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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第五章 紅葉野髑髏(もみじのどくろ)
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第五話

「あの骸、長品の女将だったってな」


 金鑿かなのみを奮いながら幸吉が言った。


「あぁ。下手人は旦那と女中頭だったらしい」


 そう答えて冷めかけた茶を一口啜った朱王は、軽く目を伏せ、錺物屋の手元へ視線を落とす。幸吉が作業する音だけが響く部屋。朱王は注文していた飾りを取りに立ち寄っていた。事件が発覚したのは今朝の事、体中血だらけにした長品の主人が、これまた血に濡れた出刃を片手に道端にへたり込んでいたのを使用人に発見されたのだ。役人達が、母屋に踏み込んで発見したのは胸や腹をめった刺しにされたお滝の姿だった。部屋中に血飛沫が飛び散り、畳は血の海で直視できないほど凄惨な現場だったと親分が話していた。


 お滝の髪には、例の簪が着けられていたという。


 修吾は、女中頭で自らの妾であるお滝と共に、妻のお真紀を殺した事も全て喋ったらしい。


「馬鹿な男だよな。妾ごときにそそのかされて」


 ため息まじりに呟いた幸吉に、同調するよう朱王が首を縦に振る。


「全くだ。女将の腹に自分の子がいるとも知らずにな」


 お真紀は修吾に、あの里山へ呼び出され、待ち伏せしていた修吾とお滝に締め殺された。


赤子ややがいると知っていたなら、あの男も思い留まっていたかもしれん」


 そう言って、朱王は髪をかき上げる。その目前に、小さな小さな簪が置かれた。


「出来たぜ」


「いい出来だな」


 金色に輝く藤の花。 繊細なそれを箱に収め、丁寧に風呂敷で包むと、作業台に金の包みを置いた。


「世話になったな。次も頼むよ」


 品物を持って立ち上がる朱王を幸吉が外まで見送りに出る。


「そう言やぁ朱王さん、海華ちゃんは元気か い? この頃見ないな」


「変わり無い。元気にやっているよ」


「そりゃよかった。たまには人形の飾りだけじゃなくて、海華ちゃんに簪の一本でもやったらどうだい? 安くしとくぜ?」


 にこにこしながら言う幸吉に、朱王は少しばかり驚いた面持ちで目を瞬かせる。


「幸さん、あの頭のどこに簪を挿せばいいんだ?」


「あぁ、そうだよなぁ」


 狭い路地に二人分の笑い声が上がった。









「幽霊なんて本当にいるんですかねぇ?」


 長品の店先で留吉が首を傾げる。横にいた忠五郎が、フンと鼻で笑った。彼らの側に立つ海華は微かに苦笑いしながら、町廻り達が忙しそうに出入りする長品の母屋を見上げる。修吾が捕われたと聞いて一目散にここへ飛んで来た時、 親分達と鉢合わせしたのだ。


「あの野郎、口から出任せ抜かしてるに決まってんだろうが。大体、幽霊に足があるか!」


「でも親分、あの部屋酷ぇ臭いがしやしたぜ? こりゃ本当にお真紀の幽霊が……」


 馬鹿野郎っ! と、忠五郎に大声で怒鳴りつけられ、留吉が身を竦める。軽く笑いながら両耳を塞いだ海華の視線が宙を泳いだ。


 夜ごと修吾とお滝の前に現れた女、それは勿論お真紀の幽霊などではない。幽霊に化けた海華だ。古着屋からボロの品を買い付け、魚の内臓を腐らせて油を混ぜた物を擦り込んだ。肌は、朱王が顔料で色を付け、腕にも先程の汚物を塗りたくった。頭には、かつらを被った。最初は酷い臭いに気分を悪くした海華だったが、二日目には慣れ、修吾らの寝所に貼られた護符を見た時には芝居がかった小細工も行い、二人が怯える様子を楽しんでいたのだ。


 縁の下には朱王が待機してくれたので、なんの心配も無かった。出刃を目にした時は少しばかり驚いたが、もとより素人が出鱈目でたらめに振り回す刃物、彼女には恐れるに足りない。一つだけ困ったのは、体に腐った内臓を纏っていたため、長屋に帰るに帰れなかった事だ。仕方なく、朱王と二人で河原近くの打ち捨てられた道具小屋に隠れ、ひたすら体を洗っていた。今も自分から腐臭が放たれているような気さえする。お滝へ仕返しのつもりだったが、結果的にはお真紀の仇討ちになった。修吾は、引き立てられる時もお真紀の幽霊がいる、と半狂乱の状態だったようだ。


