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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第四十章 猫と秋刀魚と誰かの手首
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第三話

 暖簾の奥からのそりと現れる大きな体躯。

羽織を風にひるがえすその侍を見上げたと同時、海華の口から『都筑様!』と、すっとんきょうな叫びが迸る。


 「なんだ海華! お前、こんなところで何をしておる」


 いささか驚いたように目を見開き、海華を見下ろす都筑に、傍に立つ女はクロを抱いたまま深々と頭を下げた。


 「御苦労様でございます。お侍様、女将さんを酷い目に遇わせた下手人、一刻も早くお縄にして下さいませ。わからずじまいじゃあ女将さんが浮かばれません」


 「ああ、承知した。主からは色々と話しは聞けたが……なに、また立ち寄るやもしれぬ。 ── おい、その猫はまさか……」


 海華そっちのけで女と言葉を交わしていた都筑は、女のふくよかすぎる胸に抱かれたクロへ視線を落とす。

と、今まで細められていた金色の瞳が大きく見開かれ、ぎらりと野生の狂暴さが滲み出る。


 「はい、この子が女将さんの手首をくわえてきた猫でございます」


 「そうか、この猫が……。話には聞いていたが、なかなか綺麗な猫ではないか」

 

 じっと自分を見詰める瞳を覗き込み、都筑はクロの頭を撫でようと手を近付ける。

女や海華が止める間もなく、クロは真っ赤な口をかっ! と開き、その足に備わる鋭い刃を剥き出しにした。

神風の如き速さで繰り出される前足、空気を切り裂く白い刃を間一髪、手を引っ込める事でかわした都筑は、一瞬、うっと息を飲む。


 「これタマっ! 申し訳ございません! この子、殿方には全くなつかなくて……お怪我はございませんか?」


 「うむ。しかし見た目によらず気が荒いな。 猫が人の手首を食いちぎるなどあり得ぬと思っていたが、こ奴ならやりかねぬ」


 妙に納得したように何度も頷き未だ白い牙を剥くクロから手を引っ込める。

そんな都筑の羽織の裾を、海華がくいくいと軽く引いた。


 「都筑様、その猫うちの長屋に居着いてたんです。── よろしければ、猫が手首をくわえてきた時のこと、お話ししましょうか?」


 にや、と意味深に笑う海華を見る都筑の太い眉がわずかにつり上がる。


 「ふん……。そうか、それなら少し話しを聞かせてもらおうか」


 『また寄らせてもらうぞ』そうクロを抱いた女に声をかけ、都筑は海華を従えその場を後にする。

都筑の背中を追い掛け、海華が踵を返すと同時だった。

暖簾の向こう、薄暗がりで蠢く細身の影が一つ、滑るように店の奥へと消えて行った……。


 「海華、また悪い癖が出てきたようだな?」


 川辺りにある一軒の茶店、表に出された横長の腰掛けに座する都筑が、そう一言漏らし茶を啜る。

その隣では、満面の笑みを浮かべた海華が、美味そうに団子を頬張っている最中だ。


 「どうせ朱王に内緒であの店へきたのだろう?」


 「はい。だから、兄様には秘密にしていて下さいね。また外へ出してもらえなくなっちゃいますから」


 甘えるような声色を出す海華の足元を、微かに赤く染まる落ち葉が風に遊ばれくるりと回る。

『仕方のない奴だ』呆れ半分面白半分といったように笑い、都筑は湯飲みの茶を熱そうに啜った。


 「── じゃあ、女将さんは川辺りで殴り殺されたんですか?」


 団子をきれいに平らげ湯気の立つ茶に数度息を吹き掛けた海華の口から、仄かに白い息と共に掠れた呟きがこぼれる。

都筑の話しによると、女将は顔の形もわからぬほど、身体中を滅多打ちにされ息絶えていた。

凶器は遺骸の傍らに棄てられていた子供の腕ほどの太さがある木の棒であり、現場の状況より、そこに落ちていたものではなく下手人自らが用意した物らしいとの事だ。


 「顔は潰される手首は千切れるでな、正視出来ないくらい酷い骸だったぞ」


 「そんなに……。でも、どうしてクロは自分の飼い主の手首を噛み千切ったんでしょうね? 」


 「その前に、なぜあの猫が女将の骸を見付ける事ができたか、だ。いくら畜生の勘とは言えこの広い江戸市中で、たった一人の人間を捜し出せたのか、海華、お前はどう考える?」


