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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三十九話 天女と鬼女の住まう場所
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第一話

 茜色に染まる夕暮れの空に、温い風に乗って 祭り囃子の音が広がる。

江戸っ子達の魂が騒ぎ出す夏祭りいつも以上に賑わいの増す本通りを、溢れる人波をくるくるすり抜け、必死の形相で先を急ぐ朱王の姿があった。


 人混みが大嫌いな上、出不精の彼がなぜ街中の人間が外出していると言っても過言ではないこの時期に、こんな場所で人波に揉まれているのか?

答えは簡単、人形を一体こしらえて欲しいとの急な依頼があったからである。


 話しを仲介した人形問屋の言伝てでは、相手方はなるべく早く頼みたいと言っているらしい。

最初は断ろうかと真剣に考えていたのだが、朱王は一家の大黒柱、しかも近頃は、人形の修理ばかりであり、大きな仕事は請け負っていなかった。


 『また塩と重湯の生活に戻りたいのか。いい加減仕事を選り好みするのはやめろ』と、海華に厳しくたしなめられてしまえば、もう朱王に断る術は残されていない。

一度受けた仕事は全力で、そう長屋で気合いを入れて出てきたまでは良いが、どこに目をやっても黒山の人だかりだ。


 ぎゅうぎゅうと押し潰されそうな人の波と、容赦なく踏まれる足、そしてろくろく前を見ず、無遠慮にぶつかり、詫びも言わずに立ち去る無礼者は数知れず……さすがの朱王長屋まで逃げ帰りたい気持ちに何回も襲われつつ、目的の依頼主、絹田屋を目指し歩を進めていった……。


