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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三十九話 天女と鬼女の住まう場所
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第三話

 「── おい海華、お前これからどうする気なんだ?」


 大川の川原に並び座り、手持ち無沙汰に千切った草を玩びながら、志狼が尋ねる。

足元を埋め尽くす小石の一つを蹴り飛ばし、川を吹き抜ける些か冷たい風に頬を赤らめる海華は、声にならない小さな呻きを一つ漏らした。


 「どうする、って言っわれてもさ……あのお婆ちゃんの話しが……尼さんが赤ん坊買い取ってる、ってのが本当の話しかどうか、それを確かめなくちゃ」


 「まぁ、そうだな。あの婆ぁ、口から出任せぬかしやがったのかもしれねぇしな」


 風にたなびく髪を片手で押さえ、煌めく川面と海華の横顔へ交互に視線を向ける志狼に、海華は無言で頷いて見せる。


 「証拠も無しに大騒ぎしたってまた兄様にどやされるだけよ。それにしても、買い取った赤ちゃんはどこにやったのかしら? もしお婆ちゃんの話しが本当なら、十人以上はあの尼さんが買った訳よね?」


 「そうだな、だが、あの寺に十人も赤ん坊がいるとは思えねぇ。どこぞに売り飛ばしたとしても、そう簡単に買い手が見付かるとも思わねぇ。── 赤ん坊はどこに消えたか、それはまた……」


