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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第三十三章 黄泉返りの法
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第三話

 『女らを殺めた下手人は、死人を甦らせよう している』

現場からの帰り道、桐野が発した言葉に海華は勿論、高橋や都筑までもが驚愕の表情を見せる。

ただ一人、桐野と同じ考えだった朱王だけが、無言のまま頷いていた。


 先程までの騒ぎが嘘のように静まり返る夜道、墨を流したかのような漆黒の闇夜に溶ける提灯の灯り。 カラコロと乾いた下駄の音だけが朧月の浮かぶ空へ吸い込まれていく。


 「しかし桐野様……切り取った手足や胴体を繋ぎ合わせたところで、肝心の部分が足りません」


 恐る恐る口を開いた高橋は、額にじっとりと滲む脂汗を懐から引っ張り出した手拭いで拭う。


 「確かに高橋の言う通りです。完全な人間をこしらえるには、その……頭が、足りませぬ」


 高橋に同調する都筑の後ろで、あ、そうか!と控えめな叫びを上げた海華が、ぽんと手を打つ。

二人の言うように、棄てられていた骸はいずれも頭が残されたままだった。


 「頭も顔も無きゃあ、人とは言えませんよねぇ、話の一つも出来ないし、大体気味が悪くてしょうがないわ」


 「お前はどこまでお気楽なんだ。話が出来ない云々の前に、死骸が甦る時点で充分気味が悪いだろうが。……まぁ、万に一つもその可能性は無いがな」


 呆れた眼差しで隣を歩く妹を見下ろし、朱王が微かな溜め息をつく。

何が反魂香だ、何が淫祀邪教の法術だ。

一度死んだ人間が生き返るなど有り得ない。

元々神も仏も化物の類いも信じない朱王には、ただの気狂いが女を殺しまくっている、単純な事件にしか感じられない。


 「もし桐野様のお考えが正しいとしたら、下手人はまた一人女を殺めて頭を奪うつもりなのでしょうか?」


 早く凶行を止めなくては、と鬼気迫る面持ちの都筑に、桐野は意味ありげな視線を向ける。


 「もう、頭は用意してあるやもしれぬ。その頭に合わせて、胴体を、そして手足を奪った……。だとすれば、もう殺しは起きぬが…… このまま指をくわえている訳にも、いかぬ」


 ぎりぎり奥歯を噛み締め、桐野の目が延々と広がる闇を睨む。

五人の周りに建ち並ぶ家々からは一筋の灯りも漏れてはこなかった。


 「でも、でも……頭を取られた死骸が出たなんて話し、聞いたことありません」


 緊迫した空気をまとわりつかせる侍らを交互に見遣り、おろおろ声で呟く海華。

そんな彼女の肩を、朱王は指先で軽くつつく。


 「よく思い出してみろ。お前が前に話していただろう? 墓を荒らされて骸を盗まれた。…… 紙問屋の娘だ」


 「あ……! そうだ、そうだわ! まだ骸、見付かって無かったはずよ? もし、下手人が頭を切り落として……」


 「死骸を棄てずにとっていたなら、騒ぎにはなるまい。可能性はそれしかないのだ。それ以外、墓荒らしや骸を盗まれたとの報告はどこからも来ておらぬ」


 暗い夜空を見上げ、低く呻いた桐野の背中は、闇よりも暗く冷たい影を背負っているようだった。



 女の骸が発見されてから二日後、太陽が頭上高く登り詰めた頃、海華の姿は忠五郎、留吉の二人が居る番屋の中にあった。

兄が死骸を見付けたのも何かの運命、乗り掛かった船なんだからあたしも陰ながら協力する! とはただの言い訳、要するに沸き上がる好奇心に勝てなかったという訳だ。


 『余計なことはするな!』そんな朱王の叫びを振り切り、番屋へ走った海華、手ぶらではなんだからと途中で買い求めた大福を差し出すと、留吉は勿論、忠五郎も快く彼女を迎えてくれた。

三人で大福を食べ食べ茶を飲み他愛ない世間話に花を咲かせる。

頃合いを見計らい、海華はさりげなくバラバラにされた女の話を持ち出した。


 意外なことに、最初に口を開いたのは忠五郎だった。

顔見知りであり、気心の知れた海華だったからこそ、普段は固い彼の口も緩んだのであろう。


 「いやぁ、その話しなんだがなぁ、桐野様がとんでもねぇこと言い出してよ、水瀬屋って紙問屋、あそこの死んだ娘の墓、掘り返すってんだ。さすがの俺も震えたぜ? 墓荒らしの真似事しろってんだからよぉ」


