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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三章 鬼神小町
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第十一話

 体中が暖かい。柔らかな物で包み込まれる感覚に、海華はゆっくりと瞼を開いた。途端に眼前に広がる真っ白な光の世界。瞬きを繰り返し、明るさに目が慣れると古い板張り天井が視界に入った。あの世とは、こんなにも明るく静かなものなのか。 揺蕩う意識の中で海華は思った。辺りを見渡そうとゆっくり身を起こす。途端、体中が軋み、鈍痛に襲われて強く歯を食いしばった。


「死んだ後も、こんなに痛いのね」


 そう一人ごち、自分に目を向けると布団が掛けられ、新しい浴衣が着せられている。更に傷には手当が施され、血や泥は奇麗に取り去られていた。


 不思議そうに首を傾げていると、近くでパタパタと足音がし、襖が静かに開けられる。


「海華!」


「にぃ、さま?」


 朱王は部屋に入るなり、海華を強く抱きしめる。


「海華、よかった。やっと気が付いたんだな?」


「痛っ! 兄様離して、痛いってば!」


 顔を歪めた海華は、きつい抱擁から逃れようともがく。我に返った朱王は慌てて彼女を開放した。


「あ……すまん、大丈夫か?」


「うん、大丈夫。それよりも、ここはどこなの?」


 腕を摩りながら不安げに海華が尋ねた。そんな妹をもう一度優しく抱き寄せ、朱王が口を開く。


「小石川だ。お前、酷い傷で。本当に心配したんだぞ」


 くたりと朱王の肩に頭をもたれ掛けて、海華は軽く目を閉じる


「お里は?どうなったの?」


「お縄になった。お稲さんは可哀相だが、もう全部終わったんだ」


 その台詞に、海華は閉じていた目を静かに開く。 その時、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。


「失礼しますよ。おや、海華! 気が付きましたか」


 反射的に顔を上げると、そこにいたのは伽南と修一 郎、そして一人の侍の姿だった。


「先生! 修一郎様!」


  おお! と叫んで修一郎が駆け寄ってきた。


「気が付いたか! 酷い目に遭ったな海華。二日も眠り続けてたのだぞ?」


「眠り薬を飲まされたようですね、時間が経っていたので吐かせられませんでしたが。傷の方も、骨は折れていません。痛みも直にとれますよ」


 穏やかな笑みを浮かべて伽南が言った。その間も、海華の視線はチラチラと侍に向けられている。

朱王はそれに気付いていた。


「海華、こちらの方は北町奉行、与力組頭の桐野 数馬様だ。今回の件でお世話になった」


「そうでしたか、桐野様、修一郎様も。ご迷惑をお掛けしました」


 朱王から身を離し、頭を下げようとした海華だが、途端に痛みが体を貫き、顔をしかめたままその場に固まってしまった。


「そのままでよいのだ海華殿。お奉行、いや、修一郎と朱王は旧知の間柄。儂は自分の仕事をしたまでだからな」


 桐野がカラカラと笑う。つられて小さく微笑む海華。しかし、その表情はすぐに曇った。


「あの、修一郎様。お里はこの後どうなりますでしょう?」


「うむ、妹殺しの上に拐かし、火付けとなれば死罪は免れんだろう」


 腕を組み、難しい顔で修一郎が答えた。


「海華殿が気にやむ事は無い。後は奉行所に任せればよいのだ。――しかし、朱王が女を殴り飛ばすとは思わなかった。いや、驚いたぞ」


「兄様、お里を殴ったの?」


 呆気に取られたように海華が聞く。


「アレは人間の女じゃないからな。唯の獣だ」


 サラリと言って退ける朱王。桐野はニヤリと歯を見せると、何故か修一郎に目配せし、一緒に部屋を出た。伽南も海華の包帯をいくつか取り替え、痛み止めの薬を置いて帰っていく。


