表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三十九話 天女と鬼女の住まう場所
184/205

第四話

 志狼が長屋を訪れたその日から朱王は恐るべき集中力をもって、わずか五日で赤ん坊の生き人形を完成させた。


 朝は一番鶏が鳴く前から作業にかかり、夜は月が西の空深く傾く頃まで机の前から離れない。

かわやと風呂屋以外、長屋から一歩も出歩く事はなく、突然何かを思い付いたように部屋から飛び出して行ったかと思えば、つい最近赤ん坊が産まれたばかりである左官屋の部屋へ駆け付けては、そのふっくらとした頬や肉付きの良い手足をじっと観察している。


 勿論、長屋の住人らに訳など話す事は出来ず、朱王の鬼気迫る雰囲気に皆が首を傾げた、不気味がっていた。

何事があったのか、と、とかく訳を聞きたがる住人らを上手く誤魔化すのは海華の役目、内密に頼まれた仕事だから、いずれはきちんと話します、等々の言い訳を駆使しつつ、朱王に付きっきりで飯の支度だ、使いっ走りだと駆けずり回る。


 彫刻刀を握り締め、机の前に胡座をかいたまま、うたた寝する朱王の背中へどてらをかける海華の手は、いつもより酷使し過ぎたせいか真っ赤に染まり、指先には痛々しいささくれの痕が残っていた。

朱王が粉骨砕身し、海華が内助の功で彼を支え、ようやく完成した生き人形。

今日は志狼がそれを受け取りに来る日なのだ。


 朝餉も終わり、長屋の者らも、ちらほらと仕事に向かい出した頃、晴れ上がった秋晴れの空の下、長屋門を走り抜ける墨色の着物に紺色の股引きを履いた志狼の姿があった。

どんな人形が出来ているのか、期待と不安に胸を高鳴らせ息を切らせて駆ける志狼の目に、鮮やかな深紅の着物を纏う海華の姿が飛び込んでくる。


 彼女は自室の前で、この長屋の住人だろう女数人と何やら談笑している最中だ。

それは、志狼にとって取り立て珍しくもない光景。

しかし、志狼の視線は、海華が大切そうに抱える白いおくるみに向けられた。

そのおくるみの中からは、一人の赤ん坊が円らな瞳でこちらを眺めている。

ふわふわと柔らかな綿毛にも似た髪がわずかに生えた、性別不詳の赤ん坊は艶のある頬に小さく可愛らしい唇を持ち、見る者誰もが頬を緩めてしまうほど愛らしかった。


 海華の名を呼び、駆け寄る志狼に、こちらを振り向いた彼女はいつもと同じ朗らかな笑みを見せ、周りにいた女らも一斉に志狼へ目を向けた。


 「志狼さん! 早かったのね」


 「ああ、どんな人形になってか、気になってな」


 女らに軽く会釈し、志狼は改めておくるみの中を覗く。

この長屋に住む誰かの子供だろうか、ぱちぱちとまばたきを繰り返す赤ん坊は、首を左右に揺らしたり微かに手足を動かしはすれど、手足を動かしはすれど、表情一つ、声一つ上げることはない。


 「可愛い子だな。── っと、海華、早速例の人形見せてもらいてぇんだが、朱王さんは中にいるか?」


 閉め切られた戸口に目を遣りつつ、そう尋ね る志狼に海華は悪戯っぽく笑う。


 「ええ、兄様なら中にいるわ。でも……志狼さん、もう人形なら見てるじゃないの」


 海華の放った台詞に、一瞬ぽかんと口を半開きにした志狼は海華と胸に抱かれた赤ん坊を交互に見る。 その時、傍らにいた中年女が盛大に吹き出し、『やっぱりさぁ、パッと見たらわからないよねぇ』と感心したかのような一言を放ち、赤ん坊の一見飾りを思わせる小さな鼻を、ちょんとつついた。


