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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第七章 白無垢悲恋
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第二話

あくる日、朱王は惣太郎とお仙、伽南を交えて人形の打ち合わせを行った。

暗い過去から抜け出したお仙は、以前よりも表情が豊かな、艶っぽい女に変わっており、目前に迫った祝言に、すっかり浮足立っている。

惣太郎は、嫁入り道具を揃えるのにあちこちと飛び回っているらしかった。


 海華ちゃんにも早くいい人が出来るといいですね。 とのお仙の言葉に、朱王は素直に頷けない。

なにしろ昨日の今日だ。

もし、海華が一緒になりたいと言って男を連れて来た時、自分は惣太郎のように笑顔でおめでとうと言ってやれるのだろうか?


 打ち合わせが終わり、帰途に着く間ずっと、自問自答を繰り返した。

そして、大川の川っぷちの道に入った所で、彼は一番見たく無いものを見てしまったのである。

親しそうに並んで歩く、高橋と海華の姿を。


 みっともない、とは思いながらも朱王は二人の後を尾行つけた。

葉をすっかり落とした木々が繁る小さな社の前で、二人は足を止めた。

気付かれないように息を殺し、太い木の幹に張り付いて身を隠す朱王には全く気付かず、二人は深刻そうな表情で何か話しているのだが、離れた場所にいる朱王には切れ切れにしか聞こえない。


 「私は、……が好きなのだ。……必ず一緒 に……それまでは……。を、待たせてしまう……」


 「それは……も同じでございます。しかし……をどうにかしなければ、何かと……が残りましょう。だから私は……」


 頼む!と、ひときわ大きな声を上げ、高橋が海華の両肩に手を置き、思わず朱王は彼らから目を背ける。体中の血が一気に引いたように、寒気が襲ってきた。

指先は氷のように冷たくなっていく。


 全容は聞こえないが、何を話しているのかは大体理解できる。

二人は暫く言葉を交わしていたのだが、やがて海華は一人で社を離れていった。

一人残された高橋を射抜くが如くに睨み付けた朱王だが、やがて、逃げるようにその場を後にしたのだ……。





 「だから! あの男と何を話していたかと聞いているんだッ!」


 「どうして知ってるのよ!? つけて来たのねッ!!」


 夜の帳が降りた長屋に、二人の怒号が響き渡る。

尋常ではない二人の声に一体何事が起きたのかと、住人達は続々朱王の部屋の前へと集まってきていた。


 「あたしが誰と何話そうが、兄様には関係無いじゃないのっ! 変な勘繰りしないでッ!」


 「黙れっ!よその男にフラフラくっついて行くんじゃない! この阿婆擦れッッ!」


 「誰が阿婆擦れよっ!? コソコソ鼠みたいに後追っ掛けて来た人に言われたくないわっ!」


 普段の兄妹からは考えられない怒声が次々と飛び出す。

余りの事に、二部屋先に住む大工の女房が、ソロリと戸を開けた。

と、同時に湯呑みが一つ、野次馬達に向かって空を切りながら飛んでくる。

一歩後ずさった人々の視線が、部屋の中へと注がれた。


 畳に散乱する陶器の破片、折られた筆に、ゴロゴロと転がる人形の頭や胴体、嵐でも通り過ぎたのかと思う程に、部屋は荒れていた。


 恐ろしいほど殺気立った空気の中に仁王立ちする兄妹は、どちらも肩で息をし、こめかみには青筋を浮かべてお互いを睨み付けている。

噴怒の形相を貼付けた二人に圧倒されたのか、住人達は声も出せずに生唾を飲み込んだ。


 二人も、人がいる事など一切気にしていないらしく、海華は握っていた小皿を力一杯朱王に投げ付る。 それはいとも簡単に朱王に避けられ、哀れな皿はガチャン! と派手な音を立てて壁にぶち当たり、バラバラと飛び散る。

壁には、白い顔料がべったりと張り付き、垂直にダラリと垂れ落ちた。


 「余計な口出ししないで! 欝陶しいのよ!」


 海華が吐き捨てた、その瞬間、バチーン!!と耳をつんざく破裂音と共に、海華が弾き飛ばされる。

朱王が思いきり彼女の頬を張り飛ばしたのだ。

この時ばかりは、外にいた女達から小さな悲鳴が上がった。

赤くなった頬を押さえ、目をギラつかせた海華が、突き刺すような眼差しで朱王を見上げる。

そして、彼女は無言のまま転がるように土間へと降り立ち、人垣を掻き分けて外へ走り出た。


挿絵(By みてみん)


