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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第八章 からくり呪怨
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第一話

「そんなモノが作れるかっ! 帰れっ!」


 朱王の怒号と共に男が一人、口汚い悪態を喚きながら長屋から転がり出た。逃げるように走り去る男に向かい、怒りにまなじりを吊り上げた海華が表に飛び出すや否や、手にした塩壺の中から一掴みの塩をザッとぶちまける。


「二度とふざけた話し持ってくるんじゃないわよっ!」


 塩壷を小脇に抱えた海華は、戸を跳ね返るほど強く叩き付けた。


「何が呪術用の人形だ。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」


 こめかみに青筋を浮かべて朱王が毒づき、不機嫌そうに机へと頬杖をつく。彼らををここまで怒らせる原因、それはひと月ほど前に広まったある奇妙な噂だった。


 両国にある呉服屋、小浜屋で一人娘である久乃ひさのが屋敷内の池に落ちて死んだ。溶けかけた雪で足を滑らせた事故死らしい。娘の死を歎き悲しんだ父親は、娘そっくりの生き人形を作らせた。ところが、その人形が夜な夜な動き出し、啜り泣いたり笑い声を上げると、使用人達の間で噂が広まったのだ。


 珍妙な噂は瞬く間に世間に広まる。その問題の人形を作ったのが、朱王という訳である。


 それからというもの、朱王の作った人形には魂が宿るとか、呪いに使えるとかいった話しが流れ、人を殺せる人形を作れだの、憎い相手に似せて作れだのと、とんでもない依頼ばかりが持ち込まれるのだ。


 勿論、そんな依頼は片っ端から断っているのだが、噂が出始めてから気味悪がられているのか、まともな仕事は全くと言っていい程入らない。


 海華が内職で得られる額では一日一回粥が食べられればいい方で、もはや食べる物にも事欠く有様だ。何かあった時のために、と蓄えはあるのだが、それなりの大金を崩してしまうのは気が引けたし、蓄えを使うほど……命に関わる状況ではない、と言う荷が朱王の意見だ。


「これで三人目よ!? 一体何なのさ!」


 壁に寄り掛かり、爪を噛みながら柳眉を逆立てる海華。腹の虫は、一昨日から鳴りっぱなしだ。

おかしな依頼と空腹が、二人の神経を逆撫でしていた。と、朱王は商売道具の小刀類を片付け、畳にゴロリと横になる。


「怒るだけ馬鹿馬鹿しい。余計に腹が減るだけだよ。こんな時は寝てるのが一番さ」


「寝るって、まだ昼よ?」


 構うものか。そう呟き、朱王は右手で頭を支え目を閉じる。海華とて、直ぐにでも仕事に出たいのだが、生憎外は雪、こんな天気に、わざわざ立ち止まって人形芝居なぞ見る人は皆無だし、内職の代金は先方の都合で支払いが数日先になる予定だ。つくづく、二人は金運に見放されてしまったらしい。


「……ま、いいか」


 一人、納得したように呟き、海華は自らも兄の隣へ身を横たえる。からっぽの胃袋が、キュウウと悲鳴を上げていた。




 次の朝、朱王の前に出されたのは、白く濁ったドロドロの液体と一匙の味噌。つぎはぎだらけの褞袍どてらを被った朱王は、出された朝餉のあまりの粗末さに目を丸くする。暖を取る炭も底をつき、部屋の中は息が白くなる程寒かった。


「海華……何だ、これは?」


「お粥よ。最後に残ってたお米、うんと煮たらこんなになっちゃった」


 同じく、褞袍を着た海華が項垂れる。とても朝飯とは呼べない代物だが、もうこんな物しか出せないのだ。


挿絵(By みてみん)


 箸で中身を掻き回せば、なるほど、バラバラに砕けた米粒が舞う。殆ど赤子に食べさせるような重湯だ。


「仕方無い、こうなったら何か質に入れるか」


 深々とため息をつき、朱王は重湯を啜る。


「雪が止めば出られるんだけど……。あら? 何かしら?」


 縮こまりながら戸を開いた海華が首を傾げた。

戸口の前には、純白の雪に埋もれた状態で茜色の風呂敷包みが放置されている。雪を払い、それを持ち上げると、ズシリとした重みが腕に伝わった。


「兄様、表に置いてあったわ。何かしらねぇ?」


 できるだけ隙間風が入らぬように戸を閉め、畳に包みを置いた海華。朱王も身を乗り出して、それを見た。


「わからんが……開けてみるか」


 そう言って、朱王は固く縛られた結び目を解く。

パラリと風呂敷が解かれ、中身が現わになった 瞬間、海華は思わず後ろへとのけ反った。焦げ茶色に変色した、火鉢くらいはあるだろう大きさの木箱。

それには、十字にしっかりと黒い縄が締められている。


 問題はその縄だ、よく見るとバサバサと油っ気の無い髪の毛を編み込んで造られた、異様な物だった。 朱王も、それを見て頬を僅かに引き攣らせる。


「海華、……海華!」


「はいっ!?」


「何か切る物を」


 そう言われ、海華は足を縺れさせながら朱王の作業台にある大きめの刃物を手にした。それを渡され、朱王が黒い縄を切りにかかる。


 ギシギシ、ブチブチと嫌な音を放ち、縄が断ち切られた。木箱の蓋を開け、怖々と中を覗いた二人。


「ひゃあっ!」


 甲高い悲鳴を上げて、海華は弾かれるようにその場に尻餅をつく。朱王も、空腹のためでは無い眩暈を覚えた。


 箱に収められていたモノ、それは先ほどと同じ髪の縄で縛り上げられ、静かな笑みを浮かべた顔を、無惨に叩き割られた状態の女の人形。しかも箱には、内側を埋め尽くすように、びっしりと破邪のお札が貼られていたのだ。



