第三話
「あの書き置きさ、連名にする必要なんかなかったんじゃねぇのか?」
古びて変色した木塀に身を持たれ掛け、弔問客らに視線を走らせる志狼の口から、そんな台詞がぽろりとこぼれる。
彼と同じく物陰に身を隠す海華の口角がほんの少し、つり上がった。
「あれでいいのよ。あたし一人で突っ走ってるなんて勘違いされたら、兄様きっと大騒ぎするわ。また修一郎様まで巻き込まれちゃかなわないもの。志狼さんと一緒なら、少しは安心するじゃない」
「まぁ……一人よりは二人が安全だがな……。それよりいつまでここにいるつもりだ? 弔い客なんざ見張ってて何がわかるんだよ?」
塀に凭れ、深く腕組みしながら志狼が呟く。
彼と向かい合うよう佇み、塀の影からちょこんと頭を覗かせる海華は、些か困った様子で肩をすくめ志狼へ振り向いた。
「怪しそうな人でも来るかと思ったんだけど……空振りだったみたい。これからどうする? 香桜屋は店閉めたまんまだしさ。調べる場所なんて、他にある?」
海華の言葉に、今度は志狼が困り顔で視線を宙にさ迷わす。
ここに来る前、二人は伽南の生家である薬種問屋『香桜屋』へ足を運んでいた。
しかし、店は固く戸を閉ざし、ひっそりと静まり返ったまま。
平然と商いを続けていける状態ではない事は、二人も充分わかっていた。
駄目元で訪ねてみたが、見事無駄足だった訳である。
「どこか別の場所って言ってもな……。心当たりなんかねぇな。大体、清蘭先生が戻られない限り何の手掛かりもねぇんだ」
「そんな……清蘭先生のんびり待ってる時間なんてないわ! 伽南先生をいつまで牢屋に閉じ込めておくつもりよ!?」
沸き上がる怒りに声を震わせ、きつく唇を噛み締める海華の影が小さく揺れる。
大声を出すな! そう言いたげに自らの唇へ人差し指を押し当て、志狼は緩やかな癖のある前髪を鬱陶しそうに掻き上げた。
「そうだ、お藤さんは!? 清蘭先生の奥様、何か知ってるんじゃあ……」
「馬鹿、とうの昔に旦那様が話を聞いている。お昌については、病気の事も薬の事も何も知らないとさ」
「そう……お藤さんだってお医者様なのに……清蘭先生何も話ししていなかったのね」
親指の爪を噛み、自分の爪先へ視線を落として海華は黙り込んでしまう。
もう万事休す、自分達にはどうする事も出来ないのか……。
そんな虚無感が海華の心を支配し始めた、その時だった。
「こうなったら、もう一つしか手はねぇな」
すっくと塀から身を離し、志狼は中崎屋へ鋭い眼差しを向ける。
一方、跳ね上げるように顔を上げた海華は、漆黒の瞳を大きく見開いた。
「なに!? なにかいい手があるの?」
「ある。最後の手段だ。旦那様や朱王さんにバレたら何かと面倒だが……。おめぇ、鼠になる気はあるか?」
『鼠になれ』なんとも奇妙な台詞に、ぽかんと口を半開きに、海華が小首を傾げる。
にや、と意味ありげな笑みを投げる志狼の束ね髪が、熱を帯びた風にさやさやと揺れた。
「鼠になるって、こういう事だったのね」
蚊の鳴くよりも小さな声で海華が呟く。
『まぁな』と、こちらも微かな声量で答える志狼、しかしその表情はすぐ隣にいる海華にも窺い知れない。
二人の周りには、墨を流したと見間違う程の漆黒のに塗り潰されているのだ。
外界を夜の神が支配し、燃え盛る太陽と主役を交代した冷たい月が天に煌めく。
辻行灯がぼんやり眠たげな明かりを灯す頃、二人の姿は中崎屋の屋根裏にあった。
人目を忍んで屋敷に忍び込み、むせかえる埃の充満する屋根裏で息を殺す。