 溜め息混じりに言う忠五郎に、口の周りについた白い粉を手の甲で拭った海華は、慌てて口内にあった大福をぬるい茶で流し込んだ。


 「墓掘り返すって……水瀬屋さんは了解したんですか? 前もお嬢さんの墓が荒らされたって噂でしたけど」


 『許す訳ねぇじゃねぇか』そう苦笑いする忠五郎の代わりに、早くも三つ目の大福を平らげた留吉が続いた。


 「旦那は茹で蛸みてぇに顔真っ赤にして大反対、女将は店先で泣き崩れちまってよ。何でも、墓荒らしは心無い噂、娘はきちんと葬ったとさ」


 「そりゃまぁねぇ……親としたらいたたまれないでしょう。でも桐野様は引き下がらなかったんですよね?」


 話は核心に迫りつつある。

上手くいったと内心ほくそ笑みながら、海華は角火鉢の上で白い湯気を噴き上げる鉄瓶を慎重に持って中の熱湯を急須に注いだ。


 「まあな、桐野様方が粘りに粘ってどうにか掘り返せることになったんだがよ、水瀬屋の旦那立合いで墓掘った。泥まみれの棺桶の蓋ぁ開けたら……海華ちゃん、中がどうだったと思う?」


 にや、と意味深な笑いを浮かべ忠五郎は海華が新しく注いだ茶を啜る。

焦らすような質問に、海華は早く答えろとばかりに自らの腿を叩いた。


 「どうだったんですか? お嬢さんの骸、ちゃんとありました? 早く教えて下さいよ!」


 「そう焦るこたぁねぇよ、開けてびっくり玉手箱だ。中はすっからかんのかん、娘の骸どころか、髪の毛一本入っちゃいなかったぜ」


 指を舐め舐め留吉が言う。

つまり、墓荒らしは噂などでは無く真実だったのだ。


 「旦那は倒れちまいそうになるしよ。何でも、墓が荒らされたってのは薄々気付いてたらしいが、店の看板に傷つけちゃなんねぇって、黙ってたらしい。やれ、化け物に骸喰われただの、仏罰が下っただの有らぬ噂立てられちゃ商いどころの騒ぎじゃねぇからな」


 驚きのあまり言葉を出せない海華へそう言った忠五郎は傍らに置かれた煙管をくわえ、複雑な表情で煙草盆を引き寄せた。

忠五郎が深々と紫煙を吸い込んだと同時、表から『ごめんください』と、よく聞き覚えのある男の声が響く。

がらりと戸口を開け、穏やかな春風と共に姿を現した男の顔を見た途端、海華は小さく頬を引き攣らせた。


 「にぃ、っ様……」


 「やっぱり、まだここにいたのか。親分申し訳ない、ご迷惑お掛けしました」


 睨み付ける眼差しで妹を一瞥しながらも、朱王は煙管をふかす忠五郎へ小さく頭を下げる。

鼻の穴から勢いよく紫煙を吐き、忠五郎は気にするな、とばかりに片手を振って見せた。


 「なぁに、いいってことよ。それより、後ろにいるのは……お、伽南先生!」


 慌てた様子で煙管を煙草盆へ放り出し、忠五郎は姿勢を正す。

朱王の後ろに半分隠れ、濃茶色の羽織を纏った伽南がにこやかに一礼した。


 「ご無沙汰していました。皆さんお揃いで……。海華、朱王から聞きましたよ? 貴女の好奇心には誰も敵いませんねぇ」


 「先生……嫌だわ兄様、いくらなんでも先生まで引っ張り出すことないじゃない?」


 ばつが悪そうに微笑み、うつ向く妹に呆れた溜め息をついて朱王は伽南と共に一旦は上がり框に腰掛けたが、『こちらへどうぞ』と座布団を進める留吉の言葉に甘え畳へと上がった。


