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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二章 夜の蝶
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第八話

「おっかさんが死んだ、って……そんな、まさか!」


 悲鳴じみたかすれ声を上げる浅黄は俯かせていた顔を跳ね上げ隣で泣き伏すお仙を凝視する。ヒクヒクしゃくり上げながら、お仙は涙に汚れた唇を戦慄かせた。


「おっかさん、借金の残りを返すために馬車馬みたいに働いて……もう夜も昼もなかったよ。無理がたたって、心の臓を悪くしちまって。医者に診せる金なんてなかった……おっかさん苦しんで苦しんで死んでったよ。惣太郎に会いたい、一目でいいから惣太郎の顔を見たいってずっと言い続けてた……」


 絞り出すような彼女の告白に、傍で聞いていた海華は思わずもらい泣きしたのか、着物の袖で軽く眼元を拭う。邪魔者が入らぬよう周囲を警戒する朱王の足元では、浅黄が茫然とした様子で手元にある青草を力いっぱい握り締めていた。


「借金!? そんな筈はない、俺が身売りした金で全部帳消しに……」


「にぃちゃん馬鹿だよ! そんな口車にまんまと騙されて……にぃちゃんが売られた後、紹介料だの利息だのでどんどん差っ引かれて、残ったのは雀の涙さ! 借金なんて少しも減らなかった、うちの親分は、夜鷹に身をやつそうとしたあたしを拾ってくれたんだ、借金も、あちこち手を回して帳消しにしてくれた、だから……」


「引き込み女になって、汚れ仕事の片棒を担いだのか?」


 突如頭上から振った男の声色に、お仙は地面にきつく爪を立てる。その声の主、朱王は胸の前で腕を組み、いささか冷たい眼差しでお仙を見下ろす。


「その鬼熊の親分とやらに、恩義を感じているのか?」


 抑揚のない声に答えることなくお仙は朱王を睨み付けた。その鋭い眼差しに隠されているのは激しい怒りか、それとも深い哀しみか、すぐ傍で二人を見る海華にはわからない。口を出す事のできない緊張感が、朱王とお仙の間に張り詰めていた。


「恩義……? そりゃ、最初はありがたくも思ったさ。でも、借金をなくす代わり、あたしはあいつに……挙句の果てには人殺しの片棒を担がされて、今更恩義も何もあるもんか!」


 激しい憎しみに顔を歪めて吐き捨てる彼女に、朱王は無言のまま一度頷く。


「そうか。もし、今の生活から抜け出す気持ちがあるのなら、俺たちが力になる」


「なに、を? あんた、何を言ってんだい? そんな事、無理に決まってるじゃないか。あんた、鬼熊の怖さを知らないから、そんな事が言えるんだ」


 頬を引き攣らせ、ぎこちない笑みを見せるお仙。

そんな彼女に朱王は事もなげに『鬼熊との縁も切ってやる』と宣言したのだ。


「勿論お仙さん、あんたが望めばの話だ。こっちも伊達や酔狂でこんな話はしない。ここで汚れ仕事から足を洗って堅気に戻る気があるのなら、必ず約束は守る」


 自分を真っ直ぐに見詰めて宣言する朱王に、お仙は一瞬戸惑いの表情を見せた。しかし、彼女は隣にいる兄、浅黄をチラと見遣ると再び朱王へ向かって顔を上げる。河原を吹き抜ける風が、涙に濡れる兄妹の頬を撫でていく。


「戻り、たい……! もう、こんな生活は嫌……! もう嫌、だ、っ!」 


 声を詰まらせ、絞り出すように言ったお仙の泥にまみれた手を、同じく汚れた浅黄の手が強く、しっかりと握る。久方ぶりに感じたはずの互いの温もりに新たな涙を溢れさせ、抱き合い涙に咽ぶ二人を前に、朱王は小さく鼻を啜る海華を手招きする。


「なぁに?」


「少し落ち着いたら、お仙さんを錦屋さんへ送って行け。俺は浅黄を店へ送る。長屋で落ち合おう」


 声を潜ませる朱王に、海華は小さく頷く。そして浅黄とお仙がありったけの涙を流し終わり、気持ちも落ち着いた頃を見計らって朱王は浅黄を、海華はお仙をそれぞれの店へ送って行った。









