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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第六章 修羅の追憶
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第二話

 遠くで鳥の囀る声が聞こえる。瞼を透かす日の光りに、朝が来たのだとわかった。 起きなければ、と頭で思うのだが、身体の方は全く言う事をきかない。最近は夢のせいで眠りが浅い日が続いたが、昨夜は酒の力を借り、泥のように眠っていた。半ば無理矢理開いた瞼、視界のなかにひょいと見慣れた顔が映り込む。


「おはよう兄様。すぐにご飯の支度するわね」


 寝ぼけ眼を瞬かせる朱王を見て、クスリと笑い、海華が布団を引き上げる。


「まだ寝てていいわ。出来たら起こすから」


 カチャカチャと茶碗が鳴る音を子守唄に、朱王は再び夢の世界へと足を踏み入れていた。







 生温い風が頬を撫でる。ザワザワと草木のざわめく気配に、朱王は目を開いた。そこは墓石が立ち並ぶ荒れ地。墓守りがいないのか、ある墓は傾き、あるものは風雨に晒されボロボロに朽ち果てている。


「何だ……? ここは」


 自分がどこにいるのかもわからず、辺りを見渡すが人影は無い。吹きすさぶ風に背を押されるように、朱王は墓地の奥へとさ迷い込んだ。すすきが生い茂る墓地の突き当たり、他のものより一回りも大きなある墓の前に転がるモノ。それが何かを確かめた瞬間、朱王の体が衝撃に打ち震える。


 荒れた地面に染みる黒みを帯びたい朱、ドロドロと粘りつく血の海の真ん中に倒れる、見慣れた紅の着物と、力なく地面に伸びる朱に映える蝋のように白い手足……。


 それは紛れも無く、海華だった。



 『海華』そう叫ぼうとするが声は喉の奥で粘りつく。地面に叩き付けられた痛みと鼻腔を襲う血生臭さに顔をしかめつて、慌てて彼女を助け起こそうと走る朱王だが、血溜まりに足を取られ、その場に勢いよく倒れ伏してしまう。それでも懸命に海華の身体を引き寄せ、顔を確かめようとした、その時、朱王の身体が硬直した。


 頭があるはずの場所には、何も無い。引き千切られたように真っ赤な生肉と白い骨を晒す頚からは、まだダラダラと血が溢れ出ていた。


挿絵(By みてみん)


「くくくく……」


 むせ返る濃厚な血の臭いの中、脂汗を流して、呆然と海華の死体を腕に抱く朱王の耳が、軋んだ笑い声を捉える。裂けんばかりに目を見開いたまま、朱王は震えながら上を向いた。そこには薄汚れた経帷子を身につけた中年女が墓石の前に立ち、朱王を悪鬼の如く睨み据えている。


「お、静……様?」


舌を縺れさせ、朱王の唇が女の名を呼ぶ。女が血の気が失せた口元を吊り上げた。 あちこちに血糊が染み付いた帷子、その胸元には何かが抱えられている。


「朱王、貰うていくぞ」


 風に乗り、墓場に女の呟きがこだます。胸に抱かれたモノ、それは口から一筋の血を流し静かに目を閉じている海華の血に塗れた生首だった――。








 その朝から朱王の様子は一変する。


 一日中ボンヤリと魂が抜けたように座り込み、食事の量も激減していった。それに比例するかの如く酒の量は増えていったのだ。殊に夜は浴びるほど飲み、そのまま気絶するように寝てしまう。

そんな生活のため、体はみるみるうちに痩せ細り両目からは生気が抜けていった。まるで幽鬼と変わってしまった兄に海華は戸惑い、伽南の所へ薬を貰いに行ったり、なんとか食事をとらせようと奮闘する。しかし、海華がどれだけ苦心しようとも朱王の様子は日に日に悪化するばかりだった。


 こんな状態の為に朱王は仕事が出来ず、海華は朝から晩まで働き詰めに働いた。しかし、家に残した兄の事がいつも頭にあり、 気が気ではない。もうどうする事も出来ない海華は、祈るような気持ちで修一郎に相談した。


 海華から相談を受けた修一郎は早速、その夜のうちに彼女を伴って長屋へと向かう。彼女の口からきいた朱王の状況は、にわかに信じられるものではなかった。


「朱王がそんなに酷いとは」


 未だ半信半疑ながら、提灯を掻か手に修一郎が呟く。その大きく揺られる背中に、突然海華の声が飛んだ。


「修一郎様! ……兄上様」


 彼女の呼びかけに弾かれるように後ろを振り返った修一郎の顔には、驚愕の表情がはっきりと見て取れた。


「海華? お前……今、なんと」


「兄上様、と申しました。失礼は重々承知しております」


 申し訳ありません、そう蚊の鳴くような声で言って、道の真ん中で足を止めた海華が頭を下げる。幸い、道には二人の姿しかなかった。


「よいのだ! いや、兄上様と呼ばれたのは、何年ぶりか」


 肩を落とす海華に対し、修一郎は嬉しそうに頬を上気させる。


「兄様とは別に、お話ししたい事がございます」


 縋るような眼差しを修一郎に向けて、海華は両の拳をぐっと握り締めた。


「母上様を、お静様を殺めたのは、本当に兄様なのですか?」


 微かに震える彼女の声を耳にした刹那、修一郎は堅く唇を結ぶ。そんな彼へ海華は真っ直ぐな眼差しを向けたまま、微かに唇を戦慄かせた。ずっと胸に抱いていた疑問、あの時、背中を斬られた朱王は十日もの間、生死の境をさ迷った。そんな兄に、人を一人刺し殺すだけの力があったのか? 今までにも何度か朱王にこの事をぶつけてみたのだが、朱王は一貫して自分がやった、と言い張るのみ。


