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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四十一章 窮月の襲撃者
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第四話

 『暇潰し』という名の地獄、目を背けたくなるほど残酷な遊びは極寒の洞窟内に生臭い血の臭いを漂わせる。

妲姫が読んだ手下五、六人にぐるりと囲まれた志狼には、反撃も防御すらも許されなかった。

四方八方から繰り出される意識も吹っ飛びそうな激しい打撃と、骨も砕けんばかりの猛烈な蹴り。

ただ案山子のように立ち尽くし、耐えられず地に倒れれば、再び立ち上がる事を強いられる。


 立てない、または少しでも抵抗の素振りを見せた時は、傍らで海華を羽交い締めにする妲姫が、海華の首筋にぎらぎら冷たい光を放つ短刀を容赦なく突き付け、滑らかな肌へ幾筋もの紅い線を刻むのだ。

妲姫にとっては志狼が死のうが海華が死のうがどうでも良い、むしろ、最後は殺してしまうのだから、今の内にいたぶり、楽しんでおこう、そんな魂胆なのだろう。


 頭陀ずだ袋の如くぼろぼろになり、青痣と鮮血にまみれていく志狼を前に、妲姫へ向かい『もう止めて』と涙ながらに懇願するしか出来ない。

だが、そんな彼女の首もとも、流れ出た血でどす黒く汚れていた。


 「伊賀と甲賀の混ざり者って聞いてたから、どれ程の腕かと思ってたけど、なるほどね、なかなか打たれ強いじゃないか」


 並の人間ならば、とうの昔に気絶しているか悶死するほど激しい暴行を受けてなお、怒りの炎が消えることのない志狼の双眼。

痛々しく腫れるその顔を覗き込み妲姫は感心したように呟く。

ふらふらと、まるで亡霊のように、なんとかその場へ立つ志狼は、血に濡れた唇を小さく戦慄かせた。


 「み、は……海華、には……手を、出すな……海華……に」


 「なんだいさっきから、海華、海華ってさ。 もっと泣き叫んでおくれよ。『助けてくれ』って地べた這いずってさ、じゃないと面白くないじゃあないか」


 不貞腐れた幼子よろしく頬を膨らませる妲姫の口から飛び出るのは心臓までを凍り付かせるほどの残酷な台詞。

これには、周りを囲む男らも互いに顔を見合わせる。

と、妲姫は何を思ったのか、海華と短刀を傍らにいた男へ押しやり、つかつかと志狼へ近寄った。


 「そのやせ我慢が、どこまで続くか見せてもらうよ」


 にや、と歪んだ紅い唇、そして凶悪な光を宿した瞳……。

妲姫の言葉が終わるか終わらないかの一瞬、志狼の左手が思い切り後ろへ捻り上げられる。

黒髪をたなびかせるその動きは、まさに疾風の如く。

志狼自身にも、何が起こっているのか全くわからないでいた。


 続いて全身を襲う、どん! と重たく脳味噌 震わす響き、そして頭が白くなるほどの激痛に、虚ろだった志狼の瞳が張り裂けんばかりに見開かれる。

妲姫のしなやかな、しかし力強い下肢。

その膝頭が志狼の左手、ちょうど肩関節の部分を腋の下辺りから渾身の力で蹴り上げたのだ。

周囲に響く、ぐぎっ! と固い物が折れるような耳障りな音。


 妙な方向に曲がった左手が、力なく宙に跳ね上げられる。


 松明の炎を震わせ、獣の如き志狼の絶叫が、がらんどうの洞窟内を、固い岩肌を激しく揺らせた。







 ── その頃、北町奉行所では事が大きく動き出そうとしていた。


 『お奉行っ!』そう大声で連呼し、廊下をばたばた駆け抜ける大きな影が障子に映り込む。

がらりと勢いよく開け放たれた障子、その前には背中を丸め廊下に額を擦り付ける都筑の姿があった。


 「なんだ騒々しいっ!」


 「申し訳ありません! お奉行、只今、寺社奉行、轟様と御実弟の春勝様が……」


 息を切らし、紅潮した顔からだらだらと滝の汗を流す都筑は、顔を上げぬまま掠れ声で、そう一気に告げる。

その口から出た意外な人物の名に桐野と朱王は驚きに顔を見合わせた。


 「なに、轟が? ……えぇい! 都筑、お主が要件を聞いておけ。今、俺は手が離せん!」


 「いや、しかしお奉行……」


 「くどいっ! 会えぬと言ったら会え……」

 