「ねぇ兄様。その包帯どうしたの?」


 今更ながら、海華は王の額に巻かれた包帯を指差す。 よく見ると、髪も五寸程短くなっているのだ。


「これか? あの廃寺で、柱の破片が当たったんだ」


「髪は?」


「火で焦げた。そのままじゃ見苦しいから、切ったんだ」


 短くなった髪を弄びながら朱王が言う。海華の目からボロリと涙が零れ、頬を伝った。


「ごめんなさい。あたしがお稲さんについて行ったのが悪かったの。顔に傷付けちゃって、ごめんなさい――」


 しゃくり上げる海華を宥めるように抱き締め、朱王は小刻みに震える背中をゆっくり撫で擦る。


「なに、痕は残らないと先生も仰っていた。万が一残っても、男の顔だ。どうって事無いさ。お前に傷が残らなくて、安心した。……本当に、無事でよかった……」


 最後は朱王の声も涙に霞む。暫くの間、部屋からは二人の鳴咽だけが聞こえていた。












「それにしても、お主と朱王はよく似ているな」


 小石川療養所の中庭で、桐野が唐突に言った。涙に咽ぶ朱王と海華を、少し二人だけにしてやろうと桐野が気を利かせたのだ。


「なに、似ている? 見た目がか?」


 キョトンとした様子で答えた修一郎に、桐野は思わず大きく吹き出す。


「まさか。見た目を言えば月と鼈、歌舞伎役者に鬼瓦ほどうわ。似ておるのは雰囲気だ。それ 、刀捌きに物言い。若い頃のお主と瓜二つだった」


そう静かに言いながら、彼は修一郎の側をゆっくりと通り過ぎる。


「なあ、修一郎よ。あの兄妹、お主の遠縁ではなかろう? 多分……もっと親しい間柄ではないのか?」


 彼の言葉を耳にした途端、修一郎の心臓がバクリと大きな音を鳴らす。自分を真っすぐに捉える桐野の視線。様々な台詞が修一郎の頭の中を駆け巡った。立ち尽くす修一郎を見詰めていた桐野が、再びフッと吹き出す。


「嘘が付けぬ男よ。話したくないならそれでよい。唯、聞いてみただけだ」


「――いや、お主にだけは聞いて貰いたい。ただし……」


「他言は無用。安心せい。その位わきまえている」


 その言葉に、固く握り締められていた修一郎の手から力が抜けた。額に浮かんだ汗を拭った後、唇が動き出した。


「お主の言う通りだ。あの兄妹は遠縁などではない。俺の……俺の腹違いの兄妹だ」


 桐野眉がピクリと動いた。その目の前で、気持ちを落ち着かせるためか、修一郎が大きく息をつく。


「父が吉原遊女に産ませた子だ。その遊女が病で死に、父が二人を引き取った。俺が十八の時だ」


「だから遠縁の者と偽って道場に。だが、朱王が道場に来なくなったのはなぜだ? お主は里に帰ったと言っていたな?」


「そうだ。父が亡くなった後、母は狂ってしまった。二人を屋敷から出さず、食事も満足に与えない。酷い……折檻もしていた」


 修一郎の声が尻窄みに小さくなっていく。


「お主、我が母が何者かに殺害されたのは知ってているだろう? ――やったのは、俺だ」


 ゴオッ、と音を立て、風が舞い上がる。


「忘れもしない、新月の夜だった。母が夜中、突然発狂して二人を父の刀で追い回したのだ。朱王は、庭で背中を斬りつけられた。側には海華が……、だから俺は……」


 再び握り締めた拳がブルブルと震える。桐野は唯、無言のままで修一郎の独白に聴き入っていた。


「母が死に、朱王の傷が癒えた頃に、二人は屋敷を飛び出した。俺の前に現れたのは、それから十年以上後だ」


 蒼白の顔からは汗が滴り、唇がわななく。


「のう、修一郎」


 今まで無言だった桐野が、やっと口を開く。


「いきさつはよくわかった。だが、お主が母上を殺したなど、信じぬぞ」


「しかし、それが真実だ」


 ゆらりと顔を上げ、修一郎は呻く。


「いいや。確か、母上は胸を一突きにされて死んだはずだ。お前は、実の母を真正面から刺し貫けるほど非情な男ではない。こう言いたくはないが、やったのはあの二人のどちらかであろう? ――今更犯人探しをしても仕方が無いがな」


 桐野の台詞に修一郎は無言のまま、唇を噛み締めて己の爪先へ視線を落としてしまう。


「下手人は逃げた、という事になっている。ああなったのも、俺が悪い。母の気持ちもわからず、朱王も海華も守れなかった」


 そう掠れた声で言って、修一郎はガクリと地面に膝を着く。


「たかだか二十歳の若造に、何が出来るというのだ? お主のせいではなかろう」


 修一郎の腕を取り、そのまま引き立たせた桐野は遠い目で空を見上げる。


「母上を殺した下手人は、今だ不明。それでいいではないか。お主らが不幸になる真実など、明らかになる必要は無い」


 確かに。この事が明るみに出れば、朱王も海華も親殺しでお縄、修一郎とて無傷ではいられない。


「一つだけ、聞いてもよいか?」


 空に目をやったまま、桐野が問う。


「なんだ?」


「事件を隠したのは家の為か、あの二人のためか?」


  真正面から投げ掛けられる問いに、修一郎が汗を拭う。


「それは、お家の事も頭にはあった。それよりも、朱王と海華を死なせたくはなかったのだ。 ――軽蔑するか?」


「いや、お家のためだと即答したなら。……殴り飛ばしてやろうと思っていた」


 顔を戻し、桐野はニッ、と八重歯を覗かせる。修一郎は思わず目頭を押さえ、『そうか』と掠れた声で呟いていた。

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