 『明日にでも考えようぜ』そう口にしながら志狼は西の空を指差す。

いつの間にか空は杏子色に変わりその先には紫がかった夕闇が静かに身を横たえていた。


 「え! いやだ、もうこんな時間なの!?」


 「日の落ちる時間も早くなったからな。そろそろ帰らねぇと、旦那様と朱王さんが空きっ腹抱えることになるからな」


 互いに台所を預かる者同士、いつまでも家を留守にするわけにはいかないのだ。


 「兄様、お腹が空くと不機嫌になるから困っちゃうわ」


 「仕方ねぇよ。腹減りゃ誰だって苛々するさ。── 長屋まで送る」


 ふい、とそっぽを向きながら、志狼は中西長屋に向かい歩を進める。

その背中に、『ありがとう』と小さく呟きながら、海華は満面の笑みを浮かべて志狼の横へと走りよった。





 二人が長屋に着いたのは、俗に言う逢魔ヶ時、全てを包むよう広がる薄闇にすれ違う人の表情も窺うのが難しい程だ。

ぽつりぽつりと明かりの灯り出した長屋、家路につく子供らを避け長屋門をくぐり、部屋の戸口に手を掛ける。

それをがらりと引き開けた途端、六つの眼差しが一斉に海華へと集中した。


 「ただいまぁ……あら、修一郎様! 桐野様も!」


 驚きのあまり、引っくり返った声で叫ぶ海華。

その横から、ひょいと顔を出した志狼は思いもよらず鉢合わせした主の姿に、ぽかんと口を半開きにさせる。


 「旦那、様!? どうして……」


 「訳は後々話す。志狼、とにかくここへ座れ」


 「海華、お前もだ」


 いつになく固い表情を見せる桐野と修一郎。

二人とは対称的にヒビの走る壁に凭れかかるよう座した朱王は、まるで魂が抜けてしまったかのように、ぼうっ、と虚空を見詰めている。


 何が起こったのかさっぱりわからないまま、室内に上がり桐野の前に正座した二人。

閉め切った戸口の向こうで、まるでここにいる全員を嘲笑うかのような烏の鳴き声が響いた。


 「お前達、今の今までどこに行っていた?」


 厳しい表情を崩さない修一郎の口から飛び出た第一声に、海華は何度か目を瞬かせ修一郎の心のうちを見るが如くに彼を見詰める。


 「どこって……修一郎様、私、志狼さんと色々……」


 「だから! 色々とはどこなのだ! もっと具体的に……」


 突然声を荒らげ、こちらへ身を乗り出す修一郎。

思わずびくりと身体を震わせ縮み上がる海華は、戸惑いを含ませた眼差しを二人の侍に向けた。


 「そう大声を出すな。海華が怖がっているではないか。── 志狼、これはお前の口から話さねばならぬことだ。今日、海華とどこにいた?」


 放たれた矢のように鋭い眼差しを真っ正直から受け、海華同様戸惑いを隠しきれない志狼は、乾いた唇を舌で湿らせる。


 「今日は、その……中野と薬研堀、に……」


 その途端、『やっぱり……』悲痛な声色でそう呟いた修一郎はがくりと肩を落とし、深く項垂れてしまう。

その隣では、声にならない呻きを上げる桐野が頭を抱えていた。


 「志狼……お前なんて事を……」


 「海華……お前は、俺に隠れてそんな真似をする奴じゃないと信じていたのに……っ!」


 長い髪をぐしゃぐしゃに掻き乱し、半ば涙声で弱々しく口にする朱王。

奈落の底まで一気に突き落とされたように沈みきる三人を前に、もはや海華と志狼は首を傾げる事しか出来ないでいた。


 「あの、旦那様……? 話しがよくわからないのですが……」


 「修一郎様、ねぇ兄様も何か思い違いしてるんじゃ……」


 恐る恐る尋ねた二人へ朱王の殺意が籠ったと言っても過言ではない強烈な視線が突き刺さる。


 「何が思い違いだっ! お前……この期に及んでまだ誤魔化そうってのかっ! お前と志狼が薬研堀で、堕胎薬を買っているのを見た人間がいるんだぞっ!」


 怒髪天を突き、夜叉般若の形相で怒声を張り上げる朱王の姿に海華は勿論志狼や修一郎までもが息を飲む。


 「── 志狼、いつも朱王が人形を納めている問屋の番頭がな、薬研堀で海華が目付きの悪い男に裏道へ連れ込まれるのを見たと、昼過ぎここを訪ねてきたのだ。気になって後をつけたら、赤ん坊を流すのなんのと声が聞こえて、海華が老婆に金を渡すまでを、しっかり見た、とな」


 「目付きの悪っ……!? いや、確かに海華と薬研堀には行きました、でも!」


 「そんな薬なんて買ってませんっ! だいたい、私達そんなやましい事はしてませんっ!」


 ばん! と畳を一度強くひっぱたき、顔を紅潮させた海華が腰を浮かす。

奇妙な女を追っていた自分達が、まさか後をつけられていたなど考えもしなかった。

世間は狭いもの、どこで誰に見られているのか見当もつかない。


 『ならば、何をしていたのだ』そう更に問い詰めてくる桐野へ、冷や汗を垂らしながら志狼は事の次第を説明した。


 「── では、お前達が薬研堀に行ったのは、その……おかしな薬が目的ではないのだな?」


 志狼の話しを全て聞き終えた桐野は、気まずげな咳払いを一つ、そう尋ねる。


 「そうです、俺……いや、私達は、正願寺から女を追って……だいたい、海華とは、まだそんな関係じゃありません!」


 「そうですよ! 私達、修一郎のや兄様に顔向け出来ないような事はしてません! 絶対にしてません!」


 必死に弁明を繰り返す二人を前に、修一郎と桐野は互いに顔を見合せ微かに頷く。

その後ろでは、殆ど口を開かない朱王が放心状態で力なく壁に寄り掛かっていた。


 「まぁ、そうだな。お前達がそこまで申すなら……信じるとしよう。その尼と産婆の事も気にかかるしな。── その話は一先ず置いておいて、だ。海華、お前一度表へ出ろ」


 眉間に皺を寄せたまま、修一郎は海華を手招きし訝しげな面持ちの彼女を伴い外へ姿を消す。

そして、その後を追うように、桐野も『話がある』と志狼を表に連れ出した。


 一人部屋に残された朱王は、顔にかかる髪を鬱陶しげに掻き上げ四人が消えた戸口に視線を向けながら、肺の底に籠る空気を吐き出すような深い深い溜め息をつきつつ、両手で顔を覆う。

次第に暗さを増す室内に、ぽつりと小さな明かりが灯ったのは、それからしばらくしてからの事だった。






 「なぁ海華、お前が赤ん坊の事を気にかけるのが悪いとは言わん。だがな、少しは朱王の気持ちも考えてくれ」


 闇の帳が降りた長屋の井戸端、太い腕を胸の 前で組んだ修一郎が海華を見下ろす。

いつも自分には見せない厳しい表情の修一郎を前に、一瞬息を飲んだ海華だったが、すぐに彼の目を真っ直ぐに見詰め唇を戦慄かせた。


 「でも……修一郎様は、そう仰いますけれど、兄様だって酷いと思います。私が、志狼さんや他の男の人と会うたびに大騒ぎして……今までだって、修一郎様や桐野様を巻き込んで何回も……兄様、私の事を信じてないのかしら……?」


