第二話
翌日、朱王は写生を行うために村瀬屋へと出掛けた。
店への道のりは海華がいつも仕事をしている辻を通るため、この日は海華と一緒に長屋を出る。
人でごった返す道を並び歩く海華は、朝から兄の表情が冴えないのを不思議に感じていた。
今も、写生道具を携えた朱王は何度も小さな溜め息をつき、歩みもいつもより遅いようだ。
「……兄様一体どうしちゃったの? 昨日からおかしいわよ?」
案じるような声色の妹に軽く袖口を引かれた朱王は、うん、と一声呻くだけ。
「そんなに気乗りしない仕事なら断っちゃえばいいのに」
「気乗りしない……わけじゃないんだ。ただ……少しばかり難儀な依頼なんだよ。まぁ、訳は後で話すからさ」
些か困り顔で笑みを向けられ、ぽん、と一つ肩を叩かれた海華は、渋々ながらも小さく頷いた。
「絶対よ、必ず話してね?」
「約束するよ。ほら、行ってこい」
そう声を掛けられ、行ってきます! と一声、海華はにっこりと微笑みを残し雑踏を巧みに潜り抜けて辻へと走り去っていく。
妹の背で揺れる大きな木箱が、完全に人波に消えるのを見届けた朱王は、腹の底から深い深い溜め息をつき、村瀬屋へと向かっていった。
人形を依頼してきた村瀬屋は、そこそこ大きな店構えをした老舗の菓子屋だ。
大店、とまではいかないが、重厚な門構えと広々とした店内では沢山の使用人らが、ひっきりなしに来店する客の対応に精を出し、外にまで甘ったるい砂糖や餡の香りが漂う。
真っ白く艶やかな饅頭、桜の花を型どった落雁や練りきり、黒光りする羊羮が所狭しと並べられ、客の目を楽しませていた。
朱王自身、あまり甘味は得意ではないが、もし海華を連れてきたなら目を輝かせて品定めをすることだろう。
そんなことを思いつつ、店先を素通りした朱王は、そのまま店の裏手へ廻った。
昨日訪れた女将の様子から、表立って訪問しないほうがいいと判断したのだ。
裏口から中へ声を掛けると、すぐに使用人らしき白髪の老婆が姿を見せた。
自分は女将に依頼を受けた人形師だと告げると、少々お待ち下さい、と一声残し、老婆は奥へ引っ込んでいく。
老婆が消えた後、幾ばくもしないうちに店の奥から出てきた女将は、昨日と同じく、どこかおどおどと落ち着かない様子で朱王を迎えた。
「お嬢様の写生をさせて頂きに参りました」
一礼した朱王に、女将はちらりと視線を母屋側へと移し、承知致しました、とか細い声で答える。
「娘は……幸枝は離れにおりますので、どうぞこちらへ……」
裏口から続く庭を抜け、女将に伴われた朱王は店からは死角になる場所へ建つ離れへと通された。
小綺麗に手入れされた広い庭では、松や紅葉の木々が植えられ、離れに一番近い場所に植えられている桜の大木は、日の降り注ぐ先端に早くも薄紅色の花を咲かせ始めている。
突如、先を歩く女将の足がぴたりと止まり、不安げな青白い顔が朱王に向けられた。
「朱王様……どうか、昨日お話ししましたことは、娘には内密にお願い致します」
「承知しております。こちらとしましても…… その辺りは充分配慮させて頂きますので」
ご安心下さい。 そう言いながら僅かに頬を緩める朱王をしっかりと見詰め、女将は物悲しい笑みを浮かべる。
そして再び踵を返し、飴色に変色した離れの引戸に手を掛けた。
「幸枝、幸枝入りますよ」
女将が離れの奥へ向かって声を掛ける。
はぁい、と舌足らずな返事が返り春らしい小花模様の白い着物を着た女が現れた。
女将に面差しのよく似た、二重のぱっちりした目が印象的な女、器量で言えば十人並みだろう。
