第89話 虹色の綱
「ふふふ……あはは!」
祭壇に戻ってきた彩華は、膝を叩いて笑っていた。
「見た? あの間抜けな顔! ふふふ、戦力の分断は戦闘の基本よお……」
セーコが彩華の持っているグラスにサトウキビの蒸留酒を注ぎながら言った。
「しかし、あのときあの場で倒してしまえばよかったのでは?」
「ふふふ、簡単に言うわね……。相対して分かったわ……あの山伏、ヤバいわよ。特に姉の方ね。できれば姉と妹も引き離したいところね」
彩華はグラスをクイッと傾けて一気に飲み干す。
強いアルコールが喉を通っていくのを感じた。
胃袋がじんわりと暖かくなり、早くも酔いがまわってくる。
セーコがおかわりをグラスに注いだ。
「また蟲使いをけしかけて妹を幻惑してみては?」
「さすがにもう対策していると見るべきよお。いい考えが浮かんだら試してみるけどね」
「それで、あの魔導銃使いとニンジャはどうしますか」
「魔導銃使いはここに連れてきましょう。人質として機能させるわ。人質二人だと手に余るかもしれないから、ニンジャの方は殺してしまうわよお。今あの二人、どうなってる?」
「魔導銃使いの方ですが、あの落とし穴は地下15階まで続いています。底でアルマードベアが待ち構えています」
「ニンジャの方は?」
「奥様が呼び出したEngolidorスライムが捕えています」
Engolidorとはポルトガル語で「飲み込むもの」という意味である。
「Engolidorスライムはただのスライムじゃないわあ。しかもあのスライム、私が直々に祝福をあたえてあげたからねえ。S級程度じゃ抜け出せないでしょうねえ」
「このままでも窒息死すると思いますが」
「念のため、地下13階に捨てておくわ」
「地下13階……あそこですか。骨も残りませんね」
「ふふふ……。ニンジャの方も生きていると思わせておいた方が得かもねえ。私のかわいい赤ちゃんのためなら、手段はえらばないわ……」
我が子のためなら人も殺すし、人質もとるし、騙しもする。
母となって彩華は初めて知った。
おなかを痛めて産んだ子のためなら、何だってできる……。
★
「どうしよう、どうしようお姉ちゃん!」
目の端に涙をためて羽衣がうろたえている。
「待って、今考えてる」
そう言って零那は唇を噛んだ。
そこに、天井をさかさまに這ってこちらに向かってくるモンスターが見えた。
顔が女の顔、身体が巨大なクモという、おぞましい姿のモンスターだった。
零那はそれをチラリと見て、
「オン マユラ キランデイ ソワカ!」
と叫ぶ。
「今、かまっているヒマはないのよ!」
零那の錫杖から、レーザービームのようなものが発射され、クモのモンスターをあっという間に焼き尽くした。
天井からボトリと落ちるモンスターの死骸。
〈ん? 今れいなちゃんなにかと闘った?〉
〈くそ、なにがどうなってるんだよ、カメラが真っ暗だ〉
コメント欄の読み上げを聞いて、零那はすぐに気づいた。
「そっか、声はイヤホンから拾うけど、カメラのあるドローンは虹子さんについていったのね……。声はイヤホンから拾うってことは……配信を通じて二人と通信できるかも!」
零那は自分のスマホを取り出す。
焦りで指が震える。
『新潟に新規開店! スーパーグランドオープン!』
という通知が着ていたが、それをまったく無視して配信アプリのアイコンをタップする。
そして、配信画面を開いた。
「虹子さん、聞こえる? トメさん! いたらなんか話して!」
★
落とし穴に落ちた瞬間だけで言えば、虹子はなにが起こったのかわからなかった。
だがさすが国内有数のS級探索者だった。
自分の身体が重力に従って下に落ちていくのを感じると、すぐに状況を理解する。
何も光がなく、真っ暗闇で、自分がどこをどう落ちているのかもわからない。
このまま地面に落ちたら、くしゃっと潰れて一巻の終わりだよ、と思って握っていた銃を暗闇に向けた。
この落とし穴がどのくらいの大きさがあるのかわからないが、とにかく壁がないということはないだろう。
地面に叩きつけられるまで、あと何秒だろう?
もしかしたら、この次の瞬間かも。
こんな極限状態でも、虹子は冷静だった。
零那や羽衣の陰に隠れてしまっているが、彼女自身、多くの死地を生き抜いてきた一流の探索者なのだ。
心の中で魔力を練り、魔導銃に集める。
「虹の魔弾!」
パシュッ、という軽い音ともに弾丸が発射される。
それは暗闇の中で、虹色の軌跡を残して飛翔する。
壁はすぐそこだった。
弾丸が壁に撃ち込まれる。
そして虹色の軌跡が虹子の魔力によって弾性のある強力な綱となる。
それはまるでバンジージャンプのゴムのように虹子の体重を支えた。
普通、人間一人の握力だけでは、落下する自身の体重が生じさせる衝撃を支えられないだろう。
しかし、ここはダンジョンの中。
マナが満ち、人間はスキルを持つ。
虹子は一流の探索者なのである。
当然のように、身体強化の効力を得ていた。
魔導銃のグリップを強く握りしめる。
強い衝撃を感じ、虹子の前腕がビリビリとしびれたが、なんとか耐えきった。
肩の関節が外れそうになり、走る痛みで、
「グゥッ!」
という悲鳴が口から漏れ出る。
虹子の体重を受けてグイーンと伸びきった虹色の軌跡は、その反動で何度か虹子の身体を宙に舞わせた。
壁に激突しないように、虹子は何度か壁を蹴り付ける。
衝撃で足が痛んだが仕方がない。
何度か宙に舞ったあと、やっと反動が収まった。
壁はツルツルした質感で、どこにもとっかかりがない。
しかし、虹子はもう一方の手に握っていた魔導銃を、すでに弾丸が撃ち込まれているそのすぐ隣に再び打ち込んだ。
もう一つ、虹色の軌跡が壁と虹子をつなぐ。
虹色の綱が二本。
この綱は、虹子の魔力が尽きるまでは、虹子の身体を支えてくれるだろう。
「もう……練習しておいてよかったよ……」
虹子はぶら下がったまま、銃口から伸びる二本の綱を結びつける。
そして自分の身体を引き上げ、綱に自分の上半身を預けた。
これで、壁からぶら下がった状態で自分の身体を安定させることができた。
「グルルル……」
暗闇で何も見えないが、底の方からなにか唸り声が聞こえる。
「あれ、アルマードベアの声だよね……待ち構えてたってわけ? あーあ、どうしようかなあ……」
その時、虹子が装着していたイヤホンに、コメント欄の読み上げが聞こえてきた。




