06.
「戸惑い……?」
「えぇ」
エレナの困惑したように反芻した言葉に対して頷いたことで、当時の記憶と抱えていた想いが鮮明に蘇る。
(公爵夫人の提案で、孤児院からガレッティ公爵家の一員となって。そこで初めてエレナや公爵様に出会い、皆が温かく私を歓迎してくれた。……けれど)
「……お母様が元公爵令嬢で最低限のマナーを教えてくれていたとはいえ、私は元平民。その上、家族の温もりさえ忘れてしまっていた私には、最初から屈託なく私を『お姉様』と呼び、迎え入れてくれた貴女に、どう接すれば良いか、正解が分らなかった。だから、戸惑いが優ってしまった私は、公爵邸を出て寮に入った」
エレナは出会った時から変わらない。
いつだって真っ直ぐで純真で。
ロザリアである私には、それが眩しかった。
(あぁ、そうだったのね)
これが私の本音だったのだわ、とずっと燻っていた想いがストンと腑に落ちていくのを感じる。
それとは裏腹に……。
「……え!?」
突然、エレナがその金色の双眸から涙を流したのを見て、慌てて言葉を付け足す。
「な、泣かないで! 貴女を決して責めているのではなくて、これは私の問題で」
「いえ、私が悪いんです。いつも、何も考えずに突っ走ってしまうことが多いから……、私、嬉しかったんです」
「……嬉しかった?」
「はい。私も、一人っ子だったから。血の繋がったお姉様がお姉様になるんだと思ったら、嬉しくて。仲良くなりたい一心で、お姉様の気持ちを考えず、一人浮かれて、それで……」
エレナは泣きじゃくる。その姿を見て、私は棚の引き出しからハンカチを取り出し、それを差し出して言った。
「ごめんなさいね。不甲斐ない姉で。……貴女にぶつかってもらわないと、こんなに私を想ってくれていたことに気付かないなんて」
「え……」
私のハンカチを受け取らず、ボーッと私を見上げるエレナの涙を代わりに拭ってあげながら、自身の想いを素直に伝える。
「貴女がこうして、私を追いかけてきてくれて嬉しかった。貴女の気持ちを知ることが出来てよかったわ。……できれば、これからは貴女の姉として、貴女と向き合えたらと思うのだけれど……、どう、かしら?」
恐る恐る尋ねれば。
「っ、お姉様……!!」
「わっ!?」
不意に抱きつかれ、リベリオ殿下から“色気のない驚き方”と評された反応が自身の口から飛び出る。
もちろん、エレナはそんなことは言わず、そのまま私に縋り付くようにより一層泣きじゃくる。
(……そっか、そうだったのね)
私も歩み寄る努力をすれば良かったのだと遅ればせながら気が付き、その背をそっと撫でながら思う。
(それなら私は、姉として。せめてエレナを……、家族を守らなければ)
そう強く、改めて心に誓った。
「というわけで、きちんと会話をしたことで、無事にお互いの間にあった壁は取り払えたわ」
翌朝。挨拶運動の前に二人きりの委員会の教室で、開口一番リベリオ殿下に報告すると、リベリオ殿下は「そう」と、意外にも茶化すことなく朗らかに笑って言った。
「よかったね」
「え、えぇ」
「……何、その間抜けな顔」
「間抜けな顔って……失礼な」
私はコホンと咳払いすると、様子を伺うように尋ねる。
「私達の間に何があったのか、聞いてくると思っていたから」
(私とエレナに壁があったことを説明しようとすると、私が公爵家の本当の娘ではないことを話さなくてはいけなくなる。リベリオ殿下が知っているとは思えないから、端折ってしまったけれど……)
そんな私の視線に、リベリオ殿下が怪訝そうな顔をする。
「何でそんなことを聞くの? 逆に聞くけど、僕に聞いて欲しいってこと?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
リベリオ殿下は息を吐いて言った。
「……この前に関しては、二人ともお互いにすれ違っているなと思ったから、一応君にエレナ嬢がどう思っているか伝えただけ。それでも余計な真似をしたかなとは思って反省してた。それから」
そこで言葉を切ると、私の顔を覗き込むようにして言った。
「今日、君が詳細に話さないってことは、僕に聞いてほしいわけではないってことだと解釈したんだけど?」
「!」
確かに、その通りだった。驚く私に、「やっと分かってくれた?」とリベリオ殿下は呆れたような顔をした後、言葉を続ける。
「第一、姉妹喧嘩の理由を詳細に聞くような無粋な真似はしない」
「……リベリオ殿下」
「っ!? ちょっと待って。なんでそこで泣くの……!?」
「え……」
慌てて頬に手をやれば、確かにその指は濡れていて。
初めて自分が泣いていることに気が付き、指先で涙を拭う。
「ご、ごめんなさい、なんだかホッとして……」
「僕のせいで泣いているの?」
「ち、違うわ。すぐに泣き止むから」
だけど、困ったことに、涙は止まってくれなくて。
(本当、どうして?)
エレナの前でも泣かなかったのに、と必死に涙を拭う私の目の前に、ハンカチが差し出される。
え、と驚けば、リベリオ殿下が呆れたように……、少し困ったように、私の手にハンカチを握らせながら言った。
「全く、ハンカチを持っていないなんて風紀委員失格だよ」
(……本当は持っている)
すぐに泣き止むと思ったから、取り出さなかっただけで。
けれど、それを言うのはなぜか憚られて。
それから、彼の不器用な優しさが心に沁みて。
私はギュッとハンカチを両手で握ると、止まらない涙をそのままに、精一杯の笑みを浮かべて……。
「ありがとう」
そう噛み締めるように、リベリオ殿下に向かって、この想いが伝わりますようにと祈りながら口にすれば、彼は目を丸くした後、眉尻を下げて笑った。