「どうなってるのよコレ……誰かの嫌がらせ?」


 兄の背中越しに、恐る恐る人形を覗き込む。それには答えず、朱王は箱から人形を取り出した。がんじがらめの縄を解こうと刃を当てると、背中にくっついた海華がブルリと震える。


「切っちゃうの? 大丈夫?」


「噛み付かれる訳じゃあるまい」


 ブツリブツリと切り解く。人形の腕がだらりと垂れ下がり、顔からは顔料の破片が剥がれ落ちた。


 「これは――」


 朱王は人形に見覚えがあった。二人の生活を困窮させている大本である、小浜屋に納めた生き人形だったのだ。


「死んだ娘の人形が、なんでウチの前に置いてあるのよ……?」


 既に海華は半泣き状態だ。人形の着物をめくり、首を外して全身を確かめたのだが、間違い無く自分が手掛けた物だ。 心なしか少し重く感じる。


「海華、小浜屋へ行くぞ」


 朱王はそう言いながら、人形を風呂敷で丁寧に包む。海華も彼の言葉に強く頷き、纏っていた褞袍を脱ぎ捨てた。


「早く返してきましょ! こんな物、気味悪くて仕方無いわ!」


 朝飯もそのままに、慌ただしく出掛ける準備を始める海華。そこへ、信じられない台詞が飛んだ。


「どのみち、このかしらは造り直しだからな。やるなら早い方がいい」


「え? 修理、するの?」


「当たり前だ。要らないと言われたら、処分するがな」


 直すという事になれば、この不気味な人形はこの部屋へ置く事になる。海華は、小浜屋の主人が要らないと言ってくれることを切実に祈った。







 二人が小浜屋へ着いた時、店は、てんやわんやの大騒ぎだった。何でも、夕べ遅くに泥棒に入られたというのだ。盗まれた物は、母家にあった金品が少しと、主人の部屋にある娘の生き人形のみ。泥棒に入られたよりも、人形が無い事に主人は半狂乱になっていると聞いた。


 あたふたとした様子で説明してくれた使用人に、その盗まれた人形を持ってきた旨を告げると、すぐに奥から髪を乱し、着物も着崩した主人が真っ青な面持ちで飛び出してきた。


「久乃! 人形……! 人形はっ!?」


 余りの狼狽ぶりに、二人は呆気に取られる。朱王が風呂敷を渡すと、主人は引ったくるように受け取り、その場で包みを開け始めた。しかし、醜く割れた顔を見たとたん、口を戦慄かせてヘナヘナと玄関先へ座り込んでしまった。主人は使用人達の手によって奥へ運ばれ、ついでのように二人も招き入れられる。


「なぜこんな……。惨い事をするんだ」


 二人の目の前で人形に頬擦りし、涙を流す主人。

海華も、朱王までもが声を掛けられずにいると、庭に面した障子がスルスルと開き、こちらも青白い顔色をした女が入って来た。主人が涙に濡れた顔を向ける。


「お前――。久乃が、久乃がこんな姿になってしまった。」


主人に抱かれた人形を見たとたん、女の表情が一気に凍り付く。二人はそれを見逃さなかった。まぁ、と呟いたまま、女は俯いてしまう。堪らず、朱王が口を開いた。


「顔の傷でしたら、作り直しは可能です」


「本当ですかっ!?」


 朱王の一言を聞いた瞬間、悲しみに打ちひしがれていた主人の顔がパッと輝く。


「多少お時間は頂きますが、以前と同じように」


「お願いします! 金はいくらかかってもいい、元通りに直してやって下さい!」


 小躍りしそうな勢いで主人が喜びを爆発させる。

しかし、女は相変わらず暗い表情で顔を伏せたまま、一言も喋らない。二人は、多めの礼金と前金を渡され、店を出た。


 帰路につつく途中、海華が金包みを弄ぶ。久しぶりに感じる金の重みだ、これで暫くは食べ物に困らず家賃も炭も用意出来る。しばらく食うには困らない、しかし道を行く二人の表情は冴えない。


「なぁ、見たか。女将の顔」


「見たわよ。死人みたいだったわ」


 途中から入って来た女、主人が、『お前』と呼んでいた事を考えると、小浜屋の女将だろう。喜ぶ主人とは対象的な反応に、二人は内心首を傾げていたのだ。


「お札と髪の毛の事は言えなかったけどさ、泥棒があんな面倒臭い真似するはず無いじゃない?」


「大体、あの店に盗みに入って、はした金と人形だけしか持って行かないなんざ有り得無い。旦那の狼狽ぶりも異様だったよ」


 いつの間にか降り出した雪が、二人の頭や肩に薄く白い膜を作る。朱王は、海華の肩に積もった白を軽く払った。


「さっさと直して返してしまうか」


「それが無難ね。変な事が起きなきゃいいけど」


 はぁっ、と赤くなった指先に息を吐きかけ、海華が白い呟きを漏らした。

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