「……朱王はなんと申しておるのだ?」


 僅かに修一郎の声が震えている。


「俺がやった、と」


「ならば、その通りなのだろう」


「兄上様も、教えて下さらないのですか?」


 鳴咽混じりに海華が言った。驚き言葉を失う修一郎の前で、海華は目からボロボロと玉の涙を転がし始める。


「兄様は嘘をついています。 私にはわかる……。その話しをすると、必ず怒ります、そのままけんかになって、結局うやむやに……どうして私に嘘をつくのですか? 兄様も、兄上様も、どうして本当の事を教えてくれないのです!?」


 激しくしゃくり上げつつ訊ねてくる海華に、修一郎が言葉に詰まらせ、ますます固く唇を噛む。やはり、彼は何か知っているのだ。その瞬間、海華の胸が怒りに白く燃える。


「なぜ私を騙すのですかっ! 本当の事を教えてくれないのですかっ!どうして……どうしてッッ!?」


 叫ぶように怒鳴り散らし、彼女はバッと踵を返すと、今来た道を脱兎の如くに走り去る。 『どこへ行く!?』そんな修一郎の叫びは、虚しく闇に消える。


 そもそも三人の因縁は今から二十年あまり前から始まった。


 朱王と海華が始めて修一郎の前に姿を現したのは、見事な望月が天に揺らめいていた、夜風が少しばかり肌にしみる、穏やかな夜だった。夜中遅く邸宅に戻った修一郎の父、弦志朗げんしろうは、二人の幼子を連れていた。 見も知らぬ子供らを前に呆然とする母、お静と息子である修一郎に弦志朗は平然と『どちらも儂の子だ。母親が死んだゆえ、こちらで引き取る』そう言ったのだ。


 この時、朱王が八つ、海華が三つ。、修一郎が十八の時だった。弦志朗の話では、二人は吉原の花魁との間に出来た子供だという。 厳格で、真面目を絵に描いたような父が遊女遊びなど修一郎には信じられなかった。そして、父に裏切られる形となった母があまりにも哀れだと思うのも無理はないだろう。これは御家の一大事、修羅場は確実の状況だ。しかし、お静は顔色一つ変えずに、はい。と言ったきりだった。そのまま二人の面倒を見続けたのだ。


 武家の妻という誇りもあったのか、おつまは何も言わずに弦志朗おっとに従った。最初は修一郎とも距離を置いていた二人もじきに打ち解け、朱王は共に道場へと通い、屈託のない笑顔を見せて懐き甘える幼い海華を、修一郎も心底愛しいと思うようになっていく。しかし、真の兄妹としての生活は、弦志朗の病死と同時に、二人がこの家に身を寄せてわずか四年あまりで終わりを迎える。

弦志朗が死んだのを合図とするかのように、お静が豹変したのだ。


 二人から今まで与えていた着物や私物を全て奪い取り、乞食同然の格好をさせて屋敷に閉じ込めた 一切の世話を放棄し、食事も満足に与えない。気に入らない事があれば、容赦無く失神するまで棒で殴り、真冬でも水を掛けて庭へ放り出した。海華が殴られれば朱王が庇い、血まみれの二人を修一郎が助け出す。そんな日々が半年続き、二人からは表情が消えた。


 修一郎は必死に母を説得し、兄妹を庇う。しかし、母の暴力は激しくなるばかり。 まるで猫が鼠をいたぶるように執拗に、陰湿に二人は激しい暴力にさらされた。兄妹は部屋の中で息を殺し小さくなって震える毎日が続く。ある時、お静がポツリと漏らした一言が、今も修一郎の胸にこびりついていた。


「旦那様は、あの女に盗られてしまった」


 兄妹の実母の事を言っているのだろう。長年支えてきた夫に裏切られたのだ。そして夫が死に、長年抑え込んでいた悔しさと怒りが吹き出して兄妹に向けられていたのである。そんな事態が急変したのは、秋も終わりのある夜。夜中、夫の刀を手にしたお静が何の前触れもなく兄妹に襲い掛かった。

兄妹は弱った体で庭へと逃げ出す、それを寝間着姿のお静が追い掛けていった。


 使用人たちの叫び声と禍々しい悲鳴を聞き付けた修一郎が庭に飛び出した時には、背中を袈裟掛けにされた瀕死の朱王、全身を血で染めて脇差を手にした放心状態の海華、そして、胸を刺されて既に絶命している母、お静の姿が月光降り注ぐ中庭にあったのだ。


 そう、お静を殺したのは海華だ。しかし、後日意識が戻った朱王に自分が刺した事にしてくれと頼み込まれた。幸い、海華はその時の事を覚えていなかったからだ。妹を人殺しにさせたくない、それは修一郎も同じ事だ。母を刺した下手人は逃げた、とお上には伝え、使用人たちにも『賊がやった』と言い含めた。


 それから半年後、傷が癒えたのを見計らい兄妹は忽然と姿を消す。枕元に書き置きが一枚、『罪は死ぬまで背負います』これだけを残して、二人は行方知れずとなってしまった。


 思い出したくない過去を引き摺るように足を進め、辿り着いた中西長屋の傾きかけた長屋門を修一郎はくぐり、朱王の部屋の前に立った。大きな深呼吸を一つ、彼の節くれだった指が戸口へと掛けられた。


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