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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第八章 からくり呪怨
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第二話

 気味の悪い人形の修理を依頼されてから数日たった。顔にできた傷は、簡単な手直しでは塞がらないほど深く達しており、結局丸々造り直す事となって、朱王は終日机に向かっている。海華は午前中だけ仕事に出掛け、昼頃に帰っては、内職をしたり朱王の手伝いをしていた。


 冬の日はあっという間に沈んでしまい、後は凍える夜が延々と続く。二人も、炭代と明かり用の蝋燭代を節約するために、いつも早めに夕餉を取り床に入ることにしていた。


「寒い……」


 布団に頭まで潜り込んだ海華が、足を縮こませ、体を丸める。元々冷え症なうえ、冬掛け布団を一枚と、どてらを掛けているだけだ。体の芯まで寒さが染み込み、筋肉がガチガチに まったようになって、とても熟睡できるわけはない。


「――入れ」


 モゾモゾとうごめく妹をチラリと見た朱王が、布団の端を僅かに持ち上げた。


「ありがと!」


 ニコリと破顔した海華が、自分の布団を引き朱王のと端を重ね合わす。そして、横を向いている兄の布団へ潜り込み、その背中にピタリとくっついた。

何時もなら海華の方から勝手に潜り、狭いだの冷たいだの散々文句を言われるのだが、今日はそれも無いようだ。


 やっと得られた人肌の温もりに満足そうな笑みを漏らし、次第にトロトロと眠気が襲う。寄り添った背中と長い髪は、既に静かに上下していた。


 どの位の時間がたったろうか、海華がボンヤリと目を開ける。部屋の中は、差し込む月光によって白く空気が凍り付いたように見える。


 カタリ、カタカタ……コトン……。


 静寂の中から、微かに何かが動く物音がした。鼠だろうか? 寝ぼけた頭で、音の方向に目をやると、そこは朱王の作業机。ぽつりと置かれたあの人形が白く浮かび上がっていた。


 その時、小さく、小さくその腕が、動いたのだ。


 海華の身体に電流が流れた。顔を真っ二つに割られながらも笑みを変えない人形。 その右手が微かにクイッ、と上に上がり、パタリと 落ちる。


 カタ、カタ、……カタン。


「ひゃああああっ!」


「っっ!?」


 甲高い悲鳴をほとばしらせ、布団を跳ね退けて、海華はその場に腰を抜かした。ほぼ同時に、朱王もガバリと跳び起きる。


「どうしたっ!?」


 訳も分からないまま朱王が叫んだ。瞳を大きく見開き、ガチガチ歯の根が合わない海華が、震える手で人形を指差す。


「動……いた、アレ、動いた、っ!!」


「動いた?――まさか」


 海華から離れ、朱王は人形を持ち上げた。特に変わった所は無い。


「どうって事無いぞ? お前、寝ぼけて……」


 ――パタリ。


 目の前で、人形が軽く手を上げる。落とされたそれが、朱王の指に当たった。声も上げられないまま、朱王は思わず人形を遠くへ放り投げる。グシャリと固い畳へ落ちた人形、その頭が弾き飛ばされて、ころりころりと転がる。残された胴体、その白い足の間からは、四角い小さな箱が飛び出した。


「なん、だ。アレ……」


 顔から汗を滴らせ、ゆっくりと崩れた人形に近寄ると、素早くその小箱を手に取り、海華の元へと引き返す。海華は布団をひっ被ったまま、ガタガタ震えるだけだ。


 黒い木で造られた子供の手の平に納まるくらいの小さな箱。端に爪を掛けると簡単に開く。


「うおッッ!」


 中身が何かわかったとたん、流石の朱王も箱を放り投げる壁にぶち当たり、中身が散乱した。畳に零れたのは、ぐちゃぐちゃに絡まり団子状になった髪の毛と、爪が着いたままの、干からびた指先が二つ。


 それを凝視する朱王の横で、目を回した海華がバタン! と音を立ててひっくり返った……。








 次の日、海華は熱を出して寝込んだ。あの髪と指先は、朱王が纏めて人形が入っていた箱に投げ込み、土間に放り出している。


「お前、以外と肝っ玉が小さいんだな」


 濡れ手拭いを額に乗せた海華を、ニヤリと笑った朱王が覗き込む。ぶぅっと頬を膨らませ、熱に潤んだ目で兄を睨み付けた。


「あの人形が悪いのよっ!」


 そう一言叫んで、彼女は頭から布団を被ってしまう。人の死骸や血飛沫には平然としているくせに、幽霊や化け物の類いには滅法弱いらしい。どうやら朱王もそれはよく知っているようである。しかし、熱まで出すとは思わなかったようだ。海華の額に乗った手拭を交換しようと手を伸ばした、その時だった。『邪魔するよ』と、不意に表から声がして、戸口を開く。姿を現したのは、錺物屋の幸吉だ。