小綺麗に化粧を施した丸顔、赤く小さな唇が、笑みを形作った。
「朱王様? まぁ、嬉しいわ! お人形、作って頂けますのね?」
ぱっと顔を輝かせ、朱王を前にした幸枝は喜びを全面に押し出した。
しかし、はしゃぐ娘を見る女将の表情は、どことなく不安げに歪められたまま。
女将の様子がおかしいのか、その訳を、朱王は娘を一目見たときにはっきりとわかった。
にこにこ可愛らしい笑みを浮かべる娘、その髪の生え際に沿って、火傷によく似た赤い傷痕が広がっているのだ。
額から耳にまでかけて貼り付く傷は、白粉で塗られてはいるが、痛々しい赤みは隠しきれていない。
『娘の顔には、昔、事故に逢った時に出来た傷があるのです……』
昨日長屋を訪れた女将が言いにくそうに漏らした一言、最初にそれを聞いていた朱王はそれほど驚くことはなかったが、何も聞かされずに対面していたら、きっと驚きが顔に出ていただろう。
「本日は……お嬢様の写生をさせて頂きたく参りました。これから時々お邪魔するかと思いますが……」
どうぞ宜しくお願い致します。 すっと頭を下げる朱王に、娘はますます嬉しそうに顔を綻ばせる。
「こちらこそ! また来て頂けるなんて、本当に嬉しいわ。おっ母さん、こちらのことはお里に任せるから、おっ母さんはお店へ戻って下さいな」
「そう、かい? なら、私はこれで。朱王様、どうぞ宜しくお願い致します……」
おずおずと頭を下げた女将は、そそくさと離れを後にしていく。
娘、幸枝に中へと通された朱王、そこは部屋が三つばかりある小さな建物で、庭に面した陽当たりの良い六畳間に案内され、すぐに六つくらいの使用人と思われる少女が茶菓を運んで来た。
「朱王様の作られたお人形を従兄弟の所で見たときから、ずっと私の生き人形を作って頂きたいと思っておりましたの」
白粉を塗った滑らかな頬を赤らめ、幸枝はちょこんと小首を傾げる。
顔を動かすたびに額際の傷が引き痙り、赤みが余計目立つような気がした。
早速写生道具を並べ、幸枝の顔立ちや体つきを描き写していく朱王。
大概の娘なら、緊張しきった様子で顔も体も固まってしまい、どうぞお楽に、と朱王が気持ちを和らげてやらなければならない。
しかし、幸枝は違った。
まるで気の置けない友とお喋りするかのように、芝居の話しやら自分の趣味の話し、着物やら簪についての話しを延々と喋り立て、ころころと表情を変えるのだ。
年頃の娘が男と一つの部屋で二人きり、少なからず緊張するのが普通だが、そんな様子を全く見せない幸枝に相槌を打ち打ち筆を走らせる朱王は、内心、今回はやりやすい仕事だとほくそ笑んでいた。
なぜなら、写生の対象が色々な表情を自然体で表してくれるというのは、一番美しく魅力的な表情を発見しやすいとの利点がある。
これが目を見張る絶世の美女ならば、うんと仕事はしやすくなる。
美人は、どんな表情でもそれなりに美しく見えるからだ。
笑っても泣いても、とどのつまりは寝顔でさえも綺麗に描ける。
しかし、器量が普通かそれ以下の女はそう簡単にはいかない。
無表情でいられるのが一番困る。
こちらから懸命に話し掛け、緊張をほぐして表情を引き出す。
首の傾げる角度や、顔の向き、一瞬だけ垣間見せる仕草の中から、相手の一番美しい姿、表情を切り取り、紙へ写し描く。
どんな女でも奥に潜む美しさや魅力を最大限に引き出して人形に仕上げる腕を持つ、それが朱王が稀代の天才と言われる由縁なのかもしれない。
朗らかな笑顔を見せて話し掛けてくる幸枝に、 時おり写生の手を止めながら朱王も自然と顔を綻ばせて雑談に興じていた。