 悲しげに、しゅんと項垂れる海華を目の当たりにし、修一郎は困り果てた様子で頭を掻く。

井戸端とは正反対、つまり長屋門のすぐそばには桐野と志狼の姿があり、同じような内容で叱りを受けているのだろう。

しきりに桐野へ向かい頭を下げる志狼の姿が影となり映っていた。


 「── いいか海華、朱王は決してお前を疑っておる訳ではない。ただ、お前を心配しているだけだ」


 ひゅう、と乾いた音を立て吹き抜ける肌寒い風が、修一郎の黒い羽織を揺らす。

目を潤ませ、ゆっくりと顔を上げる海華のぼやけた視界に、苦笑いしながらこちらをみる修一郎の顔が歪んで映った。


 「考えてもみろ。たった一人の妹が、男と堕胎薬を買っていたようだと聞かされて、平然としていられる兄がどこにいるのだ。朱王はな、半狂乱のていで奉行所へ駆け込んで来たのだ。 門番と一悶着起こしてな」


 噛んで含めるが如く、そう話して聞かせる修一郎。

鼻の奥がつんと痛むのを感じながら、海華は力一杯両手を握り締める。


 「今の朱王を見て、わからないのか? 怒りを通り越して意気消沈だ。 海華、酷な事を言うが、今回ばかりはお前に非があると俺は思う。── ここまで言えば、朱王になにをすれば良いのかわかるな?」


 きつく唇を噛み締め、己が爪先に視線を落としたまま、海華はコクンと首を縦に振る。

そうか、と一言こぼした修一郎は長屋門の前に佇む二つの影へ顔を向けた。


 「志狼も、朱王に言わなければならぬ事があるはずだ。だが、今すぐと言う訳にもいかんだろう。火に油を注ぐようなものだからな。 今夜はこのまま帰すとするか」


 「わかり、ました……。修一郎様、桐野様に、あまり志狼さんを叱らないでって、お伝え下さい。志狼さんは悪くないんです。私が我儘言ったから……それだけは、桐野様に伝えて下さい。お願いします……っ!」


 今にもこぼれ落ちそうな涙を手の甲で乱暴に拭い、海華が深々と頭を下げる。

『わかった』そう短く返し、震える小さな肩をポンと軽く叩きながら、修一郎は海華の横を通り過ぎる。

漆黒に塗り潰された地面が、涙の膜越しにぐにゃりと歪み、赤く変わる頬を冷たい夜風が掠め、消え去っていった。


 『朱王さんに、すまなかったと伝えてくれ』 そう一言言い残し、志狼は桐野、そして修一郎と共に長屋を去って行った。

徐々に小さくなり、やがて闇に消えていく三人の後ろ姿を見送る海華は、泣き腫らし赤く染まる目元を指先で拭い、重く暗い気持ちを引き摺ったまま自室へ戻るべく踵を返す。

いつもはガタガタと鈍い音を立てる古い戸口を、ゆっくりと、軋む音一つも立てず開いた海華の目が最初に写し出したものは、がっくりと肩を落とし、作業机に向かい座り込んでいる朱王の姿だった。


