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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二十章 鬼面牡丹
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第四話

 「悪い! 助かった」


 「危なかったわよ!」


 手繰り寄せた紐に粘りつく血潮を拭いながら、 海華が手のひらをヒラヒラと振る。

それに答え、志狼が片手を上げた時だった。

何かを見つけたように海華がサッと横を向き、 そのまま脱兎の如くに駆け出した。

三人の男達から繰り出される刃を踊るように軽々とかわしながらも、志狼の視線はちらちらと海華の姿を追う。

海華の大きな瞳が捉えていたもの、それは一本の大木の陰に隠れた一人の若い男の姿だった。


 手にしていたであろう刀は既に足元に落ち、遠目からでもわかるくらいガタガタと震えている。

茂る草の間に転がる血塗れた仲間の骸、 湿った空気に広がる吐き気がするほど濃厚な血の匂いに、もはや戦う気力はどこかへ飛んでしまったのだろう。

近くには、放り出されたまま燃え上がる提灯があった。


 「全員逃がすな! 後が面倒だからなっ!」


 志狼の斜め前で、黒づくめの影と激しい鍔迫り合いを繰り広げる朱王が怒鳴る。

百も承知だ! と返した志狼の刀がビュッと空を切り裂いた瞬間、正面に立つ男の首がドッと血を噴き上げながら宙に飛び、後の二人ははらわたが飛び出るほど深く腹を裂かれ、喉笛を切られて溢れる血と臓物の中をのたうち回りながら死んでいった。


 「グオォォ――ッッ!」


 がさがさと木の葉がざわめく森に轟いた男の断末魔。

思い切り地を蹴った朱王の白刃が鍔迫り合いの相手、その男の腹を深々と貫いた瞬間だ。

返り血で肘まで赤く染めた朱王は、無表情のまま痙攣する男の身体を蹴り飛ばし、血に濡れた刀を引き抜く。

ドシャッッ! と男の骸が枯葉の上に倒れたと同時だった。


 「グェェェッッ! ガァ――ッッ!」


 獅子の如き潰れかけた咆哮が、朱王と志狼の鼓膜を震わす。

その出所に視線を飛ばした二人が見たものは、首に紅い紐を巻き、バネ仕掛けの人形よろしく四肢をメチャクチャに痙攣させる男の姿だった。


 ガクンと地に膝を着く男、その後ろではひどく冷たい笑みを浮かべた海華が、ギリギリと紐を締め上げている。

括れるほど首に食い込む紅い蛇、白眼を剥いた男の指は、無意識に紐を引き剥がそうと首を掻きむしり、自らの肉を抉っていた。


 ――グギッ……!


