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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二章 夜の蝶
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第六話

『兄様、お客様よ』


 そんな一言と共に戸口を引き開け、逆光を受け黒い影と化した海華が土間へ飛び込んでくる。唐突に何だ、そう思いつつ作業机の前に背中を丸めて座り込み、人形のかしらを彫っていた朱王が顔を上げると、上がり框の上に木箱を置く海華、そして彼女の背後で顔面蒼白のまま茫然と立ち尽くしている浅黄の姿があった。


 どうして海華と一緒に彼がここにいるのか、そう問う前にこちらへ駆け寄ってきた彼女は身を屈めて内緒話をするように耳元へ唇を寄せてくる。素早く、そして的確に話す彼女から事の次第を聞いた朱王は『わかった』と言いたげに軽く頷きポンと彼女の肩を叩く。


 軽く視線を交わらせ、口元に微かな笑みを作り首を縦に振って彼女は再び土間へ飛び降りた。


「兄様に、ちゃんと話して。大丈夫だから、ね? 必ず力になってくれるから」


 自分の足元に視線を落とす浅黄にそう声を掛け、忙しなく海華が部屋を後にすると室内は瞬時に静寂が支配する。胡坐を組んでいた足を一度解き、壁を背にして浅黄の方へ身体を向けた朱王は作業机の下をまさぐり年季の入った酒瓶を引っ張り出した。


「上がってくれ。お客さんをいつまでも突っ立たせとくわけにはいかない」


「あ、あぁ……、それじゃぁ」


 どこかオドオドした様子で部屋に上がった浅黄は朱王の正面に正座して、神経質そうに何度も着物の合わせ目を指先で弄繰り回す。


「朱王さん、その……海華ちゃん、何か勘違いしてるんだよ。勘違い……いや、思い違いだろうねぇ。せっかくお邪魔してなんだけど、あたしはもう……」

「まぁそう急ぐな。あいつの勘違いかどうか、まず俺に話を聞かせてくれ。取り敢えず、一杯どうだ?」


 そう言いながら腰を上げた朱王は浅黄の横を通り過ぎ、湯呑を二つ持って再び作業机の前に座る。大振りな湯飲み二つに並々満たされていく『辛いモノ』その一つを差し出せば浅黄は素直にそれを受け取った。


 決して上等なものではない、質より量重視のそれを震える手に持ち、喉を鳴らして一気に飲み下す浅黄のおとがいから、こぼれた酒が透明な雫となって一滴、二滴、彼が纏う薄物に染み込み丸いシミを作り出す。


 一目見ただけで明らかに動揺しているのがわかる彼の様子に、朱王は先ほど海華から押し付けるように渡されていた粗末な紙切れを袂の中から取り出した。


海華あいつから大体の事は聞いた。この人相書きの女、本当に見覚えがないのか?」


 雑に畳まれたそれを開き、折り目のついた女の顔を見る朱王の言葉に、浅黄は空になった湯呑をきつく握り締め何度も首を縦に振る。自身の湯呑を浅黄同様一気にあおり、朱王は瓦版を机へと広げ置いた。


「そうか、だが、俺はこの女を知っている。錦屋にいる『お久仁』って女だ。この女は右耳の下に大きな黒子がある。お久仁も同じだ。それに浅黄さん、あんたの妹も、同じ場所に黒子があると言ってたよな?」


 静けさと重たい沈黙が満ちる空気に朱王の声が溶ける。無言を貫いていた浅黄、しかし彼の全身は瘧に罹ったように小刻みに震え、まるで自分に言い聞かせる如く『違う、知らない』とブツブツ呟くのみだ。


 だが、彼の様子を見ていれば、確実に女が誰であるかを知っているに違いない事はわかる。が、このまま問い質していても埒は開かないだろうと判断した朱王は小さな溜息を一つ、机の上の瓦版をクシャリと丸めた。


「浅黄さん、あんたがこのまま知らぬ存ぜぬでシラを切り通すつもりなら、それでもいい。だが、遅かれ早かれこの女はお縄になるぞ」


 特別な感情を含まない、殊更冷淡に響く朱王の声に、浅黄の肩がビクリと跳ねる。錦屋でたった一度だけ彼女と会っただけの朱王と海華、彼らが瓦版を一目見て女がお久仁とわかったのだ。


 錦屋の者や贔屓客が瓦版を見たなら、一目瞭然、彼女が引き込み女だとわかってしまうだろう。一家皆殺しにした盗賊一味の仲間、重要な引き込み役を務めた彼女がお縄になったなら……市中引き回しのうえ打首獄門、最低でも流刑となるは間違いない。

それを理解しているのだろか、浅黄は今にも泣き出しそうに歪めたかんばせを朱王へと向けた。


「朱王さん、俺……どうしたらいいんだ? どうしてあいつ、お仙が、こんな、どうしてこんな事になった? ずっと、ずっと幸せに暮らしてると思ってたのに、どうして……」


 空の湯呑を手から取り落とし、両手で頭を抱えて浅黄は声を詰まらせる。自身の身を犠牲にしてまで守りたかった妹が、盗賊一味の引き込み役となっていた、彼にとって信じ難い、いや、信じたくない出来事だろう。


