第三話
死骸が出た! その叫びを聞き付けて三人は焼け跡へ走る。建物があったであろう場所、その左奥に役人達が集まっていた。桐野もその中へ入り、彼らと何やら話をしている。そうしているうち、戸板が一枚運び込まれ、何やらボロボロの塊が乗せられた。遠巻きで見ている海華には、はっきりとした形はわからない。
筵が被されたそれが焼け跡から運び出された瞬間、髪を振り乱した若い女が訳のわからぬ事を叫びながら、脱兎の如く戸板へと駆け寄る。あまりにも突然の侵入者に、周りの役人も止める事が出来ない。女の手が、筵を跳ね飛ばした。
「ギャ――――ッ!」
空気を裂くような絶叫が辺りに響き渡り、宙を舞った筵が地に落ちると同時に、ドーン! と重たい音を立てて、女がその場に卒倒した。もう辺りは大騒ぎだ。戸板に乗せられた物体を目にした野次馬達からも、悲鳴やら泣き叫ぶ声が次々と上がった。
海華も見てしまったのだ。頭から腰の辺りまで真っ黒に焦げた死体を。顔形など、勿論わからない。ブスブスと肉の焼けた匂いと僅かに立ち上る白い煙。 それは人の形をした炭だった。かろうじて焼け残った、煤だらけの腰と足。絡み付いた布切れから、やっと女だろうとわかる。
再び筵を被せられ、男達の手により足早に運ばれて行く焼死体。倒れた女は、どうやらここの女郎のようだ。そんな彼女は今、仲間の女郎が助け起こして介抱している最中だ。
「お前、あんな死骸見て、よく平気でいられるな?」
隣に立つ志狼が意外そうな面持ちで口を開く。平然とした様子で死骸を見ていた海華は、チラと彼へ視線を投げた。
「倒れるとでも思ってた? 悪いけど、死骸なんて見慣れてるのよ」
ポロリとこぼれた一言に、志狼の眉が潜められ、海華は、しまったという表情で口に手を当てた。
「今のは嘘! 嘘だから! ああ、あたし仕事にい かなくちゃ、桐野様によろしく伝えてね」
取り繕うように引きつった笑みを見せ、足早にそこから逃げ去った海華。待て! と叫ぶ志狼に目もくれず、彼女は人混みを掻き分けて吉原を出て行った。その日の夜、仕事帰りにある場所へ寄った海華は、いつもより遅く帰宅した。あちこち走り回り、すっかり疲れきった顔で戸口を開けた瞬間、『こんな時間までどこフラついてたんだッッ!』と、鼓膜を破らんばかりの朱王の怒号が飛んで来くる。思わずスパーン! と叩き付けるように戸を閉めてしまう。怒鳴り付けられるほど、遅くなってはいないはずだ。 一度呼吸を整え、戸口に手をかけソロソロと引き開ける。
そこにいたのは、こめかみに青筋を浮かべて自分を睨み付ける兄、そしてその前にはなぜか苦笑いを作る桐野と志狼の姿があった。
「き、桐野様……。どうも昼間は……」
僅かに開けた戸口の陰から海華が顔を覗かせ、唇を歪める。
「さっさと中へ入ってここに座れ! いいから座れ!」
容赦無い声が兄から飛び海彼は自分の隣を指さす。海華は木箱を下ろし、びくつきながら兄の隣へ腰をおろした。
「お前、火付けの現場に行ったんだって?」
「う、ん……」
「何をしに行ったんだ!? 余計な事をするなと、あれほど言っただろうが!」
柳眉を逆立て怒鳴り付けてくる朱王に、海華は肩を竦めてきつく目を閉じる。そんな彼女を前に、桐野はコホンと小さく咳払いした。
「朱王もうよい、別に悪さはしていないのだ。そんなに怒鳴れば海華殿も言いたい事も言えぬだろう」
桐野の台詞に、海華は薄く目を開けて小さく微笑む。兄妹のやり取りの一部始終を見ていた志狼は、朱王の剣幕に些か呆れ顔だ。
「申し訳ありません。なら海華、怒らないから言ってみろ」
「うん、あの辺りにね、あたしの知り合いがいるから、心配になって行っちゃったの。今も、その……」
声がだんだんと小さくなって行く。反対に、朱王の眉がつり上がった。
「お前、またあそこに行ってたのか?」
「うん、そう。前に兄様が来た女郎屋……」
「やっぱりあの女郎屋か! もう行かないと約束しただろうがっ!」
再び鬼のような顔で怒鳴る朱王に、さすがの志狼も なだめに入る。見兼ねた野は海、華を自分の横へと座ら 、志狼は、やんわりと朱王を押し留めた。
「まあ落ち着けよ、えぇと……朱王さんだったか?」
「離してくれ! これが落ち着いていられるか!なぜ行くなと言う所に行くんだお前はっ!」
前に立ちはだかるようにして志狼に押し留められる朱王を前に、海華はギュッと目をつぶった。
「だって! 焼け出された子達が、お重さんとこ にいるんだもの! 様子見に行っただけよ!」
悲痛そうに叫んだ海華を見て、朱王の動きがピタリと止まる。ゼェゼェと肩で息をつく海華へ、桐野が静かに口を開いた。
