第一話
すっきりと晴れ渡った秋の空から、日の光りが燦々と降り注ぐ。
「わあ、綺麗ねぇ!」
長屋から四半時程行った所にある里山で、海華が感嘆の溜め息を漏らした。朱王と海華、二人の前に広がるのは、山一面を彩る赤、朱、紅の錦織り。
今、江戸は紅葉の盛りである。二人は一日仕事を休み、紅葉狩りに赴いていた。出無精の朱王を、たまの気分転換と骨休めだと言葉巧みに言いくるめ、弁当を手に里山へとやってきたのだ。
「綺麗なのはわかる。だがな、これは一体何の意味があるんだ?」
ぼそりと言い放った朱王は、海華の前に小さな竹籠を二つ突き出した。
「何って? 茸採る用に決まってるじゃない」
大まじめな顔をして答えると、彼女は籠を一つ手に取る。
「ただ紅葉見て帰るだけじゃ能が無いでしょ? 今夜のおかずになるんだから、兄様もしっかり採ってね?」
そう言い残し、海華は足取りも軽く山に分け入っていく。
「どうせ、こんな事だとは思ったが。花より団子、か」
不機嫌な表情を崩さないまま、朱王も彼女の後を追って山に足を踏み入れた。太陽の光が紅葉に透け、地面を照らし出す。 落ち葉を掻き分け、茸を探す海華の上にも、はらはらと紅い葉が落ちていく。
「凄い! 兄様、今年は大漁よ!」
紅葉の風情はどこへやら、きゃあきゃあはしゃぎながら次々と茸を籠に放り込む海華は更なる収穫を求めて、どんどん奥に進む。
「あまり遠くまで行くなよ。迷ったら大事だぞ」
木の根本に腰を下ろし、舞い散る紅を眺めながら朱王が声を掛けた。その時、ふっと風向きが変わり、この場にそぐわない臭いが鼻を掠める。 なにかが腐ったような、鼻を突く生臭い悪臭。
「なんだ?」
思わず顔をしかめた、その刹那、
「きゃあっ!」
奥から海華の悲鳴が上がり、がさがさっ、と落ち葉が音を立てて舞い上がる。
「どうしたっ!?」
飛び上がった朱王は、悲鳴の方向に走った。 橅と思われる大木、その根元に尻餅を着いた海華が着物の袖で口と鼻を押さえて瞳を見開き、ある一カ所を凝視している。
「海華! うっ!?」
空気に満ちる鼻を痺れさせんばかりの強烈な悪臭が二人を襲う。慌てて袖口で鼻を押さえた朱王は、海華の視線を追った。彼女の視線の先にあった物、それは黒髪を纏わり付かせ、朱い落ち葉に飾られた髑髏だった。 灰色に変色した『しゃれこうべ』は、降り注ぐ秋の陽光を反射し鈍色に近い光をその場に固まる二人へ注いでいた。
「お前さん方も、死骸と縁があるねぇ」
漂う悪臭に辟易しながら親分が毒づく。
「死人に好かれようとは思っていないんですがね」
彼の横に立つ朱王が負けじと言い返すと、忠五郎は軽く肩をそびやかし鼻の下を指先で擦った。死骸を見つけた後、二人は迷わず番屋に駆け込んだ。 そこは以前にも世話になった忠五郎親分の番屋である。
早速、親分と下っ引きの留吉、数人の同心が飛んで来たのだが、ある同心は腐臭にやられたらしく少し離れた所で力無く屈み込み、胃袋の中身を紅葉の敷き詰められた赤い地面へ盛大にぶちまけている。
騒ぎを聞き付けて見物人も大勢来ていた。しかし、皆遠巻きに様子を伺っているのみ。死骸の側にいるのは朱王と親分、そして青い顔をして立ち尽くす海華くらいだ。
「親分、色々と出てきやしたぜ」
手拭いで鼻と口を押さえ、涙目をした留が駆けてきた。心底嫌そうな表情をしながら、親分は死骸の隣にかがみ込む。
「どうやら女らしいなぁ、しかし酷ぇ有様じゃねぇか」
唸るのも無理は無い。頭こそ白骨になってはいたが、体は落ち葉の下で腐り爛れている。人が動く度に黒々とした蝿の大群に襲われ、腐汁を吸ってどす黒く変色した着物からは白い蛆が次々と湧いてくる。近くには巾着袋と黒髪が絡み付く簪が転がっていた。
と、その簪に朱王の目が止まるよく似た物を見た事があったからだ。銀杏の葉型の飾りに鳥のあしらわれた金簪。親分の背中に声を掛けようとした、その時だった。
「うううっ」
苦しそうな呻き声を上げ、海華がその場にへたり込む。 今まで数多の修羅場を潜り抜け、死体の山も目にしてきていた彼女も今度ばかりはもう限界らしい。
「親分、もう失礼してもいいですか? 海華が倒れそうだ」
「このざまじゃあ仕方ねぇ。帰っていいぜ。聞く事ぁもうねぇからな」
彼から許しをもらい、朱王は腰が立たない海華を背負って足早に現場から離れたのだった。
長屋へ戻った海華は、すぐに畳へと寝転がる。 大きな瞳には涙が浮かび、唇は真っ青だ。
「せっかくの紅葉狩りだったのに」
顔を伏せたまま呟く彼女の前に、水が入った茶碗が置かれた。
「茸狩りの間違いだろう。黙って家に居れば、こんな事に巻き込まれなかったんだ」
「仕事休んでまで家にいるなんて。勿体無いわよ」
そうブツクサ呟きながらのろのろと起き上がった海華が、喉を鳴らして水を飲み干す。
「兄様、採った茸は」
「全部棄ててきた。気持ち悪くて食えたもんじゃない」
「そうよねぇ。暫く茸食べられないわ。あの臭いも忘れない」
苦笑いを返す朱王は、作業机の下から酒壷を引き出して先ほどの茶碗を取った。
「根性の無い奴だな。そうだ、ちょっと待っていろ」
酒をそのままに、朱王が外に出る。 暫くして帰ったその手には手の平程紙の袋が握られていた。
「少しは気が紛れるだろう?」
そう言って渡された袋、その中を見ると、真っ白な塊がいくつか入っていた。鼻に抜ける薄荷の香り。
嬉々とした海華が、一かけらを口に含む。 胸苦しさを清涼な香りが吹き飛ばすようだった。
「ありがとう。少しよくなったわ」
薄荷糖を口中で転がし、海華が笑顔を見せた。
「そうか」
満足そうに頷き朱王は酒を含む。結局、この日は夕餉も軽く済ませて、二人は早々に床へ着いたのだった。




