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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四十章 猫と秋刀魚と誰かの手首
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第四話

 足音を忍ばせ、寄り添うように歩く男女の二人連れが身を隠す三人の前を通り過ぎる。

男、志狼の話からして髪結い床の主は濃茶色をした着流しに身を包み、細面にぽちりと付いた小さな目をしきりに動かしながら、おどおどと辺りを窺っていた。


 海華より頭一つ大きいくらいだろう若い女は、その細い身体をぴたりと男に寄り添わせ、始終下を向いたまま。

ひょろひょろと頼りない青瓢箪に、粗末な身なりの矢鱈と陰鬱な雰囲気を醸し出す女の二人連れ。


 あっという間に場の雰囲気が暗く変わるのをひしひし感じながら、大木の裏に隠れていた志狼と朱王は一度二人から目を離す。

今、ここにいるのは自分達と件の男女のはずだ。

しかし朱王は姿が見えない何者かの気配を感じていた。

それは志狼も一緒らしく、息を詰めたまま鋭い視線で辺りを窺っている。


 そんな朱王の瞳が、男女が来た方向、自分達と同じく木の後ろに身を潜める人影を映し出した。


 「あれは……高橋様じゃないか?」


 「なに、高橋様? ── ああ、本当だ。ありゃ高橋様だ。間違いねぇ」


 朱王と同じ方向を向き、確信めいた呟きをこぼしつつ頷く志狼。

彼らの視界に映る黒い羽織 に細身の侍は、間違いなく高橋だった。


「…… 高橋様、あの二人をつけているのか?」


 「だろうな。── でもよ、あんな尾行でよく気付かれなかったよな」


 尾行、と言うより木の陰から男女の逢い引きを盗み見る野次馬、と言うのがぴったりだろう、やけにそわそわと落ち着きなく顔を覗かせる高橋を見て、志狼はにやりと八重歯を見せる。

その間に、二人連れは近くにある一軒の連れ込み茶屋へ消えて行き、それを確認したのだろう高橋が彼方から駆けよってきた。

それと同時、笹藪から跳ねるように飛び出した海華の姿に、高橋の口から『ひぃっ!』となんとも情けない悲鳴が迸る。


 「やだわ高橋様、まるでお化けに遭ったみたい」


 「み、みは、海華、殿……どうしてここ、に?」


 一歩、二歩と後退り、高橋は頬を引き攣らせる。

そんな彼の後ろでは、朱王と志狼が木の陰から笹藪を掻き分け姿を現した。


 「あっ!? 朱王殿! それに志狼まで! なぜ こんな場所で……」


 「それが全くの偶然で……高橋様は、あの二人連れを追って?」


 どこか気まずげに頬を掻き、朱王が尋ねる。

ちらちらと連れ込み茶屋の揺れる暖簾に視線をやりながら、高橋は静かに唇を動かした。


 「そうだ。表通りから、ずっとな。男の方はお前達も知っているだろう? 」


 「髪結い床の主でしょう? それで……女の方は?」


 志狼の問いに高橋の表情がみるみるうちに雲っていく。


 『先日殺された庭師の女房だ』


 彼の口から飛び出した答えは、一瞬でその場を凍り付かせるに充分たるものだった。






 「あの女が、庭師の女房……ですか」


 驚きに言葉を詰まらせ朱王が呟く。


 「俺があの二人を見たのは、まだ庭師が殺される前だったからな。昨日今日の仲じゃねぇぜ」


 片眉を器用につり上げつつ、そうこぼす志狼。

やたらと冷静な男二人を他所に、海華は表情を固まらせ絶句したままだ。


 「まさかあの二人がこのような仲とは思わなかったが……桐野様の読みが当たったようだ。 俺はこれから奉行所へ報告に向かわねばならん。── わかっているとは思うが……」


