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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二章 夜の蝶
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第五話

 道行く人々は黒いさざなみとなって晴天の空の元を過ぎ去っていく。女のかしましいお喋りと少しばかり耳障りな笑い声、風車を掲げ歓声を上げて走りすぎる子供、風に乗って微かに聞こえる男二人の野太い怒鳴り声……。


 世の中の音と言う音が混ざり合い、絡み合い、纏まって、弾け飛ぶ。音と音の洪水、目に見えぬその波を打ち破るように、傀儡を抱えた海華の口から義太夫の一節が澄んだ空気へ放たれる。


 彼女の小さな手に巧みに操られ、金糸銀糸を織り込む豪奢な着物に身を包んだ姫人形は繊細な指の動きに合わせ命を吹き込まれたかのように滑らかに動き、結い上げられた黒髪が漆の艶を放った。


 雪の如く白い肌に憂いを帯びた瞳、艶やかな紅を塗った唇が開いては閉じてを微かに繰り返す。稀代の天才、そんな誉れも高い朱王が造り上げた姫人形は海華の手によって命を与えられ、人々の足を次々にその場に止めては数多の視線を欲しいままにする。


 細くしなやかな指先を宙を切り、錦の着物が華やかに揺れた。優雅に舞う人形に合わせて揺れる海華の声も老若男女の鼓膜を心地よくくすぐり、腹の底から生まれる伸びやかな、しかし女特有の煩い甲高さは微塵も感じられない良質の歌声は風に吹かれて道の彼方を歩く人々を振り向かせる。


 目の前に人垣が出来上がったのを確かめて、海華は人形の顔に繋がる細い絹糸へそっと人差し指の先を掛ける。着物に隠れた胴体の中でクィ、と絶妙な角度で指先が曲げられた刹那、可憐な人形の顔、その花弁の唇が瞬時に耳まで裂け、眦は天を衝くほどにギリギリと吊り上がった。


 漆黒の瞳は爛々と光る金色に変わり、大きく避けた唇からは研ぎ澄まされた刃の如き牙が突き出る。

まさに鬼の形相と化した姫人形は黒髪を振り捌き、顎が外れんばかりに口を大きく開いて牙を剥き出した。


 人混みの中から点々と上がるどよめきと微かな悲鳴。その時、母親と共に人混みの前側で芝居見物をしていた三つ、四つほどの幼子が火が付いたかと思うくらい激しく泣きじゃくり、母親にしがみ付く。


 それにも動じることなく芝居を続ける海華、その足元に置いた木箱の中に泣き叫ぶ子供を抱いた母親はバツが悪そうな面持ちで何枚かの小銭を投げ込み、そそくさと人混みを掻き分けその場を去って行った。


 女の投げ入れた金が呼び水となったのか、いつも人形を入れている木箱には次から次へ金が投げ入れられていく。金属同士のぶつかるチャリン、チャリンと涼やかな音色は海華にとって何にも変える事が出来ないくらい心地よい音色に違いない。その証拠に無意識のうちに彼女の唇が綻んでいくのが見てとれる。一曲歌い終わった後には、木箱の底が見えなくなるくらいの銭が溜まっていた。


 見物人が粗方解散した頃、彼女は溜まった銭を粗末な布の小袋に移し替え、人形ともども木箱の中へ大切にしまい込む。それが終わるのを見計らったかのように、人並みの中からスッと一人の人影が海華の前に歩み寄った。


「大盛況だねぇ、羨ましいこった」


「え? あら、浅黄さん!」


 どこかで聞いたことのある声に勢いよく顔を上げれば、そこには風呂敷包みを携えた一人の男の姿。

それは間違いなく先日自分を助けてくれた照月の浅黄だ。


「こんにちは! 先日はお世話になりました」


「なぁ、いいのさ。こっちこそ、朱王さんに話し相手になってもらって、久し振りに楽しかったよ」


 ニコニコと朗らかな笑みを見せる彼は、薄化粧もすっかり落とし長めの髪は後ろで軽く束ねている。

朝風呂の帰りのようだ。


「随分人が集まっていたから何事かと思ったら、海華ちゃんだったよ。それにしても上手いねぇ、今のは、確か葛の葉かい?」


「ご名答。つい最近やり始めたの」

 

