第38話 ファントムスイーパーの苦悩②
二年前。
沼垂ダンジョン、地下5階。
危険なモンスターがうごめく深層階。
トメはこのとき22歳、すでにS級の認定を受けていた一流の探索者だった。
クラスの認定は基本的に国の認定審査会によって決まるのだが、目安として次のようなものがあった。
地下一階に挑戦できるものがE級。ここが探索者としてのスタートである。
地下一階を探索し、安定して地下二階への階段にたどり着ける者がD級。
地下三階への階段にたどり着ける者がC級、地下四階への階段にたどり着ける者がB級、地下五階への階段にたどり着ける者がA級。
そして、地下五階を探索し、地下六階への階段にたどり着ける者がS級なのである。
それ以上のクラスになると明確な基準はなく、審査会での審査を経てSS級、SSS級、特SSS級へと昇級していくことになる。
わずか22歳でS級に認定されたトメは、間違いなくトップクラスの探索者であった。
そして、二年前のある日。
地下五階で、異形のモンスターに襲われそうになっているところを助けたのが彼女との出会いだった。
真っ白な髪の毛、白い肌、白い着物。
外見は十歳くらいの女の子にしか見えない。
でも、ここはダンジョンの深層階である。
「こんなところであんたみたいな女の子がなにをしていたんだ?」
「あのねあのねわたし、いま産まれたの」
予想外の返答にトメは言葉につまる。
少し考えればわかることであった。
こんな小さな少女がこんなダンジョンの深層階にいるわけがない。
そう、つまり、彼女もまたモンスターなのである。
強いモンスターが弱いモンスターを襲う例という例は多くない。
だが、まれにあるといえばあることではあった。
その少女は、外見だけを見れば人間と大きく変わらないので、トメも人間だと勘違いして助けてしまったのだった。
しかもなんと、日本語でコミュニケーションがとれるようだった。
「あんた、人間じゃないってことか? 人だと思って助けてしまった」
「うん、あのねあのね、つららはさっき生まれたの」
「つらら?」
「私の名前」
「名前? モンスターにも個別の名前ってあるのか? だれにつけてもらったんだ?」
「わかんない。でもつららは最初からつららだよ」
近くで話しているだけで、つららの体温が空気を通してトメに伝わってきた。
あたたかい体温、ではない。
その逆だ。
それは冷気だった。
彼女の身体は、氷のような冷たさを放っていたのだ。
「……雪女か……つららとは、らしい名前ではあるな。だがモンスターには違いない……倒しておくか……?」
トメが腰に差していた短刀を抜いて呟いた。
鋭い刃がつららの瞳に映る。
つららはビクッと身体を震わせて、
「あのあの、ごめんなさい……つらら、悪いことしない……人間、襲わない……だから……」
「悪いな。今度は人間に生まれ変わってくれ」
こんな生まれたばかりのモンスター、S級のトメにかかれば一撃のはずだった。
だが、短刀を振り抜こうとしたトメの手が止まる。
つららの頬に、涙が流れているのを見たからだ。
大きな粒となって流れ出たつららの涙は、白い頬の途中で凍って氷の粒となる。
モンスターとはいえ、雪女である。
ぱっと見では完全に人間の女の子に見える。
殺すべきだ、と頭ではわかっているのだが、トメの手は動かない。
「あのあの……。なるべく、痛くしないで……」
ほっぺたに氷の粒をいくつも作りながらつららが言う。
「くそっ、モンスターごときが……姑息な命乞いの方法だ……」
そう言いながらも、トメは短刀を鞘に納めた。
「あの……?」
「行け。今日だけは見逃してやる。お前ごとき弱小モンスターが地下五階なんているもんじゃない。ほかのモンスターに襲われるぞ。もっと上の階で、レアメタルがない場所を探してそこに隠れていろ。レアメタルがある場所には近づくなよ、そこは探索者が集まるからな。モンスターからも探索者からも隠れてこっそりと生きろ」
そう言って、トメはキックボードに乗り、その場を立ち去ることにした。
トメが次につららに会ったのは、その数日後のことだった。




