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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二十一章 妄信の縦糸 愚行の横糸
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第二話

 「――本当に心配して下さっていたのね……」


 邸宅からの帰り道、しっかりと懐刀をい抱き締めながら海華が呟いた。

今日は新月、光源は仄かな灯りを放つ辻行灯と朱王の持つ提灯以外には無い。

暖かな風が朱王の髪を揺らす穏やかな夜だった。


 「まさか、父上様が御用意して下さっていたとはな。俺も驚いた」


 どこか遠い目差しの朱王がぽつりとこぼす。

自分は父から刀を貰った、しかし海華には思い出だけしか残さなかったと今まで思っていたのだ。

寡黙で、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた父親。

語り合う時間も持てずに逝ってしまったが、心の内では自分達のことを思っていてくれたのだろう。


 久し振りに昔を思い出した朱王は、胸の奥深くがちりちりと焼ける感覚を覚えた。


 「これがあれば、父上様が守ってくれるから大丈夫よね。あたし、もう一度お町さん達に話し聞いてくるわ」


 懐刀を袂に隠し、兄に向かってにこりと微笑んだ海華。

数歩駆け出したその背中に、待て! と朱王の呼び止める声が飛んだ。


 「ついでだ。俺も一緒に行く」


 「兄様も? ――まぁ、いいわ。行きましょ!」


 ぱたぱたと兄に走り寄り、海華は朱王の手を引く。

走ると危ない、と苦笑いを見せながら、朱王は彼女に連れられて、あの色街近く、お安らの縄張りへと向かう。


 いつもの場所、いつもの橋の上に夜鷹二人は立っていた。

遠巻きに二人の姿を確かめた朱王は、また言い寄られては堪らないと、手前にある柳の陰へ隠れてしまう。

ここで見張っているから安心して話しを聞いてこいとの兄の言葉に、海華は呆れて反論も出来なかった。


 とにもかくにも、お安とお町の元へ向かった海華。

今夜も客が現れず、暇をもて余していた二人とは、あっと言う間に世間話に花が咲く。

やかましく喋り立てる女三人の声を聞きながらも、朱王は眼光鋭く闇が支配する通りを睨み付けていた。

突如、ざぁっと強めの風が吹き抜け、生い茂る柳の枝と朱王の黒髪を激しく靡かせる。


 刹那、ぎゃあ――っ! と喉を破らんばかりの悲鳴が、その場にいた全員の鼓膜を貫いた。

ぬるい風に乗った悲鳴、弾かれるように振り向いた海華の前で、朱王は柳の陰から弾かれるように飛び出した。


 「今の聞こえたかっ!?」


 「聞こえたっっ! 今……今来た方よっ!」


 海華がそう叫んだと同時、脱兎の如く土煙を上げて朱王と海華が走り出す。

呆気に取られたように二人を見ていたお安とお町も、けたたましく何かを叫びながら兄妹の後を追い掛け始めた。


 手にしていた提灯を投げ捨て、辻行灯の灯りを便りに朱王は走る。

悲鳴の大きさからして場所はこの近くだ。

大きな柳が不気味に枝をたなびかせ、黒い影を落とす大通り。

その道の真ん中に、一つの影、黒い塊が転がっていた。

 

 それを目にした瞬間、息を切らせて走る海華の耳が、奇妙な音を拾い上げたのだ。


 がたっ、がたっ、ごとっ……と、不規則に聞こえる響き。

海華の足がぴたりと止まる。

一足先に黒い塊へ駆け寄った朱王、その口から怒鳴るような叫びが響き渡る。


 「殺られたっっ! 海華っ! また一人殺られたぞっっ!」


 「足音が聞こえたっ! あたし行くわっ!