橙色に染まり行く空に胡麻粒のように烏が群れ飛び、山の巣へと帰って行く。
背に背負った大きな木箱をがたがたと揺らし、全速力で駆けながら長屋を目指す海華の姿がその空の下にあった。
夕餉の支度をするにはまだ早い。
しかし、一刻も早く部屋へと戻り、兄に話したいことがあったのだ。
息を切らせて長屋の木門を潜る海華を、井戸端で野菜や米を洗う女らが不思議そうな眼差しで見遣る中、ただいま! と一言叫んで古びた戸口を思い切り引き開けた海華は、土間に立ち尽くしたまま、ぽかんと口を開けていた。
夕日が射し込む部屋の中には、一足先に帰った兄がいた。
いつもなら作業机横の壁に凭れて酒を飲みつつ、おかえり、と出迎えてくれる兄だが、今日は全く様子が違っていたのだ。
朱王は、作業机の前にどかりと胡座をかいていた。
机の上には二枚の紙が広げられ、机に肘をついて頭を抱えた朱王はじっと下を向いたまま、その紙を凝視している。
「あ、兄様……? どうか、したの……?」
恐る恐るといったように兄へ近寄る海華、妹の気配にゆるゆると顔を上げた朱王が沈みきった声色で、おかえり、と一言呟く。
今まで見たこともない弱りきった兄の表情と暗い様子に、海華は思わず生唾を飲み込んだ。
「ただいま……。ねぇ、大丈夫? 酷い顔して。本当に大丈夫なの?」
ぺたんと兄の横へ座り込んだ海華は、がりがりと髪を掻きむしる兄の顔を心配そうに覗き込む。
うん、と一つ頷いた朱王は、ぽつぽつと悩みの種を語り始めた。
幸枝の写生は無事に終わり、朱王は確認のためとして描いたものを幸枝に見せる。
その途端、始終にこやかな笑みを浮かべていた幸枝の顔が、さっと強張ったのだ。
どうして有りのままを描いてくれないのです?
幸枝の第一声は、これだった。
朱王は髪の生え際にある傷痕を描かなかったのだ。
傷痕は描かない、人形にも付けないと言うのが女将との約束。
しかし、幸枝は承諾しなかった。
自分の姿を有りのまま作れ、写生はやり直せと執拗に迫ったのだ。
いくらなだめても聞かない幸枝、ほとほと困り果て、最終的には写生し直した訳だが、それを女将に話した途端、約束が違うと憤慨され、挙げ句の果てには幸枝の妹夫婦も参戦して、みっともない傷痕の付いた人形なぞ作るなと責め立てられた。
「とにかく幸枝さんと良く話し合ってくれと言って切り抜けてきたんだが……まいったよ」
疲労困憊の朱王はぐったりと机に倒れ伏す。
身体の下敷きになった写生が、くしゃりと乾いた音を立てた。
「そんなのあちらさんの我儘じゃないの、兄様は言われた通りに描いたんだから」
頬を膨らます海華は、元気付けるように兄の背をばしばし叩く。
しかし朱王は、うぅ、と呻いたままだ。
「前金はもらってるからな。――早くあっちで話しを付けてくれなきゃあ、こっちも先に進めない。……海華、ひょっとしたら長丁場になるかもしれん」
「その時はあたしが手伝うわよ。その間の日銭くらい、いくらでも稼げるわ。兄様が納得出来る仕事すりゃあいいのよ」
走って来たため、上気した頬を緩める妹に、やっと顔を上げた朱王も小さな笑みを浮かべた。
「心配掛させてすまないな。今日は早めに飯にしてくれ。気疲れしたら腹が減った」
「わかったわ。すぐに支度するから。――ああ、そうだ。兄様、帰る時に親分さんから聞いたんだけどね」
髪切魔がお縄になったって。
木箱を背中から下ろし、前掛けを締める妹から告げられた台詞に僅かに目を細め、そうか、と一言答えた朱王は、無意識に肩口から流れる自らの髪へ指を絡めていた。
