第79話 石の赤ん坊
零那たちが話していた、ほんの一時間ほど前。
朱雀院彩華は、ダンジョンの地下20階にいた。
ダンジョンの一室とは思えないほど豪華に飾り立てられたその部屋は、中央に祭壇がしつらえてあり、大小さまざまなロウソクに火がともされている。
彩華は太い葉巻を取り出すと、シガーカッターで吸い口をパチリと切り取り、ロウソクの火で先をあぶる。
葉巻に火がついたのを確認すると、彩華はそれを深く吸い込んだ。
その芳醇な香りを楽しむ。
彩華が吐き出した煙は、意志を持っているかのように祭壇にまとわりついていった。
その祭壇の中央には、楕円形のゼリー状のものがある。
長さ2メートル弱、高さと幅は50センチほどの、錆びた銅――緑青色に濁った色の物体であった。
「ふふふ、がんばってね、スライムちゃん」
そう、それは最弱のモンスターともいわれる、スライムであった。
生きているモンスターであるそれは、葉巻の煙が触れるとピクピクと動いた。
彩華は微妙にうごめくそのスライムを見て満足げな笑みを浮かべる。
そして、そのスライムへと手を伸ばした。
修道服から伸びる細い手が、スライムの中へとズブズブ入っていく。
彩華はスライムの生暖かさを感じる。
そしてスライムの中に保管してあった、一抱えほどある壺を取り出した。
「いい子ね、スライムちゃん……ちゃんと守っていてくれたのね……」
スライムは生物を体内に取り込み、その生命エネルギーを吸い取って生きている。
そして、獲物のエネルギーを横取りされないように外界からの霊的な干渉をシャットアウトする能力があった。
ただし、スライム自体は弱いモンスターなので、E級探索者の物理攻撃でも倒すことができる。
これは、そんなスライムが持つシャットアウト能力を利用するための、いわば装置であった。
保存したい物体に保護魔法をかけてスライムに吸収されないようにし、それをスライムに食わせることで、逆に霊的な保存庫として利用できるのである。
スライムを餓死させるわけにはいかないので、食わせた物体とは別にエネルギーを補給させる必要があるのだが。
彩華は壺を抱え、祭壇を背にして置いてある豪華な椅子にゆったりと座る。
この壺はQuartinhaと呼ばれる。
ブラジルで信仰されるマクンバという宗教で儀式に使われる、特別なものであった。
釉薬が塗られていない、無骨な素焼きの壺だが、一見してわかるほど異様な妖気を放っている。
その壺を、彩華はまるで我が子を抱くかのように優しく胸に抱いていた。
彩華の長いまつ毛の奥で、妖しく輝く瞳がうるんでいる。
その瞳が慈しむように見つめるのはその壺の中身だった。
中には石の塊のような何かが入っている。
よく見れば、それが人の形――というより、人間の赤ん坊の形をしているのに気づくだろう。
もちろん、生きている赤ん坊ではない。
それどころか、目と鼻の判別もよくつかないような、雑なつくりの石像である。
彩華はそんな石の赤ん坊を壺に入れ、それを抱いているのだった。
とてもやさしい笑顔で壺をなでさする彩華。
そのときだった。
「奥様」
しゃがれた声が彩華に話しかける。
彩華の隣にいた女性の発した声だった。
いや、女性かどうかはわからない。
その顔は干からびて、ミイラのようになっていたからだ。
ただ、身に着けているもので女性なのだろう、ということがわかる。
それは、ピンク色の真新しいワンピースドレス。
袖から伸びる腕も、スカートの裾から見える足も、すべてが干からびている。
肌は茶色く変色し、もとの顔がどんなだったかはまったくわからない。
コルポ・セコと呼ばれるモンスターだった。
生前、あまりに悪辣なことを繰り返していたので、死んだあと土にすら拒否され、埋めても腐らず、地中から這い出して来る、ゾンビのような存在である。
もとは彩華が騙して深層階に呼び寄せた探索者であった。
その魂の力を彩華が信仰する精霊、エシュにささげた後、死体を土に埋めておいた。
うまい具合に、今日地面から這い出してきたのである。
器用であるし、魔法も操れるモンスターである。
便利そうなのでこれからいいように使い倒してやろうと彩華は思っていた。
「あなた、名前は?」
「……忘れました」
「生きているときの記憶はある?」
「……ありません」
「うふふ、そうよね。死者は蘇ると生前の記憶を失う……。そういうものよ。それはそうよね、魂がもうこの世にないのだもの」
記憶は身体ではなく、魂に宿るものなのである。
では魂が残っていれば記憶も完全に保持しているのかというとそうでもなく、不安定な状態の魂であれば、その記憶もとぎれとぎれになりがちである。
そして、魂だけではこの世では存在を維持できなくなり、よほどの魔法でもかけていない限り、いずれこの世から消えさる。
肉体と魂、二つが揃ってこそ、人間は人間として自我を保てるのだ。
「ふふふ、まあいいわ。あなたは……コルポ・セコだから、そうね、セーコと呼びましょう」
「はい。ありがとうございます」
モンスターに名前を与えるというのは、モンスターを使役するときの絶対条件であった。
「セーコ、どう? 今日も私の赤ちゃん、かわいいでしょお」
「はい、そうですね。なにしろ、エシュ様のお子様なのですから」
「そうよお。私が産んだ、エシュ様の子。なんてかわいいのかしら……」
「奥様はカトリックのシスターなのですよね?」
「そうよお。表向きね」
「シスターたる奥様が、なぜエシュ様のお子をお産みになられたのですか?」
「ふふふ、もう二十年以上も前のことよ。そうね、おしゃべりは好きだから、少し話してあげるわ」
そして、彩華は過去を語り始めた。