 「決して余計な真似は致しません」


 「海華の事もご心配なく。朱王さんと私が、しっかり見張っていますので」


 打てば響く朱王と志狼。

ただ一人、海華だけは膨れっ面で、プイとそっぽを向いてしまう。

そんな三人に苦笑いしながら、高橋は足早にその場を後にした。


 「── ねぇ、あの二人絶対怪しいわよ」


 道端に転がる小石を蹴飛ばし、前を行く朱王の背中へそんな台詞を投げ付けた海華。

『それくらい俺でもわかる』と些か冷たい返事が朱王から返り、またもや河豚よろしく頬を膨らませ隣を歩く志狼を見る。


 「あのまま放っておいてよかったのかしら?」


 「無理矢理引き摺り出す訳にゃいかねぇだろ? それに、あいつらを見張るのは高橋様や都筑様方の仕事だ。余計な真似はするなと言われたろ」


 ぽりぽりと頬を掻き、横目で海華を見遣る志狼。

風呂敷包みを抱えたまま、海華は深々と落胆の溜め息をつく。


 「なによ二人して、目の前に下手人がいるかもしれない、ってのにさ。あの男、若い女に気がいって、邪魔な女房殺したのよ。そうに違いないわ!」


 「馬鹿、根拠のない事を軽々しく言うな」


 「根拠なんて、そんな悠長な事言ってる場合じゃないわよ、兄様ったら、そんな固い考え方しか出来ないんだから!」


 海華が吐き捨てた台詞が勘に触ったのか、朱王はぴたりと歩みを止めるなり後ろを振り返り、突き刺すような厳しい眼差しで海華を睨み付ける。

今にも怒鳴りあいに発展しそうな空気を断ち切ったのは、海華同様荷物を携えた志狼だった。


 「朱王さんも海華も、とにかく落ち着け。こんな所で喧嘩なんざ止めろ! 」


 渋い表情のまま、こちらを見る志狼を前に二人はばつが悪そうに俯き、唇を閉じてしまう。

道の真ん中で立ち尽くす三人の横を、母親に手を引かれた幼い子供が不思議そうな面持ちで通り過ぎて行った。


 「海華、お前の言い分もわかるけどな、朱王さんの言う事も一理あるぜ? 取り敢えず、今は高橋様の報告を待とう。それまで勝手に動くんじゃないぞ」


 『わかったな』そう強く念を押す志狼へ、海華は渋々ながら首を縦に振る。

そんな海華を前に、朱王はどこか複雑な表情を浮かべ、自分に背を向ける志狼の後ろ姿を眺めていた。


 



 「…… で、あの二人の事は何かわかったのか?」


 ざわざわ乾いた音を立て、地面に掘られた穴へ落ちていく枯葉を見詰めながら、朱王は抑揚のない声色で呟く。

庭中から掻き集めた枯葉や枯れ枝を次々と庭へ深く掘られた穴へ投げ込む志狼は、『まぁな』 と短い答えを返した。

赤、黄、茶色と色とりどりの木の葉に彩られた八丁堀、桐野邸。 海華を連れて珍しくここを訪れた朱王を出迎えた志狼は、掃いても掃いてもきりがない落葉の処理に奮闘している最中だ。