正に鼠と同じだ。
縦横無尽に張り巡らされた太い梁の上を足音も立てずに歩くなど、慣れない海華には一苦労であり、暗闇にもなかなか目は慣れない。
不本意ながら先を行く志狼に手を引かれ、足元を駆け抜ける本物の鼠にびくつきながら、海華は必死に志狼の後をついて歩いた。
どこをどう歩いたのかさっぱりわからぬまま、海華は着物の袖口を口と鼻に当て、舞い上がる埃に顔をしかめる。
と、前を行く志狼がある場所でぴたりと足を止めたのだ。
こんな所で何を始めるのかと思いきや、志狼はある一枚の天井板に手を掛け、音も立てずに横へ滑らせる。
薄い蒲公英色をした光の柱が目の前に現れた刹那、海華はホッ、と小さな溜め息を漏らした。
「この下はなんなの? ねぇ、何が見えるの?」
「ちょっと待て……ああ、いい場所に当たったぞ。ここの主人の部屋だ。女将もいるな。 ……ここ見てみろ」
志狼に言われるがまま、身を低くして白く埃の積もった天井板に顔を寄せる海華。
僅かな隙間の間から、途切れ途切れながも、ぼそぼそと人の話し声が聞こえてくる。
『どうしてあの子がこんな目に……』
『病のせいだと思うしかない。お前、そう泣くんじゃないよ』
海華の眼下では、さめざめと泣き出す女将らしき女の肩を、初老の男が抱き寄せる。
蝋燭に照らされた喪服姿の二人の影が、畳へ長く伸びていく。
『だが、これでお峰もやっと嫁に行けるじゃないか。元はと言えばお昌の病で縁談が……』
『そんな言い方あんまりです! まるで厄介者がいなくなったみたいに……!』
悲鳴じみた叫びを上げ、女将は主の手を振り払う。
その瞬間、思わず海華の口から『あぁっ!』と 緊迫した叫びが放たれた。
『誰だっ!』鋭い怒号と共に下界の二人が弾かれたように天井を見上げる。
泣き腫らし、赤く充血した四つの目に睨まれたと同時、海華の襟元が力一杯後ろへ引かれ、声にならない悲鳴を上げて海華は埃を巻き上げながら、天井裏を引き摺られた。
「この馬鹿っ! 早く立て! 逃げるぞっ!」
焦りに顔を歪ませる志狼、『泥棒!』『誰か来て!』そんな悲鳴が飛び交い、一気に騒がしくなる下界、返す言葉も見付からず、海華は真っ白な埃にまみれて志狼に手を引かれ、天井裏を駆け抜ける。
足を縺れさせ、梁に躓き強かに腹を打った海華は、低い呻きを漏らしつつ懸命に立ち上がった。
そんな彼女を咄嗟に抱き抱えた志狼は、最初に忍び込んだ屋敷の裏手から、転がるように外へ飛び出した。
「ちょっ……下ろして! もう大丈夫だから、っ!」
「うるせぇっ! いいから大人しくしてろっ!」
横抱きに抱き抱えた海華にそう一喝した志狼は、土煙を上げて地を蹴り飛ばし、その身体が夜の空を軽々と飛ぶ。
身を固くし、息を詰まらせた海華は、頬を打つ生温い夜風にきつくきつくその目を閉じた。
闇の世界に沈む江戸の街。
海華を抱き抱えた志狼が疾風の如く瓦屋根を飛び越え、枝分かれした細い小路を駆け抜ける。
文句も、悲鳴の一つすら上げられず、ただただ身を固くしたまま力一杯志狼の胸元を握り締める海華の視界に、黒い影と化す傾きかけた長屋門が飛び込んできた。
土煙を巻き上げつつ、中西長屋の前で足を止めた志狼は、こめかみから一筋の汗を滴らせ胸の底から深く深く息を吐き出した。
「なんとか逃げ切れたな……。おい、大丈夫か?」
「だい、じょう、ぶ……。大丈夫だから…… もう降ろしてくれない、かな?」
からからに乾いた唇をなんとか動かし、海華は引き攣った笑みを浮かべて志狼を見上げる。
