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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二章 夜の蝶
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第四話

  海華が浅黄の店で保護されてから、七日余りが過ぎた。あれだけしつこかった咳も、朱王が改めて伽南から貰い受けた薬を服用しているうちにすっかり良くなり、もう熱も落ち着いたようだ。


 しばし休んでいた仕事にも出られるようになった海華だが、まだ無理をしてはいけない、昼までには長屋に戻るように、と朱王にきつく言われていることから、この数日は昼を過ぎたあたりに彼女は長屋へと戻ってきていた。


 この日、軽い昼食を終えた二人は朱王の仕事、人形の着物に用いる反物を品定めに贔屓としている錦屋へ向かう。仕事、買い物以外は久しぶりの外出となる海華はどこかウキウキと、楽しげに朱王と連れ立ち人の溢れる市中へ赴いた。


 朱王はいつも、人形の注文を正式に受けてから依頼人の趣味趣向、そして造る人形に合わせて着物に用いる反物を選ぶ。今回は男女一対の人形、そして着物は色以外、柄も全て朱王に一任されていた。


 最近、床に臥せってばかりだった海華、たまには気分転換させてやるのもいいだろう、そう考えて、彼は海華に女の方の着物を選ばせることにしたのだ。


 行きかう人混みを縫いつつ訪れた錦屋の店先は今日も大勢の客で賑わいを見せていた。皆、目を皿のようにして自身の気に入った反物を、そして何か掘り出し物はないかと真剣に品定めをしている。そんな客の相手をしている使用人たちも慌ただしく店の中を行き来していた。隣を過ぎる朱王達には目もくれない、いや、気付いてもいないだろう彼らの横を通り過ぎ、二人は風に揺れる暖簾を潜った。と、すぐに『いらっしゃいませ!』と甲高い声が響き、土間の奥から一人の女が小走りに駆け寄ってくる。


「いらっしゃいませ! どのような品をお探しでしょう?」


 軽く息を切らせて、細面の白い顔が愛想のよい微笑みを向けてくる。もうこの店にそれなり長く通っている二人だが、彼女は初めて見る顔だった。


「人形の着物に使う反物を探しに来たんだが……。女将さんはいるかな?」


「はい、少々お待ちくださいませ」


 朱王の問いに、女はペコリと一礼し店の奥へと入っていく。女将はすぐに店の奥から姿を現し、満面の笑顔で二人を迎えた。


「まぁまぁ朱王さん! 海華ちゃんも。いらしゃいませ!」


「こんにちは女将さん! 随分ご無沙汰してました」


 朱王より早く一礼し、白い歯を覗かせる海華。そんな彼女と朱王をすぐ座敷へと迎え入れ、丁稚にお茶を持ってくるよう言いつけた女将は、畳に手を付き朱王へ頭を下げた。


「いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます。朱王さん、今日はどのようなお品を?」


「はい、実は男女対で人形をこしらえる事になりまして、その着物用に反物を。色は橙と山吹で、柄は簡単なもので構いません。なるだけ上等な生地の物をお願いします」


 ざわつく店内でも聞こえやすいよう、自然に大きな声となる朱王に微笑みを浮かべて何度か頷いた女将は、店の奥から出てきた女、先ほど土間で二人に初めて声を掛けてきた女を呼び、朱王の求めに応じた反物をいくつか挙げて、それを持ってくるよう言いつ付ける。


 女将の斜め向かいに膝を付き、はい、はいと小気味良い返事をする女の横顔へ朱王は何気なく目を遣っていた。すると、彼の目は女の耳元辺りに付いている『あるモノ』を捉えた刹那、スッと細められたのだ、。


 女は店の奥からいくつかの反物を抱えて戻り、スッと畳の上へ広げて見せる。後は海華と女将の二人が主役だ。この色がいい、この柄も素敵、と目を輝やかせて品定めをする海華に、女将も負けじとそれぞれ反物の良さを説明し出す。


 よくもまぁここまで口が動くものだ、そう朱王が感心するほど喋りまくる二人をしばらく眺めていた女は、やがて朱王に頭を下げてサッとその場から離れていった。


「ねぇ! 兄様これなんかいいんじゃない?」


 黄金色をした生地に小鳥が舞い飛ぶ刺繍を施した反物を広げて見せ、海華が朱王の袖を引く。あぁ、そうだな。と気のない返事をしながら、彼は次の反物を畳に広げようとしている女将に軽く顔を寄せた。


「女将さん、少し聞きたい事があるんだが」


「はい、なんでございましょう?」


 目尻を下げて朱王へ顔を向ける彼女の耳元に顔を近付ける彼の斜め向かいでは、既に新しい品に目移りした海華が白い小花の刺繍をうっとりした眼差しで見詰めている。


「さっきここにいたひとなんだが、見ない顔だったね。新しく入ったのかい?」


「あぁ、お久仁くにさんの事ですか?そうですよ、ここにきてまだ三日ほどですかねぇ。よく働いてくれるんですよ、何でも越後の生まれだとか」


 一度開いた反物をクルクル丸めてつつ女将が言った。


「お久仁さん、か。どうも知り合いの妹によく似ていたから、気になってな」


「そうですか、妹さんに。でも、お久仁さんに身内はいないんですよ。ご両親は小さい時分に亡くなって、兄弟姉妹もいないようですから。こう言うと可哀想なんですが、天涯孤独なんですよ」