 「だって、これ……っ!」


 『動いてるじゃねぇか!』そう心の内で叫びながら、志狼はおもむろに赤ん坊の顔へ手を翳す。

── 何も感じられない。

子供特有の熱いくらいの息遣いも、肌から伝わる温もりも、何も感じられないのだ。

ただ、さらさらと手触りの良い絹に似た感触がするだけ。

今、目の前で忙しないまばたきを繰り返し、おくるみの中で手足を動かす赤ん坊は生身の人間ではなかった。


 「凄いよねぇ。さすがは朱王さんだよ。本物の赤ちゃんそっくりさ」


 「本当だね、もう気味悪いくらいだよ。── 夜になったら、乳欲しがって泣き出すんじゃないのかい?」


 けらけらと陽気に笑いながら、女らはそれぞれの部屋へ戻っていく。

目の前の光景が未だ信じられず、志狼は執拗に赤ん坊の頬をつついたり、手をさする。

と、傍らの戸口に黒い人影が浮かび上がり、がらりと乾いた音を立て戸が中から開け放たれた。


 「あ……朱王さん!」


 「早かったな。どうだ、急ぎで仕上げたわりには、なかなかよく出来ているだろう?」


 室内から顔を覗かせた朱王、目の下には薄い隈が張り付き、頬も若干痩けており、強い疲労の色が見える。


 「よく出来た、なんてもんじゃねぇ。本物にしか見えねぇよ。これなら誰だって騙せるぜ。 ……ところでよ、これ、どうやって動かしているんだ?」


 感嘆の溜め息を漏らし、些か興奮気味に朱王と人形を見る志狼。

だが、朱王は大きな欠伸を一つだけ放ち、気だるげに髪を掻き上げる。


 「説明したい気持ちは山々なんだが、すまん、俺ももう限界だ。人形の事は海華に聞いてくれ」


 やや覇気のない声色でそう告げた後、朱王はぴしゃりと戸口を閉めてしまう。

残された志狼は、彼に似つかわしくない不安げな眼差しを海華に向けた。


 「朱王さん、機嫌悪いのか?」

 

 「違うわ。この所徹夜続きだったから、眠くて疲れてるだけ。だから少し休ませてあげて。そこの川原なら、人形の動かし方、ゆっくり教えてあげられるわ」


 そう小声で告げ、赤ん坊……いや人形を抱えて長屋門をくぐり抜ける海華の後を追う志狼。

長屋からそう遠くない川原へ向かう道のりでも、すれ違う人々は赤ん坊の顔を覗き込み、微笑を浮かべたり、『可愛い子だね』と二人に声をかけていく。


 人気のない川原に並び座った海華は、辺りをきょろきょろと見回し、おもむろにおくるみの端をめくり上げる。

顔と同じ、滑らかな布地で覆われたふくよかな腹部、しかし、背中の部分には大きな穴が空いており何本かの木綿で出来た短い紐が輪となり、その先には綺麗に面取りされ磨かれた小さな木の板がぶら下がっていた。