「幸さんか。久しぶりだな」


「うん、ちょいと近くまで来たもんでさ。寄ってみたんだが。――海華ちゃんどうかしたのかい?」


 赤くなった鼻を啜り、幸吉は伏せる海華に目を遣って、微かに眉を寄せた。


「いや、ちょっと熱を出してな。たいしたことないから、上がってくれ」


 朱王の一言に頷き、纏わり付いた雪を払った幸吉は、赤々と炭火が燃える火鉢に手を翳す。海華が、布団からひょいと顔を見せた。


「ごめんなさいね、こんな格好で」


「いいんだいいんだ。この頃は冷えるからなぁ。――ところでよ朱王さん。エライ噂が立ってるみたいじゃないか」


「そうなんだ。お陰で商売上がったりだよ」


 苦笑いしながら、朱王が茶の支度をする。ゴシゴシと手を擦り合わせ、幸吉は深いため息をついた。


「朱王さんとこから仕事が入らねぇと、こっちも苦しくてさ。あの久乃って連れ子も、なんで自分から死んだんだか……」


 ぽつりと幸吉がこぼしたその台詞に、思わず海華が体を起こした。


「久乃さんって、連れ子だったの?」


「ああ、女将――。確かお満さんとか言ったな。あの人の娘だ。前はどこかの料理屋で女中してたらしい。それをあの旦那が見初めて一緒になったんだと」


「よく知ってるわね」


「一度、かんざしを頼まれたんだ。まぁ、殆どは又聞きだけどよ」


 幸吉はそう言って、鼻の下を擦る。朱王から湯気の立つ湯飲みを渡されて、彼は美味そうにそれを一口啜った。


「なぁ幸吉さん、さっき自分から死んだと言ったな? 池に落ちた事故じゃなかったのか?」


「いやぁ、あれは自分から飛び込んだんだと思うぜ。十六の娘がよ、雪の降る真夜中に寝巻姿で池になんざ行かないだろ?」


 夜中に死んだの?」


 本格的に、布団から出る海華に、幸吉は、茶を啜りながら頷いて見せた。


「あぁ、朝一で女中が見つけたらしい。水が冷たかったから、心の臓が止まっちまったらしいんだ」


 彼の話を聞いて兄妹は顔を見合わせる。あの髪や爪は死んだ娘の物なのだろうか?もし、自殺ならば、その髪や指先を切り落としたのは誰か、なぜそのような事をしたのか。朱王と海華は互いに顔を見合わせ、顔をしかめて小首を傾げる。どうやら、二人の中では同じ疑問が渦を巻いているようだ。勿論、その答えは出るはずもなく、二人は無言のまま固く唇を結んだのだった。








「おい、動いた訳がわかったぞ」


 幸吉が帰った後、朱王は人形の胴体を開きにかかっていた。直すのは頭だけなので、傷一つ無い体には今まで手を付けていなかったのだ。寝巻姿の海華が兄に駆け寄り、背後から机上を覗き込む。


「え?これって、何?」


 彼女は開いた胴体を見るなりぱちぱちと瞬きを繰り返す。眼前にあるのは、着物を剥がされ、腹側の部品を外された人形。普通ならば、手足を支える木組みがある以外中は空洞になっているのだが、これには両手を繋ぐように、木製の歯車が組み込まれていた。


 さらに、机には金属製の小さな捩巻ねじまき。


「どうりで重いと思ったんだ」


「――兄様が造った、訳無いわね。」


「当たり前だ。おおかた何処かの、からくり師にでも頼んだんだろう。昨日は、寒さでネジが軋むか何かしたんだ。だから動いた」


「なるほどねぇ。じゃあ、啜り泣いたりしたってのも、ネジの音を聞き違いしたのね。やっぱり幽霊じゃ無かったんだわ」


 急に元気を取り戻した海華が、捩巻きを手に取る。朱王はと言うと、苦虫を噛み潰したような表情で腕を組む。


 あの主人の考えがわからない。


「いくら娘が死んだといって、ここまでするか?しかも実子じゃないんだぞ」


「あたしも、それは思ってたわよ。それにあの髪と指。尋常じゃ無いわ」


 朱王の背中に凭れ掛かり、海華はスルリと首に手を廻す。


「本当にこれ、造り直すの?」


 仕掛けがわかれば、もう人形は怖くない。本当に怖いのは、これを依頼した生きた人間の方だった。


「このまま返す訳にもいかないだろう」


「綺麗にしたら、また変なモノが入るかもね」


 冗談めかした口調で海華が言った。しかし、朱王は表情を変えないままだ。


「俺が造るのは、人形だけ。ただの器だ。それにどんな想いを込めるのかは持ち主が決める事だよ」


 この人形に込められたのは、愛情か、執着か、はたまた呪いなのか……。それは後日、白日の元に曝される事となったのだ。









 頭の修理が終わったのは、からくりを発見してから更に十日程過ぎた頃だった。件の髪と指先、そしてネジ類は二人で散々迷った結果、元通り人形へと納める事となった。下手に取り外し、後から文句を言われたのでは敵わない。


「これで気味悪いのともおさらばね」


 嬉しそうに白い歯を見せ、海華が戸締まりを終えた、その時だ。


「朱王さんッ! 朱王さんいるかーッッ!?」


 溶けかかった雪と泥を跳ね上げ、幸吉が盛大に息を切らせて長屋門から走り込んできた。


「幸さん?」


「どうしたのよ、死にそうな顔して」


 キョトンとした表情の二人の前で、前屈みになってゼェゼェと荒い息を整える幸吉。先程までは真っ赤だった顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「小浜屋の旦那が、旦那が死んじまった……!」


「死んだぁ!?」


 朱王の目が見開かれる。ガチリと固まった海華は、ただ口をぱくつかせるだけ。


「どうして、なぜ死んだ!? まさか、殺られたのか!?」


「まだ、まだわからねぇんだ。池に落ちたとしか……」


「海華ッッ!」


「はいっ!!」


 人形の包みを手にしたまま、幸吉を残して二人は脱兎の如く走り出す。後ろから何やら叫ぶ声が飛ぶが、二人の耳には入っていなかった。

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