 初めて会った時より一回りほど小さく見える浅黄。次の瞬間、彼は畳に身を投げ出すようにして朱王の前に両手をついた。


 「頼む朱王さんこの通りだ! 後生だから……後生だからこの事は黙っていてくれ。頼むよ、その代り、あんたの言う事なら何でも聞く、金でも、何でも! 必ず俺が何とかする、だから……!」


 涼やかな目をこれ以上ないというほど大きく見開き、声を上擦らせて必死に懇願する浅黄を前に、朱王は困ったように眉根を寄せて壁に背を預ける。


「浅黄さん、悪いが金はどうでもいいんだ。他に、たいして欲しいモノもないしな」


 あっさりとそう言い捨てて、顔に掛かる黒髪を鬱陶しげに掻き上げる朱王に、畳に額を擦り付けていた浅黄は顔を跳ね上げ絶望一色に染まった視線を投げ付けた。


「そんな……そんな、朱王さ……」

 

「浅黄さんにして欲しい事は、一つだけ。お久仁が本当にお仙さんか確かめて欲しい。後は、俺と海華に任せろ」


 キッパリ言い切った朱王の顔を穴が開くほどに凝視する浅黄の口が半開きとなる。この男は一体何を言っているのだ、とでも言いたげな面持ちの彼に、朱王は軽く頬を緩めた。


「浅黄さんは海華を助けてくれた。だから、浅黄さんの妹を助けるのは当たり前だ。金なんかもらう必要はない」


『そんな物もらったら海華にドヤされる』ボソリと呟きつつ頭を掻いた朱王に、浅黄は無意識だろうがジリジリにじり寄り、金魚よろしく口をぱくつかせた。


「でも、でも朱王さん、助けるって、どうやって? まさか御上に!?」


「まさか。こっちも御上あちらさんとは関わりたくない事情があるからな」


 毛嫌いしているのではなく、実兄に迷惑が掛かるのを恐れてのこと。しかし何も知らない浅黄にそれを言ったところで、更に混乱させてしまうだけだ。


「俺と海華に任せてくれるか? 必ず妹さんを助ける」


「―――― 約束してくれるのか?」


「あぁ。約束する。あんたは、海華の命の恩人だ。海華の恩人は、俺の恩人だからな。俺たちの事、信用してくれるか?」



 すべては浅黄の気持ち次第。そんな思いで問い掛けると、彼は今まで輝きを失っていた目に薄ら涙を浮かべて首をガクガク縦に振る。話はついた、後はどうやって浅黄の妹、お仙を御上の手から救い、盗賊一味の元から取り戻すかを考える番だ。


 小さく鼻を啜る浅黄の肩を軽く叩き、朱王は空の湯呑を机に置いて再び酒瓶を手に取った。その時、ガタン! と派手な音を立てて戸口が開き、茜色の着物が勢いよく飛び込んでくる。


「ただいま! どう、話はついた? あ、浅黄さん、女将さんには上手く言っといたから、しばらくは大丈夫よ」


 先ほど来た時と同様、軽く息を切らせて浅黄の横へ座った海華は、二人の表情を交互に見るなりどんな話しをしていたのか大体分かったのだろう、浅黄の方を向くなりニコリと笑う。


「ね、兄様なら悪いようにはしない、って言ったでしょ? 」


「またお前は余計な事を。海華、お前にも少し働いてもらうからな」


「そんな事、百も承知よ。それにこのままじゃ錦屋さんだって危ないじゃない。このまま放っておけないわよ」


 僅かに声を潜ませ言った海華は再び浅黄の方を振り向き彼の方へ身体を傾けた。


「で、この人相書きに描かれたひとが、本当に浅黄さんの妹で間違いないのかって事を確かめなきゃならないわね。いっその事、浅黄さんが会いに行けばいいのよ」


 突拍子もない事を突然言い出す彼女に、朱王はすっかり呆れ顔、浅黄は涙に濡れる顔を跳ね上げて目を瞬かせる。


「会いにいく、って。ノコノコ出て行ったらこっちだって怪しまれる。それに、お仙さんだって素直に会ってくれるわけないだろう」


「誰がノコノコ会いに行くって言ったのよ? その辺りを調整すンのが、あたしの仕事なんじゃないの。さ、早く行きましょう」


「今からか!?」


 引っ繰り返った声で浅黄が叫ぶ。朱王はと言えば、またか、とでも言いたそうに表情を歪めてそっぽを向いていた。


「善は急げって言うじゃない。早くしなきゃ、今晩にでも錦屋さんが襲われちゃ困るでしょう! ほら兄様も、ボーっとしてないで早く支度して!」


 早く早く、と急かす海華に追い立てられるよう二人はその場から立ち上がる。心の準備は錦屋へ行く道々すればいい、そんな彼女の言葉に後押しされ、浅黄は硬い表情のまま二人と共に錦屋へ向かった。

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