「髪切魔ってのは、どんな奴だったんだ?」
出汁をたっぷり含んだ厚揚げの煮物を頬張り、朱王は自らと向かい合う妹に尋ねた。
沢庵の切れ端を口に放り込み、こりこり小気味良い音を立てる海華は、慌てて口に含んだ物を飲み下す。
「賭場で用心棒やってた浪人だって。博打で負けて、むしゃくしゃしてたらしいわ」
「そんな理由で女の髪の毛切り付けたのか。とんでもない輩だな」
ぐっ、と眉根を寄せ、味噌汁椀を手にした兄に苦笑いを向ける海華は、一足先に食事を終えて箸を置いていた。
「行き当たりばったりでやったことだもの。御大層な理由なんてあるはずないわ。親の仇討ちじゃないんだから」
確かにそうだと思いながら、朱王は最後の飯を口に放る。
早くも片付けを始める妹の背中に向かい、些か申し訳なさそうに声を掛けた。
「話は変わるが、海華、風呂屋から帰ったらまた……」
「肩揉んで欲しいんでしょ? わかってるわよ」
にこりと唇を綻ばせながら振り向く妹に、悪いな、と一言告げ、朱王は食べ終えた膳をいそいそと妹の元へ運んでいった。
兄妹の身に思いがけない災難が降りかかって来たのは翌日のことだった。
昼下がり、街で買い求めた稲荷寿司を携えた海華は、兄と食べようと長屋に一時帰宅した。
と、何やら長屋が騒がしい。
何かあったのかと不思議に思いながら長屋門を潜った海華は、騒ぎの大元が自分の部屋だとわかり、飛び上がらんばかりに仰天した。
兄がいるはずの部屋からは、けたたましい女の怒鳴り声とそれをなだめる男のおろおろ声が長屋中に響き渡っている。
何事かと戸口の周りに集まる同じ長屋の女房らを掻き分け、真っ青な顔色をした海華が、思い切り戸を跳ね開けた。
兄様どうしたの!? と海華が叫ぶ間も無く、『下絵を渡して下さいっ!』と鼓膜をつんざく女の怒鳴り声が長屋中に響き渡る。
ぽかんと口を開ける海華の目の前には、顔を真っ赤に紅潮させ、朱王に向かい仁王立ちで喚き散らす若い女と、その足にしがみつくように して必死に女をなだめる男の姿があった。
女の凄まじい剣幕に圧倒されたのか、顔を引き攣らせる朱王は、落ち着いて下さい、と何度も繰り返す。
しかし朱王のその台詞が、女を余計に激昂させた。
「私は落ち着いています! あんな恥ずかしい下絵を描かせるなんて……! 姉はどうかしているのです!早く下絵を返して下さいっ! 貴方は、貴方は母の言う通りに人形を仕上げれば良 いのですっ!」
歯を噛み鳴らし、鬼の形相の女にこれ以上何を言っても通じないと思ったのか、朱王は渋々ながら下絵の一枚を渡す。
それは、あの傷痕が描かれたものだった。
女は紙が破れるかと思うほどの勢いで下絵を引ったくり、土間に立ち尽くした海華を突き飛ばすように表へと走り去る。
申し訳ございません! と幾度も朱王に頭を下げた男は、幸乃! と先程の女を呼びながら、転げるように部屋を出て行った。
「――兄様……」
走り去る男の後ろ姿を凝視する海華は、ただ兄を呼ぶしか出来ない。
その周りに佇む野次馬達も、一言も口をきけないまま、部屋に残された気まずい表情を浮かべて胡座をかく朱王と、目を白黒させながら立ったままでいる海華を交互に見詰めていた。
嵐の如く去って行った珍客に、長屋中は大騒ぎ、兄妹は何度も下げたくない頭を下げながら、お騒がせして申し訳ないと住人らに謝って廻った。
部屋の前に群がる野次馬達にはなんとかお帰り願い、疲れはてた様子の朱王は、もう仕事をする気も起きず、ぐったりと壁に凭れ掛かる。