 『早くいい恋人ひとができればいいんですけれど』そう呟いて、女将は新たに来店した客の対応をしているお久仁の背中へ視線を向ける。彼女の言葉を黙って聞いていた朱王だったが、横から強く袖を引っ張られハッと我に返った。


「ちょっと兄様! なにボーっとしてるのよ? これどうかしら、って聞いてるじゃないの」


 軽く頬を膨らませてこちらを睨む海華にぎこちない作り笑いを浮かべて、朱王は『すまない』と謝りつつ彼女が差し出した鮮やかな橙色の反物を手に取る。そこに刺繍された三毛猫の金色をした瞳が、じっと朱王を見詰めた。


「これね、柄がすごくいいと思うの。でも、ちょっと派手かしら?」


「あ……あぁ、そうだな、少し派手だ。そっちのはどうだ? その、暗い黄色の……」


「これ? これってさっき兄様が地味だって言ったのよ。もう、しっかりしてよ!」


 膨れっ面をさらに膨れさせ、肩口を強か叩いてくる海華に、朱王は何も反論できぬまま『すまない』と繰り返す。そんな二人を前にして、女将は口元に手を当てクスクス笑いながら、近くにいた丁稚に茶の交換を言い付けた。


 結局この日、二人は反物を選ぶことが出来ず店を後にしたのだ。









「ねぇ兄様、今日の兄様何だか変よ。どこか具合でも悪いの?」


 錦屋からの帰り道、並び歩く朱王の顔を下から覗き見るようにして海華が尋ねる。自分の風邪が移ってしまったとでも思っているようで、いつもより大袈裟に身体の心配してくる彼女に、朱王は小さく首を振り顔に掛かる黒髪を掻き上げた。


「いや、大丈夫だ。ただ、少しだけ気になる事があってな」


「気になる事? それって、さっきのお久仁さんって人の事?」


 黒曜石に似た目をクルリと動かし海華が尋ねてくる。きっと彼女は自分と女将の話など聞いていないだろう、そう思っていた朱王は正直驚きを隠し切れない様子で、その場に足を止めた。


「お前、話を聞いていたのか?」


「勿論、聞いてたわよ。兄様、女将さんにお久仁さんの事を色々聞いてたでしょう? 知り合いの妹に似ているとか何とか……。その『知り合い』ってのは誰なの?」


 好奇心の塊ともいえる彼女だ、このまま誤魔化したところで大人しく引き下がらないだろう。一度唇を舐め、ゆっくり歩を進め出した朱王は、先日、照月で浅黄と話した彼の妹の話を海華へ聞かせる。

全てを聞き終えた海華は、ちょこちょこ小首を傾げつつ眉間に 皺を寄せた。


 「それじゃぁ兄様は、お久仁さんが浅黄さんの妹さん……お仙さんだって言いたいの?」

 「断言はしていない。ただ、お久仁さんにも耳の下側に目立つ黒子があったんだ」

 「でも。耳の下に黒子のある人間なんて山ほどいるわ。現にあたしにだってあるじゃないの」


 確かに海華の言う通り、それに海華の黒子を見て浅黄は妹の事を思い出したのだ。

やはり自分の考え過ぎだったのだろうか、そう心中思いながら歩く朱王の目に、突如異様な外見をした建物が飛び込んできた。


 どっしりと重厚な白壁に長い歴史を感じさせる風格のある表口、大店と呼ばれる部類に入るだろうその店は、本来ならば錦屋同様たくさんの客で賑わっているはずだった。

しかし現実は、固く扉が閉ざされたまま、何人も近付けられないように何本もの竹が組み据えられ、賑やかな表通りにはそぐわない陰鬱な空気を醸し出している。

ほぼ無意識に、朱王の足はその建物の前で止まった。


 「あ、ここって大野屋さんよね。こんなになっちゃって、本当に可哀想。家の人から使用人まで皆殺しだなんて、酷い事するわ」

 心底気の毒そうに言いながら、大野屋と呼んだ屋敷に手を合わせる海華。

しかし朱王は、ここが大野屋だという事を知るのみ。

一か、使用人皆殺しなど寝耳に水だ。


 「おい、今の話は本当なのか?」

 「本当よ。やだ、兄様知らないの? 本当、外の事には疎いってんだか関心がないってんっだか……」

 「そんな事はどうでもいい、何があったのか早く教えろ」


 呆れ果てた様子で深々と溜息をつく海華を急かすように言い、朱王は大野屋を仰ぎ見る。

わかったわよ、そう呟き胸の前で腕を組んだ海華は再び小さく歎息した。


「ひと月くらい前だったわね、大野屋さんに押し込みが入ったの。お蔵が荒らされて、お屋敷の中にあった金目の物も、ごっそり持って行かれたらしいわ。なんでも、お屋敷もお蔵も鍵が無理矢理抉じ開けられた様子はないから、引き込み役がいたんじゃないか、って」


 引き込み? 女か?」


 何気なく問うた朱王に、海華は左右に首を振って見せる。


「そこまではあたしもわからないわ。ただ、使用人の骸が一つ、見付かってない、って噂は聞いた。あくまでも噂だけどね。あ……もう行きましょうよ。こんな所でコソコソ話ししてたら怪しまれるわよ」


 道行く人々の視線を気にしたのか、通りから顔を背けた海華は朱王の袖を引く。彼女の言葉は最もだ、と朱王は素直に頷き二人は足早に惨劇のあった現場を後にした。

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