 言うが早いか、汗を飛ばした海華は不規則な足音を追い掛け、裏道へと走り込む。

止めろ、危ない! と叫ぶ兄の声も金切り声で駆け込んでくる夜鷹達の叫びも、既に彼女の耳には届いていなかった。

行灯の光も届かぬ暗闇。

不規則な下駄の響きを頼りに海華は走った。

両側は大小の店がひしめき合い、海華はちょうど店の裏手を走っている。


 がたん、ごと、がたっ……。


 下駄の音は次第にはっきりと聞こえ、もう少しで追い付ける、そう思った瞬間だった。

ぴたりとその音が止まった。

いや、消えたのだ。


 驚きに目を見開き、海華はつんのめるように足を止めた。

前方は、全てを飲み込むように暗く口を開ける漆黒が広がるばかり。

一寸先も見えぬ闇に溶け込むかの如く、下駄の足音も下手人もきれいさっぱり消え失せてしまった。


 「な、に? どうなってんのよ?」


 狐に摘ままれたような表情で、海華は恐る恐る闇に向かって足を踏み出した。

確かに、ついさっきまで不規則な音は聞こえていた。

その音を立てていた人間も必ずいるはずなのだ。


 回りには逃げ込める道は無い。

冷や汗を流し、海華は闇の真ん中で立ちすくんでいた。


 「――い! おいっ! そこにいるのは誰だ!?」


 不意に背後から若い男の声が飛ぶ。

聞き覚えのあるその声に反射的に振り返った海華の目に遠くの方でゆらゆらと揺れる提灯の小さな灯りが映った。

ぽつんと灯る光に引き寄せられるように、海華は踵を返して走り出す。

闇の中、提灯の柿色の光に浮かんだのは固い表情で仁王立ちになっている高橋だった。

海華の姿を認めた高橋は、あっと小さな叫びを上げて海華へと駆け寄ってくる。


 「あ、高橋様!」


 「海華殿! どうしてここに?」


 「悲鳴を聞いて……おかしな足音がこっちに逃げたんです。追い掛けたんですけれど、途中で……足音が消えちゃって」


 「なに、消えた? 姿は見たのか?」


 提灯を掲げた高橋は、海華が来た裏道の奥を覗き込む。

申し訳なさそうに顔を歪め、海華は小さく唇を開いた。


 「それが、暗くて全然見えなかったんです……」


 「そうか、仕方あるまい。海華殿は朱王殿の所へ戻っていてくれ。ここは俺が調べよう」


 わかりました。 そう答えて、海華は兄の元へと夜道を引き返して行った。




 道に転がる黒い影、その傍らに朱王と夜鷹二人は呆然と立ち尽くしている。

つい今しがたまで、高橋と共に悲鳴を聞き駆け付けた都筑がいたのだが、番屋へ知らせに行く言い、この場を後にしたばかりだ。


 三人が食い入るように見詰めている影、それは腹を一突きにされ顔の半分をざっくりと切り裂かれた若い夜鷹の骸だ。

横向きになった小さな顔、張り裂けんばかりに見開いた両目、しかし地面側の左目は無残に潰され、今だどろどろと赤黒い血が流れ出している。


 顔は血潮で真っ赤に染まり、格子模様の着物は、吹き出した赤い体液を吸い込んで黒く変色し、溢れた赤は地面まで血の海と化していた。

余りにも無残な有り様の骸に、お町はガチガチと歯を鳴らせながら震え、お安は顔面蒼白になりながら手にしていた蓙を取り落とす。


 生臭い臭いが広がる現場。 自分の足元まで流れる血を避けながら、朱王は骸に視線を走らせる。

と、固くぎっちりと握り締められた女の右手から、何か細い紐のような物がはみ出ているのが目に入った。

思わずその場に屈み込んだ朱王に、止めときなよ! と泣き出しそうなお町の声が飛ぶ。

勿論朱王も都筑や高橋が来るまで骸に触るなどはしない。

ただ、その紐が妙に気になったのだ。


 吐き気がする程の臭いと骸の有り様に、さすがの朱王も眉間に深い皺を寄せながら立ち上がる。

