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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四十章 猫と秋刀魚と誰かの手首
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第五話

 「大体がお安、そなた今、忠吉とはただの幼馴染みと申したが、普通、ただの幼馴染みは連れ込み茶屋なんぞの暖簾は潜るまい」


 唐突に、しかも話しの確信部分を突く質問に、お安の顔がみるみる青ざめ、忠吉はまるで幽霊か化け物でも見たような面持ちで桐野を凝視する。


 「それは、その……お侍様、こうなったら全て正直に申し上げます。確かに私と忠吉さんは、そういう仲でございました。不義密通と罵られても、その言葉は甘んじてお受け致します」


 どこか悔しそうに、そして不安をほんの少しだけ混じらせた声色のお安は、膝の上に揃えた手を神経質に何度も蠢かす。


 「死人に鞭打つつもりはありませんが……私の主人は、酔うとすぐ手をあげる人でした。忠吉さんの奥様も、お店ではにこにこ愛想が良いけれど、一度癇癪を起こすと手がつけられません。お互いに連れ合いの事を色々相談しているうちに……」


 「男と女の仲になったという訳かまぁ……有りがちな話しだな」


 溜め息交じりにそうこぼす都筑。

それに反発するよう膨れっ面を作り、ふい、と顔を背けてしまうお安。


 「そりゃ、あたしだって亭主や女将さんには申し訳ないと思ってますよ。でも、あの二人が殺されるなんて思いもしませんでした。でもお侍様、私達は、なんの関係もございませんし、 何も知らないんです」


 本性が顔を覗かせたのか、はすっぱな口調に変わるお安に桐野の表情も次第に険しいものへ変化していく。


 「── そうか、関係ないか。ならば骸が見付かる前、そなたはどこにいた?」


 「だから、何度も申したじゃありませんか、 私は実家に……」


 「亭主の骸でない。女将の骸が見付かる前だ」


 「え、っ……?」


 お安のふてぶてしい表情が一瞬で凍り付く。


 「聞こえぬのか? 髪結い所の女将が骸で見付かる前だ。まだひと月も経っておらぬ、忘れたとは言わせぬぞ」


 有無を言わせぬ桐野の物言いにお安は顔を青くしたまま唇を強く噛み締め、忠吉はわなわなとその身を震わせた。


 「なぜ答えぬ? そなた先ほど全て正直に話すと申したな? 何か答えられぬ訳でもあるのか? そなたが答えぬなら、都筑、お主が代わりに答えてやれ」


 じろり、と目だけで横に立つ都筑を見遣る桐 野。 既に二人の足取りは都筑、高橋によって調べ上 げられていたのだろう。


 「承知致しました。お安、お主髪結い所の女将が骸で見付かる四日ほど前の夜、井戸で何かを洗っていたそうだな? 同じ長屋に住む者が見ていたそうだ。あまりに熱心な様子だったので、声をかけそびれた、とな」


 「ちなみに忠吉、お前はお安の亭主が殺された日の前日、昔の知り合いに会うと言って、一晩家を留守にしたそうだな? その知り合いと言うのは……どこの誰なのだ?」


 土間へ仁王立ちとなったまま、縮み上がる二人を見下ろす都筑と高橋。

にや、と都筑の厚い唇がつり上がった時だった。

朱王が背にする戸口がトントンと軽く叩かれ、にゃおう、と微かな鳴き声が朱王の鼓膜を小さく震わせた。


 「遅くなって、申し訳ありません」


 からからと乾いた音を立てて開かれた戸口の向こうには、些か冷たい秋の風を引き連れ、その腕に丸々太った黒い物体を抱えた海華の姿があった。


 「なに、よいのだ。それより手間を掛けさせてすまぬな」


 今までとはうってかわり、にこやかな笑みを見せる桐野が土間へ海華を招き入れる。

その胸で蠢く、柔らかな光沢を放つ塊を見た途端、忠吉の口から『あっ』と小さな叫びがこぼれ落ちた。


 皆が初めて聞く忠吉の声に、全員の目が彼に向けられる。


 「それは、タマ……ですか?」


 「ああそうだ。お前の女房が可愛いがっていた猫だ。この者らは女将亡き後、タマの面倒をみておってな。そこにおるのが、兄だ」


 唐突に自分を紹介される形となり、多少狼狽えながらも朱王は軽く会釈する。

 