 都筑にそう問われ、湯飲みを置いて腕を組み小首を傾げて考え込む海華。

うぅ、と小さく唸りしばし思案した彼女が導き出した答え、それは……


 「クロ、女将さんの後をつけて行ったんじゃないでしょうか? それで……殺されるのを見ちゃったとか。── でも、猫じゃ誰が下手人が教えられないですもんね」


 「口がきける訳でもないからな……。だが、目星がついていない訳ではない、がな」


 ぽつりとこぼしたその一言を、海華が聞き逃すはずはなかった。


 「なんだ、もう下手人わかってるんですか?」


 わずかに頬を膨らませ、都合を見上げる海華。

そんな彼女に都合は困ったような笑みを見せた。


 「まだ下手人と決まってはおらん。ただ、怪しい奴がいる、と言う意味だ」


 「誰なんですか? ねぇ都合様教えて下さいよ!」


 「悪いがそれは出来ん。お前、また一人で突っ走る気だろう? もしそうなったら、俺が桐野様や朱王にどやされる」


 的を得た都筑の台詞に海華は返す言葉もない。

膨れっ面のまま、冷めた茶を一気にあおる彼女を横目に笑いを噛み殺しながら、都筑は茶屋の娘に団子をもう一皿注文していた。

海華が都筑と茶屋で情報を交換し、そして団子を土産にもらった日から二日あまりが経った。

髪結い床へ帰したはずのクロは、翌日には再び長屋へと舞い戻っていた。


 女将殺しの下手人は相変わらず見付からぬまま、海華は茶屋で聞いた都筑の話しを疑い始めた頃、人形を納めに出掛けた朱王が、珍しく瓦版を買い求めてきたのだ。

ちょうど夕餉の支度に忙しく動き回っていた海華へ、朱王はその瓦版を無言のまま差し出す。

水滴の滴る手を拭き拭きそれを受け取った海華は、その文に素早く視線を走らせ怪訝な面持ちで小首を傾げる。


 そこには、名前もわからぬある男が、柳通りの裏手で腹を滅多刺しにされ殺された、という一事件が挿絵入りで書かれていたのだ……。


 「なによ藪から棒に、この瓦版がなんだって言うの? あたし今忙しいんだから」


 「いいから、もう一度よく読んでみろ── ほら、ここだ。ここ」


 身を切るように冷たい井戸水に赤くなった手を前掛けで丹念に拭い、迷惑だといわんばかりな顔をしかめると、朱王はどこか苛立たしげに瓦版のある場所を指先でつつく。

口の中でぶつぶつ文句を呟きながら朱王の指す文に目を遣った、それと同時に、海華は全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。

