第四話
「兄様、見つかった?」
「いや、足跡もここで途切れているな。――見 当違いだったか。」
既に闇に包まれた林の中で、朱王と海華は首を傾げていた。途中まではくっきりと付いていた足跡が、林の中程でぷつりと途切れている。どうやら、生い茂る笹野原を進んだと思われるが、むやみやたらと探し廻るには広過ぎ、しかもこの闇の中だ。下手をすればこちらも迷ってしまう。どうしたものか、と二人が顔を見合わせていると、後方からガサガサと笹を掻き分ける音が聞えた。
「朱王殿、海華殿!」
ざわめきの中から、高橋の小さな声が飛ぶ。
「高橋様!」
海華が声が踊った。いつまで経っても姿を見せない高橋に、内心逃げ帰ったのかと落胆していたのだ。高橋は息を切らせながら二人に駆け寄った。
「朱王殿、先程は申し訳なかった。確かに、私が狼狽えていては話しにならない。私は…… 命に代えても小梅を連れ戻さねばならないのだ。だから……」
「承知しております。高橋様がそうおっしゃるなら、私も海華も協力させていただきますよ」
「そうですよ、小梅様、白無垢着る日を楽しみになさっていたんですから。絶対無事にお助けしなくちゃ。とにかく、ここでつっ立ってても仕方ないわ」
「迷うの覚悟で捜すか?」
そう言った朱王が廻りを見渡し、すぐに海華と高橋に向き直るとそれぞれ捜す方向を指示する。笹原を踏み分け、三人は各々散っていく。空には、鏡のような満月が浮かび上がっていた。
小梅が囚われている場所を見つけたのは、朱王だ。
林の奥深くに建てられた、今にも崩れ落ちそうな小屋。長年のうちに忘れ去られたであろうそこに、ぽつりと場違いな明かりが燈っていた。
軽く押せばたちどころに外れそうな戸口の横に、刀を携えた若い侍が二人、仁王立ちになっている。
明らかに異様な光景に直ぐさま朱王は二人を呼び付けた。木々に隠れて 小屋の方を伺う高橋がゴクリと生唾を飲み込む。
「間違いない。あの二人が小梅を。だが、坂本がいない。他にも数人いたんだが……」
「きっと中ですよ。ボロだけど中は広そうですし」
ひそひそと囁く海華の横で幹に寄り掛かった姿勢の朱王は、刀を手に高橋に呟く。
「このまま踏み込みますか? それとも番屋に走りますか?」
「坂本は腕の立つ方ですが……もう一刻の猶予も無い。私は行きます。お二人は、小梅を連れて逃げて下さい」
きっぱりと言い切る高橋に、朱王は緩やかに口角を上げた。
「そう言われると思いました。ただ、貴方様を見捨てて逃げれば、私達が小梅様に怨まれます。最後まで、お手伝い致しましょう。小梅様の事は、海華に任せておけば大丈夫です」
ちらりと視線を海華に向ければ、笑みを湛えて頷く顔が目に入る。三人は、闇と笹に隠れながら、静かに小屋へと足を進めた。月明かりが、林の木々を黒い巨大な壁として浮かび上がらせる。こんな寂れた場所、しかも夜に訪れる者などいるはずも無い。
見張りの侍達は、暇を持て余していた。
ガサリと近くで笹の揺れる音が細やかに響く。
「なんだ?」
一人の男が、物音の方向へ目を向けた。
「犬か何かだろう」
特に気にする風も無く、片割れの男は大欠伸。
そんな二人の前で、ガサリ、ガサガサガサ…と笹がざわめき、男達の眼前に深紅の着物を纏った一人の女が現れた。月光のためか、その顔は透き通るように白い。一瞬ポカリとした表情を浮かべた男達だったが、すぐに肩をいからせながら女に歩み寄る。
「きっ、貴様! ここで何をしている!?」
僅かに声を震わせながらも、威嚇を込めた口調が女へ浴びせられた。
「道に迷ってしまいまして、困っていたんです。お侍様、明かりを貸して頂けませんか?」
二人の男を見上げ、女がにっこりと微笑んだ。
男二人は顔を見合わせ、ホッと息をつく。最初見た時は妖かと思ったが、どうやら唯の人だ。
「ここを過ぎればすぐに道がある。さっさと去ね!」