 「そんなもの、ここへ連れてきて何をしようってんです?」


 怪訝な面持ちで朱王と海華へ交互に視線を投げるお安。

そんな彼女へクロ改めタマは、真っ赤な口を張り裂けんばかりに開き、全身の毛を一杯に逆立て、しゃ──っ! と甲高い威嚇の声を上げる。


 「あら珍しい、この仔、女の人にはべったりなつくのに。ああ、でも仕方無いわよね。自分の目の前で、大事な飼い主殺したひとなんですものね」


 「なんだってっ!? ちょいとあんた、随分な物言いじゃないのさ! あたしが殺したって、証拠でもあるのかい!」


 沸き上がる怒りに顔を歪め、今にも海華に飛び掛からんばかりの勢いで腰を浮かせるお安。

無意識に身構える周りの男達を他所に、海華はタマの喉元をくすぐりつつ涼しい顔で笑う。


 「だから、その証拠をここに連れてきたんじゃないの。さぁタマ、さっきみたいにこの人らに教えてあげて? 女将さんを殴り殺したのは、そこにいるひとで間違いないのよね?」


 緑色の目を爛々と光らせるタマは、紅色の口から白銀の牙をちらりと覗かせる。


 『── 如何にも』


 嗄れた、まるで老婆の如く低い声が、狭い室内に木霊す。

一瞬で、その場の空気が凍り付いた。


 『我が主を惨殺したのは、間違いなくこの女じゃ……。我が前で、我が前で……主を滅多打ちに打ち据えたのは、この女じゃ……』


 長い髭が揺れる頬、濡れた鼻先をぺろりと舐め、タマは口元を歪ませる。


 『見ていたぞ、我は全て見ていたぞ。そこの腰抜け青瓢箪が、男の腹をずぶり、ずぶりと出刃包丁で……』


 『うわぁぁぁぁっ!』と、空気を激しく震わせる大絶叫を迸らせながら、忠吉はその場に腰を抜かしてへたり込む。

戦慄く口角からは唾液の泡が飛び張り裂けんばかりに見開かれた目は真っ赤に血走っていた。


 『我が主を殺めた仇は、必ず討つ。忠吉、いつかは貴様の喉笛を噛み切り、その眼を我が爪で……!』


 艶やかに黒光りする前足から、鋭い爪がにゅうっと伸びる。

『悪かった!』そう一言叫ぶやいなや、忠吉は両の目から涙をぼろぼろこぼしながら、畳へと突っ伏した。


 「すまねぇっ! 俺が……俺が悪かったっ! 許してくれ吉江……許してくれっ!」


 わぁわぁ泣き喚き、海華へ……いや、海華の抱くタマに向かい土下座を繰り返す忠吉を、お安はポカンと口を半開きに凝視する。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃに汚れた顔を上げ、海華の足元にすがり付かんばかりの勢いで、忠吉が悲鳴じみた叫びを張り上げた。