 いっそ焚き火で燃やしてしまいたいが、武家屋敷で焚き火はご法度であり、火事と間違えられる、または本当に火事でも起こしたら取り返しのつかぬことになる。

作務衣姿で裏庭の一角を掘り返し、一心不乱に落葉の始末をする志狼を見た海華は、茶の支度をすると言い、台所へと消えたままだ。


 「単刀直入に言えば、あの亭主に女将は殺せねぇ」


 手にした太い木の棒で落葉を払い、志狼が言う。

頭上からはらはら舞う赤い紅葉を目で追う朱王の後ろから、湯気の立つ湯飲みを三つと、菓子皿にかき餅を山のように乗せた海華が姿を現した。


 「女将が行方不明になる前の日からな、あの男、晩に食った刺身が悪かったのか、腹を下して寝込んでたと。その間、表へは一切出掛けていないと使用人達の証言もある」


 「腹を下して、な。まさか仮病じゃ……」


 「それも考えたが、医者坊が呼ばれてんだよ。そいつにも話し聞いたらしいが、病だったのは確かだと。とても女房殴り殺せるような状態じゃなかったらしい」


 持っていた棒を傍らの地面に突き刺し、縁側に腰掛ける志狼の横から海華が湯飲みを差し出した。


 「お疲れ様。これ、頂き物だけど、どうぞ」


 「いつも悪いな。お、こりゃ松田屋のかき餅だ」


 香ばしい匂いを漂わせる狐色の菓子を頬張り、茶を啜る志狼の隣では、同じく海華から湯飲みを受けた朱王が静かに縁側へ腰を下ろす。


 「やっぱり、女将さんを殺したのは庭師なのかしら?」


 四角い菓子を指で摘まみ、そう溜め池混じりに呟く海華。

そんな彼女と同じ表情、眉間の間に深い皺を寄せる志狼は手にした湯飲みを縁側へと置いた。


 「なら、庭師を殺したのは誰になる? 亭主が骸で見付かる前日は、あの女房は実家に帰ってた。夜中に抜け出した気配もねぇんだ」


 『もうお手上げだ』そう言いながら志狼は再び湯飲みを持とうとする。

と、青い空の向こうから音もなく舞い落ちてきた一枚の木の葉が、湯飲みの中にはらりと落ちた。


 「あー……やっちまった」


 一言呟き、水面に浮かぶ葉を摘まみ上げ、再び湯飲みへ口をつけようとした志狼を、海華が苦笑いしながら止める。


 「やだ、汚れが浮かんでるじゃないの。これからお湯を沸かすから、私のと交換しましょ」


 まだ口をつけていない自らの茶を志狼に手渡し、志狼の湯飲みを受け取る海華の姿を何気無く眺めていた朱王、その唇が『それだ』と微かな呟きを紡ぎ出す。


 『それだ!』と、もう一声高らかに叫び、茶がこぼれるほど乱暴に湯飲みを置いた朱王を前に、志狼と海華はぽかんと口を半開きにお互い顔を見合わせた。






 『それだ!』そう叫んだ朱王は海華と志狼を置き去りに、脱兎の如くその場を駆け出す。

何が何やらさっぱりわからぬまま二人は取るものも取り敢えず朱王の後を追い掛けた。

朱王が向かったのは、柳町にある番屋、忠五郎の所である。

直接奉行所へ駆け込んだとて、門前払いを食らわされるだけだとふんだのであろう。


 乾いた秋風と髪に絡まる紅葉を引き連れ、番屋に飛び込んできた朱王を見た忠五郎は、海華や志狼と同じくぽかんと口を半開きにさせ、 ぜぇぜぇはぁはぁと嵐の如く荒い息を吐き、上がり框に崩おれる朱王を目で追っていた。


 「すお、さん一体ぇどうしたんでぇ?」


 持っていた煙管を煙草盆へ置き俯いたまま肩で息をする朱王を覗き込む忠五郎。

その時、再び番屋の扉が力一杯開け放たれたと同時、志狼と海華がつんのめるように中へと転がり込んできた。


 「一体何があったんだ朱王さん!」


 「訳も言わない、呼んでも止まらない、急に飛び出したと思ったら、何やってんのよ、もうっ!」


 息も絶え絶え他な朱王とは対称的に汗一つ流さず、息も切らしていない二人は共に眉を潜めて朱王を見下ろす。

日頃から運動量の違いを如実に現す三人の有り様に、忠五郎は思わず口角をにやりとつり上げた。


 「こりゃまた随分賑やかなこって。で? 朱王さんは俺に何か用事かい?」


 「よう、用事……そう、用事なんです、その……女将を殺したのは、亭主ではない。いや、亭主ではなくてもいいのです」


 いつもは白い頬をほんのり桜色に染め、そう途切れ途切れに言う朱王へ、忠五郎は訳がわからぬと言いたげに小首を傾げて見せる。

それは、土間に立ち尽くす志狼と海華も同じだった。


 「兄様、何を言って……」


 「だから! あの二人は手をかける相手を交換したんだ! 髪結いの亭主が庭師を殺し、庭師の女房が女将を殺した!」


 その途端、『あっ!』と小さな叫びを放ち、志狼はポンと手を一つ打つ。


 「そうか、あの亭主が腹ぁ下してる間に女が女将を、女が実家に帰っている間に亭主が庭師を……互いの仲を知る奴はいねぇ、だから誰にも気付かれねぇんだ」


 納得したように、何度も首を縦に振る志狼。

しかし、忠五郎は怪訝な面持ちで目の前にいる朱王をじろじろ眺める。


 「だがよ、若い女が人一人を滅多打ちに、あれだけ酷く殴り殺せるもんか? あの骸、顔の形もわからねぇ有り様だったんだ。よほどの恨みがなけりゃ、ああは出来ねぇぜ?」


 もっともな疑問を口にする忠五郎に、海華は上がり框、兄の横に腰を下ろすなり、にやりと白い歯を見せた。


 「そうでもないですよ? 後ろから不意討ちで、ガーン! と殴ったのかもしれないし、返り討ちに合うのが怖くて、滅多矢鱈に殴り付けたのかもしれないですしね。まぁ、火事場の馬 鹿力って奴です。もう一度、あの二人を調べてみて下さいよ」


