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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第五章 紅葉野髑髏(もみじのどくろ)
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第三話 

「長品って、――あぁ、ここね」


 昼間の仕事を一段落させ海華がやってきたのは、本橋だった。昨日話しが気に掛かり、思わず足が向いたのだ。色々な店が軒を連ねる日本橋だけに料理屋長品も、風格のある佇まいの店だった。規模はそれほど大きくはないが、そこそこに客は入っているようである。


 ずっと表から眺めていても仕方がないと考えたのか海華は店の裏手に回る。ちょうど厨房に接する辺りだ。裏を囲む板塀添いに歩いていた時に、そのダミ声は響いてきた。


「なにをボーっとしてるんだい!」


 甲高い女の怒声と共に、ぱんっ! と乾いた音が 響いた。慌て塀の陰に身を隠し、声のした方を覗くと、眦を吊り上げた細身の女と、前掛けをした十二、三ほどの若い娘が裏口だろう辺りに立っている。女の罵声を浴びながら、若い娘は両手で顔を押さえ、泣きじゃくっている。散々怒鳴り散らした女は、娘を残したまま中へ引っ込んでいった。


 泣き続ける娘を見詰め、海華はふいに木箱を降ろすと傀儡芝居に使ういつもの人形を取り出した。こつこつ、と塀を軽く叩く。泣き腫らした目、ぶたれたのだろう、赤く頬を腫らした娘が振り返る。


「これ娘。そういつまでも泣くでない」


 塀の陰から人形を覗かせ、海華が声色を変えた。 人形は手をぱたつかせ、かたかたと顔を動かす。きょとんとしながらも、その動きに魅入る娘。


「可愛い顔が台なしじゃ。泣くでない」


 面白可笑しい動きを繰り返す人形。少女は思わずにこりと笑う。それを見た海華が陰から姿を現した。


「酷い事されたわね。大丈夫?」


「はい」


 娘が俯き、消え入りそうな声で答えた。地味な絣の着物からして、長品の奉公人だろう。


「さっきの人って、女将さん?」


「違います。女中頭のお滝さん。女将さんは、もっと優しい方です」


 消え入りそうな声で答え、娘は強く指を握り締める。


「へぇ、女中頭ねぇ。女将さんはなんにも言わないの?」


「女将さん、ひと月位前からいなくなっちゃって。今、お店仕切ってるのは、お滝さんです。旦那様が全部任せているので」


 もじもじしながらも、娘は海華の質問に答えてくれる。海華は人形の手に御神籤を乗せ、彼女へ差し出した。


「後で開けてみてよ。いい事が書いてあるかもしれないわ」


 御神籤を手に取り、娘は嬉しいそうに顔を綻ばせるが、それも束の間だった。


「おもんッッ! いつまでメソメソ泣いてるつもり!?」


 だんっ! と裏戸を叩き付け、先程の女が鬼の形相で現れた。娘は可哀相なくらいに縮み上がる。


「おや、あんた誰? うちのに何してるのさ?」


 ギラリと血走った目が海華を捕らえる。しかし海華はにこりと笑い、女へ人形を見せた。


「すごい泣き声が聞こえたもんですから、ちょっと慰めていたんですよ」


「フン、余計な事するんじゃあないよ」


 凍り付くような声で女が吐き捨てた。


「そりゃ失礼しました。でもおねぇさん、そんな恐い顔してちゃ、お客も逃げて行きますよ」


「なんだッてッ!?」


 この一言が相手の怒りを再燃させた。女は一度中へ戻り、すぐに手桶を携えて戻ってくる。 その中身を、頭からざばっ! と海華へ浴びせ掛けたのだ。


「きゃあ!?」


 人形を持ったまま、海華は派手に尻餅を付く。かけられた物は、皿を洗った後の汚水らしい。

 料理の滓が体に纏わり付いた。唖然とする海華を、女が鼻で笑う。


「あまりふざけた事言ってんじゃあないよ、この乞食っ! さっさと消えな!」


 怯え震える娘の胸倉を掴むと、女はそのまま彼女を中へ引きずり込み、ばん! と戸を閉めた。


「なっ、何すんよ!! ちょっと……出てきなさいよ――!」


 戸に向かって怒り狂うも、すでに遅い。 頭から爪先までずぶ濡れの海華は、もうなすすべがない。このまま突っ立っていても仕方がない、そう思いつつしょんぼりしながら踵を返した、その時だった。


「おい、お前ぇ海華じゃねぇか?」


 不意に塀の向こう、ちょうど曲がり角の所から男の声が飛ぶ。驚きながらも足を止め、声のした方を振り向いた彼女の前に、薄鼠色の着流しを纏う一人の若い男が塀の陰から姿を現した。


「あら、志狼さん!」


「やっぱりお前ぇか。どうしたんだこんな所で……ってぇか、そのナリはどうした?」


 あちこちに野菜の切れ端やら魚の皮やらをくっつけた彼女の姿に、普段は表情をあまり見せない志狼も驚きを隠せない様子だ。こんな時は口を返す気にもならない、海華は正直にここの女中頭から受けた仕打ちを彼に話して聞かせた。


「腐れた死骸は見付けるわ、水ぶっかけられるわと災難続きだな、一度お祓いでもしてもらえ」


 ニヤ、と悪戯っぽく笑いながら言った彼を強く睨み付けつつ、海華は大きな溜息をついて肩を落とした。確かに彼の言うとおりかもしれない、もし、これ以上災難が続くようならばお祓いを受けよう。そんな事を考える彼女の鼻先に、志狼は懐から引っ張り出した手拭いを突き出す。


