第四話
もう一度死骸を確認する。そう約束してくれた桐野は、志狼と共に帰って行った。二人きりになった兄妹の間にぎこちない、気まずい空気が流れている。
「約束破って、ごめんなさい……」
しゅんと項垂れながら海華が呟く。
「いや、俺も……怒鳴って悪かった」
バツが悪そうに頬を掻き、朱王も畳へ視線を落とした。すると彼は、ふいに懐から風呂敷に包まれた小さな包みを取り出し、海華へと差し出す。
「なに、これ?」
「いいから開けてみろ」
そう言われ、恐る恐る包みを開くと、そこにはキラキラと眩い光を放つ白銀の槍先が一つ納められている。 先日朱王の刀と一緒に砥ぎに出していたものだった。
「先に研ぎが終わったと。今日受け取りに行って来た。あの辺りは物騒だからな、いくらお前でも丸腰で歩いちゃ危ないぞ」
そうぶっきらぼうに言い放ち、朱王は煙草盆を引き寄せる。なぜあんなに怒っていたのか、理由がやっとわかった気がした。
「心配させてごめんなさい、次は、ちゃんと持っていくわね」
槍先を組紐にくくりつけながら、海華は朱王へ向かい小さく微笑んだ。
さて次の朝、海華の姿はいつもの辻にあった。 朗々と唄い上げる澄んだ声は、あっと言う間にだかりを作りだし、道に置かれた小箱には 次々と小銭が投げ込まれる。 一通りの出し物が終わり、海華が銭の溜まった小箱を引き上げようとした瞬間、ポン、と一枚の銭が投げ入れられた。
「以外に繁盛してるな」
聞き覚えのある声色、ひょいと顔を上げると灰色の着流しを纏った男が立っている。
「あら、志狼さんじゃないの」
パタンと箱の蓋を閉め、微かに首を傾げて見せる。 わざわざ見物に来たのだろうか? そう海華が思った次の瞬間、志狼はチラリと辺りを見回して海華に一歩近寄った。
「旦那様からの伝言だ。あの死骸、お前ぇが言った通りだった。太股に傷なんか無かった」
「やっぱりね。お染さんじゃなかったの」
海華の瞳が細められる。疑惑が確信に変わった瞬間だった。そんな彼女を前に志狼は更に続ける。
「死骸の身元はまだわからねぇらしい。 あぁ、それともう一つ、寺崎屋に物取りが入ったらしい」
「物取り!? いつの話しよ?」
「今朝だ。金蔵が荒らされて二百両取られた。 鍵は壊されていなかったと。旦那様は内部の者がやったとおっしゃっている」
『内部の』海華が聞こえたのはそこまでだった。 ここは人通りの多い辻道、志狼はやっと聞こえるくらいの声で話しているのだ。
「それなら鍵を開けて入ったんでしょ? 店の人で蔵の鍵持ってるのは誰なの?」
「旦那と若旦那、番頭の音松だけだ。旦那がやるとは思えない」
「確かにね。一番怪しいのは、番頭じゃないの?」
「普通はな。だが、店の奴らは考えられんと。旦那も同じ事言っている。昔から良く働く従順な男だと。まぁ……旦那の飼い犬みたいな奴だ。俺は、奴が怪しいと睨んでいるが、火付けと関係あるかはわからねぇ」
「そこまで教えてくれるの、やけに親切じゃない?」
意味深な笑みを見せる海華を、志狼は鼻で笑う。
「旦那様が伝えろと言われたからだ」
「そう、ならもう一つ。志狼さん、その音松とか言う番頭を調べる気でしょ?」
その一言に、志狼の片眉が微かに上がる。
「だったら何だ? まさか付いて来る気か?」
心底嫌そうな表情を浮かべる志狼に、慌てて海華は頭を振った。
「あんたとなんて冗談じゃないわ! あたしは 一人で動くから。ああ、一つだけ忠告させてもらうけど……」
ピョン、と志狼の側から飛びすさり、海華は今まで操っていた人形を向ける。
「忠告? なんだいきなり」
怪訝そうに自分を見詰める志狼へ、ニヤと笑った海華は、人形の仕掛け糸を指で手繰る。カシャリと小さな音を立て、可憐な娘人形は瞬く間に牙を剥き出す夜叉へと姿を変えた。
「さっき、番頭は飼い犬みたいな男だって言ったけど……気を付けた方がいいわよ? 飼い犬だって、主人に牙剥く事もあるんだから」
フフフッと乾いた笑いが漏れ、小さく人形が頭を動かす。天へと突き出た角が、日の光に鋭い輝きを放っていた。
「こんにちわ! お重さんいる?」
太陽が頭上高く昇った頃、ひっそりと静まり返ったあの女郎屋に海華の声が響いた。一度呼んでも返事はなく、三回目で、やっと奥から眠たそうな目をしたお重が顔を出した。
「なんだ、海華ちゃんかい。こんな早くに何か用かい?」
こんな早くと言っても、とうに昼は過ぎている。まぁ、仕方ないかと苦笑いしながらも、海華は抱えていた風呂敷包みを差し出した。ここへ来る前に手土産で買った菓子だ。
「少しだけど、どうぞ。ところでお紋さんはまだここにいる? 話があるんだけどさ」