 何かが砕ける鈍い響き。

朱王と志狼の見守る前で、哀れな男はだらしなく舌を垂らし泡を吹きながらガックリと頭を落とした。

海華が頸骨をへし折ったのだ。

シュッ、と乾いた音を立て紐が首から外される。

ズルズル崩れ落ちる骸をゴミのように踏みつけた海華は、兄らの視線を感じたのだろうか、こちらに向かって顔を上げる。

そして凄惨な場にそぐわない、恐ろしいほど華やかな笑みを二人に投げ掛けた。


 「――あれは、怖い女だな……」


 「なんだ、知らなかったのか?」


 ゴクリと生唾を飲み込みながら志狼が呟く。

飄々と答えた朱王の唇は、ニヤリと三日月形に歪められていた。

漆黒の闇に木々がざわめく稲荷の森。

硬直したように提灯を握り締めるお香の手が、全身がおこりにかかったようにワナワナと震える。 あちこちで地に落ちた提灯が燃え、凄惨な光景をぼんやりと照らし出した。


 張り裂けんばかりに見開かれたお香の目に映るのは、もはや唯の肉塊と化し、血塗れで転がる手下達の姿。

切り裂かれた身体から飛び出した内臓、一面の青草をどす黒い朱で染め、ドロドロ流れ続ける大量の血潮……。


 目眩がする程濃厚な血の匂い、正に血の池地獄の中に佇む『三匹の鬼』。

お香の目に、朱王らはもう人の姿で映らなかった。

いかにも楽し気に微かな笑みさえ浮かべながら、次々と手下を物言わぬ骸に変えていった三人は、地獄に巣食う鬼そのものだった。


 黒く変色した返り血で頬を汚した朱王。

俯き気味のその顔が、ゆらりとお香へ向けられる。

暗い光を宿した瞳、薄めの唇がゆっくりと言葉 を発した。

最後の仕上げだ、と……。


 グチャリグチャリとぬかるむ血溜まりを踏みつける三つの足音。

お香の全身から冷たい汗が吹き出し、心臓は早鐘のように脈打つ。

その響きが頭を揺らす。

逃げなければ、そう本能は叫びを上げるが、足は根が生えたように動かない。


 乾いた舌は口内に張り付き、助けてくれ、許してくれと命乞いの言葉すら出せないでいた。


 「――あんたも、弟も、喧嘩売る相手を間違えたな」


 凍り付くように冷たい声色、ねっとりと血の滴る刃を構えた朱王の姿は、ただの黒い影となった。

口から涎を垂らし、呆けたように戦慄くお香が最期に感じたもの、それは大きく膨れ上がった朱王の影と、ビュッ! と白刃が空を切り裂く響き。

ただ、それだけだった……。


 「――何だか、呆気なかったわねぇ」


 地面に倒れ伏し、血溜まりを作り始めたお香の死骸を見下ろしながら海華は口を尖らせる。

生前はあれほど威勢良く啖呵を切っていた女も、死ぬ直前は恐怖で舌も回らなかったようだ。

手にしていた刀をグサリと地に突き刺した朱王は、もうお香には興味が無いと言わんばかりに踵を返し、束ねた髪を解き放る。

ひょいと後ろを振り向けば、袂で顔にかかった返り血を拭い取る志狼と目が合った。

その瞬間、二人はほぼ同時にニヤリと頬を緩める。


 「殺り損じはいないようだな……志狼さん、後はあんたに頼んだぞ?」


 「任せておけ。すぐに旦那様を呼んでくる。海華、少しは怖がる素振りを見せてくれよ?」


 「わかってるわよ! いいから早く桐野様、呼んできて!」


 ぶう、と頬を膨らませる海華は森の向こうに視線を向け、早く行けとばかりに手を振った。

はいはい、と剣呑な返事をしながら、点在する血の池を飛び越えて志狼はあっと言う間に闇へ消えていく。

組紐を袂へと仕舞い込んだ海華は、小走りに兄へ駆け寄り、ひょいと顔を覗き込む。


 「兄様、大丈夫だった?」


 「ああ、お前は? 怪我は無いか?」


 近くの大木に凭れ、深く腕組みをしながら朱王が言った。

その横に立ち、海華は小さく頷く。


 「――これでお仙さん、安心して赤ん坊産めるよな?」


 「そうね、きっと……お仙さんなら大丈夫よ」


 噎せ返る死臭の中で、赤ん坊という言葉はどこ か場違いに感じる。

感情の見えない瞳で転がる屍を眺める朱王、その口から、フゥッと静かな溜め息が漏れ、朧気な月光に溶けていった。





 お香一味が死んでから三日がたち、事件は単なる行きずりの窃盗として処理され、朱王らは殺されそうになって、やむを得ず刀を手にしたとしてお咎め無しとなった。

太陽が抜けるような夏空に輝く昼下がり、鼓膜を破らんばかりに響き渡る蝉時雨の中、朱王と海華は桐野の屋敷を訪れて……いや、正確に言えば呼び出されていた。


 八丁堀の奥まった場所、広いが、かなり年季の入った屋敷。

応対に出てきた志狼によって通されたのは、庭が一望できる客間だった。

海華は一度通された事のある、鷲の掛軸が掛かった簡素だが塵一つ無く掃き清められた部屋だ。


 開け放された障子の向こうには、整えられた庭が見え、今を盛りと芍薬が咲き誇り重たそうな花弁を夏風に揺らせている。


 「綺麗に手入れしてるのねぇ」


 茶を運んできた志狼へ、庭に顔を向けたままの海華が感心するように呟く。

そうか? と些か照れたような声色で返した志狼、と、朱王側の襖がガタガタ軋みながら開いて鼠色に縦縞模様の着流しを纏った桐野が姿を現した。


 「おお、二人とも暑いところを呼び出して済まなかったな」


 人懐っこい笑みを見せた桐野は、二人の前にドカリと胡座をかく。

深く一礼した二人、志狼は茶を乗せてきた盆を手に部屋を後にした。


