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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四十一章 窮月の襲撃者
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第三話

 「なぜ惨九郎を出せぬ! 修一郎、いや……お奉行っ! 頼む答えてくれ!」


 いつになく取り乱した様子で修一郎に詰め寄る桐野。

ひどく苦し気に顔を歪ませ、修一郎はゆっくりと桐野、そしてその背後に座する朱王を見詰める。


 「火盗が……鷹取たかとりの奴めが、せっかく捕らえた盗賊をみすみす逃すなど考えられんと申した のだ。……御家老も、その意見は最もだと」


 「人質が二人もおるのだぞ! 人の命が懸かっておるのだぞ! それでもならぬと申すのかっ! 火盗も火盗なら、御家老も、どうかしておるわっ!」


 ばんっ! と力一杯畳を殴り付けそう吐き捨てる桐野を見遣り、修一郎は再びがくりと頭を垂れる。


 「すまぬ……。だが、俺とてそう簡単には引き下がりはせなんだ。 最後まで食い下がったのだが……結局は、惨九郎を逃しなどすれば奉行所、ひいては幕府全体の権威が失墜すると」


 「誰もお主の力不足だと思うてはおらん。 ── 何が奉行所だ、何が幕府の権威だっ!」


 沸き上がる怒りを必死に耐えるよう、畳へギリギリ爪を立てる桐野の後ろ姿、そして絶望に声も出せぬ修一郎の姿を交互に見詰める朱王。

その手中には短刀と共に放り込まれた綿入れが、しっかり握られている。


 もどかしかった。

とにかく、何も出来ない自分が情けなく、もどかしかった。

桐野の言い分は最もだ、しかし修一郎の気持ちも痛いほどにわかる。

ここにいる三人は、皆、大切な家族を人質とされた。


 修一郎とて一刻も早く惨九郎を解き放ちたいのだろう。

しかし、『北町奉行』の肩書きが安易にそれを許さないのだ。

話しを 聞けば惨九郎率いる『暗雲党』、上方では犯す殺すの目を覆いたくなるほどの畜生仕事を数えきれぬほど起こし、この江戸でも既に三軒の商科が毒牙に掛けられているらしい。


 そんな大悪党を、火付盗賊改方より先に捕らえた奉行所の同心らの気持ちを思えばこそ、軽々しく牢から出せとも口に出来ぬのだろう。

だが、このままでは志狼と海華は間違いなく殺される。

海華は組紐を持ってはいないし、志狼が唯一携帯していた武器はここにある。

素手でどうにかなる相手で無いことは、誰の目にも明らかだった。


 「── こうなれば、御家老の許可など得ている暇はない……っ!」


 切羽詰まった声色で呟いた刹那修一郎は跳ね上がるように、勢いよくその場から立ち上がる。

部屋を出ていこうと障子に手を掛ける彼を、桐野と朱王が慌てて止めた。


 「お主、何をするつもりだ!」


 「俺直々にあ奴を牢から出す! 全ての責めは俺が受ける!」

  