 「最初に殺ろうって言ったのはお安……こいつなんだっ! こいつが、こいつが吉江と、自分の亭主を交換して殺そうと! 俺はそそのかされただけなんだ!」


 「何を言ってやがるんだっ! あんたが、あんな古女房の姥桜、もう一緒の空気を吸うのも嫌だとぬかしたんじゃあないか!」


 こめかみに青筋を浮かべるお安は怒髪天をつき、鬼の形相で忠吉へ飛び掛かる。

ささくれた古畳の上で取っ組み合い、互いに罪を擦り付け合って罵詈雑言を張り上げる二人を呆れた眼差しで眺める海華の胸で、タマは緑色の目をスゥと細めた。


 「貴様ら……いい加減にせぬかっ!」


 朱王が微かな溜め息をつきつつ長い髪を掻き上げた、その瞬間、大地を砕き空気を震わすような桐野の一喝が、その場にいる全ての者の鼓膜を激しく震わせる。

眉を逆立て、阿修羅の如き面持ちで自分達を睨む桐野の剣幕に、髪を振り乱し乱闘していた忠吉とお安の動きが、ぴたりと止まる。


 「見苦しい事この上無い! 都筑! 高橋! こ奴らをさっさと引き立てろ! 顔を見るのも汚らわしいっ!」


 忌々しげに吐き捨てる桐野、都筑と高橋が慌てて二人を室外へ引き摺り出して行くのを見届けた朱王は、隣に立つ海華と顔を見合わせた。


 「どうやら、上手く脅かしが効いたみたい」


 「やっぱり、お前が仕組んでいたのか。だが、さっきの声はお前じゃないんだろう?」


 「そうよ。あたしでも、勿論タマでもないわ」


 そんな台詞と小さな微笑みを残し、海華はタマを畳へ置くと、戸口をがらりと引き開ける。

『もういいわよ』表へ向かいそう声を掛けながら、長屋の縁の下を覗き込んだ。

やがて、縁の下から這いずるように出てきた、埃や塵、蜘蛛の巣まみれの人物、それは……


 「やれやれ、いつ息が詰まるかとひやひやしたぜ」


 「やっぱりな、志狼さんあんただったか」


 海華から渡された手拭いで真っ白な埃まみれの顔や髪を拭う志狼。

彼こそが、『声の主だった』


 「志狼、御苦労だったな」


 「いえ、お役に立てて何よりです」


 ねぎらいの言葉を掛ける桐野へ一礼し、ふぅ、と小さく息を吐く志狼の右手が、無意識に喉元を擦った。


 「さっきの声、どうやって出していた?」


 「ああ、あれか? こう、喉を強く押さえてな、口も軽く塞いだんだ。本当なら、海華がやればもっと本物らしくなったんだがな」


 「タマ、志狼さんにはなつかないでしょ? だから、今回は志狼さんに代わってもらったの。でも、上手かったわよ」


 あの二人が恐れ戦く姿を思い出したのか、海華はニンマリと口角をつり上げる。

そんな彼女の足元に、柔らかな黒い塊が甘えた鳴き声を響かせ、くねくねと絡み付いていった。





 事件の真相は、朱王が予想していたものと、ほとんど同じだった。


 金目当てで年増女と一緒になった忠吉と、好いてもいない庭師と一緒にさせられたお安。

口煩く財布の紐も固い女房と、気が荒くすぐ手をあげる亭主……それぞれ生活に疲れた幼馴染みの二人が、深い関係となるのに、そう時間はかからなかった。


 「── ところでさ、庭師が女将さんと言い争ってた、ってのは何が原因だった訳?」


 沸騰寸前の出汁に味噌を溶かし入れながら海華は表にいる朱王へ尋ねる。

げほげほと激しく咳き込む音と共に、油の焼ける芳ばしい香りが鼻をくすぐった。


 「お前の亭主がうちの女房をたぶらかした、と怒鳴り込みに行ったらしい。どこで二人の仲を知ったのかはわからんがな。それがあって、二人は互いの連れ合いを殺ろうと決めたようだ。……と、志狼さんが言っていた」


