第一章 1
「緋月…導?」
「ああ。…まあ、自己紹介は後回しだ。今はテストの方が先決だろ?」
「あ、ああ。…でも、合わせる時間が…」
「問題ねぇ。」
そう。俺が指揮するんだ。問題なんてもんがあるはずがねぇだろ?
「俺の指示する世界背景を、音で表現しろ。それで問題ねぇ。…楽曲は?」
「あ、えっと、…翠の夢想曲…」
「『悪戯好きな夜風の戯れ』か。トランクィット(静かに)にアダジェット(ややゆるやかに)に始めるぞ。」
「…ああ。」
『悪戯好きな夜風の戯れ』。
気ままで気まぐれな風の精が、月の魔力に中てられ、艶やかに、悪戯に、旅人をたぶらかす様を表現した、幻覚を与える風の夢想曲。重視すべき点は、妖しく甘美な旋律と、魅力あふれる表現。
…さて、この楽曲で見極めさせてもらおうか。
ファ~っと、演奏が始まる。…って。…こいつ、なにフォルテ(強く)で入りやがる?
「おい…。トランクィット(静かに)にアダジェット(ややゆるやかに)に。つったろ。これじゃあ、突風じゃねぇか。」
「あ、ああ。」
……っ!風が…
「テヌート(音を保って)!風が途切れるだろ!」
「あ、悪い。」
このやろ…。指示は聞くが、すぐに反れやがる…
「…視覚操作に向かうぞ、ピウ・モッソ(それまでより速く)で。…速すぎ!ポケ(少し)アダージョ(ゆるやかに)!」
「わ、分かってるよ…」
分かってるわけねぇっつうの!…こいつ、本当に音大生なのかよ…
「こっからたぶらかしにかかっぞ!アッサイ(きわめて)カプリチョーソ(気まぐれに)!」
「うん。」
「…っ!ここで気まぐれに弾かねぇで、いつ弾くんだよ!」
「うぅ。分かってるって!」
…もう嫌だ…。なんでこんなやつの演奏を気にかけたんだ…。…まぁ、あと数小節だ。文句は終わってからだ。
「アレグロモデラート(穏やかに速く)!」
…パンッ、という音で、濃紺の風が消えた。
…やっと終わった…。…さぁ、たっっっぷりと文句を言わせてもらおうじゃないか。