 何をするでもなく、怒りもせず泣きもせず無表情のまま、ただ静かに座する朱王を見る海華の胸は締め付けられるような鈍い痛みを発する。

ふらつく足取りで朱王へ近寄った海華は、その場へ崩れるよう座り込み、畳に両手をつきガクリと頭を垂れた。


 「ごめんなさい……あたし、兄様の気持ち、なんにも考えていなかった……軽率な真似して、本当にごめんなさい、っ!」


 『ごめんなさい』そう何度も繰り返す海華。

しかし朱王は、そんな彼女に目もくれず、ただただ無表情のまま作業机に肘をつき、そこに置かれた彫刻刀をじっと見詰める。


 「兄様……お願い、こっち向いて。あたし、本当に悪かったって……」


 「── 海華」


 必死に言いすがる海華の言葉を遮り、朱王は机上に視線を落としたまま静かに唇を動かす。


 「なに!? 兄様なに……」


 「茶をいれてくれ」


 「…… え?」


 「茶を、一杯いれてくれ」


 突然の言葉に、海華は一瞬目を丸くする。

しかし、すぐに『わかった!』と一声叫び、畳から跳び跳ねるように立ち上がると、すぐさま茶の支度にかかる。

茶葉を入れた急須に適温に冷ました湯を注ぐと、もやもやした気分を一掃するかのような爽やかな茶の香りが鼻をくすぐった。


 白い湯気を立てる湯飲みをそっと作業机へ置けば、朱王は無言のままそれに口を付ける。

次に朱王の口から出るのはどんな台詞か、固唾を飲んで茶を啜る兄を見詰める海華。

一口、二口と茶を飲んだ朱王は、一度湯飲みを机へ置いた後、ゆっくりと顔だけを海華へ向けた。


 「── もう、俺の寿命を縮めるような真似はするなよ?」


 穏やかな、しかしどこか力ない声でそう告げる朱王は、薄く隈の浮く顔を歪め、微かな笑みを作る。


 「兄、様……じゃあ、許してくれるの?」


 泣き腫らし目をいっぱいに見開き、声を震わす海華は四つん這いで朱王の元へとにじり寄る。

ばりばりと頭を掻きむしり、朱王は何度か頷いた。


 「まぁ、今回はお前も、志狼も許してやる。 だがな、次に同じような事があったら……ただじゃおかない。……ここから叩き出すからな」


 眉間に皺を寄せながら告げられた最後通告。

がくがく首を縦に振る海華の目からは、安堵のためだろうか、大粒の涙が次々にこぼれ落ちる。


 「ごめ、なさいっ! 兄様ごめ……ごめんなさい……っ」


 「わかった、もういい。さっき許すと言っただろ? だから、もう泣くな」


 泣きじゃくる海華の頭を幼子をあやすが如く撫でながら、朱王は苦笑いを隠しきれない。


 酷く緊張した面持ちをした志狼が酒瓶を携え、再び長屋を訪れたのは、この二日後の事となるのだ……。





 真っ白く輝く朝日が燦々と射し込む中西長屋の一室。

朝餉を終えたばかりの朱王は、先日買い求めたばかりであるのみの手入れに取り掛かり、茶碗を洗い終えた海華はかさつき荒れた手に伽南特製の軟膏を擦り込んでいる最中だ。

身支度を整えた後は、いつものように木箱を背負い、辻に立つだろう海華は鏡台の前に腰掛け、引き出しから古びた櫛を取り出そうと取手に手を掛ける。

と、土間の辺りからとんとん、と遠慮がちに戸口を叩く音が聞こえた。


 障子部分に映る影から、訪問者が誰であるかすぐにわかった朱王は無意識に眉根を寄せ、手にしていた鑿を机へ置く。

土間に降りた海華が戸口を開くとそこには緊張に表情を強張らせた志狼が、酒瓶を一つ携え立ち尽くしていた。


 「早くにすまねぇ。朱王さんは……? 今、大丈夫か?」


 「うん、たぶん……。兄様、志狼さんが……」


 「入れ」


 ぶっきらぼうに返し、鋭い目付きを戸口前に立つ志狼へ向ければ、彼はおっかなびっくり、といった様子で室内に上がり、胡座をかき腕を組む朱王の前に、きっちり正座する。


 「朱王さん、先日はすまなかった。俺、本当に海華とは何もないんだ。でも、疑われるような真似をした俺が悪い。この通りだ。本当に、申し訳なかった!」


 酒瓶を傍らに、畳に手をつき深々と頭を下げる志狼。

気まずげな様子でそれを見る海華と未だ厳しい表情を崩さない朱王は、互いに視線を交わらせた。


 「もういい、頭を上げろ。 今回の事は、これ以上責める気はない。海華にも非があるからな。ただし、今度同じ真似をしたら、いくら志狼さんでもただじゃおかん。それだけは覚えておけ」