 浅草寺の方角は、夜の帳が降りた今でもぼんやりと白い光を放っている。

それは暗闇に吊るされた数多の提灯が成せる業が、はたまた夜を迎えてもなお衰えを知らぬ人々の気勢が成せる業なのか。


 背中に背負った大きな木箱に、人形と仲見世の傍らに立ち、得られた稼ぎを詰め込んで帰路につく海華は、いつにも増して上機嫌。

足取りも軽やかに道端の小石を蹴り飛ばす彼女の手には、薄荷飴の入る小さな紙袋が握られている。


 祭りの時期は言わずもがな、海華ら大道芸人達にとっては掻き入れ時、大切な催しだ。

これから賑わいを増すであろう時間、早々と帰路につく気はなかったのだが、いかんせん、今朝送り出した兄の事が気にかかる。

あまり気乗りしない様子だった兄の尻を叩くよう、半ば強引に送り出してしまった。

道端で人形を操っている最中も、その事ばかりが気になって仕方が無いのだ。

気にするくらいなら、さっさと帰ってしまおう。

そう考え、少しばかりの土産を買い求め、家路についたと言う訳なのだ。


 「ただいま! あ、兄様もう帰ってきてたのね」


 がらりと戸口を引き開ければ、暑く澱んだ空気が激しく動く。

手の甲で汗を拭き拭き土間に入る海華の前には、使い古した団扇を振るいつつ汗だくで作業机の前に座る兄の姿があった。


 「ああ、お帰り。祭り時期なのに、早かったな?」


 いつもは背に流したままの長髪を束ね、頬をうっすら上気させる朱王は、顔だけをこちらに向けたまま、ゆるりゆるりと団扇を振る。

『まぁね』そう一言だけ答えつつ室内へ上がった海華は、重く肩に食い込む木箱を下ろし、部屋の隅へ押しやった。


 「兄様の事が心配で、早く切り上げたのよ。で、どうだったの? 絹田屋さんの仕事」


 絹田屋、その名を海華の柔らかな唇が紡ぎだした刹那、朱王の表情がわずかに曇る。


 「ねぇ、どうだったのよ。まさか、断ったんじゃ……」


 「仕事は受けたさ。── 海華お前、絹田屋さんの事で何か耳にしちゃいないか? 噂話とか……なんでもいい」


 机を背にこちらを向く兄が放った台詞に、海華は一瞬怪訝そうな様子で小首を傾げた。


 「何よ、藪から棒に……絹田屋さんの事? 噂話って……ああ、もしかしたら、あれの事?」


 ふと何かを思い出したのか小首を傾げたままの海華が視線を宙にさ迷わす。

身を乗り出し、妹の言葉を待つ朱王の手から音もなく団扇が白っ茶けた畳へ滑り落ちた。


 「なに、てて無し子ぉ!?」


 目を見開き、すっとんきょうな声を張り上げる朱王に、海華は自らの唇に人差し指を押しあて、『しぃっ!』と鋭く息を吐いた。


 「声が大きい! 外に聞こえるじゃないの! あくまでも噂よ、噂。 絹田屋さんのお嬢さん、父親のわからない子を孕んだって、お腹が大きいところを見た人がいるんですってよ?」


 「── なら、俺が聞いたのは赤ん坊の泣き声だったのか?」


 「え!? 兄様赤ちゃんの声聞いたの? やだ、やっぱりあの噂は本当だったのね……」


 いかにも興味津々というように、漆黒の瞳を煌めかす海華は、畳に落ちた団扇を手にしパタパタと己を扇ぐ。


 「姿を見た訳じゃないから、確かな事は言えん。だが、今日写生に行った時、微かだが赤ん坊の泣き声が聞こえたんだ」


 作業机にドンと肘をつき、傍らに置いた手拭いで首から胸元を拭いつつ、朱王は話しを進める。


 「孫でも出来たのかと思ってな、それとなく尋ねてみたんだが、あやふやな返事しか返ってこなかった。てっきり赤ん坊の為に人形を頼んだんだと思ったが、頼まれたのは単なる飾り用の市松人形だったよ」


 「ふぅん……でも、噂が事実だとしたら、そりゃ隠したがるわよね。あそこは一人娘だしさ、もし知られちゃったらお店の看板に傷がつくし、お婿さんの来てもなくなるわ」


 土産にと買い求めた薄荷飴を口に放り込み、溜め息と共に呟いた海華。

絹田屋は、大店と呼ぶほどの店ではないが、それでも江戸ではそこそこ名のしれた絹織物問屋である。


 「仕事選ぶな、って言ったのはあたしだけど……なんだか厄介な依頼だわね」


 「まぁな。だが、おおっぴらには出来ない依頼なんて、今日が初めてじゃない。妾の人形頼んできた奴もいたからな。どうってことはないさ。ただな……」


 『お前、外でべらべら喋るんじゃないぞ』


 じろりと横目で自分を睨み、低い声色を出す朱王に、海華は頬をパンパンに膨らませつつ眉をつり上げた。


 「失礼ね! 喋っていい事と悪い事くらい区別はつきます!」


 「そうか、お前もやっと大人になったな」


 にや、と白い歯を覗かせ、悪戯っぽい笑みを見せる朱王へ、海華は顔を真っ赤に染め上げながら、てにした団扇を思い切り兄へとぶつける。


 『いつまでも子供扱いするんじゃないわよ!』そんな海華の金切り声が、戸口の隙間から微かに聞こえる祭り囃子を一瞬で掻き消していく。

その数ヶ月後、海華は思いもよらぬ光景を目撃することとなったのだ。





 朱王が人形の依頼を受けて数ヶ月が経った。

祭りの頃も過ぎ去り、街を吹き抜ける風が秋の香りを感じる季節。

清々しくもどこか侘しい雰囲気漂う江戸市中を、木箱を背負った海華が次の仕事場となる辻へと向かう。

見物人がいなければ仕事にならない、出来るだけ大勢の人間が集まる所、そして辻を目指して歩を進める彼女は江戸中を縦横無尽に走る裏道を知り尽くしていると言っても過言ではない。