「ああ、いるよ。ちょいと待ってておくれ」
これ、有り難く頂くね。 そう言って包みを手にしたお重は店の中へ消えて行く。あの火事で焼け出された女郎や女将は、今この店に身を寄せているのだ。お紋はすぐに姿を見せた。この間より幾分落ち着いたようだが、目の下には薄いクマができたまま、当たり前だが元気も無い様子だ。
「いきなりごめんね、お紋さん」
店先に腰掛けた海華がちょこんと頭を下げる。お紋は静かに微笑みながら首を振った。
「いいのよ。あたしも退屈してたから。ところであたしに話しってなあに?」
「うん、お染さんの事なんだけど……。馴染みの客とか、特別に親しくしてた客はいなかった?」
「特別な? そうだねぇ……」
海華の前に座ったお紋は、考え込むように視線を宙にさ迷わせ、頬に手を添える。
「お染ちゃん美人だったからさ、馴染みは何人かいたけど……。 そうだ、来る度にお染ちゃんを選ぶ客ならいたよ」
お紋の言葉を聞いた瞬間、海華の目が僅かに細められた。
「その人って、どんな人?」
「物静かな人だった。多分商売人だね。お染ちゃんは、『オトさん』って呼んでたよ」
それを聞いた途端、バネ仕掛けの人形のように海華が跳ね上がった。 驚き、ポカンと口を開けているお紋へニッコリと笑い掛ける。
「ありがとう! いい事聞かせてもらったわ!」
ありがとう! 再度そう叫びながら、海華は脱兎の如くに店から飛び出す。その足で向かったのは、桐野達の居そうな場所。 そう、番屋だった。
「ごめん下さい! ああ、良かった、皆さんお揃いですか……って、何で兄様までいるの?」
ガラリと番屋の戸口を開けた海華。そこにはいつもの顔が揃っていた。親分に留吉、桐野の隣には黒羽織を纏った二人の同心らしき若い二人組がいる。そしてなぜか朱王の姿もあった。
「商売道具も置いたまま飛び出して行ったからな。どうせ、またあの女郎屋にでも行ってたんだろう?」
横目でジロリと睨まれ、海華は思わず首を竦めた。
「そう怖い顔しないでよ、まだ昼間だから大丈夫だって。あ……すみません、こちらのお侍様は?」
くるくると瞳を動かす海華を前に、桐野は『あぁ』と一言、二人の侍に視線を投げた。
「北町奉行所同心、都筑 信之助と高橋 征二郎だ」
番屋の中に座する侍……クマを思わせる大柄な体躯にほぼ真四角な顔をした侍と、その横にいるひょろりと背高の青瓢箪、いや、好青年と言ったふうの侍が揃って海華を見詰め、都筑は何か言いたげに分厚い唇を軽く開き、高橋はしきりに小首を傾げている。
「都筑、高橋、先に話していただろうが、ここの朱王の妹で海華だ。辻道で人形芝居を……」
「あぁ! そうだ、思い出した。いつも辻にいる傀儡廻しだ! そうか、朱王の妹とはそなただったのか」
桐野の声を遮るように都筑が野太い叫びを上げる。彼につられてか、高橋も『そうだ』と何度も繰り返し、海華の顔を凝視した。二人の男に見詰められ、海華は戸惑いがちな笑みを見せて小さく会釈する。
「はじめ、まして……。あ、そうだ、吉原の火付のこと、何かわかりましたか?」
海華の問いかけに、都筑は大きく頭を振って見せる。
「何もわからんのだ! 手掛かりと言えば、寺崎屋の番頭と、お染とか言う女郎が同郷の出という事だけ、後は何もわからん」
「肝心のお染も行方不明だからな。何が何やら」
続ける高橋も頭を抱える。
「あの番頭とお染さん、同じ村の出なんですか!? ああ、それなら……」
驚きに目を見開きながら、海華はたった今聞いてきた話しを皆に聞かせる。皆の後ろで静かに座していた桐野の頬が、ピクリと動いた。
「海華殿の話が真実なら、音松はお染が離縁された後、店へ通っていた事になるな……」
「驚いたでしょうね。顔見知りの女がいきなり 女将として勤め先へ来て……挙げ句にまた、売り飛ばされたのですから」
ポツリと朱王がこぼす。重い沈黙が番屋に流れた。すると、スルスルと音も無く戸口が開かれ、滑り込むように姿を現した者が一人、志狼だった。
「ただいま戻りました」
桐野に一礼した志狼はチラと兄妹へ視線を投げる。が、特に気に止めない様子で再び戸口をぴたりと閉めた。
「ご苦労だったな。それで、村に行って何か掴めたか?」
労るような笑みを見せる桐野。留吉は茶を出すために、番屋奥へ消えた。 志狼はグルリと皆に目を遣り、呟くように口を開く。
「昔の二人を知る者を見つけました。あの二人、将来を誓い合った仲だったようです」
重い沈黙が更に重く、その場にいる全員にのし掛かる。大きな溜め息を一つついた海華はバリバリと頭を掻きむしり、軽く顔を顰めた。