「ありがとう……。後で洗って返すわ」


 思い掛けない好意を素直に受け取り、海華は顔や髪を拭き始める。彼女の手が止まるのを待って、志狼は再び口を開く。


「腐れた死体で思い出した、お前が見付けたあの死骸、腹に子供ややがいたらしいぜ」


「え!? 子供? 桐野様が、そう仰ってたの?」


「あぁ、昨日の夜に都筑様が屋敷に来られて、そんな話をな。ちょうど茶を出すとき小耳に挟んだ。あ……他所よそでベラベラ話すなよ?」


 周囲に誰もいない事を確かめて、志狼は声を潜めて海華に口止めをする。茫然としたまま頷いた彼女は、志狼に『話したい事があるから』と言って長屋までついてきてくれるよう頼む。特に急用もないと見えて、志狼はその申し出をすぐに受け、海華を後ろに従えて中西長屋へと向かった。








 珍しく日の高いうちに帰った海華の惨状を見た朱王は、思わず絶句した。川にでも落ちたのかと言う程にぐしゃぐしゃに 濡れそぼり、顔の脇に張り付いた黒髪からは、未だポタポタと水が滴り落ちる。そしてなぜか、戸口の横には桐野の使用人である志狼が立っている。もう何から聞いてよいのかわからないまま、朱王は二人を室内へと上げた。


「志狼さ、ん? 海華……お前、何があった?」


「長品でやられた……」


 戸惑いを露に二人を交互に見遣る朱王に、目を伏せて海華が答える。そんな彼女に朱王は長持ちの蓋を跳ね開け、ありったけの手拭いを差し出した。濡れた着物もすぐに取り替えねばならない、しかし……部屋には既に志狼を上げてしまった。


「あ~……志狼さん、悪いがちょっと……」


「あら、いいわよ兄様。志狼さん、悪いけどちょっと待ってて」


 新しい着物と襦袢を手に海華は枕屏風の陰に屈み込む。シュルシュルと微かに聞こえる衣擦れの音に朱王と志狼は視線を合わせぬまま、志狼はどこかバツが悪そうにコホンと咳払いをする。やがて身支度が終わった海華が枕屏風の裏から姿を現し、茶の支度をするべく茶筒と急須を手に取った。


「海華、長品でやられたって、お前あの店に行ったのか?」


 急須に湯を注ぎながら、海華は先ほど長品で何があったかを事細かく話し出す。全部を聞き終えた朱王の手が、ドン!と畳を打ち据えた。


「なんて女だ、そのお滝って奴は!」


「あたしも驚いたわ。まさかこんな事されるなんて」


 そうしょんぼりとした様子で三つの湯呑に茶を注いだ海華は、横に置いてあった木箱から人形を出し、朱王に見せる。自分と同じく濡れ鼠の人形を抱いて、彼女は肩を落とした。


「兄様ごめんなさい、こんなにしちゃった」


「いいんだ、人形の事は気にするな。乾けば問題ない。それに着物なら新しいのを着せればいいんだ」


 彼女から人形を受け取り、ほかに壊れている箇所がない事を確かめた朱王は小さく微笑む。ほっとした様子で彼と同じ表情を見せた海華の横で、志狼は己の顎の先を軽く指先で擦った。


「ところで海華、その叱られてた女は、女将がいなくなったって言ったんだな?」


 唐突に尋ねてくる志狼に頷く海華、朱王はそのまま人形を手にして手拭いで水気を拭き取りつつ二人の会話を聞いている。


「あの骸、そのいなくなった女将じゃねぇのか?」


「やっぱり、志狼さんもそう思う? 簪の事もあるし……。あ、でも、他の誰かの骸に女将さんの着物や簪を持たせたのかもしれないわよ」


『どこかで女将さんは生きてるのかも』頬に手を当てながら言った海華に、朱王は難しい面持ちで小首を傾げる。長品の旦那には妾が一人ではなく二人、いやもっといる可能性だってある。そのうちの一人が邪魔になり、殺して……しかし、殺したのが旦那だという証拠はない。あの骸が本当に女将なのかも、未だ不明なままなのだ。


「あの骸が本当に女将か、まずはそれからだ」


 そう呟きつつ湯呑に唇を当てる朱王はその恰好のまま動きを止めてしまう。何かを考え込んでいるのだろう、畳の一点に視線を集中させたまま微動だにしない彼を見て、志狼は思い切り怪訝そうな眼差しを海華に向けた。


「おい、兄さんは大丈夫か?」


「あぁ、うん。大丈夫よ。集中しちゃうと、時々こうなるの」


 なんてことはない、そんな様子で茶を啜る海華。やがて朱王はゆっくりと湯呑を畳へと置き、身体の前で腕を組む。


「なぁ海華」


「なぁに?」


「少しばかり、長品を調べてみるか。お前だって仕返しの一つはしたいだろう?」


 汚水をぶっかけられたうえ、乞食と罵られた。このまま黙って引き下がるのでは女が廃る。『勿論よ』そう短く答えた海華は、地文へ視線を向けてくる朱王向かい唇をつり上げた。そんな二人のやり取りを間近で見ていた志狼は、軽く眉をひそめて湯呑を両手の平に包み込んだ。

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