 この日も時間と体力の節約のため、大通りから裏小路へ飛び込んだ海華。

迷路のような細い道を歩き、これまた細い十字路にぶつかる。

そこを通り過ぎようとした海華がふと右の小路へ顔を向けた時だった。


 黒ずんだ板塀に囲まれた屋敷、そこへ隠れるように作られた小さな裏口の前に、黒衣を纏い、純白の頭巾をすっぽりとかぶった小柄な人影が立っていたのだ。

無意識に、海華の足がぴたりと止まる。

目をこらしてよくよく見ると、黒衣は真新しい僧衣だ。

白い頭巾と華奢な体躯から考え、その人物は尼僧に間違いはなかった。


 太陽の光を反射し、眩しいくらいに黒光りする屋敷の裏口に、なぜ御付きも従えていない尼僧。

不思議な組み合わせに、しばし立ち尽くしていた海華だが、固く閉ざされていた裏口がゆっくりと開いたと同時、慌てて近くに立つ木塀の陰へ身を隠す。


 悪い事をしている訳ではない、しかしこれからの展開に興味があったし、盗み見をしているという後ろめたさもあるのだ。

興味津々、目を皿のようにして屋敷を、尼僧を見詰める海華。

微かに蝶番が軋む音を立て、開いた裏口から姿を現したのは、恰幅の良い年の頃四十路程の中年男だった。


 年格好からしてこの屋敷の主であろう男は、その太い腕の中には尼の頭巾と同じ雪のように白く、分厚いおくるみと、山吹色の風呂敷包みが、しっかりと抱えられていた。

遠目からでも、おくるみから時折のぞく紅葉の手や、肉付きは良いが白く小さな足がはっきり見える。

大切そうに包まれているのは間違いなく赤ん坊だ。


 男は尼僧と額を寄せ合わせ、なにやら二言三言言葉を交わしていたが、やがて深々と頭を下げるとおくるみと風呂敷包みを尼僧へ手渡したのだ。

その瞬間、今まで泣き声一つ上げなかった赤ん坊が火のついたように激しく泣き叫び、短い手足をばたつかせ始める。

表情を曇らせる男をよそに、尼僧は馴れた手つきで赤ん坊あやしつつ、足早にその場を後にした。


 その姿を見送りもせず、逃げるように裏口を潜る男と、次第に小さくなっていく尼僧の後ろ姿。

猫の鳴き声にも似た赤ん坊の泣き声が、怪訝な面持ちを崩さず、一部始終を目の当たりにした海華の鼓膜にいつまでもこびりついていた。





 奇妙な光景を目にした海華。

しかしいつまでもそこに立ち尽くしている訳にもいかず、小首を傾げながらも先を急ぐ。

十字路を抜け、尼僧が消えていった道を辿ると、そこはすぐ表通りに通じており、沢山の人々が足早に目の前を通りすぎて行く。


 消えてしまった尼僧の姿を探すよう、何気なく遠くへ視線を投げた時だった。


 「海華ちゃん!」


 若い男の声が飛んだと同時、ぽん、と軽く肩を叩かれ、思わず口から飛び出る掠れた悲鳴と一気に粟立つ肌。

口許を引き攣らせ、顔だけを横に向けると、そこにはにこやかな笑顔を浮かべた青年の姿があった。


 「あ……あぁ、惣、太郎さん」


