第36話 自撮り
「うーん、そのパターンで来たかぁ」
地縛霊にはたまに自分の記憶を失っているのもいるのだ。
強い恨みと執着だけで存在している霊が。
困ったわね、と零那は思った。
これでは、身元が分からないじゃない。
どうしようかな、と零那が考えている間に、虹子が零那の背中に隠れながら、おそるおそるといった感じで幽霊少女に尋ねる。
「ね、自分の名前も覚えてないの?」
「うん……どうしてだろ……。透明になる魔法をかけられたときに忘れちゃったのかな……?」
幽霊少女は自分が幽霊だということにまだ気づいていないのだ。
自分がまだ生きていると思い込んでいる。
もう死んでしまった幽霊であると本人が自覚したとき、彼女がどう反応するのかわからないので、零那は慎重に言葉を選びつつ会話をすすめる。
「じゃあ、どこで生まれたかとか、どこの学校に通ってたとか、ご両親のこととかは?」
「お父さんとお母さんのことくらい覚えてるよ! ……ええと……、ええと……、あれぇ?」
編み込みツインテールを揺らして首をかしげる幽霊少女。
自分のことはなにも覚えていないようだ。
虹子がさらに尋ねる。
「じゃあじゃあ、趣味とかは?」
「趣味? えっとね、私、かわいいお洋服が好き! ゴスが好きだから、バイト代は全部ゴスロリ衣装につぎ込んでた!」
見たままの趣味だった。
「いつもお母さんに無駄遣いするなって怒られて……。あれ? でも、お母さんの顔が思い出せない……」
「うーん、じゃ、好きな食べ物は?」
「カレーライスとハンバーグ」
「好きなお菓子は?」
「え、なんでこんなに質問責めされてるの私? 好きなお菓子はパッキー」
ちなみに零那は世代じゃないのでパッキーという単語には反応しなかった。
虹子は持っていたスマホをパパッと操作すると、一枚の写真を幽霊少女に見せた。
「じゃあこのお菓子知ってる?」
零那もその写真をのぞき込む。
そこには細長くて茶色いパンみたいなのが写っていた。
少なくとも、零那は見たことのないお菓子だった。
幽霊少女はそれを見てすぐに答える。
「ぽっぽ焼きでしょ?」
「あ、新潟の人だ」
零那は不思議に思って、
「え、なにそれ」
「これ、新潟の名産。お祭りとかの縁日でよく売られてるの。これを知ってるってことは多分新潟の人。ま、ここは新潟だからそりゃそうかもしれないけど。じゃあさ、じゃあさ、これはこれは?」
また写真を見せる虹子。
それを見て零那はすぐに言った。
「これは知ってるわよ、あじまん」
「ちがうよ! 大判焼き!」
「いや違うわよ、これはあじまんでしょ」
黙っていた羽衣が口を挟む。
「お父さんは今川焼って言ってたよ」
「あれ、もしかして私たち、いまものすごく不毛な会話してる……?」
零那が呟くと、虹子が明るい声で、
「いやいや、この子が新潟の子だってことが分かったからいいじゃん」
「そうかなあ……?」
「で、視聴者に聞きたいんだけど、みんなこの子が見えてる?」
〈っていうかさっきから誰と会話してるんだ?〉
〈なにかいるのか?〉
〈まったく見えん〉
〈っていうか、あじまんってなんだ〉
〈回転焼きだろ〉
〈不毛な言い争いはやめろ〉
やはり、カメラには少女の姿は映っていないようだった。
虹子はがっかりした表情で、
「うーん、そっかあ……。顔がカメラに映れば、誰か知っている人がいるかもしれないと思ったんだけどなあ……。ところで、あなた、いつもゴスロリの恰好してたの? それで街歩いてた?」
「ううん、恥ずかしいから家の中だけ。自撮りはしてたけど……。って、あれ、なんで私、ダンジョンの中でゴスロリなの!? ダンジョンには普通の恰好で潜ったはずなんだけど……」
そうだろうな、と零那は思っていた。
霊体は最も思い入れの強い姿で現れるのだ。
そして、もう一つ気づいたことがあった。
彼女が覚えていること、覚えていないこと。
自分の名前も、親のことも忘れてしまっている。
だけど、ゴスロリが好きだったこと、好きな食べ物のことは覚えている。
そこになにかあるのかもしれない。
好きな食べ物の話をしているときには、幽霊少女の表情は明るかった。
でも、自分の名前や親のことを聞かれた時には、心なしか、苦しそうな顔をしていたような気もする。
これはいったいなんだろう?
『人』については忘れるとか、そういう法則があるのだろうか?
「っていうか、私、今どうなってるの? はやくこの透明になる魔法を解いてほしいんだけど……」
すがるような目でそう言う幽霊少女。
そのとき、虹子が言った。
「自撮り、かあ……。じゃあ、視聴者のみんなに協力してもらおうかな」