 『女って、いざとなると怖いんですから』


 そう意味深な呟きを漏らし、海華は朱王と志狼へ交互に視線を送った。






 朱王の考えは直ぐ様、忠五郎から桐野へと伝えられる。

まさに八方塞がり、袋小路に陥っていた奉行所が、その話しに飛び付かぬ筈はない。

その夜、早速桐野邸へ呼ばれた兄妹。

そこには都筑や高橋も顔を揃えており、夜半まで皆が面突き合わせ今後の策を話し合った。


 夜明けの空に東雲が浮かび、眩いばかりの黎明が世界に新しい一日の訪れを報せる頃、やっと長屋に戻った二人は、桐野との約束の時近くまで布団へ潜り込んだまま、死んだように惰眠を貪る。

昨夜の疲れと眠気が抜けきらぬ未だぼやけた頭のまま、身支度を整えた二人は珍しく長屋門の前で別れ別れとなった。


 それぞれ目的の場所が違うのは明らか、海華と別れた朱王はその足で日本橋近く、たくさんの長屋が軒を連ねる裏小路へ向かう。

己が住まう中西長屋より遥かに大きく、壁も屋根もそこそこに重厚な木材が使われる、立派な佇まいの長屋が並ぶ一角に、殺された庭師が住む部屋があったのだ。


 井戸端で赤ん坊をあやす娘の子守唄が微かに響く以外、静かなその場所。

手前から三つ目の戸口を軽く叩けば、中からすぐに高橋が顔を覗かせる。


 「朱王殿、よく来てくれた」


 「遅くなりました。高橋様、海華は……」


 「海華殿も、志狼もまだ来ておらぬ。件の二人は揃っているからな、とにかく中へ」


 高橋に中へ招かれ、戸口を潜り抜けた朱王の目が最初に映し出した物、それはのこぎり剪定鋏せんていばさみ、使い古した梯子などの仕事道具に囲まれるよう、狭い室内に肩を寄せ合い座る、若い男女の姿だった。


 赤と橙の格子柄をした着物を身に待とう若い女は、不機嫌さを露骨にその丸い顔に表し、隣に身を縮めるよう座る若い男はビクビク怯えた様子で朱王や、土間に立ったままの桐野へ視線を投げている。


 「桐野様……この方達が?」


 「うむ。髪結い所の主、忠吉と、先日死んだこの庭師の女房、お安だ」


 雑然と物の置かれた室内では、あの二人以上座る事はできず、仕方無く土間に立つ桐野と都筑、高橋。 万が一、逃亡を図られたらとの考えもあるのだろう、その大きな身体で戸口の前に立ちはだかる都筑の影が、しみだらけの壁に仁王像よろしく浮かび上がっていた。






 「お侍様、なぜ私達がここで足止めされねばならないのですか?」


 つり上がり気味の目を更につり上げ、女が鋭い声を放つ。

一見大人しげな風貌の、まだどこか幼さの残る女には似つかわしくない声色だった。


 「先程も申したであろう、お前の亭主と、そこの男の女房が殺められた件で話があるのだ」


 「それなら、この人と別々にして頂けませんか? 私、この人……忠吉さんとは幼馴染みと言うだけで、奥様とは一面識もございません。 それとも、うちの人と忠吉さんの奥様と、何か 関係があるのですか?」


 些か困り顔の桐野へ、女は鼻息荒く食ってかかる。

その隣で小さくなったまま、一言も発さない忠吉に、都筑はすっかり呆れ果てている。


 「あの女、見掛けによらずなかなか気性が荒いな」


 「全くだ。それに比べて忠吉といったら……。情けない事この上ない」


 二人に聞こえぬ小声で、こそこそと囁きあう高橋と都筑。

そんな二人の横で、しきりに外を気にする朱王の姿があった。

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