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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第七章 白無垢悲恋
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第三話

 翌日、朱王が目を覚ましたのは、昼を過ぎた頃だった。 頭は石が詰まったように重く、見上げた天井はクルクルと回っている。


 昨夜、怒りに任せて長屋を飛び出し、お福の店へ駆け込んだ所までは覚えているのだが、そこから先の記憶は全く無い。今、なぜ自分の部屋の自分の布団にいるのか、いまだ酒が残る頭では上手く考えられなかった。


 「あら、やっと起きたの」


 土間の方から、些か冷たい声が飛んだ。怠い体を苦労して起こすと、並々と水が入った木桶を重そうに運ぶ海華と目が合う。が、気まずいのだろう、朱王はすぐに視線を逸らしてしまった。


 海華も無言のままで、桶の水を水瓶に移し替える。そして、杓でその水を一すくいすると、畳へ上がり、そのまま朱王に差し出した。


 「湯呑みも茶碗も、昨日割っちゃったから」


 「……ありがとう」


 無愛想に礼を言い、渡されたそれを一息に飲み干す。乾きった喉、全身冷たい水が染み渡っていく。

思わず、ホッとため息が出た。


 「お前、夕べはいつ帰ったんだ?」


 「いつ? 兄様と一緒よ。何にも覚えてないのね?」


 呆れ果てた様子で腕組みをした海華が朱王を睨む。


 「昨日は大変だったのよ? 兄様はグデングデンに酔っ払ってるし。先生が居なかったら、ここまで運べなかったわ」


 「先生!? 伽南先生を、呼んだのか!?」


 いきなり大声を出したせいか、顔をしかめて頭を押さえる朱王。完璧な二日酔いだ。酷く無様な彼の様子に海華が、プクリと頬を膨らませた。


 「だって、一人で帰るのも気が乗らなかったし。兄様ったら、先生にクダはまく、愚痴は言う。 本っ当、見てらんなかったわよ」


 海華の言葉を聞いて、いよいよ朱王の顔が青ざめる。


 「愚痴って、どんな事言っていた?」


 「先生に直接聞いてちょうだい! 後で謝りに行きますからね!」


 ぴしゃりと言い据え、海華が立ち上がる。

さすがに今日は言動が冷たい。もう一度土間に降り、ガチャガチャ騒がしい音を立てながら昨日の割れた食器、喧嘩の名残を片付ける彼女を尻目に朱王は、もう一度ゴロリと布団へ横になった、その時、


「ごめん下さいませ」


 表から、涼やかな声が聞こえ、カラカラと戸口が開かれた。そこに立つのは、薄い藍色に、雪柄模様の着物を身に纏った良い身なりの若い女。 きちんと結わえられた髪には、銀の簪が煌めいている。


 「小梅様!」


 女の姿を見たとたん、海華が驚きの声を上げた。

女は、今だ布団を被って己を見ている朱王に少したじろいだ様子だったが、海華の姿を認めると、すぐに赤い唇を綻ばせた。


 「今日はなかなかお見えにならないので……」


 「申し訳ありません! あの、ここではなんですから、外で」


 バタバタと海華が女を外へと押し出し、共に消えて行く。 訳がわからず、朱王はそれを呆然と見ているだけ。幾ばくもしないうちに、海華一人だけが戻ってきた。 戸を開けた瞬間、布団の上にドカリと胡座をかいた朱王に、思いきり睨みつけられる。


 「今の女は誰だ?」


 誤魔化しは効かない、と、視線が語る。思わずたじろいだ海華は、蚊の鳴くような声で答えた。


 「高橋様の、許婚の小梅様……」


 「許婚だぁ!?」


 案の定、朱王の怒りが再燃した。頭の痛みなど、どこかへふっ飛んで行ったようだ。


 「あの野郎っ! 許婚がいながらお前に手ェ付けたのかっ!?」


「だから違うって!」


 眉を吊り上げ、今にも飛び出して行きそうな朱王を、海華が必死で押し止める。


 「違うなら、何故許婚が此処に来る!?」


 「あたしに用があったのよ! 後からきちんと話すから! お願いだから少し待ってっ!」


 そう叫んだ海華ともみあい状態となり勢い余って、二人共ドサリと布団に倒れ込んだ。


 「今日はどこにも行くなよっ!!」


 悔し紛れに朱王が叫んだ。


 「言われなくてもいるわよっ!!」


 こちらも眉を逆立てた海華。結局この日は二人共、一歩たりとも長屋から出る事はなかった。








 「海華殿――ッ!」


 耳をつんざく絶叫と共に全身泥に塗れ、顔面蒼白の高橋が長屋に駆けずり込んで来たのは、海華が夕餉用の白粥を炊いている最中だった。


「高橋様!?」


しゃもじを取り落とした海華が、土間にへたり込んだ高橋に駆け寄る。何しに来たんだ!? そう怒鳴りたい心境の朱王だが、怒りをぐっと堪えて肩で息をつく男を睨む。しかし、左腕がバッサリと裂けた羽織りと、そこから流れ出す血潮を目にした途端、顔色を変えた。