 「そんな! 修一郎様、今一度お考え直し下さい!」


 修一郎の身体を前後から挟むよう、その場に押し留める朱王と桐野、『離せ』『止めろ』の押し問答が延々と続く。

それを断ち切った者、それは朱王でも桐野でもなく、廊下を掛ける凄まじい音を立てて部屋の前へ飛んできた都筑と高橋だった。






  寒風が鋭い刃と化して肌を切り刻む。

風の当たりにくい岩肌の僅かな窪みに身を寄せ合い、温もりを分ける二人の身体はおこりにかかったように、がたがたと激しく震えていた。

綿入れを奪われ、身を覆う物は襦袢と冬物の着物一枚程度。

周りを岩で囲まれたこの場所で、何も着ていないに等しい格好の二人の唇は青く、わずかにのぞく手や足先は、すっかり血の気が失せている。


 ここへ囚われてからどのくらいの時が過ぎただろう。

日の光りも射さない、外の風景も見えないこの場所では、到底わかるはずはなかった。


 「海華……悪かった。俺のせいで、こんな事に巻き込んじまって……」


 絞り出すような、それでいて弱々しい声色で志狼が呻く。

いつもの志狼らしくない、膝を抱えて項垂れ、哀しげな光を孕んだ瞳は、じっと己の膝先を見詰めていた。


 「志狼さんが悪いんじゃないわみんな、あいつらが悪いのよ。それに……一緒に行くって言ったのは、あたしだから」


 寒さに引き攣る顔に無理矢理な笑みを作らせ志狼にぴたりとくっつく海華は、白く変わる両手にハァ、と息を吹き掛ける。

だが、その台詞に志狼が顔を上げる事はなかった。


 全ては自分のせいだ。

自分が海華の傍にいたから……。こんな大事おおごとに海華を捲き込んでしまった。

母の身内に、そして父の身内に命を狙われ『恥』と蔑まれる。

自分は一体なんなのだろう、何のために生きているのか、いや、生きてきたのか……。

今まで頭の隅に追いやり、必死で考えないように努めていた疑問が黒い波となり襲い掛かる。


 鼓膜に響く、ひゅうひゅうと嘲笑うような空っ風の音。

もう嫌だ、なにもかも、もう嫌になった……。

抱えた膝に顔を埋め、乾いた唇を血が出るほど噛み締めて、志狼は丸めた背中を小刻みに震わせる。


 自分の身はどうなっても構わない、ただ、海華だけは絶対に死なせる訳には行かなかった。


 「お前だけは、必ず……必ず、無事にここから出してやる。約束するから……」


 「あたし一人だけなんて嫌よ。志狼さんも一緒に帰るの。絶対あたしと一緒に帰るんだから……!」


 海華も声を詰まらせ、志狼の腕に力一杯すがり付く。

冷たい指先が痛いくらいに食い込み、思わず顔を上げた志狼の目に飛び込んできたのは、大きな瞳に溢れんばかりの涙を溜めた海華の姿だった。


「絶対、生きてここから出るのよ、自暴自棄になんかならないで志狼さんは『恥』なんかじゃないわ。桐野様にも、……あたしにとっても、志狼さんは大事な人なのよ?」


 ぽろぽろと涙をこぼし、嗚咽を漏らしながらこぼれた台詞。

胸が締め付けられるような、息が出来なくなるような……。

形容し難い気持ちに襲われる志狼の腕は、無意識のうちに寄り添う細い身体を強く、強く抱き寄せる。


 「お取り込み中の所を悪いねぇ」


 粘り気を含ませた声色が唐突に頭上から降った途端、二人は慌てて互いの身を離し、声のした方向へ顔を跳ね上げる。

竹格子に身を凭れさせ、にやにやと嫌な笑みを浮かべる妲姫は、首もとを包むように巻いた襟巻きを風にたなびかせ、その影は巨人のように大きく凸凹の岩壁に映し出された。


 「邪魔してごめんよ、お二人さん。ちょいと聞き忘れた事があってねぇ」


 二人を見下ろし、にんまりと白い歯を覗かせる妲姫へ、海華を背で庇う志狼は鋭い眼差しを投げ付ける。


 「伊賀の奴らから聞いていたんだがね、あんた、葛ノ葉の時期頭領候補なんだって? その証の……合わせ絵だ。九尾の狐の合わせ絵を持ってるんだろ? それを渡してもらおうじゃないか」


 思いもよらぬ妲姫の言葉に、志狼は口も返せぬまま目を瞬かせる。

無意識だろう、その手は合わせ絵が入る守り袋が治められた胸元、着物の合わせ目の上へ向けられていた。


 「そんな物……どうする気だ」


 「なに、せっかくだから、もう一稼ぎさせてもらおうと思ってね。甲賀の奴らなら、喉から手が出るほど欲しい物なんじゃないかい? あんたの首を手土産に、高く売り付けてやるんだよ」


 『早く出しな』そう言いたげな眼差しでその場にしゃがむ妲姫を思い切り顔をしかめて睨み付け、志狼は『ふん』と鼻で笑う。


 「どこまでもがめつい野郎だな。生憎だが、合わせ絵は持ち合わせてねぇ。てめぇに渡す気も、さらさらねぇよ」


 「そうかい……でもね、すぐ気が変わるよ?」


 甘ったるさを含んだ妲姫の声は低く、そして眼差しが冷たい物へと豹変する。

赤く妖艶な唇から、ひゅっ! と高い笛の音が迸ったと同時、物陰から黒づくめの、体格からして男だろう二人が、暗闇から浮かび上がるように姿を現した。


 「あのをこっちに連れてきな」


 抑揚の無い声が、うるさいくらいに反響する。

饒舌な妲姫とは正反対、一切言葉を発しない二人が竹格子の戸を叩き開け、足音も荒く中へ押し入ったかと思うと、冷たい地べたに座り込む志狼の横っ面に力一杯回し蹴りを叩き込んだ。

