第71話 依り代
住宅街の中の、小ぎれいな家だった。
庭は広くないが、よく手入れされている。
花壇には白とピンク色の百合の花が咲いていた。
家の前の駐車場には少し大きめの黒い車と、パステルブルーの軽自動車。
ちゃんとした家なのね、と零那は思った。
この家に、ヤッちゃん――幽霊少女のヤミが住んでいたのか。
百合の花の前で笑うヤミの姿を想像して、少し胸が痛んだ。
表札を見る。
『大平 和幸 Odaira Kazuyuki
小夜子 Sayoko
深夜 Miya 』
と書いてある。
零那は山伏装束姿のまま、インターフォンのボタンをゆっくりと押した。
しばらくして、きちんとお化粧をした四十代くらいの女性が出てきた。
ヤミとそっくりの美人だった。
きっとこの人がヤミの母親――小夜子さんだろう、と思った。
そっか、お母さんから一文字もらったのか。
「こんにちは。私は三日月零那といいます」
女性――小夜子はなんとも感情の読み取れないような表情で答える。
「はい。お待ちしてました。林野庁の方からさきほどお電話もらって……。どうぞ、あがってください」
通されたのは整頓されたリビング。
あちこちに写真が飾ってある。
みんな女の子の写真だ。
赤ん坊のときから少女時代までの写真が揃っている。
もちろん、ヤミの写真だった。
小学生くらいだろうか、両親に挟まれてピースサインをするヤミの姿。
口元からチラリと見える八重歯がかわいらしい。
ほかにも、中学の制服を着て、おどけた表情をしているヤミ。
花園高校入学式と書いてある看板の前で、制服のスカートをつまんでカーテシーの真似事をしている笑顔のヤミ。
これらの写真を、ご両親はどんな思いで毎日見ているのだろうか。
そう思って、零那はキュっと唇を引き締めた。
ソファを勧められて座る。
「コーヒーでいいですか?」
零那の前にコーヒーカップを置くその手は、少し震えていた。
「すみません、夫にも電話を入れたんですが、今日は仕事で金沢に行ってまして……」
「あ、いえ……」
「それで、深夜の行方がわかったって……」
期待と不安の入り混じった顔で零那を見つめてくる小夜子。
その手にはハンカチが握られていた。
「あの! 深夜は……深夜は……あの! 生きてる……んでしょうか……? 林野庁からは『遭難している模様』って聞きましたけど……でも行方不明から八年もたっているのに……?」
すぐには答えられない。
小夜子の顔をまっすぐ見られなくて、零那はカップから立ちのぼる湯気を眺めた。
でも、ちゃんと伝えなきゃ。
事実だけを。
「生きているかどうかは……正直、わかりません。でも、多分……難しいかもしれません」
実際のところ、零那はヤミの死体を見たわけではない。
ただ、山伏としての経験から、間違いなく死者の霊だということを感じ取った。
ただし、それだって他人に説明できるような証拠があるわけではない。
「……どういう……?」
「私、沼垂ダンジョンの地下で、ヤ……深夜さんと、お話しました」
「じゃあ生きてるんですか!?」
「いえ! ……わかりません。深夜さんの霊体と話したんです」
「霊体……?」
「ええと、幽霊……みたいなものです」
「幽霊……じゃあやっぱり……」
小夜子は唇を震わせてハンカチを強く握りしめる。
「幽霊……そんな……まだ高校生だったのに……。あの! 深夜は、深夜はなにか言っていましたか?」
「記憶を失っていて、自分の名前もなにもかも忘れてしまっていました」
「じゃあ自分で深夜だって名乗ったわけじゃないんですよね? その幽霊、深夜じゃないのかも……」
零那の胸が締め付けられる。
母親としては、愛娘が死んだことなどとてもじゃないが受け入れられないだろう。
それが、八年も前に行方不明になった娘だとしてもだ。
ああ、嫌だなあ。
こういうの、いたたまれないわ……。
零那は持ってきていたスケッチブックを開いて小夜子に見せた。
「これ、見てください。その幽霊を私の妹がスケッチした絵です」
羽衣の描いた写実的な人物画。
ゴスロリを着ている美少女だ。
目の下には二つ並んだ泣きボクロ。
飾られてある写真と見比べてみても、同一人物に間違いなかった。
小夜子はスケッチブックの絵を見て、全身を震わせ始める。
「そんな……なんで……ダンジョンなんて行ったの……。深夜……。バカな子……バカ……なんでそんなバカなことを……」
ハンカチで目を押さえながら、小夜子はしばらく肩を震わせて泣く。
零那は冷めていくコーヒーを見つめながら、ただじっと黙っているしかできなかった。
小夜子は長い間泣いていたが、やっと落ち着きを取り戻したのか、ハンカチで口元を隠しながら零那に聞いてくる。
「深夜は……ダンジョンに潜って……死んだということですか……?」
「そうだと思います。深夜さんの霊体に、呪いの刻印がありました。人間の仕業だと思います。最初に会ったとき、深夜さんは地下五階へ向かったはずなのに地下六階についていた、と言ってました。同じ手口で騙された人を知っています。事故じゃないと思います。誰かに騙されて、死……いえ、霊体になってしまうようなことをされたのだと思います」
「じゃあ殺されたってことですか?」
「私はそう思っています。それで、深夜さんと同じ呪いを受けた人がいるんです。解除するには深夜さんが殺された場所まで行かなければなりません。そうするには深夜さんの霊体の協力も必要です。深夜さんはまだ自分が生きていると思っています」
それを聞いて、小夜子はまたも声を上げて泣き始めた。
「かわいそう……かわいそうな……深夜……! あの、深夜とどうにかしてお話できませんか?」
「失礼ですけど……お母さま、ダンジョンに潜れますか……?」
「いえ、私も夫もダンジョンのマナに耐えられなくて、地下には潜れないようです……。深夜だけが才能あったみたいで……」
「それだと、直接の会話は難しいかもしれません。ただ、私は深夜さんの声が聞こえますし、配信を使えば私を通じて会話はできると思います」
「ぜひそうしたいです!」
「それなんですけど、私からお願いがあるんです。深夜さんはまだ記憶が戻っていません。それに、自分を生きていると思っている……。そして、刻印を受けた人の呪いを解除するには、深夜さんの協力が必要なんです。お約束します。必ず、深夜さんと会話する機会は作ります。ですが、いましばらく、深夜さんの準備が整うまで、待っていただけませんか? そして、深夜さんと一緒にダンジョンのさらに深くへ潜りたいんです。深夜さんを騙す形になるので、ご両親の許可がほしくてお願いにきたんです」
解呪のためとはいえ、死者を利用しようというのだ。
気休めかもしれないが、両親から許可はとっておきたかった。
そして、もう一つ。
「さらにお願いがあるんです。深夜さんの一番のお気に入りのアイテムみたいなのがあればそれをお借りしたいんです。深夜さんは霊体。その存在は強いんですが、なにかの拍子で霊体のかたちを失ってしまうかもしれない。それを防ぐための依り代となるものがほしいんです」
そのあともしばらく泣いていた小夜子だったが、よろよろと立ち上がる。
「依り代といったら……」
そして、一度リビングから出ていく。
すぐに戻ってきた小夜子は、その手にあるものを持ってきていた。
それを見て、零那はすぐにそれがなんなのかを感覚で理解した。
全身の肌が粟立つ。
「そんなものがあるなんて……!」