やっと地面に足が付いたと思った矢先、ぐらりと視界が揺らめき身体が傾ぐ。
「どこが大丈夫なんだよ。こんなよたよたじゃ、部屋までもたないぜ?」
慌てて彼女の脇を支える志狼。
視線をあちこちにさ迷わせながら自室の前に辿り着くが、部屋の中は真っ暗で、人のいる気配は全くなかった。
「あら、兄様どこか行ったのかしら?」
小首を傾げてそう呟き、海華は戸口に手をかける。
思った通り、暗闇の中に朱王の姿はない。
よたつきながら室内に入った海華は、行灯へ手早く火を灯し長持ちの中から手拭いを一枚引っ張り出した。
「あら、そんな所で突っ立ってないで、中入ってよ」
どこか落ち着かない様子で土間に立つ志狼へ、振り向き様に海華はそう声をかける。
しかし、志狼は一向に室内へ上がろうとはしない。
「いや……朱王さんもいないしな、今は夜、だし……」
小さく俯きながら、しどろもどろにそう答える志狼に海華は思わず吹き出してしまった。
「今更なによ水臭いわね! 妙な事心配しないで、早く入って。蜘蛛の巣頭に引っ掛けたまま帰す訳にはいかないわ」
にや、と白い歯を見せる海華は自分の頭をちょんと指差す。
慌てて自らの頭に手をやった志狼の指先に、べたりと埃まみれの真っ白な蜘蛛の巣が絡み付いた。
驚いた様子でそれを払い退ける志狼を横目に、海華は一度土間に下り、水瓶の水を小桶に移して手拭いを浸す。
固く絞ったそれを志狼に差し出した。
「はい、どうぞ。今お茶でもいれるから。少しはゆっくりしてってよね」
「ああ。じゃあ、遠慮なく」
素直に手拭いを受け取り、顔から身体、足を拭いた志狼はやっと室内へ上がり畳へ腰を下ろす。
志狼に渡したのと同じく、濡れ手拭いで髪と顔を拭いた海華は、ふぅぅ、と気の抜けるような溜め息を漏らした。
「ねぇ志狼さん、あの旦那と女将の話し、どう思う?」
「お昌って娘がお荷物だった、ようなふうに聞こえたな。だが、実の娘に毒なんざ盛るか?」
眉間に微かな皺を寄せながら、束ね髪をばらりとほどき、絡み付く蜘蛛の巣を拭き取る志狼。
濡れ手拭いを畳に放り、ずい、と彼の方へ身を乗り出した海華は、その大きな瞳で真っ直ぐに志狼を見詰める。
「お峰さんの結婚の邪魔になってたとしたら? せっかくの縁談がご破算になるのよ? 聞いた話しじゃ、相手は大きな反物屋の息子らしいじゃない?」
奇妙な病にかかった妹と、今そこにある幸せを手にしようとする姉……。
妹のせいで縁談が破談になるのだとしたら……。
「実の娘でも、殺っちゃうかもよ? ……こうしちゃいられない、あたし番屋に行く! あの二人締め上げてもらわなくちゃ!」
「馬鹿! まだ何の証拠もねぇんだ! ちょっと待て……!」
ばん!と勢いをつけて立ち上がる海華の着物を咄嗟に掴み、引き止めようと腰を浮かせた途端、海華の足がずるりと滑る。
声にならない悲鳴を上げ、二人が畳へ倒れ込んだのを待ち構えていたかのように、がらりと乾いた音を立て、戸口が引き開けられた。
「海華、帰ってたの……」
片手に酒瓶をぶら下げ戸口を引き開けた瞬間、朱王の表情が凍り付く。
外で飯を食い終わり、少しばかりくちにした酒も手伝って、いい心持ちで帰宅した、彼の目の前に広がる光景は……。
「あ……兄様」
着物の裾を乱し、太股の半ば辺りまで露にして畳に横たわる海華と、その上にのし掛かる志狼の姿だった。
しかも、頬を引き攣らせ、その衝撃的な現場を見詰める朱王の背後には、桐野、都筑、高橋の三人が立っている。