 「久し振りだな、── どうしたんだい、鳩が豆鉄砲喰らったような顔して?」


 ちょいと小首を傾げて尋ねてくるこの男は、 伽南の実家である薬問屋で番頭として働く惣太郎だ。

不意に現れた知人に動揺を隠しきれない海華だったが、無理矢理笑顔を作り出し、彼を見上げる。


 「なん、でもないの。ごめんなさいね、惣太郎さん元気にしてた?」


 「ああ、お陰様で。海華ちゃんも絹田屋に用足しかい?」


 惣太郎の口から出た台詞に、またもや海華は目を白黒させ、唇をぱくつかせる。

からくり人形の如く、ぎこちない動きで真横を向けば、そこには『絹田屋』と白抜きされた紺色の暖簾が、涼やかな秋風にひらひらとたなびいていた。


 「ここ……ここって、絹田屋さん……?」


 「そうだよ、暖簾にも看板にもそう書いてあるじゃないか。……なぁ海華ちゃん、なんだか今日おかしいぜ? 大丈夫……」


 「ごめんなさい惣太郎さん! あたし、あたしちょっと用事が出来ちゃった!」


 いぶかしがる惣太郎の横を猛烈な勢いで駆け抜ける海華の背中に半ば悲鳴じみた彼の声が飛ぶ。

しかしその声に振り返ることもなく、海華は人混みをくるくると器用にすり抜け、兄の待つ長屋を目掛けて脱兎の如く駆けていく。


 息を切らし、やっと辿り着いた長屋。

絹田屋から受けた一仕事を終え、すぐ新しい依頼を受けていた朱王は、いつもの如く部屋に引きこもったままだ。


 がたぴし軋む戸口を外れんばかりの勢いで跳ね飛ばし、頬を真っ赤に染めて土間へ飛び込んできた妹に、いつもの如く作業机に向かっていた朱王は、いつもの如く目だけをじろりと動かし、言葉にならない叫びを放ちながら部屋へ飛び込んでくる妹を見据え『静かにしろ』と、一言吐き捨てた。


 「ねぇねぇ兄様っ! あたしおかしなもの見ちゃった! ねぇ兄様聞いて! ねぇ聞いてってば! 」


 「ぎゃあぎゃあ喚くなみっともない。そんな大声出さなくても、ちゃんと聞こえている」


 耳元で響く妹の甲高い叫びに顔をしかめ、朱王は手にしていたのみを机へ置く。

背中の木箱を部屋の片隅に押しやり、兄の真横に腰を下ろした海華は、荒い息も整えぬまま、絹田屋の裏口で目撃した全てを兄に話して聞かせた。


 「そうか、俺が赤ん坊の声聞いてからかなり経つもんな……。結局、どこかへ養子にでもやったんじゃないか? おおやけにはできない子供だからな」


 「そうは言うけどさ、尼さんが連れて行くって、なんだかおかしくない?」


 「そうか? 赤ん坊が男だったら寺の小僧にする手もある。どこかのヤクザ者や水呑百姓に預けるより、ずっとマシだ。だいたいお前な、よそ様の事に首突っ込んでうるさく喚き立てるな。お前の悪い癖だ」


 『いい加減にしておけ』そう一言残し、再び机へ向き直る朱王の横で、眉間に深々と皺を寄せ、頬を真ん丸に膨らます海華は、完全にそっぽを向いてしまった兄の袖を何度か引く。