 「あたしの人形と似たような造りよ。 生きてるみたいに見える動かし方、今からしっかり教えてあげる」


 おくるみと共に人形を志狼へ手渡し、海華はにやりと白い歯を見せる。

手取り足取り、海華の指導はこの日、辺りが夕闇に包まれる寸前まで続いたのだ。







 海華から人形を操る術を丸一日かけて叩き込まれた志狼。

翌日、その姿は件の寺、正願寺の前にあった。

腕の中には、朱王が持てる技術の全てを駆使し造り上げた赤ん坊の人形が、しっかりと抱かれている。

真剣な眼差しで寺を睨み付ける志狼の肩を、骨ばった手がポンと軽く叩いた。


 「そう緊張するな志狼。お前の後ろには、儂らが付いておる」


 そう志狼の背後から声を掛けたのは、彼の主である桐野だ。

その隣には、鼻息も荒い都筑と高橋、そして志狼の身を案じたのだろう朱王と海華の姿がある。

彼ら以外にも、寺の裏手には岡っ引きの忠五郎と留吉二人が控えていた。


 「お前は玉仙とか申す尼を出来るだけ長く引き留めろ。だが、決して無理はするな。よいな?」


 「承知致しました。私のことは、どうぞ御構い無く。いざとなれば女の一人や二人、如何様 (いかよう)にも……」


 そう告げつつ、軽く頭を下げる志狼を海華は尚も心配そうな面持ちで見詰める。

志狼は腕が達つ男、そうわかっていても一人で虎穴に送り込むような真似をさせるのは心が痛む。

今まで自分が囮となり、下手人と対峙していた時、朱王や修一郎は今の自分と同じ気持ちに襲われていたのだと、海華は改めて思い知らされた。


 「── それでは、行って参ります」


 「うむ。頼んだぞ」


 「志狼さん、気を付けてね」


 ぎゅっ、と両手を握り締め、ぽつりと呟く海華へ『大丈夫だ』と言いたげに小さく微笑み、志狼はくるりと踵を返す。

一陣の風が吹き抜け、じっと志狼の背中を見る朱王の髪を、天高く巻き上げた。


 「ごめんください! ごめんくださいませ!」


 だだっ広い玄関に足を踏み入れ奥へ向かって大声を張り上げる。

天井のあちこちに雲の巣がかかり本来なら黒光りしているであろう太く立派なはりは、真っ白な埃にまみれていた。

廃屋と大差無い薄汚さに顔をしかめつつ、志狼は奥へ声をかけ続ける。

どのくらいそうしていただろうかぱたぱたと微かな足音が響いたかと思うと、近くにある煤けた襖ががらりと開き、真っ白な頭巾を頭からすっぽりと被り、すらりと細身の体躯に漆黒の僧服を纏った一人の女が姿を現した。


 「お待たせ致しました。何かご用でしょうか?」


 突然現れた見知らぬ男に戸惑っているのか、はたまた警戒しているのか、尼僧は訝しげな表情を向けてくる。

海華に教わった通り、おくるみの中で素早く糸を手繰り、操り人形の手足を動かしながら志狼は尼僧へ深く頭を下げた。


 「突然押し掛けて申し訳ありません。私、雑司ヶ谷に居を構えます、大工の一太郎と申しやす。今日お邪魔したのは、その……」


 『ガキを引き取って頂きたいんで』


 単刀直入に切り出した志狼は、上目遣いに尼を見上げる。

年の頃は二十歳後半だろう、白い肌に、紅も引 かない唇、細面の顔に付いたつり上がりぎみの瞳に一瞬狡猾な光が宿ったのを、志狼は見逃していなかった。


 『詳しい話を聞かせてもらいましょう』そう言いながら尼僧、玉仙は志狼を中へ招き入れる。

ひんやりと底冷えした寺の中は、玄関同様あちこち埃っぽく、ろくに磨かれていないだろう廊下は、足を進めるたびに、ぎぃぎぃと鈍い悲鳴を上げた。


 長い長い渡り廊下の向こうには墓石や卒塔婆が立ち並ぶ墓地の一角が見える。

喪服を纏う烏の群れが口喧しく泣き叫び、群れ飛ぶ様子を目にした途端、志狼は妙に不安を掻き立てられ、おくるみの中に突っ込んだ手がじっとりと汗ばむのを感じた。


 志狼が通された奥の客間は、そこだけ綺麗に掃除され、壁に作られた飾り棚には最近飾ったのであろう新品同様の市松人形が一体、円らな瞳で志狼と玉仙を見下ろしていた。


 「あなた、一太郎と言いましたね? ここで赤ん坊を預かると、どこで知りましたか?」


 十畳程の室内で古びた座布団に座り向かい合う玉仙の柔らかな唇が小さく動く。

茶の一つも出てこないということは、やはりこの寺に小坊主はおろか手伝いの者もいないのだろう。


 「── 女房が世話になっていた産婆から聞いたんでさぁ。これは六人目の餓鬼なんで。こちとらしがねぇ雇われ大工、これ以上餓鬼養う余裕はねぇ。仕方ねぇ、堕ろすか、ってぇ時に、こちらさんの噂を……」


 口から出任せ嘘八百をすらすらと並べ立て、切羽詰まっている、という表情を作る志狼は俯いたまま人形の頬を軽く撫でる。


 「そのような理由わけがありましたか。 あなたの選択は正しい。何の罪もない赤子を腹の中から引きずり出すなど、鬼鬼畜の所業」


 すっ、と目を細め玉仙は志狼と人形を交互に見遣る。

玉仙から見えるのは、人形の半面のみ。

ばれるはずはないと思いながらも志狼は無意識におくるみを手繰り玉仙の目から人形を隠そうとしていた。


 「ここを訪れたからには、もう何の心配もありません。その子は私が責任をもって、立派な養い親を探しましょう。── ただ、今すぐというわけにはまいりません」


 『そら来た』そう心中で呟きながらも、志狼は意味がわからぬという風に首を傾げて見せる。


 「そりゃどういう意味で? このままガキ連れて帰れと……」


 「いいえ、そう言った意味ではありません。 あなたも重々わかっているとは思いますが、赤子を育てるにはそれなりに金子きんすが掛かります。 あなたには、その分を支払って頂かねばなりません」


