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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四章 月華と狼
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第二話

『朝一で番屋に行ってこい!』


 昨夜、長屋に戻った海華は吉原での出来事を兄に話した。そして、髪入れずに返ってきた台詞がこれだ。顔はわからなくとも、彼女は下手人らしき男と接触している、それは重要な情報と同時に相手が海華の顔を見ている可能性がある、ということだ。 下手をすれば……いつぞやのように命を狙われ口封じされかねない。


 尻を蹴られる勢いで朱王に部屋から叩き出された海華は、渋々といった様子で番屋、以前世話になった忠五郎親分がいる番屋へと向かう。そこで昨夜の出来事を洗いざらい話し、ついでに桐野の在所を親分から聞き出した。 桐野の使用人である志狼に、あの守り袋を落としていないかを尋ねるためだ。


 桐野の屋敷は、役人や同心らが多数住む八丁堀の奥にあるという。早速、八丁堀へと向かった海華だが、同じような門構えの大きな屋敷が並んでいるが、与力という役職上、彼の屋敷はそこそこ大きく、すぐに見付けることが出来た。 薄汚れた白壁に囲まれた屋敷には周りに人の姿はなく、海華はきょろきょろと辺りを見回した後、裏手にある勝手口を見付けてそこを潜り抜ける。すると、広い中庭の左辺り、ちょうど松の木の裏手でガサリと何かが動く物音がした。


 ごめんください、と大声で呼び掛けると、はい、と簡潔な返事と共にガサガサ下草が揺れ、濃紺の作務衣を身に纏い、頭にきっちり手拭いを巻いた志狼がその姿を現した。


「……お前か、何の用だ?」


 あからさまに嫌な表情を浮かべる志狼へ軽い苛立ちを覚えながらも、海華は困ったように頬を掻く。


「そう邪険にしないでよ。コレ、あんたのじゃない?」


 そう言いながら懐から取り出したのは、あの古びた守り袋。海華の手にあるそれを見た途端、志狼の目が驚いたように見開かれた。


「これ、どこで……」


「夕べ逃げ込んだ女郎屋に落ちてたのよ。やっ ぱりあんたのだったのね」


 ほっとしたように口元を綻ばせた海華は、守り袋を手渡す。一方、渡された志狼は不思議そうな表情で海華を見ていた。


「お前、わざわざ届けに来たのか?」


「仕事行くついでよ。古い物だったし、大切にしてたのかと思って。確かに返したわよ? それじゃぁね!」


 お邪魔しました! と一言告げて踵を返す海華の背中へ、待て! と良く通る声がぶつかった。振り向き様、思い切り眉を寄せて志狼を見遣る。


「何よ? あぁ、夕べの事なら誰にも言わな……」


「違う。せっかく来たんだ……上がれ」


 ぶっきらぼうに言い放ち、自分はさっさと玄関へ向かっていく。目を丸くしながら、その後姿を眺めていた海華だったが、裏口の開く音を耳にし、慌てて志狼の後を追い掛け屋敷の中へとその姿を消した。


 通されたのは、中庭の一望できる日当たりの良い客間だった。中は、こざっぱりと整頓されており、調度品等は鷹の描かれた掛軸以外何も無い。 塵一つ無く掃き清められた畳にポツンと座り、海華は落ち着かない様子で周りを眺めていた。


