第14話 鼻歌サイクリング
まずは最初の配達だ。
地下一階なんて、零那にとっては近所の児童公園を散歩するのと同じだ。
いや、自転車に乗っているので散歩というよりサイクリングかもしれない。
鼻歌混じりでダンジョンの中を行く。
地下一階が5000円、地下四階が1万円、地下五階が10万円のチップ。
ペダルを漕ぐ足も軽くなるというものだ。
途中、五匹のスライムが襲いかかってきた。
全長一メートルほどの粘液状をしたモンスターだ。
緑色の巨大なゼリービーンズみたいな形をしている。
こんなのでも新米探索者にとっては脅威になる敵なのだが、もちろん零那にとってはなんの障害にもならない。
スライムたちはジャンプして零那に飛びかかってくるが、
「お、元気いーねー」
などと言いつつ、自転車に乗ったまま素手ではたき落としていく。
はたき落とされたスライムはベチャ、と音をたてて潰れ、その生命活動を停止した。
零那の自転車が走り去ったあとの床や壁には緑色のシミだけが残った。
次に現れたのはコボルトと呼ばれる緑色のモンスターだ。
身長150センチほどで小柄だが、こんぼうを持っていて人間以上の筋力を持つ。
そいつが、7~8匹ほどの群れをなしている。
この数相手だと、新米探索者ならば死闘を覚悟せねばならない。
地下一階とはいえど、ダンジョンとは極めて危険な場所なのだ。
「グギャ、ガギャ!」
奇妙な鳴き声を上げながら襲いかかってくるコボルトたち。
「うーん、法螺貝吹いとこうかなー」
零那は自転車に乗ったまま、片手で法螺貝を持つ。
女の子が片手で持つには重い法螺貝だけど、もちろん零那は慣れているので余裕だ。
「ごめんねー。急いでるから、吹いちゃうよー」
そう言って法螺貝に息を吹き込む。
S級探索者の虹子が敵わなかったアルマードベアをその音色だけで遁走させた法螺貝。
それを、コボルトのような低級モンスター相手に吹くとどうなるか。
プオオーーン、プオオオーーーーーン!
法螺貝の音がダンジョン内に響く。
いや、音というのは正確な表現ではないかもしれない。
それは、衝撃波だった。
法螺貝から放たれたその衝撃波は、コボルトの脳を揺らし、内臓を破壊した。
「グゲェ……」
コボルトの群れは棍棒を振り上げたまま床に倒れ、二度と動くことはなかった。
「ごめんね、小鬼ちゃん。いじめるつもりはなかったんだけど、邪魔だったから」
目と鼻と耳から血を流しているコボルトたちの死体に謝りつつ、零那は先を急ぐ。
次に現れたのはスケルトンだった。
ダンジョン内でモンスターに敗れ、骨と成り果てた元探索者。
それがダンジョン内で呪いを受けることで自律して動き、生きている探索者を襲っているのだ。
零那はそこで初めて自転車を停めた。
スケルトンが強敵だから、ではない。
「成仏させてあげないとね……」
修験道の修行を積んだ山伏というものは仏教の僧という一面もある。
呪いを受けた死体を前にして、ぞんざいな扱いはしない。
零那は両手をあわせて唱える。
「南無仏母大孔雀明王!」
すると、合わせた両手からまばゆいばかりの光が溢れた。
「オン マユラ ギランティ ソワカ!」
零那が真言を唱えた瞬間、スケルトンに力を与えていた呪いが解ける。
カランコロン、という軽い音とともに、バラバラの骨となって床に散らばった。
ダンジョン内のモンスターは倒されると一時間もしないうちに空気中に散らばって消滅する。
零那はスケルトンだった骨にもう一度手を合わせると、一礼してからまた自転車に飛び乗った。
このダンジョンのマップについて零那はほとんど知らない。
だけど、ダンジョンというのは奥に行けば行くほど、そして深く潜れば潜るほど、空気中のマナが増えていく。
そして長年の修行で研ぎ澄まされた五感。
同じ階層であれば、《洞窟》内にいる生きている人間の場所はなんとなくだがわかるのだった。
「うーん、多分こっちかな」
ダンジョン内には頑丈なドアでフロアが遮られていることもあるのだが、零那にしてみればなんの障害にもならない。
自転車に跨ったまま、片手で錫杖(これも普通の女の子が片手で扱える重さではない)を持ち、それでつついてやるとラッチが破壊されてパカンパカンと面白いように開いていく。
中には蝶番ごと破壊されてバタンと倒れるドアもある。
ダンジョン内でこうした破壊活動をしても、2~3日もたてばまた元通りになるのだった。
どういう仕組みなのかは、まだ人類にとって未知である。
零那の所属する月羽派修験道では、悪い大天狗や物の怪の力、ということになっている。
「ん、このドアの向こう側ね」
人間の気配を感じる部屋の前に来た。
まさかお客様の待つ部屋のドアを破壊するわけにはいかない。
零那は自転車から降りると、その部屋のドアをノックする。
すると、お客様が中からドアを開けてくれた。
「おー、来た来た、マジで来た!」
「やっべー、ほんとにかわいいじゃん」
「えっぐ、自転車でダンジョン来たのかよ」
なかにいたのは、ガラの悪そうな探索者の男たちだった。
「お待たせいたしました、ウービーでーす。こちらが商品です」
ポテトが一つだけ、という注文だが、なにしろチップが5000円の案件だ。
零那が丁寧にポテトの入った袋を渡そうとすると、男たちの中でもひときわおおがらな男がニヤニヤしながら零那の肩を抱いてきた。




