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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第七章 白無垢悲恋
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第五話

「あら、もうお目覚めですか?」


 ふらつく男達の前に立ちはだかる海華が、嘲た口調で吐き捨てる。月の光りに照らされた二人の眦がギリギリと吊り上がるのが、はっきりと見て取れた。


「いつまでも突っ立ってないで、そこ、どいちゃくれませんかねぇ?」


 彼女の口から、まるで二人を煽るかのような台詞が飛び出す。


「おのれェェッ!」


 怒りに目をギラつかせた一人がザラリと刀を抜き、土埃を巻き上げながら、一直線に海華へと突進する。それと同時、海華の手の平から冷たい光りが振り放たれた。ズドン! と重たい衝撃音が空気を震わせ、男の喉笛と海華の手が、一本の赤い線で結ばれる。異業の物を見るように、男の瞳が目一杯見開かれた。


 海華がニヤと笑い、紐を素早く手繰ると、ズブリと先端の槍が抜け、男の喉笛に綺麗な穴が開けられていた。弧を描きながら勢い良く噴き出す赤黒い血潮、もはや声を出す事も叶わず、殆ど千切れた首元を掻きむしりながら、男は自身が作り出した血溜まりの中へどっと倒れた。


「ヒイイイッ!」


 仲間が息絶える一部始終を目の当たりにしたもう一人の男は、白刃を握ったまま、ヘナヘナとその場にへたり込む。すっかり腰が抜けてしまったらしい。


「だからどいてって、言ったのに」


 薄い笑いを浮かべて、たった今殺めた男の骸を跨ぎながら、海華がガタガタ震えるばかりの男に近付いた。


「助けて、くれ。頼む……。助けて……!」


「ごめんなさいね」


 とびきりの笑顔を浮かべ、再度右手が振り上げられた。瞬間、男の首筋から飛沫を上げて生暖かい赤が飛び散った。それは槍先と組紐、そして近くに立つ海華の足元や腕を朱く染め上げていく。


 ゴロゴロと喉を鳴らし、頸動脈を断たれた男は激しく地面を転がり廻る。やがて血染めの四肢を痙攣させると、グタリと動かなくなった。


「派手に汚しちゃったわ」


 足元に転がる死骸には目もくれず、何事もなかったように着物の袖で返り血を拭ってから、 海華は急いで小梅の元へと走り戻る。彼女は言われた通りに耳を塞ぎ、その円らな瞳は固く閉じられていた。

その体は、生まれたての小鹿よろしく小刻みに震えている。


「小梅様、もう大丈夫。そのまま、目を閉じたままでついて来て下さい」


 小梅の耳元でそう囁き、彼女の手を取って静かに歩き出す。 海華は男達の骸、地面に広がる血溜まりの凄惨な現場を、小梅の手を引いて通り過ぎたのだった。


「後はお任せ致します」


 足元に累々と重なる死体、吐き気がする程の濃厚な血臭の中、朱王が口を開いた。満身創痍の高橋が、形の良い唇を噛み締める。今ここで生きているのは、すでに刀を収めた朱王と白刃から粘りついた血を滴らせている高橋。そして、左肩に深い切り傷を負い、壁に凭れ掛かった状態の坂本だけだ。


「生かすなり殺すなり、お好きにどうぞ」


 既に朱王は刀を収めている、これ以上関わる気はないようだ。高橋は一度体をわななかせ、ふらつきながら坂本へと近寄って行った。光源は月明かりだけ、相手の表情は窺い知れない。


「お前、なぜ……このような真似を……」


「貴様が悪いんだ……!俺は小梅をずっと!貴様が横からしゃしゃり出てくるからだっ!」


 ガチガチと歯噛みし、口から泡を飛ばしながら坂本は喚き立てる。そんな二人を離れた場所から腕組みし、朱王はじっと見守っていた。


「命だけは助けてやる。俺と小梅の前から消えてくれ!」


 どこか悲痛な面持ちで高橋が叫び、直後に坂本の狂ったような笑い声が響いた。


「結婚などさせるものかっ! 貴様も! 小梅も! 必ずぶち殺してやるわぁっ!」


 「うわぁぁぁああっ!」


 凄まじい叫びが高橋の口からほとばしり、電光石火で振り下ろされた刃が坂本の首から右胸にかけてを深々と切り裂いた。両目をカッと見開き、何を叫びたかったのだろうか、口は大きく開けられたまま、坂本はガクリと頭を垂れて絶命した。