 そうしているうち、志狼が茶を運んで来る。どうやら、きちんともてなしてくれるようだ。


「悪いわね、いきなり来たのに」


 出された茶に口を付け、ちらりと正面に座する志狼をうかがう。相変わらず感情の読めない表情の志狼は、緩く頭を振った。


「いや。あれは……お袋の形見だ。夕べからずっと探していた。……ありがとう」


「別に……ただ拾っただけだから。形見か、やっぱり持って来てよかったわ」


 悪い事を聞いたような気になり、海華は視線を畳へと移した。


「お前、親はいるのか?」


 静かな問い掛けが耳に届く。海華の頬が僅かに上がった。


「とうの昔に両方死んじゃった。顔もロクに覚えちゃいないわ。今は、兄様と二人だけよ」


「そうか……悪ぃ、余計な事を聞いた」


 すっ、と志狼の顔が伏せられる。海華はわざと明るい声色で笑った。


「謝んなくてもいいわよ、遥か昔の話しだから。――それよりさ、この家って桐野様とあんたの他に何人いるの?」


「旦那様と俺だけだ。他にはいない」


 返った答えに、海華の目が点になる。


「じゃあ、さ。掃除も食事の支度も洗濯も、全部あんたがやってるの?」


「そうだ。……何でぇ、その顔は? 俺がやったらおかしいってぇのか?」


 呆気に取られていた海華はブンブンと頭を振ると、引きつった笑みを志狼へ向ける。


「うぅん、おかしくない。おかしくなんかないわよ!?」


 人は見掛けによらない。改めてこの意味を実感させられた海華だ。茶をご馳走になり、帰る時に志狼は丁寧にも門の外まで見送りに出てくれた。


「長々お邪魔しました」


 ペコリと頭を下げる海華に向かい、いや、と小さな返事が返る。再び頭を上げた時、志狼と一瞬視線がぶつかった。


「一つ忠告しておく。あの辺りには暫く近寄るな。昨日の事にも、もう首を突っ込むな」


 今までに無い低い声色で志狼が言った。海華の眉がみるみるうちに潜められていく。


「どうしてよ?あたしは下手人らしい奴を見たのよ?」


「理由なんぞどうでもいい。とにかく、厄介事に巻き込まれたくなければ……」


「もう巻き込まれてるのよ」


 フン、と鼻で笑いながら、海華は腕組みをして見せる。


「今朝番屋に行ったらね、昨夜の火付け、怪しい男女二人組の仕業だって言われたわ。あたし達、このままじゃ火付けの下手人になるのよ?」


 志狼は何も答えず、ただ海華を見詰めるだけだ。


「自分の身の潔白、証明しちゃいけない? あたしも、あんた……じゃなくて、志狼さん。もう、厄介事に巻き込まれてるの」


 じゃあね、と一声残して海華はさっさとその場を走り去って行く。一人残された志狼の瞳は、ガタガタと木箱の揺れるその背を見えなくなるまで捉えていた。







 半月が昇る夜空に半鐘が鳴り響く。 再びの火付けは、海華が桐野の屋敷を訪れた二日後に起こった。場所は先の三件と同じ吉原界隈、女郎屋が一軒焼け落ちたそうだ。胸騒ぎを感じた海華は、兄には仕事へ行くと言い残し、実際は火災現場へと駆け付けた。吉原でも場末の場末、空き家やあばら家の集まるその場所は、火事から一夜明けたというのに人でごった返し、焼け焦げのキナ臭い匂いが辺り一面に漂っている。


 数本だけ焼け残った黒焦げの柱からは白煙が立ち、火消しや役人達が走り回る横には、焼け出された女郎達が顔や着物を煤まみれにしたまま、所在なげに座り込んでいた。


「あ、おもんさん!」


 呆然とした表情で火事場を眺める女郎の中に、海華は見知った顔を見付けて思わず声を上げた。呼び掛けられた女郎は、顔面を真っ黒に染めたまま、ゆっくりと顔をこちらに向ける。海華の姿を認めると、幽霊のような足取りでフラフラと近寄ってきた。


「海……華ちゃん、みんな焼けちまったよ……」


 人垣を掻き分けて飛び出した海華に支えられながら も、女郎、お紋は地面へとへたり込む。ボロ布のような着物には、あちこちに焦げ跡が見受けられ、鼻をつく焦げ臭さに思わず海華は顔をしかめた。