その時、兄様! と大声で叫びながら、こちらへ向かって駆けてくる紅い着物が朱王の視界に映り込んだ。

濃厚な血の匂いが立ち込める現場。

骸には駆け付けた忠五郎や、高橋の手によって筵が掛けられ、傍らでお町とお安が立ち尽くしている。


 朱王と海華は一番最初に骸を見つけたことから、都筑が修一郎の邸宅から呼んだ桐野から少し離れた場所で詳しい話しを聞かれていた。


 「――それで、海華殿は逃げた相手の姿は見ておらんのだな?」


「はい、高橋様にもお話ししたのですが、暗く て何も見えませんでした。」


 先程まで全力で走っていた海華は頬を僅かに赤らめ、首筋からたらたらと汗を流しながら言った。

あの後、高橋が裏道を調べてくれたのだが、やはり人っこ一人いなかったらしい。

難しい表情を作り、深い腕組みをした桐野は骸に被された筵へちらりと視線を投げる。

道へ無造作に広がった筵、その下からは今だ粘っこい血が流れ、地面を汚していた。


 「――しかし酷い殺し方をしたものだ。……今のところ手掛かりと言えば、血染めの足跡くらいだな」


 桐野の呟きに海華は小さく嘆息した。

骸の側から裏道の途中まで、血に濡れた男物の下駄の跡が点々と続いている。

しかし、それは道の真ん中でぷっつりと消えていたと高橋は首を傾げながら言っていたのだ。


 「人間が宙に消えるなんて有り得ないんですけど……」


 高橋の話しを聞いた海華は、彼を真似るように始終首を傾げっぱなしだった。

すると海華の横に立ち、無言を貫いていた朱王が何かを思い出したように桐野へ目を向ける。


 「桐野様、あの骸は何かを握っていたと思いますが……」


 「ああ、持っていたぞ。おい都筑!」


 桐野が道の向こうへ声を掛ける。

お町と何やら話していた都筑が、ハッ! と短い返事をし、すぐこちらに駆け寄ってくる。


 「死骸が握っていたものがあるだろう。今どこにある?」


 「はい、こちらに。どうやら守り袋のような物のようです」


 そう言いながら都筑は畳んだ手拭いを広げる。

中から出てきたのは半分を黒く血で染めた桃色の小さな袋だ。

それを覗き込んだ海華の鼻に、ねっとりと生臭い血の匂いに混ざって、ふわりと香の香りが届いた。


 「これ、守り袋じゃなくて香り袋だと思います」


 「香り袋? 女が持つヤツか?」


 妹の言葉に朱王は目を瞬かせる。

海華はその袋に目をやったまま、こくりと頷いた。


 「香り袋か。なら、死んだ夜鷹の物だろう」


 そう言った都筑に同調するように、桐野はそうだな、と呟く。 しかし海華は首を横に振った。


 「違うと思います。だってこれ絹ですよ? この香りも……かなり質のいいものです。とても夜鷹が買えるものじゃ……」


 「お前、これが下手人のもんだと言いたいのか? 男はこんなもの持たないだろ」


 些か呆れたような兄の口調に、海華は思わず頬を膨らませた。

都筑などは苦笑いさえ浮かべている。


 「きっと客からでも貰ったんだろう。海華、だいたい地面に付いていたのは男物の下駄の跡だ」


 香り袋を再び手拭いに包みながら、都筑はぽんぽんと海華の肩を叩く。

そうですけど……と、どこか納得行かない様子で呟く海華。

確かに自分の言っていることは突拍子もないかもしれない。

しかし、毎夜僅かな金で春をひさぐ夜鷹と、高価そうな香り袋は余りにも妙な組み合わせに思えたのだ。


 幾度も首を傾げる海華を眺めていた朱王は、考え過ぎだと妹の頭を小突く。

自分が聞いた足跡は一つだけ、まして女が一人だけで夜鷹を襲い、あんな酷い殺し方を出来るとは思えなかった。