「……見届けました」


 全身で息をし、わなわなと震える高橋の背中に朱王はそうを声を掛けた。ゆっくり、ゆっくり振り返る高橋、その目には僅かに光るものがある。


「小梅様がお待ちです」


 無表情で告げた朱王に、返り血を浴びた顔が小さく頷いた。


 満月が朧げに光る空の下、再会を果たした高橋と小梅は固く抱き合い号泣したまま地面へと崩れ落ちた。朱王と海華も、お互いの無事を確認し安堵の表情を浮かべる。


「あの二人、殺ったのか?」


 海華の着物に染み付いた黒い血潮を目にし、朱王が眉を潜める。


「顔見られたんだから、仕方無いじゃない」


 ケロリとした顔で答える妹に小さく苦笑し、朱王は今だ泣きじゃくる高橋に視線を落とす。それに気付いた高橋は、小梅から身を離すとフラフラ立ち上がり、兄妹に向かっつ深々と頭を垂れた。


「朱王殿、海華殿、ありがとう! 小梅が助かったのも全てお二人の御蔭だ!」


 小梅も地に額を擦り付けて、泣きながら礼を繰り返す。海華は慌てて小梅の側にひざまずき、その体を起こした。


「止めて下さい、お礼なんて! 元はと言えば、あたしがついていなかったから悪いんです。怖い思いをさせてしまって、申し訳ありません」


 ふるふると涙を飛ばしながら首を振る小梅。高橋は袂で目頭を拭い、朱王を見た。


「朱王殿、何か礼を。私に出来る事ならなんでも……!」


「お礼、ですか。でしたら……一つだけお頼みしたい事が」


 少し気まずい様子で、朱王は頭を掻く。高橋と小梅は、それをキョトンとした顔で見詰めた。


 朱王の申し出に、高橋は目を丸くした。今日、この場に二人はいなかった事にしてくれと言うのだ。つまり、高橋が小梅を助けるために単身で乗り込み、坂本らを成敗したと。


「そっ、それでは私が手柄を独り占めに……」


「構いません。私も海華も侍ではありませんから。手柄を立てた所で何にもなりません」


 そう言って朱王は笑う。 海華も吊られて笑みを零した。


「余り根掘り葉掘り聞かれたくはありませんからねぇ」


「そうですか。――わかりました。そんな事なら、調べはなんとか取り繕います」


「お願いします。それでは、私共はこれで」


 スッと頭を下げた朱王は、さっさと落ち葉を踏み締めながら林の奥へ歩き出す。その後を跳ねるような足どりで海華が付いて行き、 高橋と小梅は二人の姿が見えなくなるまで頭を下げ続けたのだった。




「何だか疲れたわ」


 なるべく他人に会わぬよう、人通りの少ない小道を歩きながら、海華が呟いた。人二人を殺めたのだから、疲れるのは当たり前である。少しばかり肩を落として自分の横を歩く彼女を軽く睨み、朱王はフンと鼻を鳴らした。


「お前が余計な事に首を突っ込むからだ」


 朱王に頭を小突かれ、プクリと頬を膨らませる海華。


「放って置けなかったのよ! でも、これで小梅様も、安心して白無垢が着れるわね」


 そう嬉しそうに言い、朱王の腕にスルリと両手を絡ませる。


「まぁな。だが、あの坂本とかいう侍も可哀相な男だ」


 風に吹かれ、顔にかかる髪を払い除けつつ朱王がポツリと言った。その台詞を受け、海華は怪訝そうに兄を見上げる。


「どこが可哀相なのよ? 横恋慕した男の哀れな末路じゃない。ただの馬鹿よ」


「身も蓋も無い……。だから、袖にされた時点できっぱり諦めればよかったんだ。追い掛けていれば、いつか振り向いて貰えると信じていたのか。女なんて、星の数程いるんだがな」