 そう答えて人形をしまった木箱を背負った海華。

そんな彼女の耳に、『大野屋』『押し込み』と叫ぶ男のダミ声が飛び込んできた。


「あ……ごめんなさい浅黄さん、ちょっと待ってて!」


 彼に一言断り慌てて声のとんだ方向、道の向こうにいる瓦版売りの元まで海華は走っていく。小さな身体で精一杯背伸びをし、次々に集まる人の間からこれ以上ないほどに腕を伸ばして一枚の瓦版を買い求めた彼女は、目の前を塞ぐ人を押し退け掻き分け、やっとの思いで浅黄の元へと戻った。


「どうしたんだい? そんなに急いで瓦版なんて。そんなに面白いモノでも書いてあるのかい?」


「うん、ほら、この間の大野屋さんの押し込みの事よ。浅黄さんも知っているでしょう? 一家皆殺しの上に使用人まで殺された、あれよ。行方知れずになってる使用人の人相書きが出てるの。このひとが、引き込み役だったみたいね」


 ざっと紙面に目を通して言った彼女は浅黄の前にそれを突き出す。黄ばんだ粗末な紙の半面ほどを使って書かれた女の人相書き、それを目にした途端、浅黄はハッと息を飲み、その場に固まってしまう。

見る見るうちに血の気の引いていく彼の顔、何かおかしい、そう思う海華は彼が持ったままの瓦版にもう一度目を落とす。


 彼女には、紙面に描かれた顔に朧気ながら見覚えがあったのだ。


「浅黄さん、あたしこのひと、どこかで見たことがある気がするの……浅黄さん? ねぇ、浅黄さんってば!」


 食い入るように人相書きを見詰める彼の手が小刻みに震える。いよいよおかしい、彼はこの人相書きの女を知っているようだ。海華の心に芽生えた証拠なき確信、彼女は浅黄の手から瓦版をサッと取り去り、驚愕の面持ちで自分を見る彼を真っ直ぐ見遣った。


「浅黄さん、このひとの事、知ってるんでしょう?」


「い、や……知らないよ、あたしは知らない。こんな女、知るもんか!」


 忙しなく視線を彷徨わせ、誤魔化すように笑う浅黄だが、その笑みは口はぎこちなく引き攣り、こめかみ辺りからは透明な汗が滴る。


「知らないなんて嘘よ。ねぇ、教えて。このひとは誰なの?」


「だから知らないって。海華ちゃんも意外としつこいねぇ。―――― 悪いけど、あたしはもう……」


 さっと踵を返し逃げるようにその場から立ち去ろうとする彼の袖を反射的に掴んだ海華は怯絵を含ませた眼差しを向ける浅黄に、内緒話をするよう顔を近付け小さく唇を動かした。


「これからあたしと一緒に来て。今にも倒れちゃいそうな顔してるわ。そのままお店に帰っちゃ、余計怪しまれるわよ」


 抑揚のない声で言う海華、しかし浅黄から返事はない。元より、彼女は彼からの返事を期待していなかったのだろう。


「お店には、あたしが上手く言っておくから。とにかく、一緒に長屋まできて。浅黄さんは、あたしを助けてくれたんだもの、悪いようにはしないから、ね?」


 微かに口元を綻ばせ、浅黄の返事を待つことなく彼の手を強く引っ張った海華はそのまま真っ直ぐ中西長屋へ向かう。戸惑う浅黄を兄のいる部屋に半ば無理矢理押し込んだ彼女は、すぐに部屋を飛び出し照月へと向かって行った。

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