唸る海華に呆れ顔の朱王、彼らを見ていた桐野は眉間に皺を寄せている海華を覗くように僅かばかり腰を屈める。


 「海華殿、そこまでこの香り袋が引っ掛かるなら、そちらの方からも調べてみよう」


 桐野の言葉に海華の顔がぱっと輝く。

反対に朱王は申し訳なさそうに眉を寄せた。


 「桐野様、海華の推測で、そんなお手間をとらせる訳には……」


 「なに、手間などは無い。不自然な所があれば調べるのが儂らの務めだ。海華殿の推測には、以前も助けられているからな」


 かなり前、吉原であった火付け騒ぎを指しているのだろう。

ありがとうございます! とにっこり微笑む海華につられるように桐野は唇を綻ばせていた。





 骸は戸板に乗せられ、番屋へと運ばれて行く。

死人のように真っ青な顔色をしたお安とお町は、調べが済むなり足早に現場を後にしていった。

夜道は危ない、長屋まで送ると都筑の申し出を有り難く受け、朱王と海華も生暖かい風を受けながら帰途につく。

部屋に着いた途端、どっと疲れが出た二人は早々に布団へと潜り込んでいた。

蝋燭は消え、月の光も無い部屋は、まさに海華が走ったあの裏道と同じ漆黒の暗闇に塗り潰される。


 鼻の下まで掛布を引き上げた海華は、この日何度目かわからぬ溜め息をつきながら、ごろりと兄に向かって寝返りをうつ。

身体は鉛のように重い疲労感に支配されている。

一刻も早く心地好い眠りの世界に落ちていきたいのだが、妙に頭が冴えているのだ。


 鼻先にかざした自分の手も見えない闇、その向こうから小さな溜め息が聞こえ、海華は閉じていた目をぱちりと開けた。


 「――兄様、眠れないの?」


 「ああ、なんだか気が高ぶってな。……お前も眠れないか?」


 ごそごそと身動ぐ気配。

姿の見えない兄に向かい、海華はうん、と返事をした。

あんな惨たらしい骸を見たばかりなのだ、眠れないのも当然である。


 「なあ、海華。少し話しがあるんだが……」


 「いいわよ。寝物語といきましょ」


 おどけたような妹の台詞に朱王は小さく笑う。

深い黒の世界で、二人の声だけが存在を示すように静かに響いていた。


 「寝物語ってほど穏やかな話題じゃない。俺、帰る道々考えていたんだが。下手人が女かもしれないってお前の推測。あながち外れていないかもしれないな」


 ぼそりと告げられた兄の言葉に、海華は意外そうに目を瞬かせた。


 「どうしてそう思ったの? さっきは考え過ぎだって……」


 「さっきまでは、そう思っていた。でもな、あの下駄の足音を考えたら、足の悪い男と言うのはおかしいんだよ」


 悲鳴を聞き付けてから朱王らが骸を見付けるまで、そう時間はかかっていない。

下手人が逃げたのと、海華が追い掛けて走ったのも時間的にそう差は無いはずだ。


 「いくら相手が男でも、足の悪い奴がお前を振り切って逃げられるのかと思った。お前、足は速いからな」


 なるほど、と海華は無言で頷く。

確かに自分は下手な男より足が速い。

それが密かな自慢でもあるのだ。

昔、ある人に韋駄天いだてんと呼ばれた自分が足の悪い男に追い付けないなど考えられない。


 「横路に逃げたと言うならまだわかる。でも、足跡は確かに消えていたんだ。――俺なりに考えたんだが、履き物を変えて逃げたんだとしたらどうだ?」


 「血の付いた下駄を脱いだってこと?……有り得ない話しじゃないわ。でもね、仮に女が下手人だとして、なぜ夜鷹を殺すのかしら?」


 夜鷹同士に繋がりは無く、年も顔形も全然違う。

何の動機で四人も人を殺めたのか全くわからない。

顔も性別もわからぬ殺人鬼は、また明日、もしかしたら今この時も新たな血を求めて夜鷹を探しているかもしれないのだ。


