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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三章 鬼神小町
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第九話

「承知、致しました。ただ、一つだけお願いがございます」


「願い? なんだ、言ってみろ」


 畳に手をつく朱王へ身を乗り出し、修一郎が目を瞬かす。一度呼吸を整えて、朱王は形のよい唇を開いた。


「もしも私が帯刀の罪で罰せられました時は、海華の事をお願いしたいのです。私がいなければ、あいつは独りぼっちだ」


 生き馬の目を抜く江戸で、女一人が生きていくのはどれほど大変か。修一郎とて立場が立場、簡単に海華を引き取ったりは出来ないだろう。


「一から十まで面倒を見て欲しいとは申しません、ただ、時々様子を見に行ったり……」


「朱王、それは杞憂だ。お前をお白州に引き出すような真似はしない。いや、俺がさせぬ。お前が俺の遠縁だと話をすれば同心や与力は手が出せまい。役職を利用するようで心苦しいが……」


「そんなもの、時と場合によりけり、物は考えようだ。使えるものは使わねばならぬ」


 若干の躊躇いをみせる修一郎をピシャリと制し、桐野は腕組みしながら朱王へ視線を向ける。


「朱王、お前やお前の妹を悪いようにはしない。それに、たかだか女の下らん嫉妬でお前たちが犠牲になる必要はなにもないのだ」


 桐野の言葉に修一郎も深く頷く。二人を交互に見詰めながら、朱王は唇を結び小さく一度だけ首を縦に振る。彼の反応を確かめた後、桐野は修一郎に軽く目配せをして、その場から立ち上がった。











 奉行所で秘密裏な話し合いが続いている頃、海華は、町外れにある廃寺の土間に転がされていた。鳩尾を一発、意識を飛ばしたままの彼女は荒縄で縛り上げられたまま、まるでごみのように土間へ放り投げられたのだ。


 固い地面にぶち当たる衝撃で意識を回復したものの、今、自分がどんな状況に置かれているのか全くわからない。冷たく埃臭い土間の向こう、荒れ果てた室内では海華を襲った破落戸が集まり酒盛りの真っ最中、下手に騒いで危害を加えられては堪らないとでも思ったのだろう、気絶したふりを決め込んでいた海華、その視界に下駄を履いた白い足が突如現れ、土の粒子を宙へ舞い上げた。


「いつまで寝てる気?」


 頭上から降る刺々しい声色、耳の辺りを下駄の歯で踏まれ、思わず顔をしかめて目を開けると、自分を見下ろすお里の不敵な笑みが見える。


「やっぱり起きてたね?」


「よくもやってくれたわね! お稲さん……お稲さんはどうしたの!?」


 泥で汚れた顔を上げ、鋭い眼差しでこちらを睨む海華に、お里は冷たい眼差しを注いだ。


「お稲かい? いるよ、せっかくだから会わせてあげるよ。ちょいと! このひとをお稲の所まで運んでやりな!」


 細い腕を帯の辺りで組んだお里は、室内で酒をがぶ飲みする破落戸どもに向かって大声を張り上げる。埃だらけの床板にむしろを投げ並べただけの小汚い室内にいた一人の男、相撲取りかと思われるほどに体格の良い大男がノソリと立ち上がり、土間に下りると海華の襟首を掴み上げ、そのまま軽々と肩に担いだ。


 男の肩が腹の辺りに食い込む苦しさに、海華の顔が歪む。そんな事はお構いなしに、男は海華を担いだまま室内に上がり、そのまま部屋の奥へと歩みを進める。粗末な酒宴を繰り広げる男たちの背後、煤けひび割れた土壁の前に、力なく倒れ伏すお稲の姿があった。


 『お稲さん!』男に担がれ、逆さまになる世界の中で海華は倒れている女の名前を呼ぼうとする。しかし、開かれた彼女の口からお稲の名前が出ることはなかった。海華の目は、お稲の細い首に巻かれた荒縄に釘付けとなっていたからだ。自身を緊縛するものと同じ荒縄、華奢な首には痛々しい紫色の痣がグルリと浮かび、所々皮膚が破れて血が滲んでいる。土埃に汚れた乱れ髪は、滲み出た血潮で固まり首筋に張り付いていた。


 張り裂けんばかりに両目を見開き唇を戦慄かせる海華、そんな彼女を男はいささか乱暴にお稲の隣に放り出した。


「お、稲さんッッ!! お稲……ヒィィッ!」


 傷みに顔を歪め、拘束された不自由な体勢ながらも海華は身を捩りお稲の顔を確かめる。その瞬間上がった悲鳴、怯え引き攣る海華の顔は、光を失ったお稲の瞳に映り込む。愛らしいつぶらな瞳を一杯に見開き、口からは大きく膨れた舌がベロリと垂れている。すでに息絶えてしまったお稲を前に、後ろ手に縛られた海華の手が筋が浮くほどに握り締められた。


「どう、して……!? どうして殺したのッッ!? お稲さんは、アンタの妹でしょッ!?」


「そうだよ、この子はアタシの妹さ。だから……だから余計に憎らしかったんだ!」


 突然声を荒らげて、お里は渾身の力でお稲の亡骸を蹴り飛ばす。彼女の叫びを聞き付け集まってきた破落戸どもは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてお里を眺めていた。


「ちょいと愛想がいいだけで、みんなお稲、お稲とチヤホヤしやがって! このアタシを差し置いて大奥に上がるなんて、冗談じゃない! 挙句の果てに、朱王さんに恋文なんざ渡しやがって! ふざけんじゃないよ、人が狙ったモンを横から……あの男もそうだ! お稲だけにはニコニコして、アタシは邪険に……許せない!! このアタシをコケにする奴は、みんな許さないッッ!」


 口から唾をまき散らし、気がふれたかと思われるくらいの剣幕で怒り狂うお里。しかし海華も負けてはいない。

 

「ふざけてんのはアンタの方よ! 自分の思い通りにならないからってガキみたいに喚いて……うちの兄様は、あんたみたいな女が一番嫌いなんだッッ!」


 『お黙りッッ!』そう甲高い叫びを上げたお里の爪先が、海華の腹に食い込む。二度、三度と腹を蹴られ、頭を踏み付けられて、痛みに意識を飛ばしそうになりながら、海華がは全身を震わせて腹の底から絶叫する。


「何が米屋小町だ! アンタは鬼だッッ! 鬼……人殺し――――ッッ!」


 口の端から一筋の血を流し、ひきつけを起こさんばかりに怒号を張り上げる海華の肩口が、太い棍棒で強かに殴られる。骨を砕く痛みに彼女が息を詰めた刹那、今度は顔に一撃を食らって身体は吹き飛び壁にぶち当たる。呻く事もままならず、ただ全身を痙攣させる海華の前には、鬼の形相で棍棒を握り締めるお里の姿があった……。 

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