彼女を驚愕せしめた一文、それは『黒猫の案内で死骸を発見せし』たったこれだけの内容だった。


 「兄様……! この黒猫って、まさか!」


 「俺もまさかとは思う。だが、昨日今日と、あの馬鹿猫はうちに来ていないだろう?」


 その言葉に海華は、はっと息を飲む。

確かに朱王の言う通り、この二日間クロのために用意した餌は結局残されたままだった。


 「クロが二つも死骸を見付けるなんて、兄様は偶然だと思う?」


 「偶然にしちゃ出来すぎだろう? お前、これから時間あるか?」


 深く腕組みをし渋い表情を作る朱王に、海華はちょこんと小首を傾げ答えて見せる。


 「取り敢えず、時間はあるけど…… どうしたの?」


 「親分の所へ行ってみようと思う。お前も…… くるんだろ?」


 海華の口から間違っても『行かない』などという答えが返るはずはない。

そう確信しながらも敢えてそう尋ねれば、海華は勢いよく前掛けを引き剥がし、『行く!』と声を裏返し叫ぶ。

柔らかな光を明滅させる提灯を手に、とっぷりと日が暮れた道を寄り添い、二人は番屋へ向かう。

広い小路を吹き抜ける、冷たく乾いた夜風に身を縮ませ着いた番屋には、忠五郎と留吉、そして桐野の姿があった。


 夜分に突然現れた兄妹を前に一瞬驚きの表情を見せた三人だったが黒猫の事で話しがある、と朱王が告げると、すぐ室内へ二人を招き入れ、赤々と燃える火鉢の横に座らせてる。

冷えきった体にじんわりと感じる炭火の熱を感じ、海華は寒さに耐え、ずっと詰めていた息をほっ、と吐き出した。


 「今夜は一段と冷えるな。朱王こんな時分にどうしたのだ?」


 火鉢を火箸でつつきつつそう問い掛ける桐野。

はい、と、やや掠れ声で返事をした朱王は、風に乱された髪を軽く指先で整える。


 「実は、瓦版に載っていた件でお話しが……。遺骸を発見したという黒猫、もしや、と思いましたので」


 「あぁ、あの畜生ねぇ。あっしの鼻に三本筋入れやがった奴とおんなじだよ」


 真ん丸の顔を不機嫌そうに歪める留吉が、未だ赤く傷痕の残る鼻を指差す。

やっぱり、そう胸中一人ごつ朱王は、留吉から桐野へ顔を戻した。


 「失礼ながら桐野様、殺された男、髪結い床の女将殺しと何か関係があった者だったのですか?」


 「関係あるもないも……儂らが女将殺しの下手人とにらんでいた男だ」


 悔しげに顔を歪め腕組みする桐野を呆然と見詰める朱王。

その隣に座する海華の頭の中で、髪結い床で遇った都築の言葉が甦っていた。

殺された男は日本橋近くにある通称、地蔵長屋に女房と住まう庭師、松吉であることがわかった。

桐野らの調べによれば、松吉はまだ二十歳になったばかりだが、庭師としての腕は確かなようで、親方や仲間の信頼もあつい男だったようだ。


 「親方の姪にあたる女と昨年所帯を持ったばかりだと聞いた。遺骸を引き取りに来た時に顔を合わせたが……あの悲しみようは見ていられなかったな」


 自身も暗い表情を浮かべながら桐野は留吉がいれた茶を啜る。


 「一緒になってたった一年で亭主に死なれるなんて……その人本当に可哀想。 それで、どうしてその松吉って人が女将殺しの下手人なんですか?」


 両手の平と甲を交互に火鉢へかざし、海華は桐野へちょこんと小首を傾げて見せる。

桐野は、そんな彼女へ困ったような笑みを見せた。


 「まだ下手人と決まった訳ではないのだがな、松吉が女将と言い争いをしているのを、店の者が何度か目撃していたのだ。理由は何かまだわからんが、かなり激しく怒鳴り合っていたようだ」


 「怒鳴り合いを……。ですが、もし女将を殺めたのが、その松吉さんだったとして、彼を殺めたのは誰なのでしょう? 瓦版を読んだ限りでは、自害したとはとても考えられません」


 「腹を滅多刺しだからな。まず自害はないだろう」


 朱王の問いに、桐野がそう返した時だった。

何の前触れもなく番屋の戸口ががらりと開き、鼻や口から白い息を吐く都筑が、寒さで赤く変わった顔を覗かせたのだ。


 「遅くなりました!」


 「いや、寒いなかご苦労だったな。 どうだ、何か掴めたか?」


 身体を竦めて室内に入る都筑は海華の隣、つまり火鉢の側に腰を下ろしながら、心底困ったと言いたげに太い眉根を寄せ、桐野へ軽く頭を下げる。

今の今まで何か調べ物をしていたのだろう都筑に、皆の視線が集中した。


 「桐野様、松吉が女将を殺めるのは不可能です。女将が行方不明になる数日前から、仕事で田崎村に滞在していたと、親方や同僚から証言がありました。その間、松吉は一度も江戸には戻っておりません」


 「なに、田崎村? それは遠いな。いくら男の足でも容易に行き来できる距離ではない。 ── 女将を殺めたのは別の人間、という事になるな」


 再び渋い面持ちをつくる桐野。

そんな彼の横 顔を見詰める朱王はふと先日志狼から聞いた話しを思い出した。


 「お話しの途中申し訳ありません、桐野様、もう志狼さんから聞いているとは思いますが、髪結い床の主人が若い女と歩いていたと……」


 「ああ、その話しか、確かに志狼から聞いた。妻が死んで幾ばくもしないうちに、とんでもない奴だと志狼も憤っていたな。一応そちらの方からも今、高橋が探りを入れているが…… どうも今回は事件の筋が見えない」


 誰と誰が、どこで繋がっているのか、そしてクロは何を知らせたいのだろうか……?