「もうよいのだ。海華、儂はお前を責めに来たのではない。ただ、死んだ女の事を知りたいのだ。だから、ここへ来た」
「死んだ女って……お染さんの事ですか?」
そうだ、と桐野が頷く。勿論、店の女将にも女郎仲間にも話しは一通り聞いた。だが、お染の身の上に話しが及ぶと皆、揃いも揃って口をを濁すのだ。
「そうですか、そうでしょうね。あんな事喋っちゃ、お染さんが不憫ですから」
桐野の言葉を聞いて、海華は一人納得したように頷く。
「海華、お前その女郎とも顔見知りだったのか?」
無理矢理怒りを抑え込んだ朱王は、ジロリと妹へ視線を投げる。その横に座った志狼も、そして桐野も、視線は海華に 向かっていた。ふぅっ、と大きな、そして哀しげなため息を一つついた唇が、ゆっくりと動き出した。
「あの辺りの女郎達から聞いた話しですから、 全部本当かは、わかりません。……それでもいいですか?」
海華は不安そうに横へ座る桐野を見上げた。桐野は穏やかな表情で首を縦に振る。それを見て、フッ、と海華の肩から力が抜けた。
「ありがとうございます。あ……と、あたしが教えたって言わないで下さいね?――お染さんは、確か南山の村生まれです。実家は庄屋でした。子供の頃は裕福で、箱入り深窓だったそうです」
海華の話しは更に続く。吉原に売られた理由は、親の借金だった。父親が博打にのめり込み、莫大な借金を残したまま死んだのだ。屋敷も土地も取られ、母親と兄弟、そして残った借金を返すため、お染は吉原へ売られた。
「売られた先は、山野井って店でした。お染さんなかなかの美人だし、品もあったから売れっ 子だったそうです。そのお染さんを見初めたのが、炭問屋の寺崎屋、ご存知ですか? あそこの若旦那です」
「ああ、寺崎屋か」
顎の下を擦りながら、桐野は頷く。反対に朱王は深く眉を寄せていた。
「若旦那、お染さんに惚れちゃって、一緒になりたいって言い出して。勿論、母親……女将さんですね、遊女なんてとんでもないって大反対」
当たり前だな。と、志狼が横槍を入れる。寺崎屋と言えば、江戸でも古くからある大店なのだ。
「最初は皆無理だって思ってたけど、あの若旦 那、一緒になれないなら家出るとまで言って。 結局女将さんも折れた形になって……お染さんを身請けしたんです。それで、夫婦になりました」
「海華、ちょっと待てよ。あそこの若女将は確 か……おせいって名前だったぞ」
そう言った兄へ、海華はチラリと呆れたような視線を投げる。
「まだ続きがあるのよ、兄様は少し黙ってて。え、っと……晴れて夫婦になったはいいけど、お染さん、なかなか子供ができなくて……。嫁いで三年目でした。跡継ぎも産めない嫁はいらないって。離縁されたんです。離縁 なら、まだマシか……。売られたんです。また、吉原に」
海華の目が哀しげに揺れる。男三人は、唖然とした様子で声すら出ないようだ。
「売られたって、その旦那、自分の女房を売ったってぇのか?」
今まで口を閉じたまま彼女の話を聞いていた志狼が、低く呟いた。コクンと海華の頭が動く。
「お染さんの方から売ってくれって言ったとか、女将が売り飛ばしたとか、本当の所はわからないけど。……結局、お染さんはまた吉原に逆戻り。出戻り の遊女なんて、値も下がるから、結局は御門の外、あんな寂れた女郎屋に流れた着いたって訳です」
知っているのは、この位です。と、海華は静かに唇を閉じた。
「それは……確かに不憫な話しだな。女郎達が話 したがらない訳が、やっとわかった」
苦虫を噛み潰したような顔で桐野が言った。四人の間に重苦しい空気が漂う。ふと、何かを思い出したように海華が目を見開いた。
「桐野様、一つお願いがございます」
「ん?なんだ?」
小首を傾げながら、桐野が海華を見下ろした。
「店の子から聞いたんですが、お染さん、子供の頃に事故に遭って、右の太股の内側に大きな傷があるそうです。あの死体、もう一度確認して頂けませんか?」
「……あの死骸が、お染ではないと言いたいのか? 店の者にも確認はしたが……」
怪訝そうな表情を浮かべる桐野に、慌てて海華は頭を振った。
「お調べを疑う訳ではありません。ただ……顔は焼けてわかりません。着物も持ち物も、いくらでも変えられます。お願いします。もう一度、もう一度だけ、調べて下さい」
お願いします、と、畳へ額を擦り付ける海華の肩を、桐野は軽く叩いた。
「わかった、海華殿。そこまで申すのなら一度調べてみよう。なに、手間の掛かる事ではないからな。任せておけ」
「ありがとうございます!」
跳ね上がるように頭を上げた海華は周りにいる者らに向かい、満面の笑みを見せていた。