 「海華っ! 待て……!どこに行くんだ!?」


 髪を乱して怒鳴る朱王に目もくれず、海華の背中はあっと言う間に闇へと消えていった。







 蝋燭の明かりの下、伽南は新しく取り寄せた書物を夢中になって読み耽っていた。

寒風が障子窓を揺すってカタカタと乾いた音をたて、伽南の指先が本をめくる音だけが微かに聞こえるだけ。


 ――トントン――


 静けさを破り、やたらと弱々しく戸を叩く音が耳に入る。


 「どなたですか?」


 顔を上げた伽南が尋ねる。

こんな遅くに訪ねてくる者など、殆どいない。


 「どちら様でしょう?」


 返事が無いのを不審に思いながらも、もう一度声を掛けた。


 「……先生……」


 ともすれば風に掻き消されそうな程に小さな声。

それは伽南にはよく聞き覚えのある声色だった。


 「海華?」


 腰を上げ、戸口に手を掛ける。

そこには闇を背にして、ポツリと立ち尽くす海華の姿があった。

どこか様子がおかしいのは明らかだ。


 「どうしたのです、こんな時間に? 貴女一人ですか?」


 「はい」


 肩を落としているからか、小さな体が余計に縮まって見える。


 「とにかく上がりなさい。また風邪をひきますよ?」


 うなだれたまま、小さく頷いた海華が庵の中へと入る。

そのままペタリと畳に座り込んでしまった彼女の髪がさらりと揺れ、赤くなった頬が伽南の目に止まった。


 「その頬、どうしました?」


 「兄様と喧嘩して、その……叩かれました」


 無意識だろうか、頬に手を当てて呟く。

驚いたように、伽南の口がポカリと開いた。


 「貴女を打った? 朱王が?」


 朱王が海華に手を挙げるなぢ、俄かには信じられなかった。

その前に、この二人がそこまで激しい喧嘩をしている所など、伽南は見た事が無かったのだ。


 「まさかとは思いますが――。原因は何なのです?」


 海華の口から今までの事がポツリポツリと語られていく。


 「――それで、あたしも言い過ぎたかなって、反省してるんです。それでそろそろ戻ろうかと思ったんですけど。……一人ではちょっと。だから、先生に一緒に来て頂きたいんです。先生の話しなら、兄様素直に聞いてくれると思うから」