 「構わぬぞ、こちらから会いに来たのでな」


 修一郎によく似た低くどこか野太い声が、その場にいる全員の鼓膜を震わせる。

平身低頭したままの都筑の背後から、のそりと姿を現したのは、黒緑色の羽織を纏った大柄な体躯の男、轟 政勝だった。


 「少しは声を抑えたらどうだ、表まで丸聞こえだ」


 「この一大事に、そんな悠長な事を言っていられるか! だいたいお主……何をしにまいった?」


 苛立たしげにそう吐き捨て、ふいと顔を背けながら、修一郎は元いた場所へどかりと胡座をかく。

飽きれたような溜め息を一つ、修一郎の前へ静かに座る轟の太い眉毛が八の字を描く。


 「事の次第は聞いたぞ」


 「そうか……。情けない話しだが……打つ手がない」


 充血した目を瞬かせ、疲れきった表情で頭を抱える修一郎を前に轟は無言のまま、深く腕を組む。


 「火盗の件だな? それなら案ずる必要はない」


 何事もなかったかのように、そう言い退ける轟に、桐野と朱王は思わず身を乗り出す。

だが、修一郎は怪訝そうな面持ちで、わずかに顔を上げただけだった。

 

「案ずる必要はないとは……轟、どういう意味だ?」


 腰を浮かし、真剣な眼差しを投げてくる桐野へ顔を向け、轟はここへ来て初めて、にやりと白い歯を覗かせる。


 「なに、俺が御家老と鷹取めを言いくるめ……いやいや、直談判してだな、惨九郎を牢から出す事をたった今承諾させてきたばかりだ」


 「なんだと! お主があの二人をだと! まことか! 一体どうやって……」


 目を白黒させ、声を裏返し叫ぶ修一郎に、轟は更にニヤリと口角をつり上げてみせる。


 「なに、少々ハッタリをかましたまでだ。 奉行所がみすみす盗賊を逃すのなら、今度は火盗が捕らえて見せればよい、と。それならば火盗の手柄にもなり、幕府の面子も保たれる」