 「そんな冷たい言い方しなくたっていいじゃない。── 産まれてすぐに、母親と別れ別れにさせられるなんて……可哀想よ」


 急に声を沈ませる海華は、己の膝先に視線を落としたまま、きつく唇を噛み締める。

軽快に人形の頭を削っていた朱王の鑿が、ぴたりとその動きを止めた。


 「いいか、お前と赤ん坊は赤の他人だ。あまり深入りするな。また余計な事に捲き込まれるぞ」


 どこまで行っても二人の話しは平行線のまま、苛立ちを露にした朱王が、『だからいい加減にしろっ!』と一言怒鳴り、鑿を机へ叩き付けたと同時だった。

海華が思い切り叩き付けた、半分開いたままになった戸口が遠慮がちに叩かれたかと思うと、 表情を強張らせた惣太郎が、ひょっこりと顔を覗かせた。


 「邪魔、するよ……いや、こりゃあお取り込み中、だったかな?」


 柳眉を逆立て、火花を散らさんばかりに睨み合う兄妹を前に、惣太郎は二、三歩後退る。

いつもと様子がおかしい海華を心配し、絹田屋から彼女の後を追ってきたのだ。


 「惣太郎さん……! いや、いい! なんでもないんだ」


 「あら! 惣太郎さんいつからいたの!? やだわぁ、みっともないとこ見られちゃった」


 あたふたと照れ笑いを見せながら、二人は惣太郎を室内へ招き入れる。

暫し躊躇していた彼だったが、茶を用意し始めた海華を見て、やっと下駄を脱ぎ出した。


 「急に来てすまないな。どうしても海華ちゃんの事が気になってさ。今の話しも、表で少しばかり聞いちまってさ……」


 つぎはぎだらけの座布団に腰を下ろした惣太郎は、申し訳なさそうに俯いてしまう。

それを見て、もはや朱王は苦笑いするしかなかった。


 「気にしないでくれ。あれだけでかい声で話してたんだ。戸の前にいりゃあ聞こえるさ」


 「そうかい? それならいいんだが……。その、海華ちゃんが言っていた尼さんな、そりゃあ多分……」


 『玉仙ぎょくせんってぇ尼だと思う』


 ひどく言いにくそうに、ぽつりとこぼす惣太郎の瞳が、どこか不安げに揺れる。

それを目にした朱王は、無意識に小首を傾げつつ茶の支度を始めた海華の背中に視線を投げた。


 「惣太郎さん、あの尼さんのこと知ってるの?」


 湯をたっぷり満たした急須もそのままに、海華はささくれた畳を四つん這いで惣太郎のもとへにじりよる。

無言のまま、小さく首を縦に振る惣太郎は、乾いた唇をぺろりと嘗めた。


 「詳しい事はまでは、よく知らないんだ。二人共、中野にある正願寺せいがんじって知ってるか?」


 惣太郎の問い掛けに、朱王は否と言うように首を振り、海華は何度か目を瞬かせた後、『ああ』と空気が漏れるような呟きをこぼした。


 「知ってるわ。中野の外れにある古いお寺よね? でも、あそこは確かご住職一人と小坊主が何人かいただけよ? 尼さんなんていなかった……」


 「先代の住職は一年位前に死んだんだよ。で、その後釜に収まったのが玉仙って訳だ」


 そう一気に言い終えた惣太郎の前に、白く湯気を立てる湯飲みが差し出された。

同じ物を海華から手渡された朱王は、それを一度畳へ置き、熱そうに茶を啜る惣太郎へ視線を向ける。


 「その玉仙ってのは、もとから寺にいた尼なのか?」


 「それはわからない。だけど、陸中(岩手)辺りから流れてきたって噂は聞いた」


 「陸中くんだりからわざわざ江戸まで!」


 すっとんきょうな声を上げ、危うく湯飲みを取り落としそうになった海華。

人の足で歩けば幾日かかるか検討もつかない僻地から、玉仙なる尼は何を目的で江戸まで来たのだろう?


 「それでさ、その玉仙がな、薬研堀の闇医者のところへ顔を出しては子堕しを止めるよう説得しているんだとさ。せっかく芽生えた命を絶つなど悪鬼の所業、育てられぬなら寺で引き取り立派に育てるから、どうか子供を産んでくれってさ」


 そう言いながら、惣太郎は再び茶で唇を潤す。

薬研堀の闇医者、つまり堕胎を生業とする産婆のもとへは、望まぬ妊娠をした女らが人目を盗み通うのだ。


 「なんだ、堕ろされる赤ちゃんを助けてるなら、すごくいい人じゃないの。玉仙じゃなくて仙女様だわ」


 目をくりくりと動かし、そう叫ぶ海華へ、惣太郎は小さく頷いた。


 「そうなんだ。実際、赤ん坊預けた女のなかにゃ、あの尼さんは神だ仏だ仙女様だって言う奴もいるらしい。うちに出入りしてる客からの受け売りだから、正確かどうかはわからないけどね」


 ぽりぽりとこめかみを掻きつつ惣太郎は苦笑いを見せる。

彼の話しが真実なのだとすれば、絹田屋の娘も闇医者のところつ玉仙に出会い、子堕しを止めるよう説得されたのだろうか。

海華が目撃したのは、産まれた子を玉仙へ託した瞬間だったのか……。


 「じゃあ、何か悪い事をしてる訳じゃなかったね。── 母親と別れ別れにさせるのは可哀想だけど、堕ろされるよりは良かったのかも」


 しみじみと呟く海華に同調するかのように、惣太郎も無言のままに頷く。

やっと海華も納得したか、そう心中で思いつつ、朱王は冷めゆく茶を啜りながら、再び談笑に花を咲かせる海華と惣太郎を眺めていた。

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