 「わかった。肝に命じる。それと……これは詫びのしるしだ。受け取ってくれ」


 そろそろと顔をあげ、酒瓶を差し出す志狼。

無言のままそれを受け、作業机の下へ押し込んだ朱王は、海華へ『茶をいれろ』と短く命じる。

海華が茶の支度をしようと表へ水を汲みに出たのを見計らうかのように、志狼は躊躇いがちに口を開いた。


 「朱王さん、その……今日は詫びにきただけじゃない。旦那様からの頼みを、言いつかってきたんだ」


 「桐野様から? ── まさか、正願寺とかいう所へ、海華を囮にやりたい、とかじゃないだろうな? いくら桐野様の頼みでも、それだけはお断りだ」


 ふん、とそっぽを向く朱王。

困り果てた様子の志狼は、その場でがくりと項垂れる。


 「いや、そうじゃねぇんだ。海華を囮にやるなんて、まず俺が反対するさ。だいたい旦那様もこの期に及んでそんな無茶な話しをなさらない。── 囮になるのは、俺なんだ」


 「なに、志狼さんが囮に?」


 思いもよらぬ志狼の答えに、朱王はすっとんきょうな声を上げ、目の前でばつが悪そうに頬を掻く彼を凝視した。


 「ああ、そうだ俺が行くんだ。そのために、朱王さんの協力がいる」


 「どういう事だ?」


 話しの中身がよくわからず、怪訝な面持ちを作る朱王へ、志狼は真剣そのものの眼差しを送る。

水を満たした小桶を持った海華が土間に立っている事すら志狼は気付いていない。


 「朱王さん、俺に赤ん坊の生き人形を作ってくれ。本物の赤ん坊と同じ……いや、本物にしか見えないような人形を。── それを持って、俺は寺に乗り込む」


 固い決意を含ませた声色。

一瞬静まり返る室内。

海華の持つ小桶の水が、矢のように射し込む日の光を受け、ゆらゆらと煌めいた…。


 「寺に乗り込む、か……。それは修一郎様ご了解の上での話しなんだろうな?」


 志狼の顔をじっと見詰めたまま朱王が問う。

『勿論だ』そう一言答え、志狼は顔に触れる前髪を指先で払いのけた。


 「正願寺を探れと、修一郎様直々のご命令だ。今、都筑様や高橋様方も動いているが、やっぱりあの尼も産婆もおかしいぜ。昨日だけでも赤ん坊が二人、寺に預けられた。それも俺と海華が追い掛けていた産婆が持ち込んだんだ」


 「この短い間で二人も? あのお寺、そのうち赤ちゃんであふれちゃうんじゃないかしら?」


 新緑色をした茶を志狼の前に出しながら海華が呆れた声色を出す。

顎の下を指で擦り、朱王は小首を傾げた。


 「その寺には、赤ん坊の面倒を見る乳母でもいるのか?」


 「いいや、いない。近所にも聞いて廻ったんだが、乳母どころか貰い乳をしている様子もなかったよ」


 「そんな馬鹿な話しはないわ。お乳も調達しないで、どうやって赤ちゃん育ててるのよ?」


 朱王同様、首を捻りつつ志狼へ目を遣る海華。

その視線を受ける志狼の表情が急に曇りだし、何か言いにくそうに一度唇を結んでしまう。


 「高橋様は、赤ん坊を闇で売り飛ばしているんだと仰っている。子供のいない夫婦は星の数ほどいるだろ? 大枚はたいても子供が欲しいと思う奴だっている」


 「つまり、あの尼は人買いで、子供を欲しがる人達に赤ちゃんを売る斡旋人だって、桐野様はお考えなのね?」


 「ああ、そうだ。なまじあり得ない話しじゃねぇだろ?」


 「確かにあり得ない話しじゃない。だが志狼さん、あんたには別の考えがあるんじゃないのか?」


 朱王の読みは図星だったらしく、志狼は更に表情を強張らせる。


 「── 朱王さんには敵わねぇな。そうだよ。俺はな……赤ん坊の殆どは殺されていると思ってんだ。仮にそうだったとしたら、乳母も頼まない、貰い乳もいらないだろ?」


 「そん、な……! だって、尼さんは赤ちゃんを産婆から買ってるのよ? 殺すために買うなんて……」


 「それ以上の額を、赤ん坊の親からふんだくっているんだろう。大方、養育費名目でな」


 顔をしかめ、海華の疑問に答える朱王。

海華の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。


 「これ以上、死人を増やしたくねぇ。頼む朱王さん、協力してくれ」


 再び畳に両手をつき、頭を下げる志狼を見下ろす朱王の目が静かに閉じられる。

次に朱王がどんな台詞を発するのか、固唾を飲んで見守る海華は無意識に奥歯を強く噛み締めた。


 「── 志狼さん、頭を上げろ。そういう訳なら、喜んで協力させてもらう」


 きっぱりとそう言い切る朱王を前に志狼は小さな笑みを唇に浮かべ、海華はほっと胸を撫で下ろす。

だが、彼女には大きな気掛かりが残っていたのだ。


 「だけどね、本当に人形で誤魔化せるのかしら? もし上手くいかなかったら……」


 ぽつりと不安を口にする海華を朱王が横目で睨み付ける。

思わず口をつぐんでしまった彼女へ、朱王は心外だと言いたげにフン、と鼻を鳴らした。


 「本当に人形で誤魔化せるか、だって? お前、俺を誰だと思ってるんだ? どこからどう見ても生きた赤ん坊としか見えない物を作ってやるさ」


 そう宣言し、にやりと白い歯を覗かせた朱王は海華がいれた茶を一度口に含み、早速作業に取り掛かるべく作業机へと向かった。

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