第81話 奇跡の子
「どういうことでしょうか?」
シスターである自分にそんなことを言うなど、なにかの冗談だと彩華は思った。
それとも、なにか誤解されるようなことでもしただろうか?
彩華は左手の薬指にはめた指輪をなでた。
これはシスターが一生神に仕えるという誓いを示す指輪である。
「私はSponsa Christiです。操は神と精霊、エシュ様にささげております」
「心配するな、お前はよくやっている。その年でよくぞそこまで成長した。儂の長い人生でも、お前ほどの才能の持ち主は見たことがない」
「ありがとうございます」
「そこでだ。儂はお前が一生をエシュ様のために捧げられると信じておる」
彩華にとって、カトリックへの信仰とエシュへの信仰はひとつづきのものだった。
神や精霊への信仰に一生を捧げる――。
その覚悟は、シスターを目指した時にとうにできていた。
だから、彩華は即答する。
「もちろんです」
それを聞いて老婆は満足げに頷く。
そして、彩華の目をまっすぐ見て言った。
「お前は選ばれた人間だ。おそらく、お前ほどの人間は、もうこの世に産まれてくることはないだろう……。お前の才能はまさに精霊様の奇跡だ」
「そんな……。私が奇跡なんて……」
「いいや。お前は奇跡の子だ。エシュ様がそうお前をおつくりになったのだ」
「…………エシュ様が……」
「そうだ。エシュ様は精霊であり聖人でもある。神と人とをつなぐ存在。つまり、エシュ様のご意志は神のご意志。神ははかりしれなく大きな存在だ。我ら人間ごときその御心をはかり知ることなどできぬ。しかし、それをエシュ様が人間の言葉としてお伝えくださるのだ。神に最も近いのがエシュ様なのだ。我らはエシュ様についていけばよい」
「はい、わかっております」
「エシュ様を信じよ。そのお力を信じよ。それこそが我らの救いなのだ……」
「はい!」
もとより彩華もエシュのことを信奉している。
老婆の言葉に力強くうなずいた。
「エシュ様は、ダンジョンの奥底におられる。ダンジョンの内部は霊性が満ちておるからな。しかし、科学技術が発達し、人々から信仰が失われた今、エシュ様は地上では顕現できぬのだ」
「残念なことです……」
「だが、世界の救済には、必ずエシュ様のお力がいる」
「どうすれば……?」
「エシュ様自身が地上に顕現できぬのであれば、その力を受け継いだ、エシュ様のお子が生まれればよいのだ」
「エシュ様のお子……」
「そうだ。エシュ様と、人間とのあいだの子。その子はエシュ様の力を持った人間となるだろう……。その時こそ、エシュ様の力が地上にて輝くことができるのだ……」
「素晴らしいです!」
彩華は目を輝かせる。
なんという素晴らしい、希望に満ちた話なんだろう!
しかし、ふと疑問に思って聞いた。
「でも、誰がエシュ様のお子をお産みになるのですか……?」
彩華は、先ほど老婆に言われた言葉をすぐに思い出した。
「まさか……!?」
老婆は、陰惨な笑みを浮かべた。
「そうだ、お前だ。お前こそ、まさに奇跡の子。15歳でダンジョン地下5階にたどりつき、17歳となった今ではもう地下10階に到達しようとしているではないか。その力こそ、神に選ばれた証拠。お前ならば、エシュ様に見初められるはず。エシュ様のお力を胎内にいただき、エシュ様のお子を産め」
「私が……!?」
彩華は大きく目を見開き、身体を震わせる。
まさか、自分などがエシュ様のお子を身ごもるなど……!?
「この私に、そんな大役がつとまるのでしょうか?」
彩華の不安そうな表情を読み取ったのか、老婆はじっと彩華を見つめ、かすかな笑みを浮かべた。
どこか寂しそうな笑みだ、と彩華は思った。
老婆は話す。
「儂も昔はお前のように純粋な娘だった……。実はな、儂も昔――ブラジルにいた頃、自分の身をエシュ様に捧げたのだ。エシュ様の子を孕むためにな……しかし、うまくいかなかった。産まれてきたのは赤ん坊ではなくただの泥だった……」
老婆は悲しそうに目を伏せた。
「その泥にも、確かに魂の残滓があった……。生身の依り代があればそちらに魂を移せたかもしれないが、それを用意する前に、我が子の魂はすぐに霧散してしまった。悔しくて情けなくて三日三晩泣いたものさ」
老婆は手の平をおわんのかたちにして、それを眺めた。
何も乗っていないはずの手の平。
しかし、その手の平に今まさに泥を乗せているような、そしてそれを悔恨の思いで見つめているような、そんな目をしていた。
老婆の顔のしわが、細かく震えていた。
その悲しみが彩華にも伝わってくる。
「お気の毒に……」
「そのとき、エシュ様は儂におっしゃった。お前より才覚のある女であればもっと強い魂を持つ赤ん坊が生まれるだろう、とな。残念だったよ。儂は神に選ばれた娘ではなかった。だがな、儂はお前ならそれがやれると信じている。お前は現代の聖母となり、お子とともにこの腐った世の中を清浄なる神の国、エシュ様の国とするのだ……」
「でも……私、まだ子どもです……」
「じきに18歳になるだろう? もう立派な大人だ。女ぶりも良い。エシュ様もお喜びになるだろう。それとも、人の子と人並な結婚がしたいか?」
彩華は激しくかぶりを振る。
「いいえ! 私はシスターになると決心したとき、一生独身である誓いを立てました。Sponsa Christi(神の花嫁)になることを誓ったのです」
「その通りだ。お前は文字通り、Sponsa Christi(神の花嫁)となるのだ。それも、今がよい。今でなければならない。今、エシュ様は日本のダンジョンにいらっしゃっている。だからこそ今、お前にこの話をしているのだ。お前は聖母になれる。世界の人々はみな、正しい教えの元にお前とお前の子をあがめるだろう……」
私が、神に身を捧げる。
私が、聖母になる。
私が、この世界を正しい形に変える。
そして人類皆が、私をあがめる……。
それは、まだ17歳の少女にとって、眩しいほど明るい光に思えた。
「エシュ様は……どちらのダンジョンにいらっしゃるのですか……?」
日本だけでも多数のダンジョンがある。
どこのダンジョンにエシュ様はいらっしゃるのだろうか?
老婆は静かに言った。
「儂は先だってダンジョンの中で礼拝していた。そのとき、天啓を受けた……。エシュ様は日本で最も存在が不安定な地、そこのダンジョンにいらっしゃるとな……」
「存在が不安定な地?」
「そうだ。歴史上、水害や争いで何度もその場所を移転した、『流浪の町』と呼ばれる地……」
「それは、どこですか?」
「新潟の、沼垂という町だ……。信濃川の氾濫、港の権利を巡る争い……。そうして、何度も何度も町ごと移転が行われた町だ」
「そんな町が……?」
「さらに時代をさかのぼると、渟足と呼ばれていたと日本書紀に記してある。そのころ、その地には城が築かれたという。当時、その場所には大和朝廷とは異なる神を信ずる、蝦夷という集団がいた。大和朝廷と蝦夷の戦争の、最前線になった場所だ。まさに霊的な交差点といえる」
マクンバにおいて、交差点――特に十字路は、重要な意味を持つ。
たしかに精霊であるエシュが来臨されるにふさわしい場所だと彩華は思った。
「霊的な条件がそろっているこの場所に、今エシュ様はおいでなさっているのだ。日本においでになるなど、こんなチャンスはない。行け、奇跡の子よ。エシュ様にすべてを捧げるのだ」




