れ切った顔で海華が壁に凭れた。火鉢で両手をあぶる朱王も、渋い表情を崩せないままでいる。


 二人が小浜屋へ駆け付けた時には、既に人だかりが出来ており、もう大騒ぎだ。十手持ちやら同心やらが忙しそうに出入りし、使用人の中には泣き叫んでいる者までいた。


 勿論中には入る事が出来ないため、野次馬達からそれとなく聞いた話しでは、いきさつはこうだ。


 昨晩、主人の匠ェ門は、近くの料亭に出掛け、しこたま酒を飲み帰ってきた。その後も女将を相手に飲み続け、真夜中に夜風に当たると言って庭に出たのだ。


 足元が悪く、一人では危ないと女将もついて行ったが、大丈夫だと言われ、途中で女将は引き返した。 酒のせいだろう、主人が戻る前に女将はそのまま眠ってしまったらしい。


 朝になり、主人の姿が見えないのを不審に思って庭を捜すと、池に俯せの状態で主人が浮かんでいたそうだ。


 雪に残った足跡は、女将と主人の二つだけ。叫び声や不審者が入った形跡も無いらしく、酔っ払って足を滑らせたのだろうと、皆口々に言っていた。


「特におかしい所は無いわよねぇ」


「あぁ。だが、父娘揃って同じ場所で死ぬか?」


「自害って言いたいの?」


 それは無い、と断言して朱王は立ち上がる。部屋の隅から引き出したのは、古びた煙草盆と黒ずんだ煙管だ。彼は気持ちを沈めたい時などに、思い出したように煙草吸う。


 暫く忘れ去っていたそれに煙草を詰め、火鉢から火種を取って火を付ける。漂う煙と煙草の臭いが部屋に満ちた。


「人形の修理を頼んだ張本人が、仕上がる前に自害なんざしない。唯、何かが引っ掛かるんだ」


 深々と煙を吸い込み、ため息と共に吐き出す。それをぼんやり見詰めながら、海華が兄の隣へ移る。


「ねぇ、もしかしたら――」


「久乃の幽霊が突き落としたとか言うんじゃないだろうな?」


 煙管をくわえた朱王が視線だけを遣した。照れ臭そうにチラリと舌を出す海華。


「バレた?でも、あんな人形置いてた家だから さ、幽霊の一人や二人居てもおかしくないわよ。……ところで、人形はどうする気?お代だって、半分しか貰ってないし」


「向こうだって人形どころの騒ぎじゃないだろ う。葬式が終わった頃を見計らって行くさ。やる事はやったからな。代金は、しっかり頂くよ」


 カツン、と煙管が煙草盆に打ち付けられる。再び朱王達が小浜屋に向かったのは、それから十日程後の事となった。








「この度は突然の事で……。心よりお悔やみ申し上げます」


 小浜屋の奥座敷、憔悴しきった女将を前に、二人は深々と頭を下げた。


「ご丁寧に……」


 魂の抜けたような面持ちで女将が礼を述べる。しかし、その目は朱王が持参した風呂包みに、ずっと向けられたままだ。


「旦那様に頼まれました人形をお持ち致しまし た。もう少し早ければ……」


「開かないで下さい」


 風呂敷を開こうとした朱王を、女将が静かに制したた。僅かに眉を上げた海華は、チラリと女将の様子を伺う。その顔は、初めて会った時と同様に青白く凍り付いていた。


「どうぞそのままで。せっかく直して頂いて、申し上げにくいのですが。――それは朱王様、そちらで引き取って頂きたいのです」


「……よろしければ、訳をお聞かせ頂けないでしょ うか?」


 風呂敷に伸ばしていた手を膝に戻し、朱王が問うた。


「それを頼んだ主人は亡くなりました。娘も、死んでしまいました。娘に瓜二つの人形を、手元に置いておくのはどうしても堪えられないのです。お代はきちんとお支払いします。どうか ――」


 処分して下さいませ。そう呟いて、女将は眦を拭った。あまりにも弱々しいその姿に、もう二人は何も聞き返せない。その場で残りの代金を受け取ると、足早に店を後にしたのだ。