睨みを効かせ、左側を指差した男。女は不満げに頬を膨らませる。
「明かりくらい、いいじゃあありませんか。ケチな男は嫌われますよ!」
その台詞が終わらないうち、男達の頭上から黒い影がフワリと舞い降りた。ダンッ! と固い物を殴る重い響き、あっという間に、二人は笹原へと倒れ伏す。
「殺さなかったの?」
女が影に尋ねた。
「そんか必要ない」
ぼそりと影が答える。の手にあるのは、銀に光る刀。闇と同化した黒髪がザラリと流れる。
「海華、お前は小梅様を捜せ。邪魔者は俺と高橋様が抑える」
「はい。高橋様、お願いします」
足元に転がる男を一瞥し、うす笑いを浮かべて海華が林の奥へ声を掛ける。ガサガサと笹を掻き分け、幾分硬い表情の高橋が顔を覗かせた。朱王、海華、高橋の三人は、足音も立てずにボロ小屋へと忍び寄る。
朱王の白い足が、朽ち果てた木戸を力一杯蹴り飛ばした――。
耳をつんざく破裂音を響かせ、木戸は粉々に砕け、無残に飛び散る。
「何奴だっ!」
朽ちた床板に座り込み、酒を食らっていた数人の侍が一斉に飛び上がり、刀を抜いた。
「坂本ーッ!小梅をどこへやったーっ!?」
抜き身を構え、高橋が怒鳴る。 部屋の真ん中に立つ、猿顔の男が目をひん剥いた。
「貴様ァッ! 構わん! 斬れッ! 殺してしま えッッ!」
茹で上がったように顔を紅潮させ、坂本が喚く。
それを合図に、次々と男達が刀を振り回し、朱王と高橋に斬りかかる。唯一の光源だった蝋燭は沢山の足に踏み倒され、辺りは闇に呑まれて、わずかな月光だけが薄絹の如く差し込むだけ。
重なる怒号、白刃のかちあう鋭い響き、飛び散る剣花、地を踏み鳴らす足音が小屋に充満した。ビュッ! と空気を切り裂く刃をかわし、ぶつかり合う男達の間を縫いながら、海華は走った。
「小梅様っ! 小梅さまぁぁぁっ!!」
奥へと走る海華の背中に、ある侍がの刀が振り上げられた。その気配に気付き、バッと振り返った海華の目が、張り裂けんばかりに大きく見開かれる。
斬られる! 彼女がそう思った瞬間だった。
「ウオオオオオッッ!!」
侍の手から刀が滑り落ち、背中から鮮血を撒き散らしながら、体が真横にふっ飛んだ。
「早く行けぇっ!!」
血濡れの愛刀を振りかざし、眉を吊り上げた朱王の怒鳴り声が鼓膜を震わせる。弾かれるように走り出す海華が暗闇によく目を凝らすと、小屋の一番奥辺り、ちょうど押し入れのような場所の破れた襖がガタガタ揺れている。
「小梅様っっ!」
襖を跳ね飛ばすと、中には荒縄で縛り上げられ、手拭いで猿ぐつわを噛まされた状態の小梅が転がっていた。慌てて猿ぐつわを外し、縄は組紐の先端で断ち切る。
「大丈夫ですかっ!? 早く立って!」
全身をガクガク戦慄かせ、口もきけない小梅をなんとか支え起こすと、すぐ近くにあった裏木戸を蹴り破り、外へと飛び出す。
「高橋も来ておられますから! 早く逃げましょう!」
「征二郎様が、まだあの中に!?」
紙のように白い顔を歪め、海華の手を振りほどいて小梅が小屋を振り返る。
「どうしたんですか! 早くっ!」
「でも、征二郎様が……!」
小屋からは、まだ斬り合う音が響き渡り、女が逃げた! と叫ぶ声があちこちで上がる。小屋に戻ろうとする小梅の手を、強く引っ掴んで、海華は彼女を怒鳴り付けた。
「斬ったはったは男に任せておけば良いのです! 私達が行った所で、何が出来ますかっ! ただの足手まといにしかなりません!!」
引きずるように小梅を小屋から離す。と、目の前に刀を握りフラフラと歩く男二人の姿が視界に飛び込んできた。さっき、笹原に捨てた者達だ。チッ、と海華が舌打ちし、小梅を横の草むらへと匿った。
「少しの間、目と耳を塞いでおいて下さい」
「な……ぜ?」
涙を一杯に溜めた瞳で、海華を仰ぎ見る。
「後で嫌な夢見たくないでしょう? 言った通りにして下さいね」
微かに口角を上げ、海華は小梅を残したまま侍二人に挑みかかった。