全ての答えが白日の元に曝されるのは、それから数日後の事となるのである。






 「── さてと、後はお駒さんのところに寄るだけだな」


 錦屋から買い求めた反物の包みを海華に渡し、朱王はくるりと踵を返す。

街を歩くにぴったりの日本晴れ、今、兄妹は新たに受けた花嫁人形の材料を買い求めに街へ繰り出しているのだ。


 着物に使う反物はちょうど良い品が見付かった、かんざし等の飾りは、いつもの如く幸吉に依頼した。

後は、この反物を仕立て屋お駒の元へ届けるだけだ。


 「思ったよりも早く終わったわね。…… あ、兄様、お駒さんの所に行くんなら、こっちの方が近いわよ」


 紫色の風呂敷包みを抱えた海華が、後ろからくいくいと兄の袖を引く。

どれ、とこちらを振り向いた朱王に向かい、海華は反対側の道、垣根の間に走る小さな裏路地を指差した。


 「あっちの方が近道なのよ」


 「あんな所に道があったのか、全然気がつかなかったな」


 「兄様、全然街中歩かないからよ。さ、行きましょ」


 得意気ににこりと笑い、小走りに裏路地へ向かう海華の後を行く朱王。

垣根は幾ばくもしないうちに途絶え、濃茶色に変色した板塀に挟まれたかと思えば、辺りの風景は寂しい雑木林へと変わる。


 そこは、茶屋らしいこじんまりとした建物がぽつぽつ並ぶ、人気の少ない寂しい場所だった。

と、緩やかに曲がる道の向こうから、海華と同じような包みを下げているであろう人影が現れる。

木々の間から斜めに射し込む陽光が、その人影を照らし出す。


 「あら、志狼さん!」


 「海華! 朱王さんも!」


 三人のみが存在する空間に、男と女の叫びが走る。

こんな人気ひとけの無い場所で、よりによってこの男と鉢合わせするなんて、と朱王は心中そう呻い た。


 「奇遇だな、こんな場所で会うなんて」


 「そうね。でもここ、志狼さんが教えてくれた抜け道よ」


 にこにこと朗らかな笑顔で海華が言った台詞に、朱王の眉毛が片方ひくりと動く。

真っ正面からそれを見てしまった志狼は、まずい、と言いたげに口角を引き攣らせた。


 「まぁ、な。でも、通っていいのは昼間だけだぜ? 夜は灯りも殆どないし、この辺りは連れ込み茶屋……」


 そう口にし、慌て唇を閉じてみるが時既に遅し。

海華の後ろでは、朱王の端正な顔が夜叉のかんばせに豹変する。


 「ほぅ……連れ込み茶屋、ね」


 「ちが、誤解だ! 俺はただ、ここが便利な抜け道だから……本当だ、他意は無い!」


 なんとか誤解を解こうと懸命に弁解を繰り返す志狼だが、朱王は突き刺すような眼差しを向けたまま。

このままでは埒が明かない、そう思った海華が『いい加減にして』と、些か厳しめの声色を放ち、朱王を睨み付けた、その瞬間、その目は朱王を通り越し、遠くで蠢く人影に向けられる。


「あらいやだ、誰かくるわ」


 「ん?…… おい、ありゃ髪結い床の旦那じゃねぇか? それに隣の女…… 俺がこないだ見た女だ」


 三人の中で一際目のいい志狼が彼方を見ながらそう口にする。

件の二人がなぜこんな裏路地を行くのか、どこへ向かおうとしているのか、三人にはすぐピンときた。


 「不味いな…… おい、そこに隠れろ。海華はその笹藪、志狼は…… そこの木の裏だ」


 素早く辺りを見回し、朱王は道の傍らを指差す。

その言葉に素直に従い、各々笹藪と木の裏へ身を隠した三人。

やがて、からころと少し寂しげな下駄の音が近付いてくる。


 鬱蒼と生い茂る茶色に変わる笹の葉の隙間から、海華の真っ直ぐな視線がすぐ側を通り過ぎる二人連れへ向けられた。

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