「兄様。あの女将さん、何だかおかしいわよ」


 帰り道、海華が兄の袖を引いた。朱王と女将が話しをしている間、ずっと様子を伺っていたのだが、女将の目は生きている人のものでは無 かった。


「あの人、死ぬ気なんじゃないかしら?」


「俺も同じ事を考えていた。暫く見張っていた方が いいな」


「見張る!? あたし達がそこまでするの?」


 驚愕の声を上げて海華がこちらを見上げる。朱王がグシャリと髪をかきあげた。


「仕方無いだろう。これで女将が死んでみろ。また人形のせいにされるかもしれないんだぞ。本格的に廃 業だ」


「ああ、なるほどね。確かにそうだわ。なら、早 速今夜から……兄様も来るの?」


「行くよ。どうせ他に仕事は無いんだ。万が一、久乃の幽霊なんかが出て、お前がひっくり返ってちゃあ話しにならないからな」


 ニヤリと口角を上げる朱王、同時に海華の柳眉がキリキリと吊り上がった。









「寒い……」


 小浜屋の中庭、大きな松の木陰に潜んだ海華が、両手を擦り合わせた。人形の処分を頼まれてから二日目、朱王と海華は夜、女将の監視を続けていたのだ。


 母家でおかしな事をされては堪らないため、海華は塀を乗り越えて侵入し、朱王は店の門前に隠れて見張っている。


 家人は皆が眠りについているのだろう、母家からは足音一つ聞こえない。今はの刻、先程までは星が煌めいていた空からハラハラと雪が舞い降りてきた。遠くから、犬の遠吠えが響く。


「嫌になっちゃうなぁ」


 空を仰いだ海華がついた溜め息は、白いもやと化して夜に紛れる。その時、カラカラカラと戸口が開く音が耳に届き、彼女は閉じかけていた口を慌て両手で覆ってその場に屈み込む。母家へ視線を投げると、そこにいたのは喪服に身を包んだ女将だ。彼女は人がいない事を確認し、廊下を滑るように歩い て玄関の方へと向かった。


 その後を追い掛け、海華も玄関を抜ける。すでに、女将の姿を認めたのであろう朱王が闇の中から姿を現した。


「やっと動いたわね」


「ああ、屋敷の裏へ廻ったぞ。手遅れにならないうちに、急ごう」


 足音を忍ばせた二人は、少し距離を置いて女将を追う。ほつれ髪を風になびかせ、雪の中をフラフラ歩く姿は、まるで幽霊そのものだった。女将は屋敷裏を廻り、すっかり葉を落とした木々が乱立する雑木林へと吸い込まれるように消えていった。


 そこへ足を踏み入れた二人が見たもの、それは一際太い枝から垂れ下がる、先端に輪が作られた一本の縄だ。それに、木箱を踏み台にした女将が頭を通している所だった。踏み台は、今にも潰れそうに軋んでいる。


「危ないっ!!」


 とっさに叫んだ海華の手から、組紐が放たれた。 風を切り、空を飛んだ槍先はブツリと音を立て、一撃で縄を断ち切る。縄を首に巻いたまま、女将は雪で濡れた地面にドサリと倒れ伏した。


「馬鹿な真似は止めなさい」


 倒れた女将にぴしゃりと朱王が言い放つ。


「貴方は――」


 呆然と振り向いた女将が、白い唇をわななかせ た。


「どうして貴方達が……?」


「先日お会いした時、様子がおかしいと思いまして。失礼は承知で見張らせて頂きました」


 積もりだした雪を踏み締め、二人が近付く。


「放っておいて下さい……もう、もう疲れました……」


 ガクリと頭を垂れ、女将が呻くように呟いた。


「放っておけば、また同じ事をなさるでしょう? ――家の前に人形を置いたのは、女将さんではありませんか?」


 ああするしか無かったのです。妙な噂が流れ て、気味が悪くて仕方がなかった。家から人形を出すには、あれしか……」


 主人が寝入った後、人形を持ち出して顔を叩き割り、ひそかに用意していた髪の縄、お札と共に二人の長屋へ放置した。


「女の髪には魔を封じる力があると聞きました。あのまま処分されればと、どんなに願った事か。――でも、娘は舞い戻ってきて……」


 ギリギリと歯を食いしばる音が漏れる。喪服が雪に濡れ、より黒く変色していった。朱王が懐から何かを取り出し、女将の前に置く。それは人形に納められていた小箱だ。処分を頼まれた後、朱王が再び人形から出していたのだ。


「そこまで恐れるのは、コレのせいでは?」


 無言で小箱を握り締める女将。組み紐を袂にしまい込み、海華は大木に体を預けた。


「お嬢さんの事ですけど、本当に事故だったんですか? なぜ、こんな物が人形に入ってるんです?」


「娘は、久乃は自害でした。自分から池に飛び込んで。主人は……。私が突き落としました 」


 ユラリと女将が顔を上げる。やけにギラついた 瞳が、闇を睨み付けた。


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