 「ああ、そう言う事なのね。まさか、自分のうちの飼い猫に殺しを見られていたなんて、考えもしなかったでしょうに」


 締めていた襷をするりと外し、海華は味噌汁の鍋を火から外す。

そして、土間に置かれていた空の小桶を手に表へと出る。

そこには、もうもうと白煙を上げる七輪と格闘する、朱王の姿があった。


 じゅうじゅうと小気味良い音を立て、七輪の上で油を飛ばすのは二匹の秋刀魚、先ほど海華が魚売りから買い求めた物である。

いつぞや食い損ねた分を取り戻す、と息巻いて買った大振りの秋刀魚。

またも焼き番を言い遣った朱王は涙目になりながら、団扇を振るっている。


 「なぁ、お前……あの猫が本当に殺しの現場を見たと思っているのか?」


 「うん、思ってる。そうでなけりゃ、あんなに早く骸は見つからなかったし……それに、タマが手首を運んでくるはずないもの」


 立ち上る白煙に少しばかり顔をしかめ、戸口に凭れ掛かる海華。

そんな彼女を見上げつつ、朱王はこんがりと色よく焼けた秋刀魚を菜箸を使い、皿へ移した。


 「どうして、うちに手首なんぞを運んできたか、お前にわかるのか?」


 「なんとなくなら。きっと、女将さんを早く見付けて欲しかったのよ。大切なご主人なんだもの。手首を持ってきたのは……タマにとって、自分を撫でて可愛がってくれる、大切な部分だったから、じゃないかしら」


 朱王から秋刀魚を乗せた皿を受け取り、それを上がり框へ置いた海華はどことなく寂しげな笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらを振り返った。


 「大切な部分、だったか……。そう言えばあの馬鹿猫、これからどうするんだろうな」


 あちこちに油の跳ねた白い手を擦りつつ、朱王がぽつりと呟く。


 「お店の人達が面倒見てくれるみたいよ。何だかんだ言って、兄様もタマの事が心配なんじゃない」


 「馬鹿、これから先、うちに居着かれちゃ迷惑だからだ。…… あいつの事なんざどうでもいいから、早く飯にしてくれ」


 煙にさらされた髪をばさばさ掻き見出し、海華へ背を向ける朱王の目は、西の空に広がる紅玉にも似た夕日を眺める。

もう、あいつは我が物顔で部屋を訪れることはないだろう。

安堵する一方、妙な寂しさ、物足りなさを感じるのは確かだった。


 「もうご飯は炊けているから、もう少し待っててね」


 小桶を片手に井戸端へ走る海華を目だけて追い、軽く溜め息をつく朱王、と、その後ろから顔を出したこの長屋の長老、おさきが何を目撃したのだろう、皺だらけの口をパクつかせる。


 「ちょいと! ちょいと朱王さん! 部屋ん中に猫! 猫だよぅ!」


 「え? あ……っ!」


 おさきの叫びに慌てて後ろを振り返り、開けっ放した自室へ目をやった朱王。

その瞳に映し出されたもの、それは上がり框にある秋刀魚の置かれた皿に顔を突っ込んでいる一匹の大きな黒猫の姿だった。


 「貴様……っ! 何をやっているんだ ──っ!」


 夕焼け空の下に広がる怒号。

驚いたように振り返る海華や長屋の住人達、そして顔中油まみれにして緑色の目を見開くタマ……。

哀れ、皿の秋刀魚は二匹共に食い散らされ、漆黒の疾風と化したタマが朱王の足元を矢のように駆け抜ける。


 「タマ! ちょっと兄様! またやられたの?」


 悲鳴じみた声を張り上げ、立ち上がる海華に返事もせず、眥をつり上げた朱王が長屋門まで脱兎の如くに走る。

そこには、悠々と顔を洗うタマがいた。


 「一度ならず二度までもっ! 降りてこい馬鹿猫っ! 頭の一つもかち割って、生皮剥ぎ取ってやるっ!」


 『秋刀魚泥棒』『ろくでなし』等々、ありとあらゆる罵声を浴びせかける朱王を、タマは面白そうに長屋門の上から眺める。

井戸端から上がる小さな笑いに恥ずかしさで顔を赤くした海華が朱王を止めに入るまで、長屋一帯に罵声が響く。


 人騒がせな、そしてどこか憎めない魚泥棒は、緑の瞳を瞬かせ大きな大きな伸びをした。









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