 「先日はお世話になりました。私達にも……お咎めはあるかと思っていましたので……」


 困ったような笑みを見せながら、朱王が顔を上げた。

ドキドキしていました、と横から海華が付け加える。


 「いや、あの場合は致し方あるまい。黙っていれば、お主らが死んでいたのだからな。ところで……」


 一度言葉を区切り、桐野が細い顎の下を擦る。

それに合わせたように桐野用の茶を持った志狼が再び部屋に戻ってきた。


 「お主らを襲った奴ら、上方を荒らし回っていた強盗団だった。なぜこの江戸で、しかも行きずりにお主らを襲ったのか、さっぱりわからぬわ」


 堕ちたものよな。 そう言いながらも桐野は小首を傾げる。 全くです。と、なに食わぬ顔で朱王が返し海華 は曖昧な笑みを浮かべて頷く。

側に控えた志狼は、表情一つ変えていない。

ジリジリと響く蝉の声、その時フワリと流れた暑い風に乗り、妙な匂いが漂った。


 「あら、何かしら? 焦げ臭いわね?」


 鼻をひくつかせた海華が呟き、それを聞いた志 狼の顔が、サッと青褪める。


「しまった……っ! 鍋!」


 弾かれたように立ち上がり、志狼は慌てて襖の向こうへ消えて行く。

ドタバタと駆け去る足音、思わず海華が立ち上がり朱王が止める間も無く志狼の後を追い掛けて行った。


 「申し訳ありません、あいつ勝手に……」


 「なに、構わぬ。志狼の奴め、また鍋を火に掛けたままだな? 時々あるのだ全くそそっかしい」


 呆れた様子の桐野、意外な面もあるものだと朱王は目を瞬かせる。

突然、そうだ、と呟いた桐野は囁くような小声で囁いてきた。


 「なぁ、朱王。あの夜、お主らと志狼が飲みに出掛けたというのは本当か? 志狼の話しではお主から誘われたと」


 「はい、私が誘いました。いつもいつも海華と二人だけではつまらないもので。……なにか不都合でも……?」


 いやいや、そうではない。

そう言って緩やかに首を振り、桐野は湯飲みに口を付ける。

ばれていたのか、と朱王に一抹の不安がよぎった。


 「いやな、志狼が誰かと飲みに行くなど初めてだったから驚いただけだ。儂の所に来て十余年、あいつがそこまで親しくした人間はいないのだ。――元より他人には興味も関心も持たぬ奴だ。だから、珍しいと思ってな」


 ニヤリと口角を上げる桐野、そうでしたか、と朱王は小さな微笑みを浮かべる。

遥か遠くの勝手からは、焦げてる! だの、早く消して! だの、志狼と海華の叫びが微かに響いてきた。






 「白い大根わざわざ黒くすることないでしょっ!?」


 そう叫びながら、海華は抱えていた水桶の中身をもうもうと白煙を上げる鉄鍋にぶちまけた。

派手な音を立て、水蒸気が立ち上ると同時に真っ黒く焦げた鍋に、これまた黒い炭のような破片がいくつか浮かぶ。


 沸き上がる水蒸気と焦げた匂いにげほげほと盛大に噎せ込んだ海華と志狼、火事にならなくてよかったわ。と、海華は苦笑いし、その傍らでは手桶を足元に置き、弱りきった表情を見せる志狼が無残な姿に変わった鍋と大根の残骸を覗き込んでいた。


 「まいったな、またやっちまった……」


 「またぁ!? あんたも以外とおっちょこちょいねぇ」


 苦笑いを浮かべた海華は、何かを思い出したように辺りを伺い、袂へ手を突っ込む。

そして手のひらに収まる位の小さな白い和紙包みを、まいったな、と呻く志狼に差し出した。


 「ん? 何だこれ?」


 「お仙さんから。ありがとうございましたって」


 包みに視線を落としたまま、志狼の眉間に微かな皺がよる。


 「金か? 俺は別に金目当てでやったわけじゃ ……」


 「わかってるわよ、そんなこと。でも、どうしても貰って欲しい、でなきゃ気持ちが治まらないってさ。あたしと兄様も一度は断ったんだけど……まぁ、目の玉飛び出るような額じゃないから」


 「――そうか、なら遠慮なく」


 少し躊躇していた志狼だが、そこまで言うなら、と差し出された包みを受け取り懐へしまう。


 「よかったわ。お仙さんはあんたの正体知らないから、渡してくれって頼まれてたのよね。 ……ああ、それと。お仙さん、自分の過去を亭主に話したんだって」


 カツン、と手桶を軽く蹴飛ばしながら海華が呟いた。

僅かに眉を上げた志狼は、ただ鍋の中を見詰めながら、そうかと一言漏らす。


 「――で? 亭主は何と言った? 怒り狂って離縁するなんてことに……」


 「それがね、気にしないって一言よ」

 

 指先で頬を掻きながら、海華は三太の言葉をそのまま話し出す。


 「一緒になった以上、過去のことは関係ない。 義兄さんにも、お仙は俺が守ると約束した、だから俺の気持ちは今までと変わらないってさ」


 「いい男と一緒になったな」


 安堵のような溜め息をつき、志狼が言った。

これで離縁なんてことになれば、自分達は何のために危ない橋を渡ったのかわからない。

後は無事に赤ん坊が産まれれば万々歳よ。 と、海華は頬を緩めた。

つられるように、志狼も口元を緩める。


 短い命を燃え立たせ、蝉が羽を震わす。

夏真っ盛り、穏やかな昼下がりの一場面だった。






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