「どうした朱王、そんな所に突っ立っ ……っ!?」
朱王を横に押しやり、ひょいと顔を覗かせた桐野も、その場の光景を目にした途端裂けんばかりに目を見開き、金魚よろしく口をぱくつかせた。
「だんっ……な、さま!?」
桐野の姿を目にした志狼の口から悲鳴にも似た叫びが飛び出す。
桐野の背後から、酒精に頬を赤くした都筑と高橋が顔を出した刹那朱王のこめかみに、くっきりと青筋が浮かんだ。
「いい加減離れろ────ッッ!」
びりびりと空気を震わせ、怒髪天を突く朱王の怒号が長屋中に響き渡る。
蛙の如く跳ね上がり、海華の上から飛び退いた志狼と、慌てて身を起こし着物の裾を直す海華の前で朱王は酒瓶を畳に放り出し、下駄を履いたまま室内へ飛び込んだ。
「人の部屋で何をやっているんだ!? 海華っ! お前……いつから志狼と!」
「志狼ッッ! これは一体どういう事だ! 説明しろっ!」
怒りに目を剥く朱王と顔色を蒼白に変えた桐野に詰め寄られ、二人はじりじりと壁際に追い詰められる。
何がなにやらわからず、互いに顔を見合わせる都筑と高橋の後ろには、朱王の怒号を聞き付けた長屋の住人らがわらわらと集まり始めていた。
「兄様落ち着いて……あたし何も……何だかよくわからないうちに……」
「わからないだ!? まさか……志狼貴様っ!」
「志狼! まさかお前、海華を無理矢理!?」
「違いますっ! 俺はそんな……誤解ですっっ!」
喧喧囂囂侃侃諤諤口角泡を飛ばし、言い争う四人を、都筑以下野次馬連中は唖然とした様子で眺めるばかり。
遂に朱王が志狼の胸ぐらを掴み上げ、殴り合い寸前になってやっと青い顔をした高橋と都筑が四人の間に割って入る。
六畳一間での大乱闘は、住人らの見守るなか夜更けまで続いたのだ。
「……それで、お前達は中崎屋の屋敷に忍び込んだ、と?」
些か疲れた様子で尋ねてくる桐野に、壁際に並び正座した志狼と海華がバツが悪そうに小さく頷く。
嵐の過ぎ去った部屋には既に野次馬連中の姿はなく、先の三人以外には、未だにむっつりと不機嫌さを露にした朱王と、居心地が悪そうに部屋の隅に座る都筑、高橋しかいない。
なぜこの長屋に桐野らが来たのか、理由は簡単だ。
それぞれ飯の支度をする海華と志狼が出掛けてしまい、残された朱王と桐野は連れ立って外で夕餉を済ませた。
せっかくだから、都筑と高橋も連れて長屋で飲み直そう、そう提案したのは他でもない朱王である。
「二人でこそこそ出掛けたと思えば……海華っ! また余計な真似をしたな!? 他所様の家に忍び込むなんて、泥棒と変わらないんだぞ!」
正面に座する兄に頭ごなしに怒鳴られ、海華は無言のままシュンと項垂れてしまう。
「いや、朱王さん違うんだ。屋敷に入ると言い出したのは俺なんだ。海華は、ただついてきただけなんだ」
しょんぼり萎れてしまった海華を庇う志狼の台詞に、朱王はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
この怒りは当分収まらないだろう肩を竦めて己の膝先に視線を落とす志狼の横で、海華がそろそろと顔を上げた。
「余計な事にしたのは謝るわ。ごめんなさい……。でも、あたしも伽南先生を助けたいの……。それに、手掛かりになりそうな話しも聞けたから。あながち無駄足じゃなかった、わよ?」
恐る恐るといったように言葉を選び話す海華。
そんな彼女を眉間に皺を寄せて見詰める朱王の口から、微かな微かな溜め息が漏れた。