「高橋様、その傷は――」


「朱王殿……! 小梅が、許婚がさらわれました!」


「小梅様が!?」


悲鳴にも似た叫びを上げる海華。ほつれ髪を脂汗で顔に張り付かせた高橋が、わななく唇を震わせた。


「今夜は海華殿が来られないと聞いたので、私が小梅を迎えに行きました。途中、あの男が……取り巻き共と……!」


 小梅を庇いながら必死に斬り合ったのだが、多勢に無勢、怪我を負わされた上に許婚は連れ去られた。


 「あたしがついていたら!!」


 両手で顔を押さえた海華が呻く。朱王は咄嗟に長持ちの蓋を開いて刀を引っ張り出した。


 「気落ちしている暇は無いぞ。とにかく傷の手当てを。高橋様、襲われたのはどの辺りです?」


 「川添いの、古い社がある場所です」


 以前、高橋と海華が会っていた場所だった。


 「まずはその辺りを捜しましょう。子供をさらった訳じゃない。大の大人を引きずって、そう遠くまでは行けません」


 傷に手拭いを巻いた高橋が、ヨタヨタと立ち上がる。


 「朱王殿、海華殿にも手間を掛けさせてしまって……」


 「お礼は後程で結構です。それと海華!」


 「はい!?」


 ビシリと背筋を伸ばし直立不動で海華は、朱王を見る。


 「この事は、行く道々しっかりと説明してもらう!」


 朱王は半分怒鳴るように言い放ち、外へと飛び出す。その後を、海華と高橋も追い掛け走った。

走りながら、最初に口を開いたのは、海華だった。


 海華の口から語られた真実、それは今まで朱王が考えていた事とは掛け離れたものだった。


 小梅は、高橋が指南を受けていた剣術道場の娘である。高橋とは幼なじみで、想い合っていた仲だった。そんな二人に結婚話が出たのはつい最近で、両家共にもろ手を上げて喜んだという。


 しかし、そんな二人を引き裂く者が現れた。高橋とは同門の、坂本という侍。この男、昔から小梅に惚れ込んでいたという。 小梅の結婚が決まってからというもの、俺と一 緒になれと言い寄りしつこく付き纏っていた。


 しかし気性が荒く乱暴で、いつも乱闘騒ぎを起こすなど、坂本を小梅は恐れ嫌っていた。海華が小梅と出会ったのは本当に偶然で、坂本に追われて逃げ惑っていた所を匿い、助けたのが始まりである。


 小梅に海華の事を聞いた高橋に、護衛をして欲しいと頼み込まれたのだ。とにかく、婚姻の日までは事無きを得たかったのだろう。海華が頻繁に高橋と会っていたのは、小梅の様子を報告するため。どうにかしなければと言うのは、坂本の事だった。


 「どうして早く言わなかったんだっ!!」


 走りながらも朱王が怒鳴り付け、海華も負けじと言い返した。


 「小梅様に口止めされたのよ! 横恋慕されて逃げ回ってるなんて、恥ずかしくて他人には知られたくないってっ!!」


 「他人って、俺がどれだけ心配したか!」


 「そうやって頭に血が昇ってる兄様に、何言ったって信じないでしょ!?」


 確かに、海華の言う通りだろう。思わず言葉に 詰まる朱王だった。しかし、相手は侍だ、取り巻きもいるとなれば、いざという時に高橋 と二人だけでは太刀打ち出来ないのは目に見えている。


 「あっ! 小梅!!」


 突然、後ろを走っていた高橋が叫び、地面へと這いつくばった。 水辺の道だからか、土は重く湿り気を帯びて所々はぬかるんでいる。 泥で汚れた手で握り締められたのは、銀に輝く簪、小梅の物だ。


 「ここから連れて行かれたのか」


 簪を手に、呆然と座り込む高橋の廻りを、朱王が注意深く目を凝らす。地面には、夥しい数の足跡で踏み荒らされていた。かなり争ったようだ。


 「海華、足跡を追え。どっちに向かっている?」


 「この、林の奥の方。三人……、いや、五人位はいるかしら」


 「五人か。まだまだ数がいるかもな。高橋様 、……高橋様っ!」


 よく通る声が、木々にこだまする。しかし当の高橋は簪を手にしたまま、阿呆のようにポカンと口を半開きにして朱王を見ていた。その胸倉を、いきなり大きな手がグイと鷲掴み、地面から無理矢理引き上げる。


 「しっかりして下さいっ! 貴方様が呆けていて、誰が小梅様をお助けするのです!?」


 ガクンガクンと体が揺さ振られ、高橋が足をバタつかせる。朱王が手を離すと、そのままドタリと尻餅をついてしまう。 そして、彼はどこか怯えたような眼差しで朱王を見上げた。


 「私達はこの近くを探します。小梅様を無事に取り戻したければ、ご一緒にどうぞ。怖じけづいたのなら。……このままお帰り下さい」


 夕暮れの逆光が、朱王と海華を黒い影として浮かび上がらせる。今の高橋には、とてつもなく巨大で恐ろしいモノに見えていた。


 何も答えぬ高橋に痺れを切らしたのか、朱王は踵を返して林の奥へ消える。海華も案じる様子を見せたが、結局、朱王について行ってしまった。


 一人残された高橋、ガクガク全身を軋ませるように立ち上がり、兄妹とは別の道、古い社の奥へとよろめきながら進んで行ったのだ。



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