「大丈夫? 怪我してない?」


 懐から引き出した手拭いで彼女の顔や首元についた煤を拭いながら、海華は慰めを込めて彼女の背中を擦る。こくこく頷かれるたび、ぐしゃぐしゃに乱れた髪からは煙の匂いがした。


「酷く焼けたわね……。また火付けだって?」


「そうだよ。――夜中にいきなりさ」


 今にも泣き出しそうな声色で、お紋が呟く。着の身着のまま、逃げるのに精一杯だったらしい。


「まさかここがやられるなんて……でも、命だけは助かったんだから、ね?」


「うん、でもね……染矢そめやが……お染がいないんだ。見つからないんだよ……」


 お紋の一杯に見開かれた瞳から、ホロホロと涙がこぼれ落ちる。お染、と言われても、どんな女だったか顔は思い浮かばない。ただ、名前だけは知っていた。色々と訳有りで、この女郎屋に流れてきた女だ。


「逃げ遅れたんだろうって、今、中を探してる。……あの子、可哀想に――」


 ぼろぼろ流れる涙を拭おうともせず、お紋は焼け跡を凝視している。慰めの言葉も掛けられず、海華はただ背中を撫で続ける事しか出来なかった。


「おい」


 不意に後ろから低い男の声が飛ぶ。驚いて振り向けば、先日会った時と同じ着流し姿の志狼が、やたらに怖い表情で仁王立ちしていた。髪は雑に後ろで結ばれ、いかにも慌てて出てきました、といったような姿だ。


 ちょっとごめんね、とお紋に耳打ちして、海華が 立ち上がる。そのまま志狼に袖口を引っ張られ、人目に付かない空き家裏へと連れ込まれた。


「どういうつもりだ? どうしてお前がここにいる? あれほどここへは近寄るな、首は突っ込むなと言ったはずだ」


 射殺すような眼差しで睨み付けてくる志狼を海華も負けじと睨み返す。


「ここら辺りは知り合いが多いのよ、心配して悪い? 大体、近付くなって言った張本人が、なんでここにいるのよ?」


「俺は調べたい事があるんだ。興味本意でフラついてる訳じゃねぇ」


「あらそう、あたしもね、遊び半分で来てる訳じゃないわ! あんたが何調べてんのか、そんなの知った 事じゃないけどね。人のやる事に口出ししないでよ!」


 そう思いきり吐き捨て、空き家裏から飛び出した途端、道を横切る者に勢い余って正面からぶつかってしまった。


「すみません! あ、れ? 桐野様!?」


「旦那様!」


「海華殿! 志狼も、こんな所で何をしておるのだ?」


 ばったりと出くわした三人は同様に驚きの表情を見せる。一瞬どう説明しようかと思った海華だが、何もやましい事は無い。先日、志狼と何があったか、なぜ今吉原ここにいるのか、洗いざらい桐野へと話した。


「――そうか、火付け現場から二人組が逃げたとは聞いていたが……お前達だったのか」


 海華の説明を聞いた桐野は、納得したように何度も頷いた。申し訳ありません、そう二人はそろって頭を下げる。


「いや、よいのだ。事の次第がわかればそれでよい。しかし……また厄介事に巻き込まれたな、海華殿」


 ニヤリと笑われ、思わず海華は苦笑いを見せる。


「もう関わるなと、きつく言ったのですが……」


 微かな怒りを含ませ、再び志狼は海華を睨めつける。しかし、そんな彼に負けじとフン! とそっぽを向いた海華を見て、桐野は思わず吹き出した。


「志狼、海華殿に『関わるな』と言っても無理だ。こうなれば、下手人がお縄になるまで動き回るだろう」


「はい、だって知り合いが焼き殺されそうになったんですもの。……ね、言ったでしょ? 止めても無駄なんだから」


 勝ち誇ったように胸を張り、海華は志狼を見上げた。その時、死骸が出たぞ――っ!と叫ぶ男のダミ声が、三人の耳に飛び込んで来たのだ。

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