 「それは構いませんが、貴女、本当にその高橋とか言う同心とやましい事は無いのですね?」


 「ありません」


 「なら、どうして頻繁に会っていたのです?」


 伽南の問い駆けに海華が言葉に詰まる。


 「それは……。高橋様と、ある方から相談を受けていて。その方と約束したのです。誰にも言わないって」


 すみません、と泣きそうな顔で顔を伏せる海華。

伽南は微かな苦笑いを零し、宥めるように海華の肩を叩く。


 「わかりました。約束ならば仕方無い。朱王には、私から上手く言いましょう。あまり心配させないうちに帰りましょうか」


 「はい、!」


 ここに来てから初めて顔を上げた海華は安堵の表情を浮かべ、伽南に笑顔を見せた。



 暗い夜道に提灯の明かりが揺らめく。

伽南と海華は揃って長屋へと向かっていた。

相変わらず、海華は暗い表情を隠さないままだ。

長屋の入り口まで来た時、一度二人の足が止まった。


 「私が先に様子を見て来ましょう。貴女はここで待っていなさい」


 そう言って、手にしていた提灯を渡す。

海華は無言で頷いた。

朱王の部屋の前に行くと、中は真っ暗、声を掛けても返事は無い。


 「そこの人なら留守だよ」


 突然、背中から低い女の声が飛んだ。

振り向くと眉を潜め、不機嫌そうな表情の中年女が立っている。

お石だった。


 「留守……ですか」


 小首を傾げて伽南が言った。


 「そうだよ。派手な兄妹喧嘩やらかしてさ。海華ちゃんは飛び出して行っちまったし、朱王さんもそのうちいなくなったよ」


 鼻息荒く、お石が喋り出した。


 「朱王さんも酷い人さね。いきなり海華ちゃんをぶん殴ってさぁ。男が出来たとか何とか……」


 聞いてもいない事までベラベラと話し出す。

伽南の事などお構いなしだ。


 「好いた男の一人や二人、いたっていいと思わないかい?海華ちゃんも、もう二十三だよ? 朱王さんもいい歳して、妹べったりなんだからさ、困ったモンだよ」


 「はぁ……。それで、朱王は何処に行ったのかは?」


 「知るもんかね。どっかで酒でも浴びてんじゃないのかい?」


 喋りたいだけ喋り、満足したのか、お石は伽南を残してさっさと帰ってしまう。

仕方なく海華の元へと戻り、朱王がいないと伝えると、彼女からはすぐに答えが返ってきた。


 「多分、お福さんの所だと思います」


 お石の言った通り、酒に走っているのだろう。

二人はその足で、近くにある店へと向かった。


 「ちょっと海華ちゃん、朱王さんどうかしたのかい?」


 伽南と海華が店に入るなり、お福が困惑した様子で駆けてきた。


 「兄様、居るんですね?」


 「いるよ。いるけどさ、アレ見てごらんよ」


 お福は、店の一番奥にある席を指す。

それを目にした途端、二人の目が驚きに見開かれた。


 狭い飯台には山のように空の徳利が並べられ、それに上半身を埋めるように朱王が突っ伏している。

右手にはしっかりと空の猪口が握られたままだ。


 「おっかない顔して来たと思ったら、今までずっと飲み続けだよ。飲みつぶれた朱王さんなんて、初めて見たねぇ」


 ため息混じりに、お福が呟く。

海華はもう、返す言葉も無かった。


 「私が話しをしてきましょう」


 苦笑いを交え、中へ入った伽南が朱王の正面に腰を下ろした。


 「朱王! 朱王!」


 今だに突っ伏したままの朱王に、伽南が呼び掛ける。

ああ? と、不機嫌な返事が返り、ようやく顔を上げた朱王の目は焦点が合わず、すっかり座っている。 それでも、伽南の事は認識したらしい。


 「先生、ですか。……何か?」


 「長屋へ行ったら留守だったもので。海華がここだと教えてくれました。それよりもどうしました? こんなに酔って」


 「どうした? どうしたって……」


 残り僅かな酒を注ごうとする。しかし手元が震え、大半を飯台へと零してしまった。

チッ、と舌打ちをし、朱王は飯台へ徳利を乱暴に叩き付けた。


 「あいつにねぇ先生、海華に……男ができたんですよ……」


 ガリガリと頭を掻き、呂律の廻らない舌で朱王が呟く。

その様子を、ハラハラしながら入口付近で見守る海華。

そんな彼女に気付くこともなく朱王の独白は続く。


 「相手は誰だと――思います? 同心ですよ? 同心。一緒になんて、なれる訳ないじゃあないですか」


 乾いた笑いを漏らし、ガクリとうなだれる。

彼の話しを伽南は黙って聞いていた。


 「周りは、年頃だの何だの言いますがねぇ。俺はね、先生。ここまで育てた妹を、横からサクッと掻っさらわれるなんて、我慢ならないんですよ! しかも、三廻りの青侍になんざ、冗談じゃないっっ!」


 だんだんと声に怒りが含まれていき、ダンッ! と拳が叩き付けられて徳利が跳ねた。


 「それを――欝陶しいだの何だのと、畜生……」


 急に声が弱々しく変わる。

もう見ていられないそう思った海華は、朱王へと駆け寄った。


 「兄様! もう帰りましょ! 飲み過ぎよ!」


 「――海華か?」


 赤くなった目をさ迷わせる朱王の身体を無理矢理引き起こし、席から立たせると、それを伽南も脇から支える。


 「本気で欝陶しいと思っていたなら、迎えになんか来ませんよ。朱王、ほらしっかり!」


 大柄な体を引きずるようにして、二人掛かりで朱王を外へと運び出す。

支払いは、海華の持ち金だけでは到底足りず残りはツケにしてもらった。


 ともすれば、眠り込んでしまいそうな朱王に必死で声を掛けながら、伽南と海華は長屋へ 戻ったのだった。

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