尋常ではない寒さにより、体力気力共に弱りきっていたのだろう志狼は反撃する事も、防御の構えをとる暇もなかったのだ。


 がつっ! と肉のぶつかる鈍い響き、迸る海華の悲鳴、蹴り飛ばされた体は岩壁にぶち当たり、脳天を貫く激痛が志狼の身体を雷のように貫いた。

白と黒に明滅し、ぐらぐらと揺れる視界。

唇が切れたのか、口内に広がる苦い味に、胸の奥が熱くなる。


 「志狼さんっ! 志狼さ……いや! 離してっ! 離してっっ!」


 激しく泣きじゃくり、地面を這う海華の胸ぐらを一人の男が鷲掴み、格子の外へ引き摺り出す。

よたつきながら立ち上がり、海華へ必死に手を伸ばす志狼、しかしその手は、もう一人の男によって乱暴に踏みつけられ、その脇腹に強烈な蹴りが一発、内臓を抉るようにめり込んでいった。


 海老の如く丸まり激しく咳き込む志狼。

黒装束の男が、とどめとばかりに腰や頭を数度踏みつけるのを、妲姫に羽交い締めにされた海華は、ただただ悲鳴を上げながら見ているしか出来なかった。


 「やめて……! お願いだからやめてっ! 早く……早く止めさせてっ!」


 「いいよ、でも、合わせ絵をもらってからだ。どうだい、渡す気になったかい?」


 ぽろぽろ涙をこぼす海華の後ろから顔を覗かせ、妲姫は小首を傾げて見せる。

口元から一筋鮮血を流し、顔にもうっすら血をにじませた志狼は、それでも歯を食い縛り妲姫を射るような目付きで睨み付けた。


 「うる、せぇ、っ! み、はな……離せ、畜 生、っ!」


 地面を這いずり、固い岩に爪を立てる志狼を呆れた眼差しで見下ろし、はぁ、と掠れた溜め息をつく妲姫は、何を思ったのか、背後から覆い被さるように拘束していた海華の胸ぐらを思い切り鷲掴む。


 「仕方無いねぇ、なら、この子に痛い目にあってもらうしかないか」


 そうこぼした刹那、海華の頬がパンッ! と乾いた音を立てて思い切り張り飛ばされる。

悲鳴すら上げられず、衝撃に瞳をくらくら揺らす海華を岩壁に力ずくで押し付ける妲姫の手が、乱れた胸元、着物の合わせ目を引き裂くように割り開いた。


 「綺麗な肌をしてるねぇ、どうだい、このまま嬲り倒してあげようか? 」


 着物の合わせ目からのぞく紅い襦袢、その間から手を差し入れ、きつく乳房を握られる。

全身をがたがた震わせ唇を噛み締める海華の涙に溺れた瞳が、倒れ伏す志狼を映し出した。

その刹那、身体の痛みも何かもを忘れて志狼は声にならない叫びを上げ、竹格子へ飛び掛かっていた。


 「やめろっ! そいつには手を出すなっ! 絵は……合わせ絵ならくれてやるっ! だから海華を離せっ!」


 「最初からそう言えばよかったんだよ。── さっさと絵を出しな」


 海華を押さえ付けたまま、妲姫はジロリと志狼を睨む。

志狼は、震える手で胸元をまさぐり、肌身離さず身に付けていた守り袋を首から外し、それを竹格子の向こうへ投げ付けた。


 妲姫の側にいた黒装束の男がそれを拾い上げ、乱暴に中をまさぐると、漆塗りに金で口から炎を吐く狐の絵が描かれた小さな札をつまみ出す。

それを渡された妲姫は、切れ長の目をスッと細めた。


 「そうかい、これが合わせ絵の一枚か。ありがたく頂くよ。……さてと、このはどうしようか」


 にやにやと淫靡な笑みを見せ、海華の首筋を指先でくすぐるように撫で上げながら白い歯を覗かせる。


 「ここにいたって、暇なだけだろう? 少しは遊んできたらいいさ。男ならたくさんいるからねぇ、じっくり可愛いがってもらえるよ?」


 胸元をまさぐっていた妲姫の手が下に滑り、するすると尻から太股を撫でていく。


 「や、だっ! いや! 離して! 何すんのよッッ!」


 「ふざけるなっ! 海華を離せ……早く離せっ! 妙な真似しやがったら、ただじゃおかねぇぞっ! 」


 がたがたと格子を揺らす音が洞窟内へ煩いくらいに響き渡る。

志狼の叫びに、妲姫の唇が三日月形に歪んだ。


 「ただじゃおかない、か。面白いね、なら志狼さん、あんたと暇潰しさせてもらおうか。 こっちにおいで」


 いかにも楽しげな声色で告げ、手招きを繰り返す妲姫。

その胸元で、海華はきつくきつく唇を噛み締めたまま、玉の涙をこぼしていた。

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