 最初は上手くいくか不安だったが、何とか成功した、そう心中で思いに耽っていた時、海華ちゃん、と呼び掛けられて我に返る。


「俺達ゃあ帰るからな、朱王さんによろしく伝えてくれ」


「わかりました。ご苦労様です」


 爽やかな笑みを見せ、海華は二人を見送る。その時、だった。


「あのぅ。すみません」


 オドオドとした声が背中越しに聞こえた。振り向くと、先日お滝に怒鳴られていた娘が大きな風呂敷を抱えてこちらを見詰めている。


「あなた、この間の……」


「あの時は、お世話になりました」


 娘は慌ててペコリと頭を下げる。


「いいのよ。それよりも大変だったわね、女将さんの事」


「はい、女将さん可哀想。あんなに優しくていい方だったのに」


 娘はくしゃりと顔を歪め、鼻をすすった。海華もつられて顔を伏せてしまう。


「ごめんね、あの御神籤、なんにもいい事無かったわね」


「いいえ。あの遺骸が女将さんだって早くわかったから。それに、あたしも次の奉公先が見つかりました」


 そう言うと、彼女は海華を見ながらニコリと笑う。


「そうなの。次の所でも頑張ってね」


 はい。そう頷くと、娘はまたペコリと頭を下げて道を駆けて行った。


「さて……あたしも行こうかな」


  小さくなる後ろ姿を見ながら、海華が呟く。いつもの仕事場に向かおうとしてクルリと踵を返し、大通りに出ようとした海華は通りの向こうからやってくる人影を見てその歩みを止めた。

 

「あ、志狼さん!」


「おぅ、やっぱりここにいたか」


 ひょいと片手を上げて応える若い男、志狼は海華の隣を通り抜けそのまま長品の方へと向かう。慌てて彼の後を追い掛ける海華に背を向けたまま、彼は『上手くいったな』と一言呟いた。


 「子供染みた仕返しだと思ったが、『幽霊の仇討』ってぇ、瓦版では評判になってるじゃねぇか」


 「子供染みてて悪かったわね。志狼さんだって、結構楽しんでやってたじゃない、幽霊ごっこ」


 軽く口角をつり上げる志狼を鼻で笑って、海華は彼の隣で腕組みをする。そう、この作戦には志狼も一枚かんでいた。店の天井裏を駆けまわる足音や、裏口に佇む襤褸ボロを纏った人影は全て彼の仕業。

そして井戸の水が赤く変色したのは、彼が食紅を井戸に放り込んだからなのだ。


「手伝ってやったんだ、有難く思えよ」


「誰も、手伝ってなんて言ってないわよ。勝手に首突っ込んできたのそっちじゃない。しかも桐野様に内緒にしてさ」


 『バラしちゃうわよ?』そう悪戯っぽく言った海華を眉をひそませこちらを見る。今度は海華がニヤリと口角を上げる番だった。


「嘘、冗談よ。きっとお真紀さんも感謝してると思うわ」


「そうだな。腐れたはらわた頭から塗りたくったんだ。ところで……お前、まだ少し臭うぞ」


 海華の頭に鼻を近付け、クンクン臭いを嗅いでくる志狼。見る見るうちに海華の柳眉が逆立ち、髪の生え際まで真っ赤に染まる。


「くさ……っ!? 臭くなんかないわよっ!」


「アァ、嘘だ嘘、冗談だ」


 けろりとした顔でそう言い放ち、スタスタと歩いていく志狼の腕を、海華は渾身の力で一度、引っ叩く。ギャァギャァと文句を吐き出しながら彼の後追い掛ける海華、その頭上を、どこから飛んで来たのだろう。紅い紅葉が一枚、風に巻かれて消えていった。





 お縄になった修吾は獄中でも、お真紀の幻覚に悩まされ、裁きを待たずに狂死した。死んだ時、その喉は自らの爪で肉がえぐれるほど深く掻きむしられていたという。


 江戸にまた一つ、幽霊による仇討ち話がまったのは言うまでもない。

ある秋の出来事だった。







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