「男だって星の数程いるわよ。まぁ、引き際を知らなかったって事よね」


「実らぬ想いで命落としたんだ。可哀相だよ」


 ふぅ、と出たため息は、白く変わって夜空に消えた。


「それに比べたら、お仙さんは幸せだわ。横から出てくる奴はいないんだからさ」


 お仙、という言葉を聞いた瞬間朱王がビクリと固まり、足が止まる。どうしたの? とでも言いたげに、海華が顔を覗かせた。


「海華、今日は……多分明日も、徹夜だ」


「徹夜!? なんでよ!!」


 思わず海華の口からすっとんきょうな大声が飛び出す。あんな大立ち回りをやった後だ、すぐにでも着物を着替えて布団に潜り込みたかった。


「惣太郎に頼まれた人形、間に合わないぞ……」


 そう呟く朱王の頬が引き攣る。それを見た海華がガクリと肩を落としたのは、 言うまでもなかった。







「お仙さん、おめでとう!」


「綺麗な花嫁さんだねぇ」


 付添人に手を引かれ、白無垢姿のお仙が静々と歩く。周りの人々から、次々と祝いと感嘆の声が飛び交った。白粉で綺麗に塗られ、口元に紅い紅をひいたお仙は、満面の笑みでそれに答える。大きな瞳からは、ぽろぽろと幸せの証が零れ落ち、白無垢に吸い込まれていった。


 その後ろ姿を見守る四人の姿。惣太郎は、嬉しいやら寂しいやらで始終泣きっぱなしである。


「本当、綺麗ねぇ。お仙さん」


 そう言いながらも、海華の口から小さな欠伸が漏れた。あの夜、長屋に戻った二人は一心不乱に人形を作り、朱王の宣言通り二日ばかり徹夜をしてなんとか祝言の日に間に合わせたのだ。祝い事ゆえ、遅れるなどは許されない。今日は小綺麗に化粧を施している海華の目元には、薄化粧では隠し切れないクマが薄く付いている。それは朱王も同じだった。


「高橋様も、もう少しで祝言だったな」


 髪を後ろで纏めた朱王が呟いた。


「そうよ。お祝いに行かなくちゃね」


「海華への疑いも晴れた事ですしねぇ、朱王?」


 伽南が笑いながら放った一言に、朱王の顔がみるみる赤く染まった。それを隠すように、申し訳ありませんでした、と頭を垂れた朱王。頭上から、コロコロと笑い声が降る。


「いいのですよ。貴方が酔い潰れる貴重な場面を見れましたからね」


「えっ!?」


 惣太郎が赤く腫れた目を見開いた。朱王とは何度か呑んだ事があり、酒に滅法強いのを知っているため、余計に驚いたのだろう。ばつが悪そうに頬を掻き、朱王が視線を逸らす。

それを見た他の三人から、小さな苦笑が漏れていた。


 惣太郎、伽南と別れ、寝不足でフラフラになりながら帰った兄妹。


「おや、やっと帰ってきたよ!」


 二人の姿を認めた途端、部屋の前で二人を待ち構えていたお石がそう叫んだ。彼女の声を耳にし、湧き上がる嫌な予感に二人は疲れた顔を見合わせる。


「朱王さん、古着屋のお両ちゃん知ってるか い?あんたの事、好いてるんだってさぁ。口利 き頼まれたんだけどね。」


「――お石さん。」


ガクリと肩を落とした朱王が、弱々しい声を出 す。 しかし、お石はお構いなしだった。


「あの子は十八で、あんたは二十八だろ? ちょ いと歳は離れてるけど、一緒になっちまえばそんな事……」


「お石さんっ!」


 ついに朱王が爆発した。海華は呆れたように大欠伸を繰り返している。


「私はね、嫁を貰う気もなければ、、しばらくは海華を嫁に出す気もありませんっ! そう言った話しは、もう結構です!」


 唖然とするお石にそう言い放ち、さっさと部屋へ消えて行く。


 ごめんなさいね。 と、海華は立ち尽くすお石に謝りを入れ、部屋へ入ると直ぐさま畳に寝転がった。


「もう駄目、寝るわ」


「あぁ、俺もだ」


 脱ぎ散らかした着物もそのままに、二人は雑に 敷き並べた布団へと潜り込む。いくばくもしないうち、規則正しい二つの寝息が静かに響いた。寝息に合わせて上下する掛け布団の上には、障子から差し込む日の光りが、白い帯を作っていた。







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