 「お前に説教をしてくれと先生に頼んだ訳じゃない。今回の事件のことだ」


 柔らかい春風の匂いを纏わせる髪を掻き上げ、朱王が口を開く。

その途端、皆の視線は一 斉に伽南へと集中した。


 「事件のことって……先生、女殺った奴のこと、何かご存知なんですかい?」


 ぱちぱちと小さな目を瞬かせ、忠五郎が伽南へにじり寄る。

留吉は二人分の湯飲みを取りに奥へと走り、その後ろ姿をちらりと見た伽南は微かな苦笑いを口元へ浮かべた。


 「いや、私が知っている方が下手人かはわかりませんが……あぁ留吉さん、どうぞお構い無く」


 「先生早く聞かせて下さいよぉ! 気になるじゃないですか!」


 痺れを切らし、伽南の羽織をちょんちょんと引く海華の頭を朱王が軽く小突く。

不貞腐れ、そっぽを向く彼女を慌ててなだめた伽南は話の口火を切るが如くに、小さな咳払いをした。


 「実は、私の店に……と言っても、もう姉夫婦の店ですが。妙なお客が来たのです。『反魂香を売ってくれ』と」


 反魂香、今や聞き慣れたその名前に、海華はすっとんきょうな叫びを上げて兄を見上げる。

しかし、朱王は顔色一つ変えてはいなかった。


 「せっ、先生! その客ってぇのは……反魂香……あるんですかい? 先生の店にっ!?」


 口から唾を飛ばし、今にも伽南に飛び付かんとする忠五郎。

『まさか』と一言答えた伽南は、留吉が煎れてくれた茶を一口啜った。


 「うちは薬種問屋です。お香は畑違いですよ。それに、少し調べただけで反魂香なんて代物は無いとわかりました。一度は断ったのですが……そのお客、何度も店に来ましてね。姉達も弱っているのですよ」


 「どうやらそいつ、あちこちの香屋を廻って軒並み断られたらしい。苦し紛れに薬屋巡ったようだな。……先生から、妙な客が来ると聞いていたのを思い出して、もしやと思ったが、大当たりだったよ」


 さらりと言って退ける朱王を、今度は海華が唖然とした表情で見詰める番だった。


 「なによ、あたしには『厄介事に首突っ込むな』とか言ってさ。兄様だって充分……」


 「うるさい」


 唇を尖らせ、ぶつぶつ文句を呟く妹をぎろりと睨み付け、朱王は深く腕を組む。

小さく肩をすくめて口を閉じてしまった海華へ微笑みかけながら、伽南は忠五郎へと向き直った。


 「実は私も海華のことは言えないのです。先日朱王が話していたことが気になりましてね、店の者にお客の跡をつけさせました」


 照れ臭そうに頭を掻く伽南。

『おぉっ!』と歓喜とも驚きともつかぬ叫びを上げ、忠五郎が飛び上がる。

これはまさに下手人を捉える千載一遇の好機だ。


 「さすがぁ先生だ! で、その男ってなぁどんな野郎だったんですかい!?」


 「野郎……まぁ男と言えば男なんですが、もう老人と言った方がいいくらいの年齢だったようですね」


 『老人』その台詞が放たれた途端、その場は一気に静まり返った。


 「老、人……!? つまりはそのぅ……爺が、下手人?」


 ぽかんと口を半開きにさせ、間抜け面という言葉がぴったりの表情をした留吉が、途切れ途切れに尋ねる。

他の者も、朱王ですらも信じられないと言いたげな面持ちで隣に座する妹と顔を見合わせた。

 