 『石頭共も、一も二もなく賛成したぞ』


 そう呟き、再び桐野、そして呆気にとられた様子の朱王へ振り返り、心配ないと言いたげに一度頷く轟。

その時、都筑の手によって閉められていた障子の向こうから、ぼろ布を引き裂くような、男とも女ともわからぬダミ声の大きな叫びが響き、乾いた空気を激しく震わせた。


 「なんだ、随分と騒々しい」


 小首を傾げつつ立ち上がる桐野が障子を開け放つ。

ひゅう、と鋭い音と共に細かな雪が吹き込み畳に散る。

広い中庭に面した縁側、菰掛けされた松の大木の陰から現れたのは、雪まみれになりジタバタ暴れる襤褸ぼろの塊を片手で引き摺った、一人の若侍だった。


 「おお、春勝ではないか!」


 修一郎の口から、驚きに塗り潰された叫びが放たれる。

端正な顔立ちを寒さでうっすら赤く染め、庭に立つ轟の実弟、春勝は、修一郎らへ深く一礼した。


 「このような場所から失礼致します。兄上、やはり兄上の睨んだ通りでした」


 そう言うなり、襤褸の塊を白雪で覆われた地面へ乱暴に放り投げる。

掠れた悲鳴を張り上げ、地面に転がったのは垢で真っ黒に汚れたつぎはぎだらけの着物を纏う、一人の小さな老人だった。


 「何をなせぇます! オラはただ、道に立っていただけ……」


 雪面に小さく縮こまり、着物と同じ埃にまみれた黒い顔を跳ね上げ抗議する老人を厳しい目付きで睨む春勝。

ただの乞食にしか見えない老人を引き立てたのか、戸惑う朱王を横目に轟はその場から立ち上がり縁側へ向かう。


 「そうか、ただ立っていただけか。この寒いのに、ご苦労な事だな」


 どかりどかりと床板を踏み締め縁側に立つ轟を、老人はぎらぎらと力強い光を放つ眼で見上げる。


 「ところでお前、あんな小道の片隅で何をやっていたのだ?」


 「何を、って……オラは、ただの物乞いで……」


 しどろもどろに答える老人は、ぼろぼろにほつれた着物の端をきつく握り締める。

轟の分厚い唇が軽くつり上がった。


 「ただの物乞いか。物乞いはな道端の、より目立つ場所におるものだ。だいたい、ござの一枚も持たぬ物乞いなど、見たことがないわっ!」


 雷の如き轟の怒号が、辺り一帯に響き渡る。

その刹那、どんっ! と何かを蹴り上げる凄まじい轟音と共に、もうもうと雪煙が立ち上ぼり、その場にいた全員の視界が白に塗り潰される。


 『逃がすなっ! 追えっ!』


 そんな轟の叫びと、床板を踏み抜かんばかりの足音が、限り無く白い世界に響き渡った……。








 「どうだ、奴は何か吐いたか?」


 ほつれ髪を脂汗で首筋に貼り付かせ、修一郎が低く問う。

一礼したままで『ねぐらの場所を吐きました』と告げた高橋は目の下にうっすら隈を浮かべ、ひくひくと顔を引き攣らせた。

天空に燦々と輝いていた太陽はいつの間にか西の空へ姿を消し、白く朧気に輝く十六夜が、下界の者らを優しく照らす。

暗雲党が指定してきた期日は明日に迫っていた。


 「こんな近くに仲間がいたとは轟、お前よくわかったな」


 感嘆の溜め息を漏らしつつ、修一郎は正面に座する轟を見遣る。

『最初に気付いたのは春勝だ』 そう告げながら、轟は自らの横に座する春勝へ、ちらりと目配せした。


 「あの乞食へ初めに目をつけたのは春勝だ。 日がな一日同じ場所へ立ち続け、まるで奉行所を監視しているようだ、とな」


 「そうか、さすがはお主の弟よ。ねぐらが判明したならこっちのものだ」


 脂汗で汚れた顔をごしごしと手のひらで擦り、修一郎は泣き笑いのような笑みをつくる。


 「ところでお主、惨九郎はどうするつもりだ?」


 そう問い掛ける政勝に、修一郎は太い眉を寄せ、ぐっと上体を傾ける。


 「どうするもこうするもない。最早あいつから聞き出す事などなにもなかろう。牢から出さねばならぬいわれはない」


 『今すぐ首を跳ね飛ばしてやりたいくらいだ』


 忌々しそうに吐き捨て、とうの昔に冷めてしまった茶を飲み干す修一郎へ、轟は無言のままに小さく頷く。

一瞬の静寂が訪れる室内。

と、轟の背後に気配を殺し座していた朱王が、ゆらりとその長身を揺らした。


 「どうした朱王? 気分でも悪いか?」


 「いえ……平気です」


 心配そうな声色の修一郎、慌てて体勢を立て直し、軽く会釈する朱王を振り向き様に見た轟は眉間に深い皺を刻み青白い朱王の顔を見詰める。


 「お前、随分と顔色が悪いな。医者を呼ぶか?」


 「いいえ、本当に大丈夫です。── 申し訳ありません、少し外の空気を……」


 ふらつきながら腰を上げ、部屋を出ていく朱王の背中を、修一郎と轟、そして高橋が案じるような眼差しで見詰めている。

障子を閉めた瞬間、痛いくらいの冷気と網膜に焼き付く橙色の夕陽が朱王を包む。

胸の奥から弱々しく吐き出した息は、白く煙って空に消えた。


 寝不足と疲労に浸食された頭が、締め付けられるような鈍痛を生む。

軽い目眩を感じつつ、縁側の端に腰掛けた朱王の目尻から、つぅ、と透明な物が一筋流れた。

煩わしい頭痛のせいではない。

ひりひりと肌に、目にしみる冷気のせいでもない。

修一郎や桐野、そして轟から離れた途端、張り詰めに張り詰めていた気持ちの糸が、ぷっつりと切れたのだ。


 今まで必死に堪えていたものが流れる涙と化して次々と頬をつたう。

賊に囚われた海華の事を思うと、胸が張り裂けそうだった。


 今までないほどの狼狽ぶりを見せる修一郎と桐野。

あの志狼までが捕らえられるほど賊は腕がたつ相手なのだ。

無事でいるのか、怪我はしていないだろうか、もしかすると、二人の命は既に失われているかもしれない……。


 最悪な考えがぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け巡り、もうどうにかなってしまいそうだ。

早く、一刻も早く助け出して欲しい。

そう叫びたい気持ちを、歯を食い縛り耐え、頬を濡らす涙を乱暴に拭う朱王。

その膝先に一片ひとひら舞い降りた白雪は、音もなく消えていった。

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