 早々に話しの本題に入られ、さすがの志狼も顔には出ず焦り出す。

もう少し、話しを引き延ばさなければ。

今頃、寺の内部には桐野らが忍び込んでいるはずだった。


 「つまり、養育料を払えってんですかい?」


 不服を示すよう低い声色で問えば、玉仙は口許にうっすらと笑みを浮かべ、無言で頷く。

時間を稼ぐ方法はないか、その答えを志狼の脳味噌が瞬時に弾き出す。

彼はおもむろに立ち上がり、庭に面した障子を無言のまま勢いよく開け放った。






 志狼が玉仙と静かなる攻防戦を繰り広げていた頃、正願寺の墓地では、軽やかな足取りで墓石の間を潜り抜ける海華の姿があった。

苔むした墓石や石灯籠石塔に卒塔婆が立ち並ぶそこに、海華以外、人の姿はない。

『お前は大人しく外で待ってろ』そう言い残し、朱王は桐野や都筑らと共に寺の内部へ消えて行った。


 しかし、待てと言われてぼんやり待っていられる海華ではない。

志狼が危ない橋を渡っている今この時、黙っている訳にはいかぬと朱王の姿が見えなくなったのを見計らい、こっそり中へ忍び込んだのだ。


 寺の中や、その周辺は桐野らが調べているだろう。

ならば自分は墓場だと、やってきたは良いが外から見たより遥かに広いそこに、どこから手を着けてよいやら海華は一瞬途方に暮れる。


 だが、迷っている時間はなかった。

とにかく、まずは墓場の最奥になにがあるのか確かめてみよう。

そう考え、死者が安らかに眠る場所を全力疾走する不届き者を、石塔の頂上から数羽の烏が丸い目を見開き、じっと眺めている。


 くねくね曲がる細い道を駈け、辺りに怪しい物はないか見回す海華。

肌を叩く秋風が、身体中をじっとりと濡らす汗をみるみるうちに冷やしていく。

ぶるりと一度身震いし、こめかみから流れる雫を拭おうと足を止めた時だった。


 今だかつて嗅いだ事のない強烈で、異様な悪臭が乾いた風に乗り海華の鼻に届いたのだ。


 「なん、なの……? この臭い……」


 炎天下の肥溜め近くを歩くような、目眩がするほどの匂い。

そのなかに感じるのは、吐き気を催す腐った肉と脂、古臭い血と、世の中の悪臭という悪臭を全て集めた、まさに筆舌尽くしがたい最悪の腐敗臭だ。


 顔をしかめつつ、海華は臭いがどこから漂ってくるのか空気の流れを追う。

ここは風下、風上はちょうど今海華が駈けてきた方向、南の方角だった。

くるりと踵を返した海華は、今来た道を後戻り。

足元では、散り落ちた枯れ葉ががさがさと乾いた音を立て宙に舞い上がる。

風の向きに同調し、強くなり弱くなるその臭い。

見失わぬよう、必死に鼻を働かせ海華は走った。


 息を切らせて走りに走り、辿り着いたは墓地の行き止まり。

そこだけ墓石などは立てられず、茶色く変わる雑草が力なくその身を揺らしている。

小さな空き地のような場所、そこには雑用品を収めるためか、壁や屋根が風雨に曝され黒く変色した小さな小屋が立てられていた。


 あちこちささくれ立つ木の壁、いつ朽ち果て崩れてしまってもおかしくはないその小屋から胃袋がひっくり返ってしまいそうな腐臭が生まれていた。

鼻の粘膜を犯していく悪臭。

袖口で鼻を覆う海華も、一瞬中へ踏み込むのを戸惑ってしまい、ただうろうろと小屋の回りを歩くだけ。

しかし、腹を括らねばならぬ時は刻一刻と迫っていた。


 「ここまできたんだから……!」


 そう自分に言い聞かせ、ぐっ、と強く奥歯を噛み締め、息を止めながら海華は薄い板でできた小屋の戸口に手をかける。

がら、と微かな音を立て戸口が開いた刹那、空気と鼓膜を震わす低い響きと共に、真っ黒な波が海華の全身に襲い掛かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