朱王の怒りも治まりかけたところで、志狼と海華は中崎屋の屋根裏で盗み聞き……いや、聞き取った情報を洗いざらい話して聞かせた。
最初こそ眉間に深い皺を刻み、難しい表情を浮かべて二人の話しを聞いていた桐野だが、やがて自らの顎を指先で擦りつつ、背後に座する都筑へと振り向いた。
「おい都筑、お峰の婚約が破談になりそうだなどと言う話しが、どこからか出ていたか?」
「いいえ全く。二人の評判はすこぶる良いものばかりでした。二人共に相思相愛、気立ては良いし美男美女、夫婦になるに相応しい。耳にするのはそんな話しばかりです。なぁ、高橋?」
「都筑の申す通りでごさいます。悪い噂は全く……。死んだお昌の方は、まぁ色々と……」
「え? お昌さんに何か悪い話しがあるんですか? あんな寝た切りの病人に……」
すっとんきょうな声を上げ、目を瞬かせる海華に、高橋はやたら言葉を濁してしまう。
早く話せ、そう言わんばかりに、桐野が視線を高橋へ投げた。
「実は、その……お昌は病などではなく、気がふれただの狐が憑いただの……まず妙な噂しか出てこないのだ」
「狐が憑いた、ね……」
いかにも胡散臭そうに、志狼がぽつりと一言こぼす。
しかし、あの尋常ではない叫びを聞いていたなら、そう思われても仕方無いのだろう。
「悪いモノに祟り殺されたと嘯く者までおりまして……。桐野様、死人に鞭打つようで甚だ心苦しいのですが、お昌が死んで嘆き悲しむ者はあの女将か姉であるお峰くらいかと……」
「うむ、実際のところ主からはお峰を案じる言葉しか聞かれなかったからな。いくら嘆けど死んだ者は戻ってこない、といったところか」
深々と溜め息をつきつつ、そうこぼす桐野を前に、朱王と海華はちらと視線を交じ合わす。
「じゃあ、あの旦那がお昌に毒を盛ったってわけ?」
「まぁ……考えられない事はないな。旦那なら南蛮渡来の毒薬でも石見銀山でも、割合簡単に調達できるだろう」
どうやら二人とも似た臭い事を考えていたらしい。
互いに顔を見合せ眉間に皺を寄せる兄妹に、志狼が割って入った。
「だがな、いつもお昌に薬を飲ませていたのはお峰だろう? いくら父親でも、お峰に気付かれずに毒薬と薬を代えられるもんか?」
志狼の問いに、その場にいた誰もが低い呻きを上げてじっと考え込んでしまう。
確かに、薬の形や色、包み紙に至るまでそっくりそのまま同じ物を揃えなければ、お峰や、果てはお昌にも怪しまれるだろう。
「そこまで用意周到だとしたら必ず殺らなければならぬ理由があるはず。勿論、伽南先生にはそんなものはない。使用人達や家人以外の人間にも、そこまでの殺意を抱く者がいるなど考えにくい」
深く腕組みし、じっと己の膝先を見詰めながら発された都筑の台詞に、高橋も同調するように『やはり家族が怪しい』、そうぼそりと呟いた。
「誰が怪しいにしても、まずは証拠だ。確たる証拠を得られない限り推測は所詮推測。伽南殿を牢から出す事はできぬ」
苦虫を噛み潰した表情を作り出し、顎を擦る桐野。
確かに彼の言う通りだ。
「なら、その証拠を探します! ううん、下手人自体を探して奉行所に突き出せば……」
「いいからお前は余計な真似をするなっ!」
瞳を煌めかせ、思わず腰を浮かせた途端、柳眉をつり上げた朱王に頭ごなしに怒鳴られ、海華は渋々ながらに腰を下ろし、河豚よろしく膨れてしまう。
再び険悪な雰囲気を醸し出す兄妹。
その隣では、また始まったか、と言いたげな表情の志狼が無言のまま二人を横目で眺めていた。