怒りの収まらない海華は、すぐ村瀬屋に押し掛けようと鼻息荒く兄に迫ったが、余計騒ぎを大きくするだけだと、けんもほろろに返され、仕方なくこの日は部屋に留まることにした。
「姉さんはどうかしてるって? あの女の方がよっぽどおかしいわよ!」
沸々と涌き出る怒りに任せて愚痴をこぼし、苛立たし気に人形の手入れをする海華の眉は、昼間から寄りっぱなしだ。
そんな妹の愚痴を聞き流す朱王は、残り少なくなった酒をちびちび舐め、ふうっ、と盛大な溜め息を漏らす。
「いつまでも怒ってたって仕方あるまい。それより飯はまだなのか?」
「え? もうそんな時間?」
兄の言葉に慌てて人形から顔を上げた海華は、首を伸ばして障子戸越しに表を見る。
だいぶ日は落ちてきたものの、まだ飯には早い時間だ。
「まだ早いわよ?」
「さっさと食って早く休もう。こんな日は早めに寝るに限るよ」
うんざりした声色で湯飲みに酒を注ぐ兄を見遣り、海華は素直に首を縦に振る。
そして、早速生米を入れた笊やら御数に使う野菜を手にし、井戸端へと出掛けた。
長屋の奥にある井戸には、既に二人の先客がいた。
斜向かいに住む大工の女房、お君と、この長屋の大家の女房であるお石がぺちゃくちゃとお喋りに花を咲かせながら、泥だらけの芋や葉野菜を洗っていた。
二人は海華の姿を目にするなり、作業の手を同時に止めて海華へと走り寄る。
「ちょっと海華ちゃん! さっきはえらい騒ぎだったねぇ。朱王さんは大丈夫かい?」
前掛けで濡れた手を拭い、案じるような視線を向けてくるお君に、苦笑いを浮かべた海華は小さく頷いた。
「お騒がせしてすみません。あたしも何がなにやら……」
「そうだろうねぇ、いきなり押し掛けてきたのは向こうなんだからさ。あの女、村瀬屋さんの娘だろ? 確か、妹の方だったよね」
水飛沫を散らして菜っ葉を洗うお石が海華を見上げる。
はい、と一言答え、お石の横に笊を置いた海華は、井戸から水を汲み上げにかかった。
深く暗い井戸の底から上がる桶は、一杯に冷たい水で満たされ傾き掛けた日を反射して煌めきを放つ。
「お石さん、あの人のこと知ってるんですか?」
「少しはね。勿論向こうはあたしのことは知らないさ。――でも、あそこの姉さんは穏やかな人なのに、どうして妹はあんな癇癪持ちなのかねぇ?」
嘆きを含んだお石の言葉に、芋洗いを再開したお君が同調した。
「姉さんの方は心根の優しい人だって聞いたよ。なんでも、御髪が素晴らしく綺麗だとか。そう言やぁ最近話し聞かないね」
離れに引き込もってるんだとさ。
お石の言葉に、米をといでいた海華の手が止まった。
「引き込もってるって……どうしてですか?」
「さあねぇ……。お君さん知ってるかね?」
「そこまでは知らないよ。ああ、でも風の噂じゃあ、あの妹に許嫁取られたとか。さっき真っ青な顔して逃げていった、青瓢箪だよ。本当に性根の悪い妹だよねぇ」
忌々しい表情で吐き捨て、洗い終えた芋を笊に上げるお君は軽く腰を叩いて立ち上がる。
「そんな噂があったんですね……。お君さん、あのお店に行ったことあるんですか?」
米を洗う海華の台詞に、お君はさもおかしそうに、ぷっ、と吹き出す。
水玉が転がり落ちる菜っ葉を持ったお石も、けらけら笑い転げていた。
「行けるわけないだろ? あたしらにゃ敷居が高すぎるよねぇ、お石さん」
「そうさ。あんな高い菓子買えるお足がありゃあ、晩のおかずが二つは増えてるよ」
さっきの話しはあくまでも噂さね。 そう言い残し二人は笑いながら井戸端を後にする。
一人残された海華は、洗ったばかりの米を見詰め、うぅん、と低く唸っていた。