 「ただいま帰りました」


 立て付けの悪い戸口がガタピシなる音と海華の声が重なり合う。

昼も半ばを過ぎた中西長屋、朱王の部屋には穏やかでどこか気怠い空気が満ちている。

海華より一足先に戻っていた部屋の主は自分で淹れたのだろう出涸らし同然の茶を啜りつつ、作業机の前で苦虫を噛み潰したような面持ちで座していた。


 「お帰り、ご苦労さん。女将さんはどうだった? 怪しまれなかったか?」

 「そりゃね、あんだけ泣き腫らした顔して帰ってきたら、誰だって怪しむわよ。お相手の求愛が熱烈で、感動して泣いちゃいました、って言ったわ。お仙さんも話しを合わせてくれたから、なんとか上手くいったの」


 水瓶の水での喉を潤しつつそう言った海華は、部屋に駆け上がり朱王の隣へ腰を下ろした。


 「浅黄さんは? 大丈夫だったの?」

 「あぁ、何とかな。ちょうど女将が留守にしていて、逃げるみたいに部屋へ入って行ったよ」


 そう言いつつ、まだ茶が半分以上入った湯呑を彼女へ突き出す朱王。

当たり前のようにそれを受け取って中身を捨て、急須に新しい茶葉を入れた海華はそのまま朱王の隣へ座りなおして微かに眉を顰めた。


 「そう言えばね、帰り道にちょっとマズイ事、聞いちゃったのよ」

 「マズイ事? なんだ?」

 「大野屋さんの一件にね、火盗が出張ってきてるンだって」


 心底イヤそうに顔を顰めて話す海華に対して朱王は表情一つ変えずに『そうか』と答えるのみ。

少しでも怪しい者は容赦なくお縄にし、締め上げる、火付盗賊改めの横暴さ、乱暴さは世間に広く知られているゆえ、二人とて関わりたくはない連中だ。


 「あら、兄様いやに冷静ね」

 「女子供や使用人まで皆殺しだ、火盗が関わってきても何の不思議もないだろう? それより、鬼熊とやらが錦屋に押し入ろうとしているのはいつか、お仙さんから聞き出せたか?」


 机へ片肘をつきつつ言った朱王に『聞いたわよ』と答えて、シュウシュウと湯気を噴き出す鉄瓶から急須へ湯を注いだ海華は二つの湯呑に茶を注ぎ入れてその一つを朱王へ渡す。


 「七日後の丑の刻、裏口から入れる手筈になってるって。兄様、本当に大丈夫なの? お仙さんの事ちゃんと足抜けさせられる?」

 「『させられるか』じゃなくて『させる』んだ。いいか、浅黄はお前を助けてくれたんだ。命を掛けても必ず助けるんだ」


 先ほどのより何倍も風味、味が良いだろう茶を啜り、断言する朱王にちょいと肩を竦めて見せつつ海華も湯呑を唇へ運ぶ。

と、湯呑のふちが唇へ触れようとした刹那、彼女の手がピタリと止まった。


 「ねぇ、兄様。やっぱりっちゃうの?」

大きな瞳をクルクル動かし訊ねてくる彼女に、朱王は軽く目を細めて頷く。


 「お仙を抜けさせろ、はいわかりました。と素直に聞き入れる連中だと思うか? よしんば生かして追い返しても、後からあの二人が危ない目に遭うのはわかりきっている事だろう」


 

 確かに彼の言う通り、元より『穏やかな話し合い』ができる連中ではないのだ。

手荒な連中には、こちらも手荒な方法で立ち向かうしかない。

茶を一口含んだ海華は『そうね』と一言、困ったような微笑みを浮かべた。


 「本当、あたしと兄様って刃傷沙汰から逃れられないわね。これが……運命ってものかしら?」

 「運命か。気が進まないのなら、お前は引いてもいいんだぞ?」

 「馬鹿言わないで。兄様一人に押し付けたりなんかしないわよ。それに、浅黄さんはあたしの恩人なんだから」


 にや、と口角をつり上げる海華。

人形師の修業をしていた上方から江戸へ戻るとき、もう二度と刀は持たない、殺生はしないと心に決めていた朱王だったが、何の因果だろう。

世の中というものは当人の思い通りには進まないようだ。


 錦屋襲撃まであと七日、それまでにお仙と段取りを付けておかなくてはならない。

この日から、海華は仕事を休み長屋と錦屋を往復し、店の者には秘密裏にお仙から鬼熊一味の情報、どうやって店に押し込むのか、その計画を聞き出し朱王へ伝え、更に朱王から浅黄へ書かれたふみを店へ届ける連絡役を務め始めた。

数件の仕事を請け負っていた朱王も寝る間を惜しんで仕事をし、全ての依頼を数日のうちに片付けてしまう。


 そして、鬼熊一味が錦屋へ押し入るとされる七日後の夜、朱王と海華、二人の姿は真の闇がすべてを支配する夜道、錦屋の裏口にあった。

 



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