 問題は、そこなんだよ。 再び深々と嘆息した朱王が、ごろんと寝返りをうつ気配がした。


 「何が目的なんだか、さっぱりわからん。とにかく、あの辺りをうろついている怪しい奴をかたっぱしから捕まえるか、夜鷹が道に立たない以外手は無いな」


 「夜鷹が道に立たないで、どうやって稼ぐのよ? 無茶苦茶だわ」


 含み笑いを漏らした海華は、引き上げていた掛布をばさりと退かす。

一番いいのは、実際夜鷹が襲われそうになったところを押さえることだ。

そう上手くいきゃ、世話無いのよね……。

都合の良い考えは、ついに口から出ることなく海華の胸の中で消えていった。






 下手人は何者なのか、そう考えたまま悶々と夜を明かした海華。

気付いた時には、表はうっすら白み始め、新しい一日を迎えていた。

眠たげに目を擦りながら仕事に出る彼女を『気を付けて』と送り出す朱王も、大あくびを連発している。 どうやら海華と同じくあまり熟睡できていないようだ。


 気だるい体を引き摺りながらも、海華の足は自然と昨夜の凶行が起きた現場へ向かっていた。

夜には人気のほとんど無い道だが、昼間ともなれば大勢の人が行き交い、賑やかな通りと変わる。

しかし、夜鷹が殺された場所だけは事件現場独特の重苦しい雰囲気に満ち満ちていた。


 今だ真っ黒に変色した血の跡が残る地面。

男達は興味深そうにそれを見ながら通り過ぎる者、立ち止まって額を寄せながらひそひそと話し込む者までいる。

対照的に、女達は一様に怯えたような穢れた物を見るような眼差しで顔をしかめ、特に子供を連れた母親などは、子の手を引きながら足早にそこを通り過ぎ、わざわざ違う道に入る者もいる。


 死の匂いが漂う現場、乾いた血溜まりの近くで足を止めた海華は、ひどく沈んだ気持ちで行き交う人々を眺めていた。

その時、海華ちゃん、と自分を呼ぶ声と同時に、ぽんと肩を叩かれ思わず小さく跳ね上がる。

慌てて顔を左に向ければ、日に焼けて浅黒く変わった留吉の顔があった。


 「昨夜は災難だったなぁ。朱王さんも、大丈夫だったかい?」


 「お陰様で。でも、何だか気になっちゃって……」


 また来ちゃいました。 薄くくまの浮かぶ顔で苦笑いする海華に、仕方ねぇよなぁ、と留吉は同調するように頷く。

この留吉も、昨夜現場に駆け付け夜鷹の骸を目にした時は卒倒しそうな様子だった。


 「ところで留吉さん、下手人のこと何かわかりました?」


 「いいや、なんにもわかっちゃいねぇ。朝からウチの親分や都筑様方があちこち走り回ってんだけどよ。そう言う俺も、調べの途中だ」


 丸々とした顔に張り付く太めの眉が深く寄せられる。

暗い表情を崩さないまま、留吉は人の波を縫いながら、ひょこひょこと血溜まりへ近付いた。

つられて海華も、その丸まった背中を追って黒い跡の側へ立つ。


 「何しろ下手人を見た奴がいねぇからなぁ。 こっちとしても、どこから手を着けていいのやら」


 半ば愚痴に変わる留吉の台詞に、無言で海華が頷く。

どうやら番屋も奉行所も手掛かりの少なさにお手上げのようだった。

地面に染みた血をじっと見詰めながら、こりゃ暫く消えねぇぜ? と独り言のように留吉が呟く。

その時、じっと地面を睨み付ける二人の背後に、黒い影が被さった。


 「ここで何かあったのですか?」


 唐突に背中から聞こえた女の声。

その問い掛けに、二人揃ってぱっと後ろを振り返る。

そこに立っていたのは、戸惑い気味にこちらを眺める体格の良い一人の年増女だった。

 


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