 「はい、店の者の話しでは六十を過ぎたくらいの老人だったと。良環寺りょうかんじと言うお寺に入っていったと……」


 「良環寺ぃ!? そりゃあ水瀬屋の菩提寺じゃねぇかっ!」


 弾かれるように立ち上がった忠五郎は、そのまま表へ飛び出して行こうとする彼を留吉が慌て押し止める。

忠五郎としては一刻も早く桐野に知らせたいと気が急いているのだろう。

だが、話はまだ終わっていないのだ。


 「まっ、待って下さいよ親分っ! 良環寺にいる爺たぁ……、女殺して切り刻むって、あの住職じゃいくらなんでも無理でさぁ、痛風持ちで歩くのもヨタヨタなんですぜ?」


 「てめぇは馬鹿かっ! あの寺にゃぁ、もう一人爺がいるだろうがっ! ついこないだ、俺らと墓掘っくり返してた墓守り! あいつだって立派な爺だったろうがっ!」


 地団駄を踏む勢いで叫ぶ忠五郎の足元で、まだ茶の残る湯飲みがぐらぐら揺れる。

慌ててそれを持ち上げた海華は、僅かに腰を浮かせて兄と忠五郎の顔を交互に見遣った。


 「その墓守りが下手人なんだったら……早く桐野様に知らせなくちゃ! あ、でも証拠が……」


 「反魂香探してる時点で立派な証拠だ。だが、そんなことはしていないとシラを切られたら、それで終わり。かえって桐野様方にお手数をかけさせる」


 眉根を寄せて呻く朱王、やっと落ち着いた忠五郎も朱王の言葉に納得したのか、どかりとその場に胡座をかく。

最早八方塞がり、気まずい沈黙が続くなか、その静寂を破ったのはまたしても伽南の発した一言だった。


 『私が一肌脱ぎましょう』


 伽南の口から発せられた一言、一瞬その意味がわからなかった一同は目を丸くし、彼へ視線を集中させた。

反魂香が手に入った、とその墓守りへ自分が直に伝えに行くと言うのだ。


 勿論皆は口を揃えて大反対、腕に覚えのある朱王ならまだしも、ろくに喧嘩もしたことがない伽南に危ない橋を渡らせることなどは出来ない。

もし万が一のことがあれば大問題だ。


 『私も一応男ですから』と呑気に笑う彼を何とか説得し、結局墓守りに会いに行く役目は留吉が引き受け……いや、強引に引き受けさせた。

『香桜屋の遣い』として、墓守りに伽南が用意した偽の反魂香を渡しにいく、重大かつ危険な役目。


 留吉は涙目になり必死に断ったが、『留吉さんがやらないなら、私がやる』との海華の台詞に、渋々首を縦に振る。

腐っても下っ引き、いざとなれば逃げてもいいのだ。

海華に危険な役目を押し付けるなど男が廃る、謂わばやけくそ状態になった留吉は、翌日桐野や忠五郎、そして朱王と海華、伽南までをも引き連れ、良環寺へと乗り込む。


 街中から離れた場所に立つ、良環寺はそれなりに大きな寺であり檀家の数も多い。

風雨に曝され汚れた白壁に重厚な門、境内の裏手に広がる墓地、そこに目的の人物がいるのだ。

どんよりと曇った空の下、数えきれぬ位の墓石と傾きかけた卒塔婆が立ち並ぶ陰気な墓場、普段は柔らかな春風さえも肌寒く感じるそこで、小さな風呂敷包みを携えた留吉が墓地を囲む塀や側に立つ木々に身を隠す桐野らを何度も振り返り、ひどく不安げな面持ちで墓石の間を歩いて行く。


 墓石や石塔の間から見え隠れする彼の姿を焦れったそうに目で追いながら、忠五郎は小さな舌打ちを何度も繰り返していた。


 「忠五郎、そう急くでない。留吉の奴もいざとなれば役に立つ男だ、そう案じるな」


 塀の影に隠れる桐野の言葉に、忠五郎は苦笑いを浮かべて軽く頭を下げる。

すぐ側に植えられた柳の大木たいぼく二本にそれぞれ隠れた都筑に高橋、そして朱王と海華は、押し合い圧し合い状態で、留吉の背中を目で追っていた。


 「いや、しかし寺の墓守りが女殺しの下手人とはな……。俺はあの許嫁が怪しいと思っていた」


 海華の隣にいる高橋が声を殺して呟く。

『許嫁なんていたんですか?』そんな彼女の問いに答えたのは、大きな体躯を小さく縮めて半ば無理矢理朱王と木の幹にすがり付いていた都筑だった。


 「番頭の息子とな、縁談が纏まっていたらしい。だがあの若造、棺桶に骸が無いと聞かされた途端に泡吹いて倒れたからな。女切り刻める度胸のある男ではないぞ」


 「墓守りなら棺桶掘り返すのだって簡単な事ですものね。……あ、留吉さん、誰か見つけたみたいですよ」


 海華の声に、その場にいた皆が墓場の奥に目を凝らす。

どこからか線香の臭いが流れる死者の領域、その中を行く小さな小さな留吉の背中は、天に向かって伸びる石塔の陰に消えてしまう。


 曇天の下、ぎゃあっ! と不気味な鳴き声を響かせ、炭色をした烏が羽を散らし飛び差って行った……。

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